灰色の重い壁と、小さな門。
その向こうに足を踏み入れると、いつも歩幅が狭くなる。
受付に行くと、優しげに微笑む男性がいる。
「こんなに頻繁に来る人は普通いないんですけどね」
その声は嘲りでも何でもない。
一種の、尊敬。
「今日のご用件は?」
エルニーニャ王国中央刑務所の職員であるケイアルス・モンテスキューは、いつものように尋ねる。
「いつもと同じです。…ちょっと伝えるだけですから」
エルニーニャ王国軍中央司令部大佐であるカスケード・インフェリアは、いつものように答える。
「週に二回は来てませんか?」
「いや、一回ですよ。彼の娘さんには内密にお願いします」
「わかっていますよ、インフェリアさん」
アーシャルコーポレーション事件の処理に関わったということで、カスケードは特別に会えることになっていた。
アーシャルコーポレーション元社長、レスター・マクラミーに。
彼の実の娘であるリア・マクラミー中尉は諸々の事情により許可が下りず、カスケードだけがこっそり刑務所に来ていた。
「レスターさん、度々すみません」
刑務所の面会室で週に一回は会う。
モンテスキュー氏の付き添いの下、マクラミー氏には娘の近況を伝えている。
「わざわざ来ていただいてありがとうございます。
…リアは、その後どうですか?」
「元気にやってますよ。先日も任務地で大活躍だったようです」
「そうですか」
自分を庇って怪我をした娘を、マクラミー氏はずっと気にしていた。
少しでも落ち着けるように、希望が持てるようにと、カスケードは彼に娘のことを伝え続ける。
マクラミー氏に対してだけではない。
自分が今までに関わって面会が許されている囚人には、できる限り会うようにしている。
捕まえて終わりにするのではなく、最後まで話し合いたいという考えからそうしている。
勿論話にならない相手もいる。それでもカスケードは通い続ける。
それに協力してくれるのが、モンテスキュー氏だった。
「…それでは、お体に気をつけて」
「ありがとうございました。娘を宜しくお願いします」
短い面会時間を終え、カスケードはモンテスキュー氏とともに待合室へ向かった。
カモミールティーの香りが気分を落ち着かせる。
モンテスキュー氏がそこにクッキーを添えた。
「いかがです?」
「申し訳ありませんが、甘いものは苦手で…」
「大丈夫です。姪が辛くしてくれましたから」
「…モンテスキューさん、シィちゃんの失敗作押し付けてませんか?」
カスケードが苦笑すると、モンテスキュー氏は楽しそうに笑う。
モンテスキュー氏はエルニーニャ王国軍中央司令部伍長シィレーネ・モンテスキューの叔父だ。
シィレーネにとっては両親よりも信頼できる存在。
カスケードはモンテスキュー氏のおかげで、シィレーネのことを彼女が軍に入隊する前から知っていた。
しかし実際に会ったのは数ヶ月前で、「シィちゃん」と呼ぶようになったのもそれからだ。
シィレーネ自身は叔父とカスケードが古くからの知り合いであることを知らない。
「姪は張り切ってましたよ。インフェリアさんにプレゼントするんだって」
「気持ちは嬉しいんだけど…辛いクッキーは勘弁です」
「そう言わずに」
何を入れたのか、クッキーは赤味がかっていた。
「カスケード大佐っ!これ受け取ってください!」
戻ってくるなり、黒い髪を揺らして赤眼の少女が走ってきた。
「シィちゃん、サンキュ」
可愛らしい包みを受け取り、カスケードは笑顔で礼を言う。
途端にシィレーネの表情は輝き、嬉しそうにどこかへ駆けて行ってしまう。
包みの中身はわかっている。あの赤いクッキーだ。
さっき味見したものがまだ口の中に余韻を残していて、悪いとは思うが食べられない。
こういうときこそ使えるものを使っておこう。
そう思い、第三休憩室へと歩いていく。
今頃はポーカー大会でも開かれているだろう。
どうせ連敗しているであろうあの男にこのクッキーを味見させてやる。
電話が鳴った。
仕事を終えて帰ってきたケイアルス・モンテスキューにとって、疲れを吹き飛ばすいい栄養剤だ。
「もしもし」
「叔父さん、私だよ!シィだよっ!」
「こんばんは、シィレーネ」
明るい姪の声は、全て上手くいったことを物語っている。
受け取った包みをカスケードはどうしたのだろうと、少し気になった。
「シィレーネ、今日も良い事があったかい?」
「うん。あのクッキー、カスケード大佐に無事渡ったよ。
…あとね、今度の休みに遊びに行く時、シェリーさんも一緒に連れてくから」
シェリーさんというのはシィレーネの友人らしい。
エルニーニャ王国中央司令部シェリア・ライクアート准尉だ。
「彼女の予定はいいのかい?」
「うん。シェリーさんも叔父さんに会いたいって」
シェリアに初めて会ったとき、彼女にならシィレーネを任せられると思った。
心に深い傷を持つ姪を、彼女なら癒し、励まし、一緒に乗り越えてくれると思った。
本当にその通りで、軍に入る前は暗い性格だったシィレーネをこんなに明るく変えてくれた。
「そうか。待ってるよ。シェリアさんにも宜しく」
「うんっ!またね、叔父さん」
やはり軍にいれて正解だった。
死を望んでいたシィレーネに入隊を勧めたのは、元はといえばカスケードだった。
女の子には危険かもしれません。しかし、命の大切さがわかるはずです。
あの時の真剣な彼の言葉は、今でも思い出せる。
シィレーネは勿論それを知らず、感謝は叔父に向けられている。
いつかシィレーネがもう少し大人になったら語ろう。
彼女の運命の真実を。
「インフェリアさんが親戚になるのも悪くないですね」
「…モンテスキューさん、少し気が早いんじゃ…」
Fin