月は満ちている。
豪華な建物には、数多くの名士たちが談笑している。
グラスには赤いワインが注がれ、テーブルは彩られる。
貴婦人たちのドレスもさることながら、紳士たちの装身も素晴らしい。
今宵の舞踏会は、刺激的な夜。
『こちらA班、感度良好。…っていうか良く聞こえすぎて耳が痛いです』
『こちら1班、了解した。無駄口を叩いてる暇があったら会話をしっかり聞いておけ』
豪邸の前に、一台の車が停まった。
「いってらっしゃいませ、お嬢様」
運転手はそう言って、笑う。
白い細身のドレスを纏った女性は、運転手に笑い返す。
どちらも少し意地の悪い笑みだった。
女性は車を降り、豪邸の方へ歩いていく。
その姿を見送った後、運転手は傍らの無線をこっそり取った。
「こちら”ドライバー”。今お嬢様が会場に向かわれました」
『了解した。後は1班に任せて、一度戻って来い』
「了解」
車が発進する音を背に、女性は受付と話す。
「エフィール様…ですか?名簿に名前がありませんけど…」
「フォース氏の招待なんです。彼を呼んでいただければ証明してくださいます」
ちょうどその言葉の後に、茶髪の男性が現れた。年齢は四十歳ほどというところか。
彼は女性を見て挨拶をした。女性も返す。
「フォース様…ジョージ・フォース様でいらっしゃいますね?
こちらのテレジア・エフィール様を招待されたというのは…」
受付が尋ねると、茶髪の男性は落ち着いた笑みで返した。
「えぇ、彼女は私が招待しました。彼女を連れて行っても宜しいですか?」
「はい、結構です。失礼いたしました」
ジョージ・フォースは女性を奥の会場に連れて行く。
受付は何の不審も抱かず、次の招待客を待った。
『こちら1班。テレジアが到着した。合流の合図を待て』
『2班です、了解しました』
ジョージは会場の一角へ女性を案内した。
そこには銀髪の少年が待っていて、向かってくる姿に気づくと静かに歩いてきた。
「テレジア嬢を連れてきた」
ジョージがそう言うと、少年は頷いた。
「テレジア・エフィールさんですね。ジョージ・フォースの息子のグレンです」
「テレジア・エフィールです。お目にかかれて光栄です」
女性は美しく笑む。
『こちらA班。合流の合図がきました』
『こちら1班、A。Gの現在地をお願いします』
『こちらA班。G及びテレジアは地点Cにいます』
『1班A、了解しました』
会場の中央では数人の名士が語らう。
その中に純白の衣装を纏った女性がいた。
「いい月夜ですわね」
「おや、リルリア家の…。そうですね、本当に良い月夜です」
「今夜の主催の方はどちらにいらっしゃいますの?」
「それが、まだお見えにならないということで…これも催しの一環なんでしょうな」
名士たちは笑う。
リルリア家次女メリテェアは、丁寧に挨拶をしてその場を離れた。
『こちら1班M。作戦の変更はいたしません』
『こちらB班、了解』
「こんばんは、グレン君」
「アルベルトさん…来てたんですね」
リーガル社次期社長、アルベルト・リーガルがグレンに接触する。
彼は続いてジョージに挨拶し、しばらく談笑した。
その間に女性はこっそりその場を離れ、人に紛れた。
『合図確認。1班G、テレジアの動向を』
『今目標に向かった。B班、タイミングは?』
『こちらB班。トラップの発動は三分後だ。それまでに会場を出てくれないと困るかな』
全ての準備が整った。
紳士貴婦人全てが、パーティの始まりを待つ。
ふっと全ての灯りが消され、いよいよかと思われた。
『全班用意…ミッション、スタート!』
設定していないはずなのに、会場は暗転した。
更には会場の扉が全て施錠されてしまったらしい。
突然の異常に慌てる配電室の人員に、素早く紛れ込んだものが一人。
混乱に上手く乗じたようで、気づかれることはなかった。
そこにいた者を瞬く間に眠らせ、全てが倒れたことを確認してから彼女は静かに言った。
「おやすみなさい。…子守唄はいらないよね?」
ウェーブのかかった黒髪が揺れ、不敵な笑みが覗いた。
『ラディア、片付いたらグレンさんたちの方に!』
「了解です!」
警備が動き出した。
軍の要請により警備は統率されているはずだ。
それなのに動いているということは、敵。
「邪魔ですよ」
闇の中で突然繰り出される棍に、警備たちは為す術もない。
誰一人として目的に近付くことはできぬまま、地面に伏していく。
「外周地点A、制圧しました。どうってことない連中ですね」
『それはクリスさんが強いからです。外周地点Bはちょっと苦しいみたいなので、援護をお願いします』
「了解しました」
外周地点Bは女性軍人が一人で頑張っていた。
高度な体術を会得している彼女でも、相手できる人数には限界がある。
「あーもう…何でこう考えなしに配置するのよバカ上司!」
悪態をこぼしながら、できるだけ相手を気絶させようとする。
しかし、バランスを崩して不利な体勢になりかけた。
「ヤバ…っ」
と、周囲数人が突然倒れる。
何とか体勢を立て直し、彼女は助けに入った人物を見た。
「シェリアさん、大丈夫ですか?」
「クリスさん!ありがとうございます」
「カイさんじゃなくて残念でしたね」
「…その一言は余計です」
話している間にも相手は銃を構えてくる。
残りを片付けなければ、のんびりする時間は得られない。
「麻酔銃の方が使いやすいでしょう?」
「弾数少ないからあんまり使いたくなかったんですけどね」
もう手段を選んでいる暇はない。シェリアはクリスに言われた通り、腰からさげていたホルスターから銃を抜いた。
その頃、外周C地点、D地点では抜群のコンビネーションが展開されていた。
小柄な少年が大柄な大人を軽々と投げ飛ばし、
少年の隙を窺おうとした者はブロンドの髪の少年に斬りつけられる。
いや、刃物は飛んできていた。投げナイフはターゲットを外すことなく狙った。
ナイフに気をとられた敵に気づき、小柄な少年はそれを放り投げる。
「ありがと、アーレイド!」
「ハルはほどほどにしとけよ。お前に投げられると精神的ダメージも大きいだろ」
「そうなのかな?」
そのやり取りの間もハルは相手を放り続ける。
視界の端には人の山ができていた。
「こんなもんか?」
「だね。カイさんに連絡しよ」
「そうだな」
アーレイドは小型無線の送信スイッチを入れる。
彼は完全に油断していて、後ろで銃を構える敵に気づかなかった。
しかし、それでも問題はない。
「しつこいよ!」
ハルの目に留まれば、山の一部となるのだから。
「外周CとDは片付きました」
『ご苦労さん。今ラディアをグレンさんたちの方に向かわせたから、アーレイドたちも中を頼むよ』
「了解しました」
アーレイドが通信を切り、ハルに連絡を告げる。
ハルは笑って頷き、アーレイドの手をとった。
「さ、早くいこ。ボクまだ体温まったばっかりだし」
「それでこそハルだな」
大物の片鱗を見せるハルに、アーレイドも笑い返した。
『ツキさん、また運転手お願いします』
「誰を迎えにいけば良い?」
『俺とクレインを。そろそろ気づかれそうです』
「了解」
“テレジア”を送り届けてから、”ドライバー”ツキは一度司令部に戻っていた。
今回はどうやら完全に運転手のようだ。
「そういうことだから、再出動してくる。準備しとけよ、大佐」
「間に合うようにはする」
司令部には一人だけが残される。
今回の作戦総指揮を任された、その人物だけが。
配電装置に仕掛けたトラップの回収中、クライスはニセ警備員に見つかった。
想定していたことだったので、乗り切る自信はある。
「でもやっぱり一人で相手するには多いな…」
もともと潜入専門だ。こういう事態に特別強いわけではない。
切り抜けるのにどうしても時間がかかる。
囲まれれば攻撃を避ける事が難しくなる。
「ええい、いちかばちかだ!」
今していた作業は配電トラップの回収。
上手く使えば、スタンガンの代わりになる。
闇の中で一瞬走る閃光。数人の短い呻き。
案の定、一度に三人ほど片付けることに成功した。
「よし…これならいける!」
勝利を確信し、再び火花を散らした。
会場から抜け出した1班――グレン、アルベルト、メリテェアは小型レーダーを頼りに移動していた。
テレジアにつけた発信機の位置を示しているそれは、止まることがない。しかも、移動速度がとにかく速い。
「移動し続けてるって事は…」
「まだターゲットは遠いんですね」
「すでに追われている可能性も考えるべきですわ。
それに…気づいてらっしゃると思いますが…」
メリテェアは立ち止まる。何者かの気配を、先ほどから感じ続けていた。
「わたくし達は既に尾けられています」
隠し持っていた短剣を構え、彼女は進行方向とは逆の方を見ていた。
「先に行ってくださって結構ですわ。ここはわたくしが食い止めます」
「…わかった。頼んだ、メリー」
グレンとアルベルトは再び走り出し、残されたメリテェアは闇に向かって語りかける。
「さぁ、隠れるのはおよしなさい。…わたくしが相手をいたしましょう」
敵は五人。天才女性准将にとっては、足りないくらいだ。
ツキは再び豪邸に到着し、無線を手にした。
指令仲介役のカイとクレインを、安全なところに移動させなければならない。
「到着した。どこにいる?」
『あ、ツキさん、ちょっと待っててもらえます?』
カイの申し訳なさそうな声。
まだ脱出できていないのだろうか。
「問題ないけど…何かあったか?」
『見つかっちゃって…今戦闘中なんです』
「そういうことは早く言え!クレインは無事か?!」
『意外と強いですね』
「…無事ならいい」
ツキは深いため息をついた。
そしてふと思う。
こういうとき、あの男ならどうするだろうか。
今は遠い場所にいる彼は、きっと何も考えず戦いに行くのだろう。
「仕方ないな」
特別送迎サービス決定。
ツキは屋敷に向かってダッシュした。
カイは正直クレインを心配していたのだが、すぐにそれは間違いだったとわかった。
考えてみれば彼女は中佐で、カイよりも階級は上なのだ。
普段デスクワーク専門の彼女でも、ここぞという時は素晴らしい力を発揮するようだ。
「なにボーっとしてるんですか」
「いや、クレインって戦えたんだな、と」
「メリテェアと訓練してますから。…たまにですけど」
なるほど、それでか。
軍きっての実力者の相手をしているなら、頷ける。
「カイさん、そっち!」
「うわ、危なっ!」
攻撃を回避し、カイは剣を構える。
危ないと思った割には、状況としては余裕。
「負けてられないな」
「負けるはずがないでしょう、カイさんなら」
「そうじゃなくて、クレインに」
銃を構えた相手にカイは素早く近付き、間合いを自分のものにする。
発砲を防げればこっちのものだ。
クレインは相手の所持していた武器を拾い、利用する。
めったに見られない彼女の銃撃は、相手の手から武器を弾いていく。
さすがに相手を倒すことはできないが、それはカイの役目なので問題はない。
足並みは上手く揃っていた。
「ここはもう大丈夫だな。先を急ごう」
「そうですね。…多分ツキさん、こっちに向かってると思いますし」
「なんで?」
「そんな気がします。…もしツキさんじゃなくカスケード大佐だったら、確実にそうするでしょう」
「…そっか」
これはカスケードがエルニーニャを発ってから初めての大規模な任務で、自分達にとっては特別な意味合いを持っていた。
心配させないために、あの人がいなくても成功させなければならない。
それが全員共通の想いだった。
だからこそ今回の指揮は、カスケードをよく知るものだけを任務に当たらせた。
これだけいれば十分だと、上官に宣言した。
准将の地位にいる者が二人いたおかげで、その計画は順調に進行した。
しかし実際に進めたのは、指揮を務める大佐なのだ。
カスケードにその地位を託された、彼なのだ。
「間に合うかな、あの人」
「間に合わなきゃ大切なものを守れませんから。
それよりカイさん、また邪魔が入ったみたいです」
再び進路をふさがれ、戦闘態勢に。
この任務はなんとしてでも成功させなければならない。
グレンとアルベルトにラディア、アーレイド、ハルが合流したのは、戦闘の真っ最中だった。
アルベルトは右手が使えないため状況はあまりよくなかったのだが、三人分の助けで乗り切ることができた。
「すみません、役に立てなくて…」
「アルベルトさんは仕方ないですよ。…ブラックたちはまだ来る気配がないですし」
途中から合流するはずだったのだが、肝心な姿はどこにも見当たらない。
「おかしいですね…あの人たちならすぐ来ると思ったんですけど」
「ねぇアーレイド、もしかして…」
ハルが思いついてしまったのは、最悪のパターン。
アーレイドは答えられずうつむく。
きっと大丈夫だと思いたい。が、離れている者の状況はわからない。
もしかすると、という場合もある。
「予定より少し遅れているだけだろう」
いやな想像はグレンの言葉によって断ち切られる。
そうだ、こんなことを考えている場合ではないのだ。
自分たちは、やらなければいけないことがあるのだから。
それに真っ先に頷いたのはラディアだった。
「どうします?グレンさん」
彼女が指示を仰ぐとアーレイドとハルも落ち着きを取り戻す。
グレンは少し考えたが、強い声で指示した。
「…ブラックたちを待つよりは、進んだ方がいい。
どうせ俺達は出口を目指すだけだ」
戦うのは任せてください、と告げ、グレンは先頭を進む。
アルベルトはそれが申し訳なくて、同時に弟と…彼女が心配だった。
白いドレスの女性が闇を駆ける。
その姿はよく映えて、敵のほうからすれば絶好の的だった。
しかし、彼女は疾く、強かった。
金の髪は美しい軌跡を描き、彼女の回転に合わせて踊る。
後に残るのは気を絶した者たちの無様な姿。
それを見た者はさらに彼女を追う。
進行方向には部屋がいくつかあり、その一つが無用心にも僅かに開いていた。
白い影が素早くドアの開いていた部屋に入る。
追って来た者たちは閉め出され、ドアを壊そうと体当たりする。
金持ちの家のドアだが、数分持てばいいだろう。
彼女はすぐに捕まえられる。
ドアが壊れた時、追うものはいやらしく嗤った。
彼女は、そこに佇んでいたのだ。
観念したとでも言うように、部屋の中心に立ち尽くしていた。
「諦めたか…最初から素直にそうしていればいいんだ」
敵が前に進んでくる。
彼女は一歩も動かない。
その代わり、
「いてっ!?」
ムチが先頭の男から武器を払い落とした。
「残念でした」
彼女は微笑む。
それはまるで天使のようで、
「私は”テレジアさん”じゃありません」
振るうムチは天から降る雷のように鋭い。
次々と武器を払い、足を払い、敵を近づけさせない。
「おとなしくしろアマ!」
万が一彼女に近付けば、
刹那に衝撃を受け、倒れる。
「ありがと、ブラック君」
「仕事だからな」
白い姿を追ってきたものはここでリタイアすることになった。
戦う術を失えば、後は刀の餌食となるのみ。
「…確認して良い?」
「なんだよ」
「本当にみねうちなんでしょうね?」
「斬ってねーよ」
「うん、アルベルトさんとの約束守ってるわね」
リアが満足そうに笑むと、ブラックは舌打ちした。
その様子に更にくすくすと笑うリアだったが、仕事を忘れたわけではない。
「さて、行きましょうか。ブラック君が行かないとアルベルトさんたちが大変だし」
「そのカッコで走れるのか?」
「大丈夫よ。”テレジアさん”だって走ってたし、窓から飛び降りてたじゃない」
黒い影と白い影が、漸く次の場所へと移動する。
入れ替わりトリックに失敗するという最悪の事態には、まったく至ることなく。
カイとクレインは敵の数に苦戦していた。
一人一人なら全く大した相手ではないのに、多勢で来られると切り抜けることが難しくなる。
「クレイン、平気?」
「疲れてきました…」
無理もない。彼女の専門はあくまでもデスクワークだ。
戦い慣れしているカイでも、この状況はきついのだから。
『カイさん、聞こえてますか?』
突然無線から声がした。剣を構えながら応対する。
「クリスさんですか?…聞こえてますけど、あまり余裕がないので用件だけお願いします」
『了解です。
会場の人々は全員避難しました。ボクとシェリアさんはこれから司令部に移動します』
「了解っ!」
二人ほど倒しつつ短い答えを送る。
しかしクレインは、限界が近かった。
「大丈夫?!」
「平気です。余所見は禁物ですよ」
彼女の言葉には、普段のようなぴしゃりとした響きが足りなかった。
剣の柄を握る手が汗ばむ。間合いをつめてくる敵に、狙いが上手く定まらない。
「師匠…こういうときってどうすればいいんでしょうね…?」
答えが返ってくれば楽なのに。
でも、それはありえないことだ。
相手が銃を構えるのが見えた。
――間に合わない
そう判断できた。
が。
「弱気になるなよ、薬屋!」
その言葉で体が動く。
隙をつけるくらいの体力はまだまだあるのだと、一瞬で思い直した。
目の前の敵を倒し、言葉を発した人物を見た。
「ツキさん…いつからカスケードさんになったんですか?」
「真似しただけだ」
ツキはニッと笑い、すぐに戦闘に戻った。
クレインも残る力を何とか振り絞り、健闘する。
カイが最後の一人を倒したとき、
「クレイン!」
彼女はとうとうひざをついた。
「ごめんなさい…」
「いや、よく頑張った。」
ツキがクレインを背負い、歩き出す。
出口はもうすぐそこだ。
リアとブラックがかなり遅れて合流し、グレンたちは漸く出口に辿り着いた。
もちろん戦いながらだったが、二人増えれば随分と楽なものだった。
「悪かったな、遅くなって」
「いや、合流できたからもういい」
そっけないけれど、謝罪はする。そんなブラックが、グレンは少し微笑ましかった。
一方アルベルトにはそんな余裕がなく、リアのドレス姿にどぎまぎしていた。
「どうかしました?」
「い、いえ…その…き、きき綺麗…ですね…」
「ありがとうございます。アルベルトさんにそう言ってもらえると嬉しいです」
そんな二人の周りをラディアがくるくる回りながら、
「相変わらず挙動不審ですねー」
などと言っていた。
ハルとアーレイドは仕事を終えて、一息ついていた。
自分たちの仕事は、これで終わりなのだ。
「皆さん、お疲れ様でしたわね」
「メリーちゃん!」
メリテェアが戻ってくる。さすが准将、彼女は無傷だった。
それどころか衣装には一点のシミもない。
どんな戦い方をしたのか気になるところだ。
メリテェアの帰還で思い出したのか、ブラックはふと口にする。
「バカイは?…別に心配してるわけじゃねーけど」
「カイはまだみたいだな。俺だって心配はしていない」
こんな会話をしている二人が一番心配している。
それに気づいたリアが、あとでこっそり教えようと企んだ。
「おーいっ!」
漸くまた一人戻ってきた。
合流したクライスはあたりを見回し、妹の姿を探した。
「…クレインは?」
「まだみたいね。カイ君と一緒にいるはず…」
「その通り」
ちょうどいいタイミングでカイが現れる。
その表情から疲労が窺えて、グレンが駆け寄ってきた。
「カイ」
「グレンさん…心配してくれました?」
「全然心配なんかしていない」
「はは…それはそれで嬉しいかな」
二人の会話の後ろで、クライスがクレインを心配していた。
「クレイン!大丈夫か?!」
「大丈夫よ、ツキさんもカイさんもいたし。
…そっちは随分元気そうね、バカ兄」
「うん、それでこそクレインだ」
カイがクリスとシェリアのことを伝え、全員がホッとする。
月光が暗い屋敷を照らし出していた。
屋敷に近付く、黒い人影も。
漸く舞踏会のプログラムは最後。
誰もいないその場所で、メインのワルツが始まる。
ただ靴音だけが、広い空間に響くのだ。
女性は窓から部屋に入り、目的のものを見つけた。
小さな石膏像。傍目から見れば、ただの女神像だ。
しかしそれは数日前に軍が押収し損ねた、危険薬物の塊。
これだけがこの屋敷の主人に渡ってしまった。
パーティを利用して、裏で薬物を取引するつもりだったらしい。
今回の任務は、この女神像の回収。パーティを中止させ、主人も逮捕する。
今頃軍では取引相手も割り出しているだろう。正式逮捕も時間の問題だ。
女性は女神像を手に取った。見た目よりも少し重い。
「ここまでご苦労だったな」
低い声が響いた。
女性が振り向くと、そこにはパーティの主催者――屋敷の主人がいた。
「お嬢さん、頑張ったようだが…それは偽者でね。本物はこの通りだ」
主人もまた、女神像を手にしている。
女性は舌打ちした。主人はそれに気分を良くしたのか、にやりと笑った。
「美しいお嬢さん…本物が欲しいなら条件がある。
私の夜伽をしてくれれば、この女神像を譲ることを考えてもいい」
下卑た笑み。女性は眉を顰め、返す。
「誰がお前となんか寝るか」
「ほぉ、気の強いお嬢さんだ。ならば死んでもらう他ないな」
主人が銃を構え、女性を狙った。
「もう一度聞いてやろう。
私の夜伽をする気はないか?テレジア・エフィール」
女性は主人を見据え、不適に笑った。
「お断りします」
引き金が引かれたのは、少し遅かった。
女性が言葉を紡いだ時、後ろの窓にはすでに彼がいた。
弾丸はガラスの破壊された窓を通っていっただけで、女性は無傷。
彼女は彼の姿を確認し、微笑んだ。
…いや、もう”テレジア”を”彼女”というのも相応しくないだろう。
「何者だ!」
主人が叫んでも、彼は答えない。
その代わり、長身の銃がその口を主人に向けた。
「…オイ、お前さっき夜伽がどうとか言ってただろ」
月明かりを背にし、彼が言う。
主人は銃口に怯え、言葉が出ない。
「俺のモノに手ぇ出そうとは、いい度胸してんじゃねぇか。あぁ?」
かちり、という音が、主人の恐怖を一層煽る。
「ひぃ…っ!ゆ、許してくれ!」
「許して欲しいならその女神像渡せ。
安心しろ、お前はちゃんとこの俺が軍に送ってやる」
主人から銃を取り上げ、男は笑う。
その左頬には、大きな傷跡。
「…ぐ…軍の…傷の…っ?!」
「わかるか。俺もかなり有名だな」
彼が言うと、白いドレスは呆れたため息をついた。
「ムダ口叩いてないでさっさと捕まえれば?」
「悪ぃ、こいつ虐めんの面白くてな」
「あとでおれを虐めれば?こっちは見てるだけで退屈なんだから。
この格好も恥ずかしいし」
「良いじゃねぇか、似合ってるぜ」
男――中央司令部大佐ディア・ヴィオラセントは、主人に手錠をかけて立たせた。
主人はといえば腰が抜けて満足に立てないようだったが。
「あ、ついでに訂正しとくか。あのテレジアってのはお嬢さんじゃねぇからな」
「…へ?」
情けない姿勢に、情けない声。
とても大豪邸の主人とは思えない人間に、白いドレスの彼女、いや、彼は近付き、言った。
「おれは男だから、夜伽しても面白くないかもよ。
テレジアってのも偽名。中央司令部中佐のアクト・ロストートと申します」
意地悪い笑いに、今宵の舞踏会の幕は下りた。
「かんぱーいっ!」
グラスのぶつかる景気の良い音。
軍人寮の狭い部屋は、大勢の人間にすっかり埋まってしまっていた。
任務翌日の夜、彼らの宴会はこれから。
「グレンちゃん、親父さんに改めて礼言っておいてくれ」
「わかりました。…でもディアさん、ちゃん付けはやめてほしいです」
「別に良いじゃねぇか」
「良くないです」
今回の作戦は、実際に社長の息子という立場であるグレンとアルベルト、そして貴族令嬢のメリテェアが会場で合図を送ることが重要だった。
グレンの父ジョージの協力を得て、女装したアクトを屋敷の中に通す。
アクトはタイミングを見て主人の部屋を探しに行き、クライスが配電設備と自動ロックに仕掛けをする。
あとは戦いながらそれぞれで進むのみ。
途中、あらかじめ見張りを片付けておいた部屋でアクトとリアが入れ替わり、追っ手を完全に封じ込める。
アクトが主人の部屋に到着したところでディアが迎えにきて、ゴールというわけだ。
「ディアさん、ほとんど動いてませんよね」
「うるせぇ!俺は指揮だから作戦立てるほうに全力を尽くしたんだよ!」
「その作戦も大方はメリテェアとクリスさんのものですけど」
「カイもクレインも黙ってろ!」
「ディア、うるさい。その通りなんだからお前が黙ってろ」
アクトが鍋をテーブルの中央に置く。
すると途端に一部による肉争奪戦が始まるのだが、これも以前ほど賑やかではない。
カスケードがいなくなってからというもの、ディアさえも張り合いがないのか少し大人しくなった。
今頃イストラで何をしているだろうかと思いながら、アクトは漸く席に着いた。
「そういえば、ブラックはリアさんとアクト君両方のドレス姿見たんだよね」
「お前だって見たじゃねーか」
「一度に見たのはブラックだけだよ」
「そうですよねー。ブラックさんだけいい思いしてますよねー」
アルベルトだけでなくラディアまで言い出して、ブラックは無視を決め込もうとする。
しかしそうさせてくれないのがこのメンバーである。
「ブラックさん、結局得してますね」
「ボクも並んでるの見たかったなー」
「両手に花ってやつ?」
「アクトはやらねぇぞ」
「ごめんねブラック、僕もリアさんを譲るわけには…」
「お前らうるせーんだよ!」
怒鳴り声と笑いが起こる中、リアがアクトの傍に来て肩を叩いた。
「アクトさんのドレス姿、似合ってました」
にっこり笑って言う彼女に、アクトは苦笑しながら返す。
「おれが似合っててもなぁ…。リアだって綺麗だった」
「そう言ってもらえると嬉しいです。…それにしても、アクトさん、髪伸びましたよね」
「うん。もっと伸ばそうかなって思ってる」
「そうしたら完全に女性になりますわね」
「そのうち周りが明るくてもリアさんと間違えられたりして」
「メリーもシェリアちゃんも、そういうこと言わないで欲しい…」
楽しげな会話で部屋が満たされる。
そこから少し離れて、ツキはその様子を見ていた。
「ツキさん」
「クリス…どうした?」
「それはこっちの台詞ですよ」
クリスがツキの横に座り、グラスに口をつける。
一口だけ飲んでから、彼は静かにその名を言う。
「カスケードさんのこと、ですか?」
「…あぁ」
今回の任務については、アクトが手紙を書いて知らせるそうだ。
どんな返事が返ってくるだろう。
きっと彼なら、自分のことのように喜ぶのだろうが。
「元気でやってるかな」
「あの人は風邪は引かなさそうですけどね」
「かもな」
開幕にも、閉幕にも、舞台裏にもない姿。
けれども、意志は確かに残っている。
引き継がれ、存在し続ける。
「ディア、ちょっと来い」
「あ?何だよ」
だから、きっと大丈夫。
「任務指揮、お疲れさん」
「…おう」
舞踏夜に乾杯。
これからの道への決意と、
遠い地へのエールを込めて。
後日、イストラ中央司令部では
「…最高」
手紙を見ながらそう呟く彼の姿が見られたそうな。
Fin