目が眩むほどの快晴。絶好の散歩日和。

相方の提案に乗った、というよりは、寧ろこちらから誘おうとしたのに先を越されたような。

天気のいい日が続いてはいたが、その日は特別綺麗な青空だった。

「…なのに、さ」

ニアはベンチに腰掛けながら、忘れ物をしたと言って寮に戻って行ったカスケードを恨めしく思った。

今日は俺が奢ると言っておきながら、財布は部屋に置きっぱなしだったのだ。

それならニアが逆に奢れば問題はなかったのだが、カスケードは話を聞かずに走っていった。

公園に一人残され、退屈な時間を過ごすはめになってしまった。

「カスケードのばかぁー…」

二人じゃないと面白くない。悪態をつきながら、早くあのうるさい足音が聞こえないかと待ち侘びる。

 

そこへやってきたのが、その少年だった。

小柄で幼い、淡い赤紫の髪を持つ男の子。

少し離れてこちらを見ながら、なにやら戸惑っている様子。

こんな時は笑顔で応対するのがニアの得意技だ――誰でもできることだが、ニアの笑顔は特別だとカスケードがよく言うのだ。

「こんにちは」

少年が目を丸くした。話しかけられるとは思っていなかったのだろうか。

しかし逃げはしなかった。身を硬くして、まだそこに佇んでいる。

「ずっとこっちを見てるみたいだけど、僕に何か用かな?」

少し俯いた。恥ずかしいのか、ただ単に目的が違ったのか。

どちらにせよ立たせているのは申し訳ないので、ニアは少し移動してから自分の横の空いたスペースをぽんと叩いた。

「もしかしてこのベンチ使いたいの?だったら、僕の隣で良ければどうぞ」

「あ、ありがとうございます…」

少年はおずおずと、しかし漸く近くに来てくれた。

ベンチにちょこんと座る彼を、ニアは素直に可愛いと思う。弟がいたら、こんな感じなのだろうか。

まだ恥ずかしそうに下を見ている彼に何か話しかけようと、ニアが口を開きかけたとき。

「あの」

先に切り出したのは、少年の方だった。

やはり自分に用があったのだろうか。ニアは少年の方へ向き直った。

「ん?」

「あの…お兄ちゃん、軍人さんですよね?」

「うん、そうだよ」

軍服を着ていなければ、そんな風に見えないとよく言われるのに。

休みの日に自分が軍人であると見破られるのは初めてのことだった。

「軍服着てないのに、よくわかったね」

「えと…昨日、司令部で訓練をしてるお兄ちゃんを見たんです」

彼は軍人に憧れていて、練兵場を取り囲む塀の上から、時折訓練を覗いているのだという。

昨日は確かにニアも訓練をしていた。それをたまたま彼は目撃していたのだ。

それだけのことなのに、憶えていてくれたことが嬉しいと感じた。

「大きな剣を使ってましたよね」

そんなことまで記憶しているのか。いや、寧ろだからこそ目立ったのか。

カスケードたちにもよく言われる。細身で大剣を振るっていれば、誰の目にも留まると。

それが二年ほど前に譲り受けた大切なもので、それからずっと使っていることを少年に話す。

彼は興味深そうに聞いてくれた。

「あの…お兄ちゃん」

「なに?」

「お兄ちゃんはあの剣、どうしてあんなふうに扱えるんですか?とても重そうに見えるのに…」

これを聞かれるのはいつものことだ。カスケードもこの二年、毎日のように聞いてくる。

何度内緒だと言っても訊ねられるので、いい加減同じ答えをするのにも飽きた。

それが顔に出たのか、少年は慌てて弁解した。

「あっ、気を悪くしたならごめんなさい!そういう意味で言ったんじゃないんです!」

「ううん、大丈夫。怒ってなんかいないよ」

カスケードの所為で誤解されたじゃないか。アイスは三段にしてもらおうかな。

そんなことを考えながらも、今度は笑顔を崩さない。

「確かに、あれはとても重いから僕みたいな身体じゃ、普通は扱えないね。でも、コツを掴めば誰でも使えるんだよ」

「ボクにも、使えますか?」

さっきの不安そうな表情があっという間に消えて、きらきらした瞳でこちらを見つめる彼。

それにニアもほっとした。こんなにいい子を、暗い顔にはさせたくない。

「もちろん。ただ、コツを掴んでも、ある程度の筋力は必要だけど」

「ボク、今度の入隊試験、受けようと思ってるんです。もし軍人さんになれたら、お兄ちゃんみたいに大きな武器を使いたいな」

嬉しそうに笑っている。この子なら、きっと大丈夫だろう。

どんなに扱うのが難しい武器でも、努力次第では誰よりも上手に使うことができるかもしれない。

それに、

「お兄ちゃんにとって、軍人さんに必要なことって、ありますか?」

このことをちゃんと気にしているのなら、いい軍人になれる。

いつか自分も、そしてカスケードすらも越えていける気がした。

「そうだね…まずは、覚悟かな」

「かくご?」

「そう、軍人の仕事は危険が伴うからね。それ相応の覚悟がなくちゃ」

どんな危険な仕事でも、自分がどんな危機に陥ろうとも、覚悟を決めて臨む姿勢が必要だ。

そしてその覚悟ができるのは、守りたいものがあるからだ。

「それから、何かを守りたいと思う気持ち。僕の場合は不特定多数の人だけど、誰か特別な人一人でもいい。人ではなく、物や信念でもいいかもしれないね」

ニアは、そしてカスケードも、人を助ける軍人を目指している。

そうなろうと考えながら、これまでを過ごしてきた。

この子はどんな軍人になるだろう。何を守ろうとするだろう。

「あとは、君の努力次第だよ。…がんばってね、君がくるのを楽しみにしてるから」

期待を込めて、彼の頭をそっと撫でた。

いつか一緒に仕事ができればいいなと願う。

きっと彼ならすぐにそこまでたどり着いてくれるはずだ。

 

 

「カスケードさん、約束だよ!」

その日の仕事が終わり、寮に戻って夕食にしようと考えていたところだった。

後ろ、というよりは下から聞こえてくる声に、カスケードは振り向いた。

「約束って…ハルと何か約束してたっけ?」

「あ、やっぱり忘れてる!明日お休みだから、ボクとアーレイドにアイス奢ってくれるって言ったのに!」

ぷくーっと膨れて抗議するハルを見て、カスケードは漸くそれを思い出した。

仕事を一部請け負ってもらった礼をするつもりだったが、先ほどツキとアクトに立て続けに叱られた所為かすっかり忘れてしまっていたのだ。

「ごめんごめん。じゃあこれから部屋に来ないか?貰った菓子があるんだが、俺食べられないから…」

もちろんアイスも奢るぞ、と付け加える。ハルの表情がぱっと明るくなった。

「わぁ、ありがとう!アーレイドの分もあるよね?」

はしゃぐ姿は、軍人とはいえまだまだ子供だ。ハルは年齢よりも幼く見えるからなおさらそう感じる。

ふと、アイスクリームを奢ってやった時のニアを思い出した。

財布を忘れて、とりに行く間にニアを待たせてしまったことがあった。その時はアイスクリームの段を増やすことで詫びた。

文句を言っていたニアが、その提案を了承すると笑顔を見せてくれた。

そういえば、ニアとハルはよく似ている。大きな得物を扱っているところなんてそっくりだ。

二人に接点なんてないのに――ニアが死んでしまったのは、ハルが入隊する直前だったはずだから。

 

戸棚からシィレーネがくれた甘いカップケーキを取り出す。

クッキーのように辛くはなかったが、これは少し甘すぎた。でもハルならきっと食べてくれるだろう。

アーレイドの分もあることを確認してハルに声をかけようとしたところで、彼が飾ってある写真立てを見つめているのに気付いた。

それはニアと二人で撮った最後の写真。カスケードが好きな、笑顔のニアが写っている。

「カスケードさん、この人…」

「親友のニアだ。その剣の、前の持ち主」

ハルが何か呟いた。よく聞き取れなかったが、多分「やっぱり」だ。

彼がよく大剣を見ていたことは知っている。「これどうしたんですか」と聞かれたこともある。それには「親友の形見だ」と答えた。

「…カスケードさん、お菓子」

「あぁ、これな。アーレイドと仲良く食えよ」

「うん、ありがとう」

ハルが一瞬寂しそうな表情をしたのを、カスケードは見逃さなかった。

ニアとハルには接点はない――それはカスケードの知る限りでのことだ。

ハルの実家は鍛冶屋だし、知らないうちに会ったことがあるのかもしれない。

けれどもそれはカスケードの記憶にはない物語だ。今となってはハルの中にしかない。

「ハル、明日はニアのところに寄ってから行こうな」

「はい!」

花のように笑うハルに、あの頃のニアが重なった。

 

 

光の届かない地下で、昔の記憶が蘇る。

それは自分のものではないけれど、自分の視点で構成されたものだ。

「…あの子」

ぽつりと呟くニアに、アクト・カッサスは振り返る。

目だけでその続きを促され、ニアは視線をずらしながら言った。

「ニアの記憶に、一度だけ出てくる男の子がいるんだ。軍に入りたいって言っていた…」

「入ったの?」

「知らないよ。ニアはそれ以降、その子の姿を見てないんだから。…もしかしたら、ニアが死んだ後に入ったのかも」

アクト・カッサスに表情が見えないように、硬いベッドに寝転んだ。

確か「あの方」が今度軍の人間を引き込むと言っていた。その人が来たら聞いてみようか。

いや、そんなことは必要ないか。あれは生前のニアの記憶なのだから、クローンの自分には関係がない。

目を閉じると、笑顔があった。

彼の憧れだったニアは、もう存在していない。

心の中でごめんねと呟いたのは、僅かに残る「ニア」だったに違いない。