今日もまた一日が始まるんだ、と思うと、何もしないうちから疲れてしまう。
体を起こして床を見ると、昨日散らかしたままだった資料の束。
胸を刺す、視界からの刃物。
今日は何日だったか。
最近日付が変わっても起きていることが多いためか、感覚がおかしくなっていた。
「…あ、今日って…」
一人呟く声は、誰もいない部屋に消えた。
カレンダーの日付は、毎年痛みを伴う数字。
「アル、元気ないぞ?」
軽く背中を叩く長身の男の瞳は、澄んだ海色。
部下思いでお人好しの上司。
「大佐…」
「元気出せよ。今日の昼休みに良いモンやるから」
「良いもの?」
カスケードの明るい笑顔には、人に光を与えるような何かがある。
アルベルトはいつもそう思っている。
そのおかげで罪悪感が思い起こされることもあるのだが。
「良いものって何ですか?」
「それは見てのお楽しみだな」
じゃあな、と言って走って行ってしまう。この方向だとおそらくはツキ曹長のところだろう。
頻繁に通っているようだが、果たして自分の仕事はきちんとこなしているのだろうか。
少し不安になりながらも、それがカスケードだと認識しているので笑っていられる。
痛みが和らいで、ホッとする。
第三会議室での書類整理ももう慣れた。
ここなら誰か来ることはほとんどないと知ってから、頻繁に使っている。
何かあってもカモフラージュは十分出来る。
「…ふう、疲れたぁ…」
思い切り伸びをすると、血が一気に全身を駆け巡るような不思議な感覚に襲われる。
腕を下ろして机の上に載せ、三秒ほどボーっとする。
気を取り直したところでドアの向こうに気配を感じ、自然と口元が緩む。
「ブラック、どうしたの?」
外には聞こえないはずの小さな声だったが、ドアは開くことで返事に代える。
「やっぱりここにいたのか、馬鹿」
「馬鹿って言わないでよ…」
挨拶代わりになってしまった台詞を吐いて、ブラックは向かいに座る。
アルベルトの方は絶対に向かないが、それでも正面に来る。
「どうしたの?」
「別に」
「コーヒー飲む?」
「よこせ」
短い会話。しかし二人にはこれで十分だ。
腹違いの、血の繋がった兄弟には。
ブラックはアルベルトを兄弟だと認めようとしないが、アルベルトは最初から彼を弟として見ていた。
ブラックはそれが鬱陶しいとは言っているが、たまに態度とは違う本心が見える時がある気がして、アルベルトはますます弟が好きになる。
「これが一番新しい資料。これが今までのまとめ。そしてこれがコーヒー」
「コーヒーまで一緒にしてんじゃねーよ」
犯罪者である父親の血で繋がっていることは悔しいが、それでも兄弟で良かったと思っている。
ブラックがどう思っているのかはわからないが、アルベルトはブラックに会えて良かったと思っている。
「…あ、そろそろお昼だね。一緒に食べに行こうか?」
「誰がお前と」
毎度こんな調子だが、いつかはきっと心を開いてくれると信じている。
「お、来たな」
食堂に行くと見慣れたメンバーがいた。
片手を挙げて合図をするカスケードと、一緒にいるディアとアクト。
「どうしたんですか?三人で」
「良いモンやるって言っただろ?座れよ、アル」
カスケードの示した場所に座ると、アクトが傍らから箱を取ってテーブルの上に置いた。
「アルベルト、これ何だと思う?」
「え、この箱ですか?」
水色のリボンがかけてある、真っ白な箱。
蓋は上に持ち上げると開くようだ。
アルベルトが考えている間、カスケードとディアは始終ニヤニヤしていた。
アクトは落ち着いた様子でアルベルトを見つめている。
「…何ですか?」
「開ければわかる。開けてみろよ。」
指示されるままに箱に封をしていたリボンを解き、蓋をそっと持ち上げる。
「…わぁ…」
思わず声が漏れるほど、それは素晴らしいものだった。
少なくとも、アルベルトにとっては。
「アクトが早起きして作ってたんだぜ。残すんじゃねぇぞ」
「残しませんよ!…でも、どうして…」
「カスケードさんに聞いたんだ。アルベルトはチーズケーキが好きだって。
それに、今日ちょうど誕生日だろ?」
カスケードならアルベルトの面接に関わったこともあり、データにも目を通したことはあるだろう。
けれども、まさか覚えていてくれたとは思いもしなかった。
「アル、誕生日おめでとう。これからも宜しくな」
カスケードの大きな手に肩をそっと叩かれると、本当に嬉しく思う。
自分という存在が認められていると感じる。
父親には望まれずに生まれ、何も意味のない名前を持つ自分を、この人たちは認めてくれている。
一人で食べられるくらいの手ごろな大きさのチーズケーキを前に、アルベルトは感激して目を潤ませていた。
「…あの、僕…こんなの、本当に久しぶりで…」
「泣くなよ…ほら、涙拭いて」
「はい…」
カスケードの差し出したポケットティッシュで目を押さえ、ゆっくりと息を吐く。
こんなに嬉しかったことは、何年ぶりだろうか。
「本当に、ありがとうございます…」
チーズケーキの入った箱を持って寮の部屋に帰って来る。
幸せの重みとはこういうものを言うのだろうかと、何度も右手を軽く上下させる。
1066号室の前で立ち止まり、ポケットからカギを取り出そうと屈んだ時、足元に何かが置いてあるのが目に入った。
小さい箱が二つ。一つは商店街のケーキ屋のものだとわかった。
カギを開けて箱を拾い上げ、部屋に入る。
一人の部屋は夏なのに寒い感じがする。
「誰からだろう…」
ドアの前にあった箱を見る。ケーキの箱をそっと開けてみた。
「…チーズケーキだ…」
一切れだけ入っている好物。店で買ったものらしいので、アクトやディアが追加で、ということはまずない。
カスケードなら直接渡すだろう。後輩の誰かだとしても同じだ。
もう一つの箱も開いてみる。
こちらはプレゼント用に包装されているらしく、リボンを解くのに少し時間がかかった。
箱の中にあったのは、深緑の生地にチャックのついた、ほんの少し大きめの筒型のもの。
手にとってみて、チャックを開けたり閉めたりしてみる。
「ペンケース…だよね」
今使っているペンケースから中身を取り出し、新しい方に移しかえる。
全てちょうど良く収まった。
「…ありがとう」
ここにはいない者に、小さな声で礼を言う。
自分の好物を知っているのはカスケードとディアとアクト、そして、あと一人。
自分のペンケースの中身が他の人より多いことを知っているのは、一人だけ。
生まれて来て良かったんだと思えた。
ここにいて良いんだと思えた。
こんなにも自分は愛されている。
「ブラックの誕生日、お返し何にしよう…
あ、その前に大佐の誕生日があったんだった。それにディア君も…」
だから自分も周りを愛そう。
多くのものを貰ったから、出来る限りを与えよう。
今の自分にそれが出来るのかはわからないけれど。
生まれた日が好きになれた。
ほんの少し自分が好きになれた。
今日はきっと、特別な日。
Happy birthday.
Fin
おまけ。
別にあいつを認めたわけじゃねーからな。
ただ、誕生日だとかチーズケーキ好きだとかペンケースボロボロになってきたとか色々言ってたから、からかってやりたくなっただけだ。
あの馬鹿のことなんか大嫌いだし、相手にするのも面倒だし、
なのに話し掛けてきて、こっちが迷惑してるんだ。
だから何か与えてやればおとなしくなるかも知れねーし、そうじゃなきゃ混乱する馬鹿が見れるかもしれねーし、
理由なんてそんなもんだ。
あいつが好きなわけじゃねーからな!あんな馬鹿大嫌いだ!
兄貴なんて絶対呼ばねーからな!
畜生、ペンケース毎日持って来てんじゃねーよ…。