その日だけはいっぱい泣きました。
でも、次の日からは笑顔でいようって決めました。
そうしたら、またいい出会いがあるはずだと信じて。
私の初恋が散ってから、一年が経った。
好きだった人がやっとその恋を成就させて、漸く私はそれを吹っ切ることができた。
結局想いは伝えられないまま終わってしまったけれど、彼が幸せならそれでもいい。
グレイヴちゃんはそう言った私に、偉いねって言ってくれた。
こんなふうに思えるまで、私にも一年という時間が必要だったのに。
その間、平気なふりをしているのは、正直ちょっと辛かった。
でも私がまた泣いてしまったら、グレイヴちゃんが責任感じちゃうみたいだから。
頑張って、今まで過ごしてきた。
そして今日も幸せそうな彼を眺めていたところへ、グレイヴちゃんがある誘いを持ちかけてきた。
「学生の人と?」
「そう。父さんの知り合いの学者が、連れてきてくれるみたい」
グレイヴちゃんのお父さん、つまり私の叔父さんは、軍人学校で歴史の先生をしている。
その繋がりで、歴史の研究をしている学者さんが知り合いにいる。
確か、すごく威勢のいい女の人だったと思う。
その人が今度、甥を連れてグレイヴちゃんの家に来るんだとか。
「高校生なんだって。だから…十八くらいかな。アタシたちは年齢が近いから、話しやすいかもって、父さんが」
「軍人と学生じゃ、多分話合わないよ…グレイヴちゃんはともかく、私は歴史の話もできないし」
「ちょっと覗きに来るだけでも良いから。…アーシェが来てくれないと、なんだか気まずくなりそうで…」
それが本音かな?グレイヴちゃん、ちょっと人見知りだもんね。
だったら、行ってあげてもいいかな。
私がオーケーを出すと、グレイヴちゃんはホッとしたようだった。
アーシェが失恋したのは、アタシの責任でもある。
アタシがルーファの相談にのってやれなんて言ったから。
アーシェの恋は実らないって、見ていて分かっていたのに、アタシが余計なことをしたから。
この一年、ずっとそれを償おうとしてきた。
どうしたらアーシェを元気付けられるか、色々考えた。いくつかは実行もした。
でも、相変わらずアーシェはルーファを見ていた。ずっと吹っ切れなかったんだろう。
ルーファとニアが付き合うようになって、アーシェは吹っ切れたって言っていたけれど、未だにその視線はアイツを離れない。
だから、思い切ってアーシェのために出会いの場を作ることにした。
…本当はアーシェのためなんかじゃなくて、単なる自己満足かもしれない。
それでもこの出会いで何か変わればって思って、アタシはアーシェにこの話を持ちかけた。
父さんの友人であるユーデリッツァ・ハルトライムさん――長いからユディさんってアタシは呼んでいる――には、学生の甥がいるという。
そのうちユディさんが講師をつとめるレジーナ大学へ進むらしい。だから相当頭のいい人のはずだ。あそこは国内最高峰の学校だから。
アーシェは話が合わないって言っていたけれど、アタシはそうは思わない。アーシェは実際、とても頭の回転が速い子だ。
軍入隊のために行った筆記テストは、アタシよりアーシェの方が高得点だった。きっと今でも敵わないと思う。
あの子なら、どんな話も聞けばすぐに呑み込んで、すっと入っていけるんじゃないかな。
だからアタシは勝手に、悪くない組み合わせだと思っていた。
ユディさんが甥を連れてくると言ってくれたので、アタシは早速アーシェに会わせたいと頼み込んだ。
彼女は気前のいい人だから、もちろん了承してくれた。
どんなことになるか分からないけれど、とにかくやってみるしかない。
また余計なおせっかいだったら、その時は腹を切ってもいい。
『…それは、随分な覚悟だな』
電話の向こうでダイが笑った。何よ、こっちは真剣なんだから。
「アーシェだって幸せになってくれないと、アタシが嫌なのよ」
『そうだな。アーシェを誰かに任せられれば、グレイヴだって俺のことだけ考えていれば良くなるし』
「そういう言い方ってないんじゃない?大体、アタシはアンタのことなんて考えてないわ」
『俺はいつもグレイヴのことを想ってるのに』
「やめてよね。ちゃんと仕事しなさいよ」
アタシだって、こんな馬鹿みたいな電話が少しは楽しかったりする。
アーシェもこんなふうになれたら良いなって思ってる。
どうなるんだろう、この計画。
言い方が悪かったのかな。きっとそうだ。
「グレイヴちゃんの家で、男の子に会うの」
そう言ったら、お母さんとおばあちゃんは、はしゃいで色々な服を用意してくれた。
その一方でさめざめと泣き始めるお父さんと、その隣で遠くを見ているリヒト。
そんなんじゃないんだけど…なぁ。
やけに張り切って送り出してくれたお母さんが着せてくれたのは、ちょっぴり大人っぽい、細身のワンピース。
昔グレイヴちゃんとお揃いにしてくれたふわふわのスカートも可愛かったけれど、これはこれでいいかも。
約束の時間に合わせて、グレイヴちゃんの住むマンションの一室にたどり着く。
小さい頃から何度も通っているから、呼び鈴を鳴らす手にも迷いはない。
「いらっしゃい、アーシェ」
「お邪魔します」
グレイヴちゃんがお家に入れてくれる。この家はいつも、ちょっと甘い良い匂いがする。
多分今日も、叔父さんがお菓子を作ってるんだろうな。
「もう来たのか。早いな…じゃなくて、アイツが遅いのか」
会ってすぐに溜息をつく叔父さん。どうやら知り合いの学者さん――ユディさん、だっけ――はまだ来ていないみたいだった。
「アーシェ、ユディさんたちが来るまで部屋にいようか。準備は父さんが全部してくれるみたいだから」
セッティングは全て叔父さんに任せて、私たちはグレイヴちゃんの部屋で待つことにした。
普段かっこいいグレイヴちゃんだけど、お部屋はとっても可愛い。それでいてきちんと片付いている。
また増えたらしいぬいぐるみをつつきながら、私はグレイヴちゃんに質問してみた。
「グレイヴちゃんは、ユディさんの甥の人に会ったことあるの?」
「アタシも今日が初対面。でも、物静かな人みたいよ」
グレイヴちゃんったら、よく知らない人を会わせようとしてたのか。
どんな人なんだろう、その人。
結局私たちは三十分も部屋でのんびりできた。
随分遅かったけれど、ユディさんが交通事故に遭ったりしてなくて、本当に良かった。
ユディさんはとても元気の良い人で、私とグレイヴちゃんにも明るく挨拶をしてくれた。
そしてその後ろにいた、背の高い男の人。
無口で、挨拶も会釈だけ。
この人が、甥の人?ユディさんとは全く逆のタイプの人だ。
もちろんルーファ君とだって、全然違う。
「甥のウェイブロードよ。長いからウェイでいいわ」
ユディさんの紹介に、彼はまた黙って頭を下げる。なんだか無愛想な人。
ユディさんが叔父さんに研究のことを語り続けている間、アタシとアーシェはウェイさんに話しかけていた。
何を聞いても「はぁ」とか「まぁ」とか「いや」とか、はっきりしない返事ばかりする人だ。
これだったら、ダイの方がいくらか付き合いやすいかもしれない。
アーシェもなんだか戸惑ってるみたいだし、これは失敗かな…。
アタシのおせっかいって、本当に上手くいかない。申し訳ない。
そう思っていたら、アーシェが思いついたように言った。
「ウェイさんって、どんな勉強してるんですか?」
そうか、これならあの曖昧な返事では答えられない。さて、どう返すか。
「まだ…教養。色々な科目を全般的に」
初めて長い答えが返ってきた。やるじゃない、アーシェ。
「色々って、たとえば?」
「数学とか…古代語とか…歴史や化学も」
「何が一番面白いんですか?」
「…全部、どこかで繋がってる。だから、特にというのはない」
会話が成立した。はいかいいえで答えられる質問は、さっきまでのような曖昧な返事になりやすい。
でも訊き方によって、こんな答えも引き出せるんだ。
アーシェは二、三言葉を交わして、この人との会話の仕方を見出した。
アタシの思惑を抜きにしても、アーシェを呼んで良かった。
「…軍は?」
「仕事は辛いこともあるけれど、友達がたくさんできたので、私はいいところだと思ってます」
「そう」
向こうからも少しずつ話すようになってきた。
アーシェはやっぱりすごいな。
アタシが何をする必要もなく、二人は会話を続けていた。
おいてけぼり食らった気もして、ちょっぴり寂しくもあったけれど。
ウェイさんはなんだか不思議な人だった。
無愛想だなと最初は思ったけれど、話をしてみるとそうでもない。
この人も人見知りなのかな。グレイヴちゃんみたいに。
そう考えると、これからもっと仲良くなれそうな気がしてくる。
またこういう機会があったら、もっとたくさん話をしたい。
友達が増えたみたいで、私は嬉しかった。
「ありがとう、グレイヴちゃん。いい出会いだったよ」
「…それなら良かった。最初ちょっと不安だったから」
それは私もだよ、って言ったら、グレイヴちゃんは笑ってた。
そういえば、まだウェイさんの笑顔を見てないな。
今度は見られるかな。
ちょっぴり期待しながら、私は帰路についた。
「ど、どぉしよぉ、グレイヴちゃん!!」
何故か半端なく焦っているアーシェに、アタシの方がびっくりした。
うちでの集まりから一ヶ月、またユディさんにウェイさんを連れてきてもらおうかと考えていた矢先のこと。
アーシェのところに手紙が来たらしい。
「ウェイさんが、手紙くれて!文章だとすっごく饒舌なの!」
「…それもびっくりだけど、アンタいつ住所教えたのよ」
「それがね、寮まで届けてくれたみたいなの。セレスさん経由で私に…」
彼は意外と行動派だった。ご丁寧に学生証で身分証明までして、アーシェへ手紙を渡してくれるよう、寮の管理人さんに言ったらしい。
見せてもらった手紙は――見ても問題ない内容だった――確かにたくさんのことが書かれていて、しかも字と言葉遣いが綺麗だった。
この紳士っぷり、少しはダイにも見習って欲しいわ。
さらには手紙の末尾に、
「…お誘いの言葉があるけど」
時間があれば、今度二人で出かけませんか。
アーシェがさっきから「どうしよう」と言っているのは、この一文のことだった。
「これって、デートかな…そうなのかな…」
「落ち着きなさい。この手紙からははっきりした好意が読み取れないわ」
この前会った時に、アーシェが話の相手をしてくれたことについてのお礼はあったけれど。
…それともアタシには何もないあたりに、脈ありと思っていいのかしら。
「アーシェは行きたいの?」
「うん…もっとお話してみたい。手紙、とっても面白かったから」
そうね。これ、小説一本読んでる気分になるもの。
特に学校での出来事なんて、アーシェにとっては未知の世界だものね。
「行ってみたら?ユディさんから連絡つけてもらおう」
「うん!」
嬉しそうなアーシェを見て、アタシはやっと安心できた。
ルーファとの一件以来、こんな笑顔は滅多に見られなかったから。
お母さんとおばあちゃんにだけ、手紙のことを打ち明けた。
お父さんは泣いちゃうから、内緒。リヒトも拗ねちゃうから同じく。
そうしたらまた、可愛い服を用意してくれた。なんだかお母さんが嬉しそうで、私も嬉しい。
髪型も少し変えてもらった。いつもは下ろしていたけれど、今日はポニーテール。
グレイヴちゃんの言うとおり、別にデートとかじゃない。
でもなんだかくすぐったい感じがして、自然に笑顔になれる。
約束の時刻ぴったりに待ち合わせの場所に着くと、もうウェイさんはそこで待っていてくれた。
時間にルーズなのはユディさんだけみたいね。
「ありがとう」
ウェイさんは会うなり突然、そう言った。
「何ですか?」
「応じてくれるとは思わなかったから」
この時、私は初めてウェイさんが微笑むのを見た。
ちょっと…ほんのちょっとだけよ?…ドキってした。
「わ、私もウェイさんとお話したかったので…あ、今日どこ行くんですか?」
恥ずかしくなってきたので話題を変える。
ウェイさんは、えぇと、と呟いて、
「ここ」
待ち合わせ場所――国立図書館を指差した。
唖然としてしまった。
まさか図書館でずっと本を読んでいたなんて。
「読んでただけじゃないよ。借りたよ」
「アーシェ…アンタそれでいいの?」
どんなことがあったのか期待していたのに、図書館で本読んでおしまいなんて。
あの場所じゃ会話もろくにできないじゃない。
「で…でも、お薦めとか教えてもらったの。ウェイさんってすごいのよ、司書の人より正確に本の場所を把握してるんだから」
それって国立図書館の司書としてどうなのよ。それともウェイさんが超人なんだろうか。…うん、後者が正しいのね。
今更だけど、やっぱりアタシ、引き合わせる人を間違えたかもしれない…。
…とか思っていたのはほんの数秒。
アーシェの笑顔見てたら、そんな考えはどこかへ吹き飛んでしまった。
楽しかったんだ、この子。
図書館にいるだけのデートを、心から楽しいと思ってたんだ。
「また約束してきたの。一ヶ月以上後だけど、楽しみなんだ」
ウェイさんには感謝しなきゃならない。
こんなに嬉しそうなアーシェを見てたら、アタシも幸せな気持ちになってきたから。
私は仕事があって、ウェイさんは学校と受験がある。
だから滅多に会えないけれど、それでも良かった。
ウェイさんは会う度に、お薦めの本を教えてくれる。
学校であった色々なことや、ユディさんの話をしてくれる。
ウェイさんにとってユディさんは、叔母というよりも姉のような存在だって言っていた。
そしておじいさん――大学の学長さんをしていて、大文卿と呼ばれる人は、少し怖い人らしい。
軍の存在をあまり良く思っていなくて、国は文人が治めるべきだっていう主張をしているみたい。
私のことも嫌われちゃうかなって、少し不安になった。
だけど、ウェイさんはおじいさんのこととは関係なく、私に優しく接してくれていた。
繋ごうとした手を振り払うことなく、そっと握ってくれた。
ウェイさんと過ごす時間はこの上なく暖かなもので、私はこの人とずっと一緒にいたいと思うようになっていた。
その日、私は急いで仕事を片付けて、お昼休みを少しだけ長く貰った。
「アーシェちゃん、なんか嬉しそうだね」
「特別な日なの。お仕事頑張ってね、ニア君」
司令部の正門から走って出て行き、真っ直ぐにウェイさんの通う高校を目指した。
日差しが暖かい。もう春が来ている。
学校の前には人だかりができていて、ここから先は進めない。
この人たちの一部は、どうやらレジーナ大の主席合格者にインタビューしようと狙っているらしい。
私はそれを横目に、人の輪から少し離れて、彼が来るのを待っていた。
少しして、人びとがざわめき始める。カメラを構える人もいた。
彼が出てきたんだ。でも、あの人ごみを避けることはできないだろう。
お昼休みは長いとはいえ、いつまでもあるわけじゃない。
間に合うかな。間に合って欲しいな。
俯いて待っていた私に、不意に上から名前を呼ぶ声。
「アーシェ、走れ!」
「え、…あっ!」
あの人たちを一気に掻き分けてきたというの?
私に会うために?
握られた手が熱い。突然走ったから、足は少しよろけている。
でも、嬉しい。
ウェイさんが私に一番に会いに来てくれたことが、とっても嬉しい…!
「取材拒否って言ったのに…」
やっと止まった時、ウェイさんはそう呟いた。
「仕方ないですよ。主席合格ってすごいもの」
「あの中には、うちの爺様が裏で手をまわしてるんじゃないかって疑ってるのもいるから…」
「それは失礼ですね」
学校を囲んでいた人たちにひとしきり文句を言った後、私たちは顔を見合わせて笑った。
ウェイさんは今日、高校を卒業した。もうすぐ大学生になる。
私はどうしても早くおめでとうって言いたくて、仕事をちょっと抜け出してきた。
「卒業、おめでとうございます」
「ありがとう」
座ろうか、とウェイさんが花壇をつくっているレンガの囲いを指差した。
私の隣にウェイさんが座る。手と手が触れて、温かい。
「…大学でも、頑張らないと」
「え?」
「爺様に俺を認めさせて、口出しさせないようにするから」
何を?と目で訊ねる。
突然始まった話だから、私もさすがにわからない。
そうしたら、ウェイさんはこっちを見て微笑んだ。
「アーシェとの付き合いは、俺たちの自由にする。軍嫌いの爺様が何と言おうと、俺はアーシェが好きだ」
…そっか、そうだったね。
私たち、まだ乗り越えなきゃいけないものがたくさんある。
だけどウェイさんがそう言ってくれるなら、私は平気だよ。
ずっと隣にいてくれるなら、どんなことがあっても大丈夫。
「私も、ウェイさんのこと大好きです」
「…うん、ありがとう」
あなたがこれからずっとずっと、私の隣の人でありますように。
どんな困難も一緒に越えていける、素晴らしいパートナーでありますように。
近頃、アタシはアーシェののろけ話を一時停止させる方法を編み出した。
「ウェイさんってばね、アルバイトして私にプレゼントくれたの!」
「良かったわね、アーシェ。…で、伯父さんは許してくれたの?」
「…う」
周囲はアーシェの幸せを祝福しているけれど、一人だけ素直になれない人がいるのよね。
リヒトはウェイさんのことを認めざるを得なかったみたいだけど(勉強を教えてもらっちゃ、格上だと認めるしかないわよね)。
アーシェの父さん――伯父さんだけは、いつまでたっても二人の仲を認めてくれないらしかった。
うちの父さんも暫くはそうだったから、仕方のないことだとは思うけれど。
「お父さん、なんでわかってくれないのかな…」
「分かってると思うわ。ただアーシェがとられるのが寂しいだけよ」
本当に、前途多難よね。アタシのしたことって、正しかったのかしら。
まぁ、アーシェが毎日幸せそうだから…これでいいのかな。
「あ。それでねグレイヴちゃん、今度ウェイさんが」
「伯父さんは許してくれたの?」
「もぅ、最後まで聞いてよー!」