企業の目論見通りとか、そんなのどうでも良いじゃない。

日頃の感謝を伝えるのにちょうど良いってだけなんだから。

それに溢れる想いも…ね?

 

二月中頃、女子寮は甘い匂いに包まれる。

「リアさん、こんな感じで…きゃぁあっ?!」

「だ、大丈夫シェリアちゃん?!落ち着いてね…」

二月十二日、仕事が終わってから女の子数人がリアとラディアの部屋に集まった。

目的はリアによるチョコレート講習。

バレンタインに向けて皆で作ってしまおうという計画だ。

「シェリーさんってば緊張しすぎー」

「うるさいな、シィは!ちゃんとしたもの作んないとカイさんにあげられないでしょ」

「そうよね。頑張ろう、シェリアちゃん」

「はい!」

恋する乙女は妙に気合いが入っている。

「ていうかシィは大佐に作らないの?」

「私はあとで特別なの作るの」

一方義理しか作らない人々は気楽だ。

「あといくつ作ればよろしいの?」

「そうね…こっちがまともな人用、こっちが変な人用…」

「クレインちゃん、へんなひとってだれー?」

「ラディアさんが思いつく限りの人よ」

…気楽と言って良いのだろうか。

「リアさん、ラッピング用品こちらに置いておきますわ」

「ありがとう、メリーちゃん」

とにかくこのイベントは楽しまれているようだ。

たまにこうして集まってお菓子作りというのも悪くない。

幸い、何かが足りなくなってもフォローしてくれる人がいる。

「フォークさんに例のレシピ貰ってきたわ」

「クレインちゃん、ありがとう。テーブルの上に置いといてくれる?」

「ココアもう無いですよー?」

「あ、私調達してきます」

「シィレーネちゃん、わざわざ買いに行かなくてもアクトさんの所に行けばもらえるから…」

「はーい」

いつもより賑やかな部屋。リアも嬉しい。

また何度かやろうかな、なんて思ってしまう。

「…ってラディアちゃん!味見し過ぎよ!」

「あ、ごめんなさい!もう半分以上食べちゃいました!」

今度やるときは、ラディアから目を離してはいけない。

 

バレンタインに向けて準備するのは、女の子だけではない。

ここではこの言葉に二通りの意味がある。

「カスケードさん、紙袋いくつ用意したんですか?」

「んー…三つほど」

「去年それでも足りなかったって言ってませんでした?」

カスケードの部屋にカイ、アーレイド、ディアが訪れ、二日後について談話中。

「何でカスケードばっかそんなにモテるんだよ」

「さぁな…でも俺、貰っても甘味地獄…」

「カスケードさん甘いものダメですからね」

カスケードは甘いものが苦手だ。食べることは食べるが、そのあと必ず気分が悪くなる。

「誰か柿の種とかくれないかな。そしたら酒と一緒に美味しくいただくのに」

「世の中そんなに甘くないってことですよ」

「甘くない方が良いんだってば」

「いや、そういうことじゃなくて…」

冗談で盛り上がっている先輩達を、アーレイドはただ一人少し離れて見ていた。

我関せず、というよりはあまり関わりたくない。

「で、アーレイドは紙袋いくつ?」

関わりたくないのに。

「いやオレは…」

「言えよ、ほら」

「俺らに訊かれて答えねぇわけねぇよな?」

だから嫌だったのに。

階級の所為もあるが、アーレイドは他三人によくいじられる。

髪が長かった頃はツインテールにされるなどしてよく遊ばれたものだ。

髪が短くなってからそういうことはなくなったが、代わりに口頭攻撃が激しくなった。

「…去年は大体二個分でした」

「モテモテじゃん」

「ハルと喧嘩になったんじゃねぇか?」

「なりませんよ!」

押されていたアーレイドも、ハルの名前が出ると反撃にでる。

これが見たいがために、ディアはわざとハルの名前を出した。それはカスケードとカイも承知のことだ。

「ハルはそんなことで怒ったりしないし、むしろオレが食べ切れない分とか食べてくれるし、

というかオレがハルから貰った分しか食べないし、正直ハルからしかいらないし、」

「はい、そこまで。ホント、アーレイドはハルのことになると熱くなるよな」

面白いなー、とカイは笑う。

我に返ったアーレイドは耳まで真っ赤だ。

「そ、そういうカイさんだってグレンさんのことになると語るじゃないですか!」

「語るよ。俺も正直言ってグレンさんを美味しくいただければそれで十分だし」

「カイ、そういう話は俺の部屋でしないでくれ」

カスケードはこういう話が苦手なので、早々に止めようとする。

しかし、

「カイの言う通りだな。俺もアクトで十分だ」

「ですよねー」

「それを言うならオレだってハルを…」

止まることは無く、寧ろ暴走する。

しばらくはこの話題が続くだろう。

「屈折してるよな、お前ら…」

今度はカスケードが輪から離れる番だ。

 

買いだめしておいたココアをいくらか女の子たちに分け、残りの量が不安になる。

アクトは財布の中身を見てしばらく考えた。

「金はあっても外寒いから出たくないな…」

今回ばかりはディアを使いに出すのは躊躇われる。

やはり自分で行くしかないのだろうか。

「…あ、そうだ」

いい手があるじゃないか。

アクトは受話器に手を伸ばし、寮内線に繋げた。

「もしもし…あぁ、突然ごめん。頼みがあってさ…」

十分後、超防寒装備のアクトは外の駐車場にいた。

グレンと一緒に。

「店なんてすぐ近くじゃないですか」

「寒いから長い時間外にいたくないんだ。ごめんな」

「俺は構いませんけど…」

そう言いながらも、グレンは呆れた溜息をついていた。

安全運転の車で店までの道を行く。

少し雪が積もっていて、確かに寒そうな上歩きにくそうな道だ。

「もう少しスピード出せない?」

「出せません」

アイスバーンで何を言うんだ。

アクトがスピード狂だとは聞いていたが、こんな状況でそんなこと言わないで欲しい。

グレンはあくまでも安全かつ慎重に運転する。

隣の不満そうな表情はあえて無視だ。

「どうして俺なんですか?」

「おれ免許持ってないから」

「ディアさんは?」

「今回はあいつに頼りたくない。

バレンタインのお菓子の材料買いに行くんだ」

「バレンタイン?」

店の駐車場の入り口が渋滞していて、車は一旦停止する。

入るには少し時間がかかりそうだ。

「アクトさん、あげる側なんですか?」

「うん。料理好きだし」

そういう問題だろうか、と思いつつ、返す事ができずに次の言葉が来る。

「グレンは…貰う側か。誕生日だもんな」

「知ってたんですか?」

「まぁな。…やっぱり和菓子の方が良い?」

「洋菓子食べれませんから」

「そうだよな…」

どういうルートで誕生日を知ったのかはわからないが、それを覚えていてくれたのが少し嬉しい。

進み始めた前の車をゆっくりと追いながら、ふと考える。

自分もあげるべきだろうか。

パートナーにくらいは、何かすべきだろうか。

去年のことを思い返すと、何かしたというよりはされた覚えがある。

「グレン、顔赤いけど…」

「なんでもないです」

「何かあるだろ」

「ないです」

 

二月十三日、少し浮き立つ中央司令部。

「あのね、アクトさんにお願いがあるんです」

「わかった」

言う前に承諾され、ハルは少し混乱しながら確認する。

「あの、明日の…」

「わかってるって。仕事終わったらおれの部屋来いよ。

バカはあらかじめ追い出しておくから」

「…はい!」

バカの部分を全く気にしない。バカが少し哀れだが、それは置いといて。

一方ではちょっとした戦いが繰り広げられていた。

「あぁ、バレンタインなんてものもあったな」

ブラックが書類整理をしながら言う。

「明日はグレン食っちまうか」

「聞き捨てならないな、ブラック。グレンさんは俺のだって何度も何度も何度も言ってるだろ」

「納得した覚えは全くねーよ」

「お前が納得しなくてもグレンさんは俺のなの!まっくろくろすけは頭悪いな」

「うるせーよバカイ」

今日も本人抜きで勝手に言い争っている。

女の子たちも何やらわいわいやっている。

「昨日できなかった分は今日ね。たくさん作っちゃおう」

「そのたくさんできたものを軍中の男性が狙うのね…」

「…クレインちゃん?」

クレインの発言は正しい。

軍の男性の多くが「リア・マクラミーファンクラブ」に入っている。

リアからの愛情溢れるチョコレートを狙うのは当然のこと。

「リアさんから貰った男性は恨まれますわね」

「大袈裟よ、メリーちゃん…」

それがちっとも大袈裟ではないことを、本人はまだわかっていない。

目を司令部の外に向けてみるとしよう。

中央刑務所で、カスケードはケイアルス・モンテスキュー氏と会話を楽しんでいた。

「姪が嬉々として電話してきたんですよ」

モンテスキュー氏はシィレーネの叔父で、よく姪の話をする。

「インフェリアさんには特別に張り切ってプレゼントを用意するそうです」

「また辛いクッキーだったら勘弁だな…」

カスケードは苦笑しながら紅茶のカップを手にとった。

「今回はクッキーではないようですよ」

「楽しみなような、不安なような…」

「楽しみにしてあげてください。姪も頑張ってるんです」

「…モンテスキューさん、楽しんでませんか?」

カスケードは明日どうなってしまうのだろうか。

 

それぞれの想いを込めて、

二月十四日、戦いが始まる。

 

開戦は早朝。

仕事が始まる前にはすでにたくさんの攻撃。

「何だこれ…」

中でも一番インパクトのある爆撃はこれだ。

「カスケードさん、何ですかそのでかい包み?」

「俺が訊きたい」

カスケードの机には、巨大なピンクの包みが置いてあった。

他のどれよりも目立っている。

「これじゃ仕事できませんね」

「じゃあサボっていいか?」

「駄目です」

とりあえずその包みは一旦寮に運ぶことになった。

一体誰がこんなものを。

謎が深まる中、贈り物はさらに増えていく。

昼休みにはすでにこのような状態に。

ここからは単位を大きめの紙袋と考えていただきたい。

「俺は一個半ってとこかな」

ツキは結構貰っているようだ。知り合いからを除いても多い。

「オレ一個。でもこんなのはどうでもいい!」

クライスはいくら貰ってもフォークからの一つに価値を見出している。

「俺は一個半ですね。知らない人が結構くれるんですよ」

処分に困るんですよ、とカイは苦笑する。

「グレンさんも大体同じくらい貰ってますよ。…洋菓子ばっかり」

「微妙な所でチョコ大福があったんだが…カイ、食べるか?」

「いただきます」

他人の気持ちがこもった物とはいえ、グレンから貰えるというだけでカイはとても嬉しそうだ。

「クリスは多いな…二個分?」

「処理が面倒ですけどね。貰ってない人にでも押し付けますよ」

クリスは相変わらず甘くない。

「オレは一個と三分の一くらいです。ハルは一個分」

「知らないお姉さんがいっぱいくれるんです」

アーレイドは年下から、ハルは年上のお姉様方からが多いらしい。

「…黒すけ、結構多いよな」

「うるせーよ」

「カイと良い勝負だ」

「いらねーよ、こんなもん。全部あの馬鹿にくれてやる」

ブラックは陰で人気があるらしい。

「俺は一個分だった」

「ディアは貰ったっていうより投げつけられたんだよな」

アクトの言葉どおり、半分恨みを込めて投げつけられたようなものがいくつかあった。

「アクトは?」

「おれは同性にたかられる方。知り合い分しか作ってないからあげてないけど」

アクトはそう言って手作りのココアマフィンを配り始める。

グレンにだけは別の包みだ。

「この前のお礼と誕生日プレゼントも兼ねて」

「ありがとうございます」

「あぁ、グレンちゃん誕生日か」

「そっか、おめでとう、グレン」

祝いの言葉が飛び交う中、第三休憩室のドアが開いた。

入ってきたのは女性陣。

「やっぱり集まってた」

「私たちからプレゼントですよー」

女の子たちが持っている籠には、可愛いラッピングがたくさん入っている。

甘いものや洋菓子が苦手な人にはちゃんと別に用意してあり、よくわかっている、と感心する。

それだけではなく、

「ディアさん、それを食べて身体に何か異常が起きたら詳しく報告してください」

「何なんだよクレイン!」

このような不安な言葉つきの物もある。

「ねぇカイ君、ちょっといいかしら」

「?…何ですか?」

リアはカイだけを休憩室の外へ呼び出す。

いいからいいから、と押され、仕方なく出た。

「他の方はお好きなものをお取り下さいね」

メリテェアの笑顔も妙に眩しい。

女の子たちには何か作戦があるようだ。

「…それにしても…」

リアはちらりとカスケードのほうを見る。

正確には、その傍らの袋を。

「カスケードさん、袋三個埋まっちゃうんですね…」

これプラス例の巨大な包みだ。カスケードが全身青くなるのも必至だろう。

「誰か…貰ってくれないか…?」

「せっかく貰ったんだから受け取れよ」

「無理だ…」

 

その頃休憩室の外では。

「あれ?シェリアちゃん。どうしたの?」

「か、カイさん…っ!あ、あの、えっと…」

カイを待っていたのは、頬を赤く染めたシェリアだった。

しどろもどろではあるが、少しずつ言葉を搾り出す。

「あの…こ、これ、受け取って…くれ、ますか?」

彼女が手にしているのは、ピンクのリボンで飾られた箱。

他の女の子とはちょっと違う。

カイは不思議に思いながらも、まあいいか、と箱に触れる。

シェリアが震えたのは、伝わっていなかった。

「ありがとう、シェリアちゃん」

にっこりと笑うカイに、シェリアは完全に固まった。

 

その日の仕事は無事終了した。

それまでに結局大漁となってしまう人もいれば、小さなバッグに簡単に収まってしまう者もいる。

「ブラック君」

「何だよ」

掛けられる声に、ブラックは立ち止まる。

優しく微笑むリアが目に入った。

「多いね、荷物」

「あの馬鹿の分もあるからな。二人分も持つのめんどくせー」

「そっか…」

話しながらブラックは歩き出し、リアはその後を追う。

寮までの短い道で、リアは急いでカバンから何かを取り出した。

今日散々見慣れたものだが、他のものとはやはり違う。

「大変な所申し訳ないんだけど、これ」

リアが差し出す小さな箱を、ブラックは再び立ち止まって見つめた。

そして、袋を一つ差し出した。

「こっちがアイツの分だから、入れとけ。お前からってのは伝えとく」

「…ありがとう。」

リアの笑顔を直接見れない分、ちゃんと伝えてやろうと思う。

女子寮の方へ向かう後姿に、ブラックは心の中で呟いた。

アイツは幸せ者だよ、と。

 

夕食を終えた後、アーレイドとハルは貰ったチョコレートをいくつか消化していた。

「これ何日かかるかな…」

「さぁな…去年は結構かかったよな」

「そうだね。…あ、これぬいぐるみついてる」

ハルは大人から貰う方が多いので、よくおまけがついてくる。

今回もいろいろとついてきた。

「見て見てー。猫のキーホルダー」

「近づけないでくれ!猫は…猫は…っ!」

「もー…アーレイドってばホントに猫駄目なんだから。

アクトさんのはね、包んでた袋にねぁーがついてるの」

「うわ、ホントだ!オレ開けられない!」

「…アーレイドったら…」

ハルは呆れながらも、この時間が楽しいと思う。

アーレイドと一緒にいられる時間が。

「…あ、アーレイドにね、ボクからプレゼントがあるの」

「え?」

ハルは台所にとたとたと走っていき、冷蔵庫から何かを取り出して戻ってきた。

嬉しそうに笑いながら、アーレイドの横で止まる。

「はいっ!生チョコ!」

「…生チョコ?」

アーレイドは差し出されたものを受け取り、思わず感嘆した。

でこぼこしていて、売っているようなものではない。

「これ、手作りか?」

「うん。アクトさんに教えてもらって、頑張ってみたんだ。

アーレイドのこといっぱいいっぱい考えて作ったの」

ハルが自分のために作ってくれたもの。

去年までは買ってきたものだったから、初めての手作り。

感極まって、アーレイドはハルをぎゅっと抱きしめた。

「はうっ?!…苦しいよ、アーレイドぉ…」

「…ありがとうな、ハル。ありがとう」

耳元に囁かれる、優しい言葉。

「アーレイド…」

ハルはちょっと泣きそうになって、何度か瞬きした。

「とにかく食べてみて。自信あるんだ」

「わかった。…もったいない気もするけど…」

「食べなきゃ意味無いでしょ。さ、食べて」

ハルに急かされ、アーレイドは一つ口に運ぶ。

その前に食べたチョコレートの味なんて、とっくに忘れていた。

「…うん、美味い」

「ほんとっ?!良かったー」

「ハルも食うか?」

「…ちょっと食べたい」

「じゃ、口開けて」

幸せな時間、いつまでも続きますように…。

 

大量のチョコレートは仕分けされ、まとめて溶かされる。

溶かされなかった分はそのうち何かに使われるのだろう。

しばらくはチョコレート三昧だ。

「アクト」

「何」

「俺貰ってねぇんだけど」

温めた牛乳に溶かしたチョコレートが注がれ、さらに攪拌される。

部屋中が甘い香りに満たされる。

「昼俺だけお前から貰ってなかったんだけどよ、今年はナシか?」

「ちゃんとある。黙って待ってろ」

「さっさとしねぇと溶かしたチョコお前に塗って一緒に食っちまうぞ」

「…変態」

甘い液体がカップに注がれ、湯気を伴って運ばれる。

ディアはカップを受け取り、アクトはその隣に座った。

「で、俺のは?」

「たくさんあるけど、どれがいい?生チョコとケーキとマフィンの残りと…」

「そんなに作ったのかよ」

道理で長時間部屋から追い出されていたわけだ。

「で、どれ?」

「全部。アクト込みでな」

アクトがカップをテーブルに置いた所を狙って、ソファに押し倒す。

深く口付け、甘味を感じる。

絡ませた舌が離れると、息と糸が生まれる。

「…甘ったりぃ」

「当然だろ。…それでも全部貰うの?」

「お前込みで。甘い声でも聞かせてくれよ」

「まだ甘いの欲しいんだ?」

艶のある笑みが溶けた。

 

待ちわびた音と、視界に入るたくさんの荷物。

出て行ったときよりも明らかに多い。

「お帰り、ブラック」

「あぁ…これお前の分」

「ありがとう」

ブラックが差し出した袋を、アルベルトは左手で受け取った。

結構重い。これだけのものをわざわざ持ってきてくれたのか。

「コーヒー淹れようか」

「無理するなよ」

「大丈夫、心配しないで」

「してねーよ」

袋は居間に置かれ、台所からは湯の沸く音。

準備していたらしい。

「お前の袋の一番上、リアから」

「マクラミーさん?…僕に?」

「あぁ」

スプーンとカップのぶつかる音が、テーブルとぶつかって止まった。

もう一度同じ音が繰り返され、漸く落ち着く。

アルベルトは袋の中から小さな箱を一つ取り出し、ブラックに見せた。

「これ?」

「それだ」

「…そう」

片手でも簡単に解ける包装が嬉しい。

アルベルトはそっと包みを開き、中身を取り出した。

「あ、トリュフだ。ブラックも食べる?」

「食ってきたからいらねー。

お前の分だろ、簡単に人にやるんじゃねーよ」

幸せそうな兄の手は、まだリハビリが必要だという。

リアからのメッセージカードにも、頑張ってくださいというようなことが書いてあった。

大きな励みになるだろう。

「…泣きながら食ってんじゃねーよ、馬鹿」

「馬鹿って言わないでよ…美味しいんだよ…」

早く復帰して欲しいという願いは、みんな共通だ。

リアはそれを特別な形に表しただけだ。

「明日も病院だな」

「うん。送ってってね」

きっと頑張れる。こんなに想いを受けているんだから。

 

グレンは貰った和菓子でのささやかな誕生日。

雪うさぎをかたどった餅を崩しながら食べる。

「グレンさん可愛い」

「黙れ」

いつもならカイの言葉にはもっと激しい反撃をするが、今日はない。

特別な時は大抵そうだ。

「ハッピーバースデー、グレンさん」

カイに笑顔で言われ、グレンの頬が赤く染まる。

「…ありがとう」

「どういたしまして」

後ろからの優しい抱擁は、一番落ち着く温度。

身動きができなくなるが、それでもいい。

崩されたうさぎが少しかわいそうになってきたところだ。

「生まれてきてくれて、ありがとうございます」

「…どういたしまして」

体は少し離れた後に、再び接する。

重なる唇が、少し甘い。

「チョコレートの味がする」

「あ、嫌でした?これシェリアちゃんから貰ったんです。食べます?」

「洋菓子は好きじゃない」

「知ってますよ」

訊いてみただけです、と笑った後に、もう一度温かなキス。

生まれた日に触れることのできる、大切な人の体温。

「お茶でも淹れましょうか」

「俺から離れなきゃ淹れられないだろう」

「じゃあお茶は少し我慢します」

「………」

まぁ、いいか。

 

ツキの家ではフォーク特製ブラウニーが大量に作られていた。

「クライス君にあげたら喜んでたねー」

「そうだな…あれは喜びすぎだな」

ブラウニーを口に運びながら、ツキは苦笑する。

盲目クライスはいつになったら目を開くのだろうか。

「このままだとさすがに心配だな…」

「何?お兄ちゃん」

「何でもない」

山のように積まれた菓子がいつなくなるのかも心配だ。

今年は少し作りすぎだと思う。

「明日持ってって良いか?」

「そのために作ったんだよ。お兄ちゃん、詰めるの手伝ってー」

「はいはい」

そういえばカスケードはあの巨大な包みをどうしただろう。

ふと気になったが、思考は中断された。

床にぶちまけられたブラウニーを拾うのに、精一杯になってしまったから。

「フォーク…落ち着いて詰めよう」

「ちょっと失敗しちゃった…学校の猫のエサにするね」

「猫にチョコレート類はやめとけ」

 

ところであの大きな包みはと言うと、

「…これ…俺?」

カスケードの顔をかたどった、巨大なチョコレートだった。

「どうやって食えって…ていうか無理だって…」

さぁ、どうやって処分しようか。

「ニアがいれば食ってもらえたのに!

そうだ、ニアに分ければ良いんだ。墓地に…」

僕でも無理だよ〜と声が聞こえた気がした。

それ以前に墓前に食べ物を置きっぱなしにしてはいけません。

「じゃあどうすれば良いんだ!」

人気者カスケード・インフェリア、今年も全身真っ青になる。

 

巨大カスケードチョコの犯人はシィレーネ。

「カスケードさん、食べてくれたかなぁ…」

彼女の中で「カスケードは甘いものが苦手」という設定は、このときすでに抹消されていた。

モンテスキュー氏に愚痴りに行ったカスケードがその場で固まるのは、翌日のこと。

 

Fin