ゲティスたちからの報告は、リータス家の電話に繋がれた。

呼ばれて戻ってきたダイはその内容をメモし、その傍らでルーファが自分の聞いたことをまとめる。

そこへニアとアーシェがサーヤから聞いた話を足していき、東方司令部の様相が少しずつ明かされていく。

一つになっていく情報にグレイヴは自分の意見を述べ、活動していない分を少しでも取り戻そうとする。

レヴィアンスが戻ってきたのはちょうどその頃だった。

「あ、皆結構まとまってるんだね」

「おかえり、レヴィ。エトナちゃんと話せた?」

「ほとんど話してないよ。エトナも忙しいみたいでさ…」

答えながら、レヴィアンスはふと情報のまとめられた紙面を見た。

その中の一つの項目が、彼の目を吸い付ける。

「…あのさ、ルーファ。侵入者を目撃した人が、これ言ってたんだよね?」

「あ、あぁ。間違いないって断言してたけど…」

レヴィアンスはエトナリアの行動を思い返す。

そして自分の見たものをはっきりと脳裏によみがえらせる。

彼が叫んだのと、ダイが電話を切るのは同時だった。

「レックスだよ!レックスの部屋にいるんだ!」

「え、何がだ?」

「どうしたの、レヴィ?」

突然のことに戸惑うニアたちとは対照的に、ダイは落ち着いた様子でレヴィアンスに詰め寄った。

「何があった?」

「関係ないかもしれない。でも、関係あるかもしれない…」

エトナリアがこっそりと女性ものの服をレックスの部屋に持っていったこと。

そしてレックスの部屋にいた女性。

ルーファが入手した情報によると、侵入者は細身の女。

自分以外の人間を捜査に関わらせたくないという、レックスの態度。

もしも、全てが繋がっているのなら。

「レックスが…侵入者と一緒にいるのかもしれない」

レヴィアンスの提示した可能性。それを聞いて、ダイはすぐに走り出した。

その後をレヴィアンスたちも追う。

「レヴィ、レックスの部屋はどこだ?!」

「男子寮一階、突き当りから三番目!」

一直線にその場所を目指し、全速力で駆けていく。

目的地のドアを見つけると、ダイは一瞬の躊躇もなくそこへ突撃した。

ドアは開いていた。部屋の住人レックスは、戻ってきていたのだ。

「何だよお前ら!人の部屋に勝手に入って来るんじゃねぇ!」

ノックも挨拶もなく突然入ってきた存在に、レックスは間をおきつつも怒鳴る。

だがダイは怯む様子もなく、静かに言った。

「レックス、お前が隠していたのは…その女の子だな」

その視線は、レックスの後ろに注がれていた。

エトナリアの横で怯えた目をしている、黒髪の少女に。

「こいつは関係ねぇ」

「じゃあ答えてくれ。その子は誰だ?」

レックスは目を逸らし、奥歯をきつく噛み締めた。

その様子を見ていられなかったのか、黒髪の少女がレックスの背にそっと触れる。

「…もう、いいです。レックス」

銀色の目でレックスを見上げ、彼女は言った。

「私が全てお話します。だから…」

「俺がお前を助けるって決めたんだ!お前の家族を救うって誓ったんだ!それを…なんで…」

レックスの咽喉から絞り出される声は、悲痛なものだった。

それでもダイは言わざるを得ない。

「その子は、司令部に侵入した本人か?」

何も答えないレックスの代わりに、少女が頷いた。

「はい、私が先日、東方司令部施設に侵入しました」

少女が答えた瞬間に、エトナリアがそこを離れた。

レヴィアンスにぶつかりながら、部屋の外へ走っていく。

「エトナ!」

レヴィアンスが彼女を呼びながら、その後を追った。

「レヴィ」

「ニア君、ここはレヴィ君じゃなきゃ駄目だよ」

追いかけようとしたニアを、アーシェが止めた。

ダイはそれを横目で一瞥し、少女に向き直る。

「話してくれませんか。あなたの正体と、目的を」

少女はレックスを見て、それから、ゆっくり頷いた。

 

ベッドに座ったまま俯き、一言も話さないレックス。

その隣で、少女は自分の身元を語りだした。

「私の名前はカヅキ・サクライと申します。

六年前に家族ごと誘拐され、今は危険薬物を取引する組織の一員として働いています」

サクライ一家失踪事件の、行方が分からなくなっていた一人。

それがサクライ家の次女である彼女だった。

両親と双子の姉は組織によって監禁されており、六年もの間、彼女を働かせるための人質となっているという。

「私は運動能力を上げる薬を投与され、組織の言うとおりに動いてきました。

時には武器を与えられ、人を傷つけることもありました。

拒否すれば家族が酷い目にあうと言われ続けていたので…」

恐喝に加え、彼女は薬に依存しなければならなかった。薬を与えられない時は、身体を自由に動かすことができなかったのだ。

初めは身体が重く感じる程度だったのが、今では手足の痺れがとれず、上手く身動きがとれない。

薬を投与しなければ、ほとんど行動できなくなってしまっていた。

「今回私に与えられた役割は、東方司令部の施設に忍び込んで、押収された危険薬物を回収することでした。

ですが、侵入してすぐに軍の方に見つかってしまい…ひとまず逃げようと、窓から飛び降りたんです」

二階からなら、飛び降りても少しの怪我で済む。そう判断したのだが、窓に足を引っ掛けてしまい、そのまま落ちてしまった。

落下した彼女を受け止めたのは、騒ぎを聞いて駆けつけたレックスだった。

「私はそのまま気絶してしまったようでした。気がついたら、この部屋にいたんです。

レックスは意識を失った私を、軍の方に引き渡さずに、看病してくれたんです」

カヅキは感謝を込めてレックスを見る。そこで漸く、彼は口を開いた。

「だってよ…気絶した奴売るとか、ずるいじゃねぇか」

事情もよく飲み込めていなかったし、と呟くレックスを、カヅキはこう表現した。

「レックスはとても優しい人だと思いました。私が六年間忘れていた、暖かさを持っている人だと」

だが、彼女はいつまでもここにいるわけにはいかない。

本来ならすぐに、組織に戻らなければならなかった。でなければ、家族がどんな仕打ちを受けるか分からない。

そんな彼女の事情を聞いて、レックスは必ず助けてやると誓ったのだった。

ダイは話の全てを把握し、そして、結論付けた。

「レックス、お前への疑いはこれで完全に晴れた」

「…今更わかったのかよ、馬鹿が」

「その上で改めて言う。捜査に参加させろ」

ダイは電話をしながら書き付けていたメモを、レックスに見せた。

部下たちが調べた、ある薬物についての説明。そしてその薬物による副作用の治療について。

走り書きだったが、レックスはその内容を理解した。カヅキを助けるため、必要なものであると。

「エトナから聞いたが、お前は危険薬物事件に関わったことがないんだよな。

だったらノウハウのある俺たちを味方にした方が有利だと思わないか?」

「それ、交渉のつもりか?」

「当然だ」

ダイはレックスに協力するのではない。

危険薬物の被害にあっているカヅキから、取引の首謀者へと繋がる道を見出したいだけだ。

レックスはダイの協力をただ受けるのではない。

目の前にいる少女を、苦しみから救ってやりたいだけだ。

互いの利害の一致が、レックスの首を縦に振らせる。

「カヅキを助けると約束するなら、こっちの情報をやってもいい」

「決まりだな」

東方司令部侵入事件の真実を暴くための捜査は、漸く本番に入ることができそうだった。

 

寮の玄関の前に、エトナリアは膝を抱えて座っていた。

レヴィアンスはその姿を見止めて、静かに隣に腰掛ける。

エトナリアはそれを待っていたように、ぽつりと呟いた。

「カヅキさんを、連れて行かないで」

元気な彼女らしくない、か細い声だった。

「レックス兄ちゃんが言ってた。カヅキさんが見つかったら、捕まって中央に連れて行かれるって。

あたし、そんなの…やだ。カヅキさんは悪くないのに…」

彼女が、あのね、と話し始めたのは、短くも長い物語。

これまでの彼女の人生そのものだった。

「あたしが生まれたとき、お母さんはまだ軍人だった。お父さんはその頃から仕事が忙しくて、家にはほとんど帰らなかった。

お母さんが仕事に戻ってからはおじいちゃんがあたしの世話をしてくれたけれど、弟子がいたから暇なわけじゃない」

昔からエトナリアは家に一人残されることが多かった。

一人で遊ぶことを覚え、外に出られるようになってからは手の空いた軍人たちに話しかけるようになった。

クレリアが生まれてからは、母は軍を辞めたが、小さな妹につきっきりになった。

エトナリアが知っている母は、軍人達から聞いた立派な上司としての姿。

母として子に愛情を注ぐ姿は、クレリアを通してしか知らない。

自分が母にとって必要なのか、エトナリアはずっと疑問に思いながら過ごしてきた。

彼女は、ずっと孤独を感じてきたのだった。

「レックス兄ちゃんとカヅキさんは、あたしの初めての友だちだった。

カヅキさんは、仕方ないとはいえ、あたしと一日中一緒にいてくれた。

寂しいって思わなかったのは、初めてだった」

やっと手に入れた愛情を失いたくない。

だから、カヅキを自分から引き離さないで欲しい。

それがエトナリアの願いだった。

けれども、レヴィアンスは知っている。その願いを叶えてやることは、きっとできない。

侵入者の確保が仕事に含まれているからには、カヅキを中央へ連れて行かなければならない。

「連れていかないで…」

その声が、どんなに胸を締め付けても。

レヴィアンスはそれをきいてやることができない。

だが、今一つだけ、できることがある。

「…ボクも、同じなんだ」

「何がよ」

「ボクも、両親が忙しくて。いつもおじいちゃんのところに預けられてた。

だけどおじいちゃん、鍛冶屋だからさ。家にいても働いてなきゃいけないでしょ。

ボクはその周りをうろうろしながら、いつも一人で遊んでたんだ」

レヴィアンスとエトナリアは、境遇がよく似ていた。

友だちができるまで、自分は独りぼっちだと思っていたこと。

友達ができてから、彼らと離れたくないと思っていること。

そして、両親が自分を愛してくれているのか、時々分からなくなること。

「エトナの気持ちはわかるよ。完全じゃないけど、少しは理解できるつもり。

人の気持ちが分からなくなるのって、すごく怖いことだっていうのも知ってる」

俯いていたエトナリアが、レヴィアンスの言葉に顔を上げる。

それから、小さな声で問いを口にした。

「…レヴィは、お母さんのこと、好き?」

「うん」

「…あたしも」

好きだから、不安になる。

別のものでその不安を隠そうとする。

でもそれは、不安から逃げているだけだとわかっている。

逃げないで立ち向かうのには、とても勇気がいる。

「エトナ、ごめん。あの人…カヅキさんは連れて行かなきゃいけないと思う。

できるだけ大尉に頼んでみるけど、多分ダメだ」

「…うん」

「だけど、これだけ信じて。エトナは一人なんかじゃないから。

カヅキさんとは離れても友達だし、お母さんはきっとエトナのことが好きなはずだし、

…あと、ボクが、いるじゃん」

立ち向かうための勇気を、自分があげられたら。

その思いを言葉にして、レヴィアンスはエトナリアの目を真っ直ぐに見た。

「ボクがエトナを全力で助ける。何かあったら守る。

カヅキさんは悪くないんでしょ?なら一緒に助けよう。エトナが好きなお母さんみたいに、人を助けよう」

エトナリアは目に溜まった涙を拭き、力強く頷いた。

 

 

レヴィアンスとエトナリアが部屋に戻ると、そのまま情報整理が始まった。

カヅキが東方司令部に侵入した目的は、危険薬物の回収で間違いない。

「でも、俺は危険薬物が押収されたなんて聞いていない。そんなこと知ってるのは上の奴らだけじゃねぇのか?」

これまでに危険薬物関連事件に関わったことの無いレックスは、薬物が押収されていたことも知らなかった。

当然それらがどこに保管されているのかも、一部しか知らないだろう。

「ということは、やっぱり軍内部に、しかも上層部に情報をリークした奴がいる。これでかなり絞れたな」

「…信じたくねぇし、お前に言われるのは癪だけど。いいぜ、認めてやる」

ダイの持つ疑いを、レックスは受け止めざるを得ない。

現にカヅキは、公開されていないはずの情報を元に動いているのだから。

さらに押収された薬物が取引されようとしていたのを、六年前にカヅキの父とイズミ大将が突き止め、中止させた。

だがその件は担当者同士の意見がかみ合わず、また片方が失踪したこともあり、薬物の押収は保留になっていた。

「サーヤさんも詳しくは知らないみたいでした。カヅキさんは心当たりありますか?」

「父は、仕事の話を私たちの前ですることはありませんでしたので…」

このようなことがあったということも、彼女は初めて聞いたという。

しかし事件担当者の失踪は、事件とは無関係なのだろうか。

薬物が担当者の娘に投与されているという事実から、そうは思えない。

そして、今回の事件と六年前の危険薬物取引に、共通して関係している人間がいる。

その人物はサクライ一家失踪事件の捜査にも関わっていた。

「大尉、大総統はこのこと…」

「わかってただろうな。そこを敢えて俺たちに捜査させたんだ」

導き出される答えは、一つしかない。

単純で明確なそれに、レックスが頭を抱える。

「そういうことに、なっちまうのかよ…」

呟いた言葉に、廊下から聞こえる靴音が重なった。

数名の人間がこちらへ歩いてきている。それはこの部屋の前で止まり、ドアを開けた。

その後ろに部下を従えたイズミ大将が、レックスを、そしてカヅキを見ていた。

「オッサン…」

「レックス、残念だ。まさかお前が賊を匿っていたとは」

イズミの背後に控えていた者たちが、部屋へ雪崩れ込んでくる。彼らは素早くレックスの腕を後ろに組ませ、その動きを封じた。

同時にニア達も手足を押さえられ、身動きが取れなくなる。

彼らはそれからカヅキを押さえ込み、担ぎ上げようとした。

「何すんだよ!離せ!」

「賊を確保するのだ。匿っていたお前も同罪。それから…」

カヅキを解放させようと、彼女を押さえる者にエトナリアがしがみつく。しかしそれも簡単に引き剥がされてしまう。

「その娘も連れて行け。情報を賊や中央の人間に洩らした可能性がある」

そのまま掴みあげられ、エトナリアはなす術もない。

「離して!離してよ!」

「エトナ!おい、エトナは関係ないだろ!」

レヴィアンスが吠えても、イズミ大将はそ知らぬ顔だ。

部下に指示を出し、レックス、カヅキ、そしてエトナリアを連行していく。

「どうして侵入者がここにいると分かった?」

あくまでも冷静さを保って、ダイが訊ねる。

イズミ大将は鼻で嗤って、ダイの軍服の袖を指差した。

「自分が身につけるものに何をされたのかも気付かないのか。大総統が信頼する部下も、所詮こんなものなのだな」

最初の握手で、イズミ大将はすでに仕掛けを施していた。

ダイはそれに漸く気付き、苦々しく顔を歪める。

「盗聴器か…」

「中央の奴らがどこまでやってくれるか、少し泳がせてやろうと思ってな。

結局、小娘や賊の言葉を信用し、賊に加担していた愚かな奴と仲良くなって、真実を掴んだ気でいたようだ」

お前達の聞いたことは全てまやかしだ。イズミ大将はそう言って、大袈裟に溜息をついて見せた。

「これで事件は解決した。賊は確保し、それを匿っていた内部犯を捕まえた。情報を洩らした親子にも厳重に注意しなければなるまい」

サーヤもすでに捕まっているようだ。ダイは舌打ちし、イズミ大将を睨む。

そんなことは痛くも痒くも無いというように、彼は続けた。

「お前達の仕事は終わりだ。さっさと帰って、子どもらしく親に甘えているといい」

イズミ大将が出た後、ニア達も軍人らによって部屋から引きずり出された。

ここまできて道が断たれるのか。せっかく真実に辿り着いたのに。

「すまない。俺の失態で…」

ダイは袖から外した盗聴器を踏み潰し、強く拳を握った。

だが、それをニアが両手で包む。

「大尉、まだです。今のではっきりしたじゃないですか」

ニアの海色の瞳が、強い光を持ってダイに向けられている。

「そうですよ。どうせ失態なら、ここで思いっきり暴れていった方がすっきりしませんか?」

「ルーファがそう言うなんて、めっずらし。…ボクも、やらなきゃいけないことがあるから帰らないよ」

「調べものだけなんて、ホワイトナイト班には似合いません!」

ルーファ、レヴィアンス、アーシェが続く。

ほんの数ヶ月だが、大きな戦いも共に乗り越えてきた部下達。

いつのまにか、こんなに強くなっていた。

「ほら、行くわよ」

グレイヴが先に立つ。管理人室の方へ、すたすたと歩いていく。

「夜にならないと動けないでしょう。それまでに流れを決めるわよ」

「流れって、何の」

「当然、助けに行く」

振り向いた彼女の、不敵な笑み。

惚れた相手にそんな顔をされては、情けない姿をいつまでも晒しているわけにはいかない。

「ここからがホワイトナイト班実働部隊の、本領発揮ですよね!」

こんなことになっているというのに、ニアは笑っている。

ならば自分も笑って返さなければ。

「わかってるさ。仕方ない、あのあっさり捕まりやがった鶏冠頭を助けてやるとするか」

そして実力を見せ付けてやる。

そのためにここに来たのだから。

 

管理人室にはトウゲンとクレリアだけが残されていた。

泣きじゃくるクレリアをしっかりと抱きしめたまま、トウゲンは言葉を紡ぐ。

「サーヤとエトナリアは施設内の拘置牢にいると思う。残念ながら儂は場所を知らぬでな…」

悔しそうに奥歯を噛み締める老人の背を、グレイヴがそっと支えた。

拘置牢も施設の見取り図には示されていない。脱走の手助けを防ぐためだろう。

だが、今ここにただ一人、その場所を知りうる人間がいる。

「大丈夫だよ。エトナがちゃんと場所を知ってたから」

レヴィアンスの手には小さなメモ帳があった。それはエトナリアがいつも首から提げ、入手した情報を書き留めていたもの。

部屋に戻る前、彼女はレヴィアンスにそれを託したのだ。

「ただ、その牢をどうやって開けるかが問題だけど」

「それはアタシに任せて」

グレイヴが即答する。彼女はトウゲンと目を合わせ、頷いてみせる。

「じゃあ、牢まではグレイヴちゃんを守らなきゃいけないのね。全力で援護するよ」

「見張りがどれくらいいるか、どういう配置になっているかにも気をつけなきゃな」

アーシェとルーファが口々に言い、エトナリアのメモを見ながら予測を組み立てる。

その傍らで、ダイは電話をかけていた。

「あぁ、大総統によろしく伝えてくれ。それと医療班にも話を通しておくこと」

相手はゲティスだろう。これから自分達が何をするのか、そして向こうで準備しておいて欲しいものを伝えている。

ニアは彼らを見ながら、一人考え込む。

レックス達が連れ去られてから、ずっと胸がざわざわしているような感覚に襲われていた。

それは自分が我を忘れて闘いに身を投じる前に、感じるものに似ている。

戦わなくてはならない。でも自分にその力があるのか。

戦わなくてはならない。そのための力は大きすぎて、正しく扱える自信がない。

不安に苛まれて、胸を押さえる。

助けたい人がいる。助ける為に力を使いたい。けれども、もしまた暴走してしまったら。

「ニア、どうした?」

はっとして顔を上げると、いつの間にかルーファが正面にいた。

ニアの異変に気付き、アーシェとの話を中断してきたのだった。

「具合でも悪いのか?」

「ううん、そうじゃないよ。…そうじゃ、なくて…」

一度自分の力で傷つけてしまった親友。それでも自分を助けてくれた親友。

これまでニアが自我を失った時、呼び戻してくれたのはいつも彼だった。

「ルー、僕から一つ、お願いがあるんだ」

「何だ?」

「もしも、また僕が僕じゃなくなったら…止めてほしい」

ルーファは一瞬息を呑み、しかし、すぐに笑みを浮かべて答えた。

ニアの頭をくしゃくしゃと撫でながら。

「当たり前だろ。俺はニアの親友なんだから」

その言葉だけで、感じていた恐怖が、胸のざわつきが、一度に吹き飛んでいく。

たとえ自分を抑えられなくても、彼がこっちへ連れ戻してくれると信じられる。

「ルー、絶対にカヅキさんたちを助けようね。それで、この事件を終わらせる」

「そうだな。六年もかかったんだ、終わらせてやらなきゃ」

自分にできることを。自分がやらなければいけないことを。

誰かの為に、そして自分の為に。

そうして新しい始まりを目指そう。

誓って、夜を迎える。決戦の時が訪れる。

 

 

異様なほどに、司令部は静まり返っていた。

セキュリティも働いていないのか、施設内に侵入しても何も起こらない。

「俺たちを侵入者に仕立て上げるつもりなのか…それとも…」

この行動が相手にとって有利な口実を作ってしまうものだとわかっていても、行くしかない。

先頭はメモを持ったレヴィアンスに任せ、後方をダイが守る。

道順どおりに進んでいく彼らを阻むものはない。

「ボクら、完全に誘き出されてるよね」

「向こうとしてはまとめて始末したいんだろ。俺たちが動くことで、大義名分もできたことだし」

それなら乗っかってやるまでだ。

地下への階段を見つけて下っていくと、漸く人の気配がした。

身構えて降りていき、それが敵のものではないことに気付く。

見張りが誰もいないことが気になるが、そこは間違いなく牢だった。

「レヴィ!やっぱり来てくれた!」

最初に入ってきたレヴィアンスの姿を見止め、エトナリアが歓声をあげる。

レックス、カヅキ、サーヤも一緒だ。全員が無事に揃っているのを確認し、ひとまずはホッとする。

「エトナ、メモありがとう」

「預けといて良かったね」

返されたメモ帳を受け取り、エトナリアはにっこり笑う。

牢の檻は腕一本が通れるくらいの間隔だ。出入り口は鍵と鎖で頑丈に塞がれている。

これを解除するには手間がかかりそうだった。

「銃は使えないな、誰かが来るかもしれない。だが刃物で切れるかどうか…」

「退いて」

封を眺めていたダイに、グレイヴが命じる。彼女の手には愛用の刀が握られていた。

まさか、それで断とうというのか。刀身の細いその刀で、この封が解けるとはとても思えない。

「グレイヴちゃん、地道にやってる時間は無いよ」

「分かってるわよ。昨日までなら、アンタが暴れない限り壊せなかったでしょうね」

ニアの言葉に少しいらついたのか、グレイヴは意地悪く答える。

「でも今日以降はできる。アタシでも…ね」

両手でしっかりと柄を握り締め、彼女は目を閉じる。

吐息が、空気の流れが、鉄の檻にぶつかるのを感じ取る。

その中に歪みを見出し、それを一気に、

「はぁぁあっ!!」

刀を振り上げ、斬る。

檻は確かに鉄でできていた。鎖が巻きつき、鍵がかけられていた。

そんな事実をものともせずに、それらが全て飴細工であるかのように、彼女は刀一本で砕いた。

一度しか振らなかった刀が鉄の棒に亀裂を作り、床に瓦礫を積み上げる。

これがトウゲンの授けた対物奥義。かつての彼女の父には絶対に教えることができなかった、破壊の技。

しかし今なら正しく使える。人を生かすために、刀を振るうことができるなら。

目の前で何が起こったのかわからず、ニア達も、そして檻の中にいたレックスたちも、身動き一つ取れずにいた。

「…す、すごいねグレイヴちゃん!今の何?!」

アーシェがグレイヴに飛びついて、やっと一同の金縛りが解けた。

厳しい表情をやめたグレイヴが、自慢げに笑う。

「アタシも使えるようになったでしょ?」

「いいなぁ!ボクもやってみたい!」

「おい、騒ぐな。聞こえるだろ」

ルーファがレヴィアンスを小突いている間に、牢にいた人々が恐る恐るそこから離れる。

レックスはカヅキを支えながら、瓦礫を避けて慎重に移動した。

「…で、これからどうするんだ」

彼がまだ呆けていたダイに訊ねると、小さな咳払いの後に答えがあった。

「お前らは避難した方が良いんじゃないか?ここから先は俺たちの仕事だ」

「馬鹿言うな、ここは俺たちの陣地だ。俺が決着つけねぇでどうするんだよ」

「それもそうだな」

ダイは息をついた後、カヅキに向き直る。

ふらついてはいるが、支えられつつならば移動ができそうだ。

「カヅキさん、危険薬物の回収が目的なら、当然保管場所も知っているでしょう。教えていただけませんか」

「…わかりました」

一瞬何かを考えたようだったが、彼女は頷く。

残るはサーヤとエトナリアだ。

「皆さん、娘をお願いできますか?」

凛とした声で、サーヤが言う。

「え、サーヤさんは?」

レヴィアンスがサーヤに視線を向けると、彼女の表情が知っているものとは違うことに気付く。

寮の管理人としての、優しいそれではない。

軍人としての、任務遂行の為に力を振るおうとする、決意の表情がそこにあった。

「私にはやることがあります。話は全てカヅキちゃんから聞きました。私は六年前からの因縁に、幕を降ろさなければなりません」

大総統である母によく似たその表情に、レヴィアンスは抗えない。もちろん、他の全員も。

「さぁ、目指す場所があるなら早く行って。エトナリア、カヅキちゃんと一緒に道案内をしなさい」

「…うん、任せて」

母としてではなく、一軍人として部下に命じるような言葉を、エトナリアはしっかりと受け取ったようだった。

それが今やるべきことなら、母の助けとなるなら、全力で身を投じよう。

「カヅキさん、その保管場所って何階にあるの?」

「一階です。建物の北側、突き当りの壁を目指しましょう」

レックスとエトナリアの知る限り、そこには何も無い。本当にただの壁だ。

だが、見取り図を確認していたルーファが不審に思っていた場所の一つだった。

「レックス、カヅキさんを背負ったほうが良い」

「言われなくても分かってるぜ。カヅキ、乗れ!」

幼い少女と軍人の少年に背負われた少女を先頭に、一見すると奇妙な集団が牢を離れる。

それを見送ってから、サーヤは笑みを浮かべた。

きっとあの子達なら大丈夫、と。

 

相変わらず見張りの一人も見当たらないことを不審に思いながら、一行は走る。

カヅキの指示とエトナリアの注意点を押さえた案内で、何事もなく目的地にたどり着いた。

不気味なくらいに、簡単に到着してしまった。

「カヅキ、本当にここで良いんだな?」

「はい。レックス、私を降ろしてください」

カヅキに言われるまま、レックスは腰を下ろして彼女を床に立たせる。

よろめきながらも壁に触れた彼女は、そのまま手を横に滑らせる。

壁をなぞる手は、あるところでぴたりと止まった。そして、指が壁を押すと。

「うわ、何だこれ…」

「パネル…ですね。数字が書かれてますけど」

カヅキの手元にパネルが現れ、そこを指が踊ると再び消えた。

試しにレックスが同じことをしてみるが、パネルは出現しなかった。

「どういうことだ」

「頭の悪そうなお前には分からないかもしれないが、指紋認証なんじゃないのか」

「黙れ」

ダイが毒を吐いている間に、壁には扉が現れていた。

その扉を開けると、そこには身の毛もよだつような光景が広がっていた。

「ダイさん、これ…」

遠目でも、ルーファにはすぐにわかった。同じようなものを父の職場でよく見ている。

ビニール袋に詰められた、透明の筒。先には針が付いている。

ダイが中に入って確認すると、筒の中には液体が溜まっていた。

「カヅキさん、これを回収してこいと言われたんですね?」

再びレックスに支えられ、カヅキが部屋に入る。ビニール袋から取り出したそれは、間違いなく注射器だ。

カヅキはそれを握り、針のカバーを取る。

そして、自らの腕に突き刺した。

「カヅキ、何してんだ?!」

レックスが慌てて止めようとしても、もう遅かった。液体は彼女の体に収まり、注射器には少しも残っていない。

カヅキは注射針を抜いて、レックスから離れる。そして、真剣な顔で言った。

「これで私も動けます。今のうちに家族を助けに行きます」

「馬鹿、それは俺が!」

「レックス」

カヅキはレックスの瞳をじっと見つめた。銀色の光に、彼は何も言えなくなる。

「私はあなたに助けられました。家族も助けてくれるという言葉に、甘えました。

けれども、あなたには今やるべきことがあります。それを果たしてください」

微笑さえ浮かべ、カヅキは言う。

自分は大丈夫だから、レックスの役割を果たしてほしい。

彼は東方司令部の軍人だ。だから、東方司令部の為に働かなければならない。

「カヅキさん、この薬物はあなたの命を縮めるんですよ」

「承知の上です。ですが、私はこうでもしないと自分の目的を果たせません」

この答えが返ってくることを分かっていて、ダイは言った。

だからせめてと思い、アーシェとグレイヴに命じる。

「アーシェ、グレイヴ、君たちはカヅキさんを手伝え。必ず彼女の家族を救うんだ」

「はい!」

「カヅキさん、行きましょう」

一番近い窓から、カヅキは司令部を出ていった。それにアーシェとグレイヴが続く。

彼女らを見送って、ダイはさて、と呟いた。

「エトナはどうしようか」

それにレヴィアンスが、エトナリアを後ろに庇いながら返す。

「ボクが守る。…どっちにしても、逃がしてる余裕ないでしょ?」

今通ってきたはずの廊下から響く靴音。

姿を見せなかった敵が、漸く来たようだ。

「ニア、うちの班では遅刻者にどのような罰則を科すんだっけ?」

「大尉に銃を突きつけられながら反省文です」

「うわ、重っ。お前らこんな上司の下でよく働けるな」

「その言葉、そっくり返しますよ。レックスさん」

視線の先には真の敵。

東方司令部大将、トキマサ・イズミの姿があった。

背後には部下を連れ、全員に得物を持たせている。

当然イズミ大将本人も、僅かな光を反射して輝く刃物を手にしていた。

 

身体能力を増強したカヅキは、夜の闇をものともせずに駆ける。

いや、そもそも彼女は運動神経が良かったのだろう。でなければその力を使いこなせない。

アーシェとグレイヴはなんとか追いつき、その場所に着いた。

草むらに隠された、地下への扉。その下でカヅキは六年間過ごした。

「司令部とそんなに離れていないんですね」

アーシェが言うと、カヅキは首を横に振る。

「離れていないどころではありません。この下には通路があって、司令部の直下に繋がっています」

「じゃあ、最初から司令部関係者が首謀者なのは分かりきっていたんじゃ…」

扉を開けながら、彼女はグレイヴの言葉に頷いた。

「だからこそ、こうして外に出られることがあっても軍には訴えることができませんでした。

他の人に言っても同じこと。結局は軍へ連絡がいきますから」

カヅキがレックスに会えたのは、まさに僥倖だった。彼以外の人間だったら、今頃こうしていることはなかっただろう。

扉の先にあった梯子を下りながら、カヅキは続ける。

「父は仕事のことを話しませんでしたから、詳しいことは知りません。

けれども私たちは声を聞いていたんです」

「声?」

「はい。父を、そして私たちをここへ連れていくよう命令した声です。

あれは間違いなく、イズミ大将でした」

だがそれをあの場で言うことはできなかった。

レックスの前では、絶対に口にしたくなかった。

「短い時間でしたが、レックスは色々な話をしてくれました。

彼には尊敬する人がいて、そのうちの一人がイズミ大将であることも。ですから私は…」

本当はレックスも分かっていただろう。あれほどまでに要素が揃えば、認めるしかない。

カヅキはそれに追い討ちをかけるようなことをしたくなかった。

辛そうなレックスを、見たくなかった。

「本当は、私は逃げてきたのかもしれません。レックスが苦しむのを目の当たりにしたくないから、家族を口実にして…」

「たとえそうでも、ここに来たカヅキさんの勇気は本物だと思う」

カヅキの言葉を遮って、アーシェは言う。

彼女が勇気を出して家族を助けに来たという事実は、間違いないのだから。

「だから、逃げてきたなんて言わないで下さい。絶対に助けますよ!」

それが私たちの仕事ですからね。

アーシェの笑顔に微笑で返事をし、カヅキは地下通路に降り立った。

そこにはすでに連絡を受けて待ち構えていた、組織の人間達。

「わざわざ降りてくるまで待っていてくださるなんて、親切な方たちですね」

「お前には世話になったからな。せめてもの礼だ。だが…」

狭い通路は人の壁で塞がれている。強行突破しかない。

「今からお前は敵だ、カヅキ・サクライ!」

それぞれの得物を構える彼らを、カヅキは睨み返す。

アーシェとグレイヴも床に足を着け、手にした武器を握り締めた。

「カヅキさんは下がっていた方が」

「いいえ、武器を奪えば何とかなりますから」

それが最後の一言。カヅキは、そしてグレイヴも、真っ直ぐに敵に突っ込んでいった。

アーシェはそこに留まり、後方支援として弓を引く。

グレイヴが刀を振りかざし、相手を斬りつけ道を開けていく。

カヅキはその間に、倒れた者から刀を奪った。

二振りの刀が織り成す円舞は次々に加わってくる者たちを薙ぎ払い、輪の外側にいる者は矢に倒れる。

倒されていく彼らも、薬物を使用したカヅキにならともかく、まさか見知らぬ少女たちに負けるとは思いもしなかっただろう。

屈強な男に潰されるよりはましか。いや、これはこれで屈辱だ。

「アーシェ!」

道が開かれた頃、アーシェも二人に追いつく。

だがその先には、まだ何人も待っている。

「カヅキさん、コイツら何人いるの?」

「私もわかりません。…家族が無事ならいいのですが」

「急ごう。後方は私がやるから、二人はどんどん先に進んで!」

一刻も早く辿り着かなければ。

そして、戻らなければならないのだ。

 

イズミ大将の部下達は、ニア、ルーファ、レヴィアンスとエトナリアをぐるりと取り囲む。

そしてイズミ大将は、薬物保管庫の中にいたダイとレックスに近付く。

「東方司令部施設に侵入し、牢を破壊するとは。そんなことをする輩は、やむを得ず殺害してしまうかもしれないな」

やれやれ、と言いながらイズミ大将は剣を掲げる。

それを合図に、部下達も得物を構えた。

「やむを得ず…ね」

「最初からそのつもりだったんだろうが、オッサン」

ダイは呆れ顔。レックスは相手を睨みつつも、悔しそうな表情。

それをイズミ大将は嘲り笑うと、ポケットからリモコンを取り出してボタンを押した。

凄まじい音と共に、廊下に防火シャッターが下りる。さらには保管庫の扉が消えた。

完全な密室が出来上がる。ここで起こったことは、外にいる誰にも見えないし聞こえない。

生き残った方が自分の証言を真実として報告することができる。

「知っているぞ、ダイ・ホワイトナイト。あのインフェリアの子は中央司令部を襲撃した人間兵器じゃないか。

兵器を持ち込んだことも許しがたい。ここで力を振るったならばなおさら処分しなければ」

ニアたちとも分断され、ここからでは指示が届かない。届いたとしても戦わないわけにはいかない状況だ。

勝たなければ、全てが終わる。

「兵器じゃない。あいつはただの人間で、俺の部下だ。ちょっと実力が有り余ってるだけの、な!」

密室を作り上げてくれたのは、こちらにとっても好都合だ。

ダイとレックスは同時に自らの得物を構え、銃口をイズミ大将に向ける。

同じ型のライフルが二挺、銃弾を標的に向けて撃ちだした。

 

軍服を着た集団に囲まれ、ニアは銃を、ルーファは剣を、レヴィアンスはダガーナイフを構える。

同じ軍人同士で戦って良いものか迷ったが、それはエトナリアの言葉によって解消された。

「あいつら、見たことない。軍服着てるけど、軍人じゃないよ」

「じゃあ本気でやっていいんだね。エトナ、ボクから離れるなよ」

「ニア、離れて援護を頼む」

「ルー、気をつけてね。レヴィは本当に大丈夫なの?」

「決めたことだから、やるしかないじゃん」

取り囲む輪が小さくなったとき、三人とエトナリアも動き出した。

相手は大人。だが経験を他の少年兵よりもずっと多く積んだ彼らには、恐れなど微塵も無い。

エトナリアを隅に庇い、レヴィアンスは跳ぶ。守ると決めた少女に近付かせまいと、敵を斬りつける。

ルーファは剣を振り、相手の手から武器を払っていく。無防備になったところで、ニアがその足を撃って動きを止める。

だが人数は相手の方がずっと多い。銃はすぐに弾丸を放ちきり、装填の手間をとらせる。

ルーファの剣が相手の持つ細身の剣を床に叩き落した時、ニアは空になった銃を捨てた。

「ルー、それ貸して!」

「よし、受け取れよ!」

床に転がっていた剣が蹴飛ばされ、ニアの手に収まる。

これで近くの敵とも戦える。銃弾装填のためのタイムロスもなくなった。

しかし暴走の不安がよみがえり、それを振り払うようにニアは戦いに集中しようとしていた。

 

通路がやっと静かになった頃、カヅキは牢の中の家族と再会した。

「父様、母様、ミヅキ!みんな無事ですか?!」

頬のこけた男が、カヅキの姿を見て笑った。

「全員無事だ」

父と母、そして双子の姉。三人とも生きていた。

グレイヴが再び檻を破壊し、一家を救出する。そしてカヅキは漸く、家族に触れることができた。

「ありがとうございます、グレイヴさん、アーシェさん」

「これはアタシたちの仕事だから」

「皆さんが無事で、本当に良かったです」

「カヅキ、彼女達は?」

カヅキの父、ソライチが訊ねる。カヅキはこれまでの経緯を簡潔に話した。

レックスとエトナリア、そして中央から来た軍人達に助けてもらったことを。

ソライチは頷き、礼を言った。

「ありがとう、娘が世話になったね」

「いいえ、私たちもカヅキさんたちに助けてもらったので」

「それより早く脱出しないと…」

今通ってきた道を使うのはまずい。他に地上に出る方法はないか。

それもカヅキは知っていた。ただ、これまでその方法を取れなかっただけ。

「こちら側からのみ開く出口があります。普段は鍵がかかっていますが、グレイヴさんなら突破できるでしょう」

「グレイヴちゃん大活躍だね!」

「トウゲンさんに感謝しなくちゃね。カヅキさん、案内をお願いします」

サクライ一家とともに、指示された場所へ。急がなければ、残してきた者たちの安否が気になる。

先ほど通ってきた真っ直ぐな道とは違い、こちらは曲がりくねった移動のし難い通路になっていた。

人員は全て入り口付近に配置してあったのか、何事もなく出口に辿り着くことができた。

「では、お願いします」

「えぇ。退いてて頂戴」

グレイヴが刀を一振りすると、道は開けた。その先にあったのは、司令部施設内の一室。

「ここって…大将執務室じゃないの?!」

歩き回っているうちに、地上と同じ高さまで来ていたらしい。

そしてここに辿り着いた。イズミ大将が黒幕であったという、明確な証拠になる。

ソライチが悲しそうに息を吐いた。

「トキマサ…どうしてこんなことに…!」

かつては友人であった二人の間に、何があったのか。

それを追究している時間は、今はなかった。

「カヅキさんたちは安全な場所に移動した方がいいよね」

「そうね…一度外に出た方が良さそう」

大将執務室から廊下へ出る。異様なほどの静けさがあった。

少なくとも数人が北側にいるはずなのに、何も聞こえてこない。

「グレイヴちゃん…」

「アイツら、無事だと良いけど」

壁に阻まれた向こう側で何が起こっているのか、彼女らには分からない。

 

残りは少数。他はすでに動きを止めた。

だが、その少数が厄介だった。残るということは、それまでの攻撃が通用していなかったということなのだから。

「ガキは所詮ガキだな。大人しく殺されればいいものを!」

動き続けて体力の尽きかけたルーファを、一人が蹴り飛ばす。

避けることができずに、腹でそれを受けてしまったルーファは、呻いて床に倒れこむ。

「ルー!大丈夫?!」

「平気だ…まだ…!」

剣を支えに、よろよろと立ち上がる。だがその間に、一人の銃がレヴィアンスに向けられていた。

避ければエトナリアに当たる。それをわかっていての行動だった。

「レヴィ、逃げて!」

「だって、ボクが動いたらエトナに…!」

「あたしはいいから!」

「紳士だねぇ。じゃあ二人仲良く逝っちまいな」

指が引鉄に力を加える。エトナリアを連れて逃げる時間は、ない。

せめて楯になるしかないのか。レヴィアンスは目を閉じた。

だから、わからなかった。

やっとのことで立っているルーファにも、エトナリアを守ろうと必死なレヴィアンスにも。

ニアが暴走しそうな力を抑えていたことに、気付かなかった。

――僕がやらなきゃ。

二人が動けないなら、あとは自分しかいない。

――怖いけど。負けたら恐怖を感じることすらできなくなる。

仲間を死なせたくない。たとえ自分を失ってでも。

――ううん、やっぱり僕が僕じゃなくなるのは怖い。

――だからお願い、もう少しだけ、僕のままでいさせて…!

握った剣を振り上げる。先ほどよりも速く走ろうと、足を動かす。

どうか間に合って、とレヴィアンスの正面を目指し、駆けた。

引鉄が引かれる。狭い空間に音が響く。だがそれよりも、鼓動の音の方がずっと大きく感じた。

ルーファがニアの名を呼び、レヴィアンスが再び目を開けた時。

細身の剣が銃弾を弾くという奇跡が起こっていた。

その瞬間が過ぎても、ニアはニアのまま。

必死で仲間を助けようと飛び出した、彼のまま。

「ニア…」

「レヴィ、大丈夫?」

レヴィアンスに笑いかけた後、すぐにそのまま前方へ視線を向ける。

跳んで、目の前の敵を斬り、蹴り、倒す。

それを見て呆けたままの一人を、ルーファが隙ありと剣で叩いた。

「ニア、お前制御できてないか?!」

「わかんない!でも、さっきより動きやすい気がする!」

最後の一人を二人で、一気に叩き斬る。

戦いが終わっても、ニアの鼓動は激しいまま。

「大丈夫か?」

「ニア、無茶するなよ!」

「大丈夫だよ。レヴィとエトナちゃんが無事で良かった」

ホッとした。仲間が倒れなかったことに、ニアが自分の力を制御できたことに。

だがそれも束の間。壁に何かが勢いよくぶつかる音で、その向こう側に意識をとられる。

「大尉、大丈夫かな…」

「レックス兄ちゃん…」

扉が閉ざされ、壁も壊せないのでは、あちらの状況は分からない。

ただひたすら、無事を祈るのみ。

 

大将とは、軍でもトップレベルの力を持つものの称号だ。

その名に相応しい力を、このトキマサ・イズミも持っている。

だからこそレックスは彼に憧れた。強く、厳しく、時に優しかった彼に。

だがその彼は今、敵としてレックスたちの前に立ちふさがっていた。

イズミ大将は銃口を向けられたと同時に素早く前進し、二挺とも剣で叩き落した。

唯一の武器を奪われ、レックスは素手での戦いを余儀なくされていた。

一方ダイはナイフでの攻撃に切り替えたが、それも全て回避される。

その間にもイズミ大将の攻撃は止まず、二人はすでに傷だらけだった。

容赦なく振り上げられる剣は、ただただ床に血を撒く。

「どうした?私はまだ無傷だぞ」

口元は笑っているが、その目は冷たい。イズミ大将は、レックスの知っている彼とは違うものになっていた。

違うものだと思いたい。単に知らなかっただけなのだとは思いたくない。

レックスはまだ信じたかった。イズミ大将は自分の上司なのだと。

「オッサン、なんでこんなことするんだよ」

どうしてカヅキを傷つけた。どうして俺たちを殺そうとする。

どうして戦わなくてはならないのか。

レックスの迷いは、イズミ大将に一笑される。

「お前達が邪魔だからという他、何があるというんだ。私はこれまでも邪魔なものは排除してきた。それと同じだ」

「それって、カヅキの親父さんもかよ!友達じゃなかったのか?!」

「友達?」

イズミ大将が嗤う。歪んだ顔で、その言葉も言った本人も馬鹿にしたように、大声で嘲笑する。

「他人など私にとっては利用価値があるかないか、それだけだ!

ソライチは利用価値がなくなり、邪魔すらしようとした!だから排除した!

友達などという生温いことをいっているから、お前もあいつもいつまでたっても弱いんだ!」

高らかな声に、レックスは唇を噛む。その光景に溜息を吐きながら、ダイはナイフを構え直した。

「そんな問答は無駄なだけだ。諦めろ、レックス」

下らない会話に付き合って、待ってやっただけでもありがたく思え。

そう胸の内で呟き、イズミ大将の懐へ、つまり彼の剣の射程範囲外に入り込もうとする。

だがそんな行動はこれまで何度も見切られてきた。イズミ大将はそれを予想し、踵で地を蹴る。

跳び退いて剣を構える彼を見、ダイは鼻で笑う。こちらのフェイントに、見事に引っかかってくれた。

「退いてくれてどうも!」

先ほどまでイズミ大将の陰に転がっていた、自分とレックスの得物を取り返す。

レックスに彼のライフルを放り、自らも即座に構え、躊躇わずに引鉄を引く。

銃弾はバランスをとりきれていないイズミ大将の右肩を貫いた。

「ほう…目的はそれだったか。油断してしまったな」

肩を押さえながらも、イズミ大将の口元はまだ笑みを作っていた。

ダイは敵を見据えたまま、背後の少年に言う。

「レックス、お前はどうしたいんだ?カヅキさんをあんな風にし、お前を弱いと言った奴がここにいる。

その相手に、お前は何をするべきだと思う?」

「俺が…?」

「先に言っておくが、俺は自分や部下を馬鹿にし、薬物で他人の人生を狂わせたこいつを今すぐに殺してやりたいと思っている。

俺はこいつに対して何のしがらみも無いから、単純にそう思える」

最後まで言う前に、イズミ大将が自由な腕で剣を振るう。ダイはそれをライフルで受け止め、払い退けた。

剣が部屋の隅に転がる。イズミ大将の手には今、何もない。

ダイはライフルを床に横たえ、再びナイフを手にした。

「どうするんだ?」

再度問う。今度は、レックスに視線を向けて。

俯いたレックスは、そして意識をレックスに向けたダイは気付かない。

イズミ大将がポケットから、もう一つの武器を取り出したことに。

ばつん、とあっけない音が保管庫に響く。

ダイは一度体を震わせ、床に崩れ落ちた。

「…何、だ…」

「ダイ?!」

レックスが顔をあげ、ダイに駆け寄る。そこをイズミ大将が、馬鹿め、と呟き仕留めた。

体に走ったのは電流。一度受ければ立っていられないくらいの電圧が、レックスを襲った。

「敵から目を離すな、武器は一つとは限らない。…中央ではこんな基本も教えてくれないのか?

レックス、お前には私が教えたはずだったな」

左手にスタンガンを握り、イズミ大将は倒れた二人を見下ろす。

そして、まとめて蹴り飛ばした。

彼らの体は壁に激突したが、痺れているのか痛んでいるのかもわからない。

「結局、お前たちは二人とも甘かった。ソライチと同じだ」

イズミ大将は床に転がった剣を拾い、その切っ先を二人に向ける。

「それだけ麻痺していれば、楽に死ねるだろう。私に感謝することだな」

剣を振り上げ、彼の胴を守るものが何もなくなる。

レックスは残った力を全て右手に込めた。

――人を傷つけた奴に、自分の誇りを穢した奴に、何をするかだって?

――軍人として、一人の男として、やらなきゃならねぇことは一つだろ。

「起きて見やがれ、ダイ。これが俺の答えだぜ!」

薄く目を開けたダイの視界には、痺れているはずのレックスの腕が真っ直ぐに伸ばされ、

手にしたライフルの銃口で、上司だった男を狙う姿。

「今度は俺が教えてやるよ、オッサン」

指の動きに従う引鉄。撃ち出される一発。

それはイズミの腹のど真ん中に命中した。

「俺たち軍人は、悪人を全力で取り締まらなきゃならねぇんだよ」

衝撃に倒れこむイズミに、レックスは言う。

「…鶏冠頭にしては、かっこいいこと言うじゃねぇか」

ダイが笑みを浮かべ、痺れた体をゆっくりと起こそうとする。

だが、それはかなわなかった。

「遺言はそれで充分か?」

その言葉と共に突き刺さる、鋭い刃。

ダイの腹の、ちょうどレックスがイズミを撃ったその場所と同じところに、剣が突き立てられていた。

「レックス、次はお前の番だ」

腹に巻いていた厚い防弾布を剥ぎ取りながら、イズミが低く呻った。

 

丈夫な防火シャッターでさえも、今のグレイヴにとっては木の板とそう変わらない。

簡単に打ち破り、その視界に倒れる大人たちと、傷つきながらも立っている少年達の姿を映した。

「アンタたち、無事だったのね」

「様子が変わってたから、ちょっと迷っちゃった」

駆けつけた少女達に、少年達は安堵の表情を見せる。

「そっちも無事だったんだな」

「カヅキさんたちは?」

「その話はあとで。…それより、ダイたちはどこにいるの?」

「…あっち」

レヴィアンスが指差したのは、扉の消えてしまったただの壁。

こうなってしまっては、開けられるのはカヅキだけだ。

「呼んできてる暇はないよ、グレイヴちゃん」

「仕方ないわね…」

おそらく、これがグレイヴの、そして刀の限界だった。

物体にある綻びを探して斬っているとはいえ、かかる負荷が重いことには変わりない。

最後の力で、グレイヴは渾身の一撃を壁にぶつけた。

しかし、

「…駄目ね。アタシにできるのはここまでだわ」 

壁に大きなひび割れができたまでで、壊れるには至らない。

ならば更なる力を加えるのみだ。

「ニア、レヴィ、まだ動けるな?!」

「もちろん!グレイヴ、エトナをお願い!」

「やるよ、ルー!」

「私も加勢する!」

二対の剣が、ナイフが、矢が、壁に吸い込まれるように放たれる。

一人が作った突破点に、四人で一気に攻め込む。

司令部中に轟音が響き渡り、壁が崩れる。

その先に見えたのは、大きな人影がたった一つ。

彼の足元には血溜まり。それを流しているのは。

「ダイ?!」

「レックス兄ちゃん!」

倒れる二人に、グレイヴとエトナリアが駆け寄ろうとする。

だが、それは一人の気迫に阻まれる。

イズミは、こんなにも大きかっただろうか。こんなにも禍々しい雰囲気を持つ人物だっただろうか。

足が竦んで動けなくなる。ここにいるだけで、一つの考えが頭を過ぎる。

自分達は彼に殺されるのだ、と。

「一足遅かったようだな」

重く響く声。これに誰が何を返せようか。

いや、一人だけ。たった一人だけ、存在した。

「…大尉とレックスさん、殺したの?」

東方司令部に来て、いきなり上司達の言い合いを目の当たりにしても、彼はそれを止めることができた。

イズミもそれに感心し、彼の名を聞いて納得したものだ。

「かろうじて息はしているようだな。まるで虫けらだが」

「そう、生きてるんだね」

それだけ確認すれば、もういい。

助かる見込みがあるなら、他の人に後を任せればいい。

ニアは自我を、手放した。

 

小さな影が突然視界から消えたことに、イズミは一瞬戸惑った。

いや、一瞬しか戸惑うことが許されなかった。

その影は気付けば眼前にいて、額に衝撃を与えていた。

速度によって威力が増大された頭突きを受け、イズミはよろける。

その足を剣で払われた彼は、もう立ち上がることが不可能になった。

両足に深く刻まれた傷は、そのための力を完全に奪っていた。

床に腰を落とし、壁に逃げ場を奪われ、自分を追い詰める小さな姿を見止める。

ここまでの全てがたった数秒で処理される。目に映る光景を、脳で理解することができない。

誰もがただ呆然として、ニアの行動を、それにただ流されるイズミを見ていた。

これが中央司令部を襲った力。ニア・インフェリアが持つ、最大にして最凶の武器。

体躯の大小も、気迫の禍々しさも、彼の前では無意味。

顔を恐怖に引き攣らせる時間も与えられぬまま、イズミは胸を、腹を、刃の乱舞に委ねる。

それが漸く止まったかと思えば今度は切っ先が左胸に向けられる。

このまま剣を下ろせば、イズミの命は無い。

命を奪えば、自我を取り戻したニアがどうなるか。

思考が漸くそこまで辿り着いたルーファが、親友に向かって叫んだ。

「ニア、止めろ!もういい!!」

切っ先が胸にぴたりとついて、止まる。

その隙をイズミが見逃すわけはなかった。

即座に懐から拳銃を取り出し、ニアの胸に銃口を向ける。指が引鉄に力を加えた。

「ニア!」

ルーファの叫びと、破裂音は同時だった。

発射された銃弾は、引鉄を引いた者の思い通りに空間を走る。

少年達の後方から、拳銃を握るイズミの手に向かって真っ直ぐに。

手を貫かれ、拳銃を零したイズミに、銃を構えた女性が告げる。

「トキマサさん、もう終わりですよ」

イズミが視線を声の方へ向ける。

かつての同僚が、かつての表情でそこにいた。

「六年もかかりました。でも、これで漸く全てが終わったんです」

サーヤが、東方司令部の軍人達を引き連れて歩いてくる。

彼らに守られるようにして、サクライ一家の姿もあった。

「サーヤ…貴様、まだ軍人のつもりか!」

「いいえ、違います」

サーヤはイズミの言葉を鋭く否定し、傍にいたエトナリアを、屈みこんでしっかりと抱きしめた。

「私があなたを撃ったのは、私の大切な人を傷つけたから。私の大事な娘に、自分の罪をなすりつけようとしたからよ!!」

元東方司令部少将サーヤ・ミナトではなく。

娘たちを助けるために戦う母、サーヤ・リータスとして。

彼女は軍人達に依頼する。

「怪我人を急いで医務室に運んで下さい。残りの人は、トキマサさんの確保をお願いします」

彼らは即座に従った。彼らは寮生であり、全員がサーヤを慕う者だった。

この状況で誰の言葉を受け入れるべきか、皆が理解していた。

 

 

怪我とそれによる出血が酷いにもかかわらず、ダイとレックスの意識ははっきりしていた。

イズミは虫の息と言ったが、とんでもない。腹に穴が空いているにもかかわらず、医務室に着くなりぽんぽんと喋りだした。

「カヅキはどうした?無事か?!」

「指示出すから全員集合しろ!」

「元気ねぇ。でも手当てしたいから大人しくしててくださいな」

サーヤが苦笑しながら、応急処置を施す。その間も二人は喚き続けた。

「カヅキさんは薬の効果が切れたので、隣のベッドに寝かせています」

「指示って何よ」

アーシェとグレイヴが仕方なく答えると、レックスは大人しくなったが、ダイは続けて命じる。

「アーシェはサクライさんたちから話を聞いて、簡単に調書をまとめておけ。

レヴィは中央に連絡しろ。俺が頼んだことができているか確認してくれ。

ニアとルーファは二人で反省会でもしてろ。グレイヴは俺から話があるからここに残るように」

矢継ぎ早に指示を出すダイに言い返すこともできず、アーシェとレヴィアンスはそれぞれ別室へ向かう。

ルーファはニアを連れて、医務室から出た。

その後で、ダイはやっと黙る。血液を失った青白い顔を手で覆い、長く息を吐いた。

ベッドの脇に座りながら、グレイヴが呆れる。

「そんな怪我で、よく強がったりできるわね」

「…こんなのしょっちゅうだろ。もう慣れた」

部下を追い出したのは、各々の仕事や都合のためだけではない。

何よりも、ダイがこんな姿を晒したくなかったから。

「こっちは全然慣れてないの。何度同じことがあったって、何度だって心配してやるわ」

「ごめんな。…でも、これで安心した。俺がいなくなってもちゃんとやれそうだな」

そしてこれが最後の大仕事になることを、部下ではグレイヴだけが知っていたから。

「おい」

不意に、それまで静かにしていたレックスが口を開く。

「お前、いなくなるのか」

「盗み聞きするなよ」

「隣にいて聞こえねぇはずねぇだろ。…どこ行くんだよ」

「教えてやらない」

舌打ちの後に、また静寂。

レックスの隣のベッドを仕切るカーテンの向こうで、ちょうどカヅキが目を覚ました頃に、

「ダイ、…カヅキのこと頼んだ」

「頼まれてやるよ、レックス」

二人が寝落ちる前の、最後の会話が交わされた。

 

廊下は冷えていて、いつまでもここにいることはできそうになかった。

ルーファは上着を脱ぎ、俯くニアに差し出す。

「ニア、寒いだろ」

「…いいよ。ルーが寒いでしょ」

「俺は平気」

返事を待たずに、上着をニアの肩にかける。

それが温かかったからか、気が緩んだニアの目から、涙がぼろぼろと零れた。

「ルー…僕、やっぱりだめだった。大丈夫じゃなかった」

一度は自分の力を制御できたかと思ったが、やはり強い感情の動きに抗えなかった。

それが悔しくて、もう少しで人を殺してしまうかもしれなかった自分が怖くて、ニアは泣く。

その頭にそっと手を触れて、ルーファは言った。

「ごめんな」

「何でルーが謝るの?」

「サーヤさんが間に合わなかったら、俺はニアを死なせてたかもしれないだろ」

ニアだけではなく、ルーファもまた怖れていた。

ニアを止めようと彼を呼んだが、それがイズミに武器を取らせる隙を生んでしまった。

結果的にはサーヤがイズミを止めてくれたものの、それがなければ確実にニアの命はなかった。

「俺ももっと、ニアを助けられるようにならなきゃいけない」

「ルーは悪くないよ!僕のこと、ちゃんと助けてくれたよ!」

ルーファの腕をとって、ニアはやっと顔を上げた。

涙をいっぱい溜めた目で、しっかりとルーファを見ていた。

「…俺たち、もっと頑張ろうな」

ニアの頭を撫でながら、ルーファは笑う。

落ち込んでても、思ったことはきちんと言う。そんなニアがいることがわかったから。

ニアも、ルーファがいつまでも落ち込んでいるばかりではないことがわかる。

自分達はまだ成長できる。これからもっと強くなれる。

「うん…頑張る」

「それでこそニアだ!」

怖いことはたくさんあるけれど、こうして生きていれば、それも乗り越えられる日が来る。

それを目指して、一緒に進んでいこうと誓った。

 

事情聴取に加わったのが、娘よりも幼い少女だったことに、ソライチは戸惑った。

この話を彼女にもしていいものか。だが自分達一家を助けてくれたのは彼女であったことを思い出し、決心した。

「…では話しましょう。僕とトキマサの間に何があったのかを」

アーシェにも聴いてもらおう。彼女も立派な軍人なのだから。

ソライチとイズミは、六年前に危険薬物取引を共に中止させた。

その頃二人は友人であり、仕事上の良きパートナーであった。少なくともソライチはそう思っていた。

だが、ある事実が二人の関係を大きく変えていくことになる。

「取引現場に、トキマサの懐中時計が落ちていたんです。

乗り込んだときに落ちたのではありません。その少し前から、彼は時計を失くしていました」

不審に思い、ソライチはイズミを問い詰めた。そうして浮かびあがった真実は、ソライチにとって辛いものだった。

取引の首謀者はイズミであり、それを取り締まることで軍での地位を向上させようとしていた。

その上で危険薬物を取り扱う裏組織の頂点にも君臨する。全てがイズミの思い通りに動くようになる。

ソライチはイズミに自首を勧めたが、それは聞き入れられなかった。

おそらくこれが、サーヤのいう「食い違い」。彼女はよくある捜査上の意見対立だと思い込んでいた。

「僕はトキマサに、数日以内に自首しなければ僕から上司に報告すると言いました。

ですから彼が家を訪れた時、彼が漸く自首を決心してくれたのかと思ったんです」

しかし、そうではなかった。イズミは裏組織の人間をサクライ家に乗り込ませ、一家全員を監禁した。

ソライチには、大人しくしなければ娘に危害を加えると言い。

娘二人のうち運動神経の良かったカヅキには、言うことをきかなければ家族が大変な目にあうと言い。

これまで一家を縛り付けてきた。

「僕は…トキマサにとって、何だったのでしょうか。彼は僕を、友人だとは思ってくれていなかったのでしょうか…」

友人だと思っていた男に裏切られ、ソライチは悲しみに暮れる。

イズミの本心を聞くことはできない。彼はじきに中央へ連れて行かれる。

だからアーシェがここに来た。彼女は、たとえそれが気休めであっても、癒すための言葉を持っている。

「サクライさん、イズミ大将が本当にあなたを裏切ったのだとしたら、私にはわからないことがあるんです」

「…わからないこと?」

「辛い言い方になりますけれど…あなたを今まで、生かしておいたことです」

本当に利用価値がなくなったのならば、生かしておく必要はない。万が一脱走でもされれば、真実が明るみに出てイズミが不利になる。

カヅキを外で利用していたことにも同じことが言える。

軍にはイズミがいて、訴えても無駄だとしても。すぐ近くの寮にはサーヤがいたのだから。

アーシェは知っている。自分にとって都合の悪いはずの者に、自ら手を下せなかった人を。

心の奥では家族を愛し、失いたくないと思っていた、彼女の祖父レスター・マクラミーを。

「イズミ大将は、あなたを友人だと思っていたから、一緒に過ごした日々を忘れられないから、あなたに手を下せなかったんじゃないでしょうか。

だからいつか罪を償った後は、また元に戻れるんじゃないかって…」

勝手なこと言ってすみません、と述べながらも、アーシェはソライチに希望を持ってほしかった。

その思いを、ソライチも受け取る。

「そうだね。…そうだと良いな」

またあの頃のように、笑い合える日が来たら。

「ありがとう、リーガル伍長。君のおかげで絶望から抜け出せそうだ」

その時は、助けてくれた人たちに報告したい。

君たちが架け橋になってくれたのだ、と。

 

夜中だというのに、ゲティスは中央司令部に控えていたらしい。

レヴィアンスが呼び出し音を数秒も聞かないうちに、受話器が取られた。

「大尉っすか?!」

濃い内容の二日間だったせいか、その声が妙に懐かしい。

レヴィアンスは口元が緩むのを堪えながら応える。

「違うよ。ボクですよ」

「あぁ、レヴィか…大尉は?」

「怪我して寝てます」

「やっぱり…」

あの人無茶ばっかりするよな、と言った後で、レヴィアンスたちの身も案じてくれた。

多少の怪我はしたが全員無事だと伝えると、ゲティスは安堵したようだった。

「良かったよ、生きてて。大尉には例の件は完璧だって伝えてくれ」

「あの、例の件って?ボク何にも聞いてないんだけど」

「それはだな…」

ゲティスが簡単に説明すると、レヴィアンスにも納得がいった。

同時に、エトナリアがそれを聞き入れてくれるかどうか不安になる。

いや、彼女ならきっとわかってくれるだろう。本当に大切なことが何なのか、もう解っていると思うから。

一瞬で思い直して、レヴィアンスは頷いた。

「大尉、そこまで考えてたんだね。ゲティスさんたちも大変だったんじゃない?」

「まぁ、な。…あ、ちょっと待ってくれ」

苦笑いの後で、電話の向こうから別の声がした。

その声は、レヴィアンスがとても大切に思っている人のもの。

受話器をゲティスから受け取ったのか、はっきりと耳に届く。

「レヴィ、怪我の具合はどう?」

「お母さん!」

階級で呼ばれたのではない。愛称で呼ばれるときは、母と呼んでも良い時。

今レヴィアンスに語りかけているのは、大総統ハル・スティーナではなく、母親としてのハルだった。

「ボクは大丈夫。かすり傷程度だよ。…それより、大尉たちが…」

「うん、聞いてたから分かってる。ダイ君も自分でこうなるって予測してたし。

でも、レヴィが無事で本当によかった…!」

他の子のことも心配だったけれど、母親としてはレヴィが一番先に気にかかっちゃうんだよ。

そう言う母の声は、少し震えていた。

「これから迎えに行くね。昼までにはそっちに着くから、準備をしておいて」

「うん、わかった。…ねぇ、お母さん」

エトナリアと話してから、ずっと言いたいと思っていたことがあった。

レヴィアンスも、両親が忙しくて寂しい思いをした。けれども、この思いだけはずっと変わらない。

「大好きだよ、お母さん。もちろんお父さんだって。…ボクの親でいてくれて、本当にありがとう」

レヴィアンスにとって、両親はいつでも尊敬でき、自慢できる人だ。

それを早く、伝えたかった。

 

 

受話器を置いた後、ハルはすぐに仕度を始めた。

「じゃあ後はよろしくね、ゲティス君」

「了解です。早くしないと、ハイル大将が待ってますよ」

「そうだね。行ってくるよ!」

慌しく出て行く後姿を見送り、ゲティスは笑みを零した。

これで、居残り組の仕事もおしまい。あとは帰りを待つばかり。

「帰ってきたら、きっと、大変」

「なんだパロット、起きたのか。仮眠とってて良いんだぞ」

ゲティスだけではなく、全員が案件解決の報告を待っていた。

だがやはり自分達は子どもで、長くは起きていられない。

現にドミナリオたちは寝息を立てていた。

「皆、頑張った。大尉達も」

「そうだな。オレ達は最後の仕上げを頑張るとするか」

ゲティスたちへの、今回最後の依頼は三つ。

一つ目、事件の首謀者を中央に連れ帰るから、受け入れ準備をしておくこと。

二つ目、どうせ大怪我して帰ってくるから、医療班がすぐに動けるよう話をつけておくこと。

三つ目、危険薬物の被害者の治療がすぐに進められるよう、手配をしておくこと。

今のところ全てが順調だ。

「繋ぐこと、役割、大事」

「あぁ、オレ達の仕事は重要だったな。大尉には感謝してもらわないと」

ぱん、と手を叩きあい、ゲティスとパロットは喜び合う。

全員生きて、しかも事件を解決して帰ってくるのだ。無傷じゃなくても、喜んでいいだろう。

これくらいはきっと、許されるはずだ。

「ドミノ、ホリィ、オリビア。一旦起きて寮に戻れ」

「明日、また、忙しい」

呼びかけると、三人が目をこすり始める。

お疲れ様、と頭を撫でてやったら、三者三様の反応があった。

 

 

「本当に、治してくれるんだよね?」

エトナリアは何度もレヴィアンスに確認する。

「治るよ。カヅキさんは意外に体力あるから、きっとすぐハイキャッシに戻ってこれると思う」

「本当だよね?信じてるからね!」

カヅキは一度レジーナの病院に行き、検査と治療を行うことになった。

経過次第では数週間で、ハイキャッシに戻り治療を継続することができるようになるという。

カヅキと離れたくないと言っていたエトナリアも、それで納得してくれた。

「ていうかさ、お母さんと仲直りしたんなら待っていられるだろ」

「最初から仲違いなんてしてないもん。…でも、話聞いてくれたり、助けてくれたりしてありがとう、レヴィ」

「どういたしまして」

二人が会話をしている間に、駅に列車が到着しようとしていた。

もうすぐ別れがやってくる。

「グレイヴちゃん、お父さんによろしくね」

「今度は自分で来いと言っておけ」

サーヤとトウゲン、そしてクレリアに、グレイヴは丁寧に礼をする。

「はい、次は連れてきます。また牡丹餅持ってきますね」

小さく手を振るクレリアに同じように返す。

今回のことは、父へのいい土産話になりそうだ。

「ニア、こっちこっち」

「良かった、間に合った!」

ルーファが手招きして、走ってくるニアを誘導する。

どこに行っていたのか、朝からニアだけが別行動をとっていた。

「ニア君、何してたの?」

「ちょっとね。アーシェちゃん、カヅキさんは?」

「レックスさんとお話してるよ」

車椅子に乗った黒髪の少女が、赤い髪を逆立てた少年と並んでいた。

顔を合わせずに、二人は言葉を交わす。

「やっと家族みんなで暮らせると思ったのにな。…レジーナでしか治療できないなんて、ふざけてるぜ」

「仕方ありません。でも、すぐに戻ってこられますから」

「…帰ってきたら、俺の家族にも会ってくれるか?両親と、弟もいるんだ」

「えぇ、もちろん」

列車を待っていた人たちが動き出す。

まだ扉は開かないが、カヅキもそろそろ向かわなければならない。

車椅子を押しながら、レックスは意を決した。

「…カヅキ、俺、迎えに行くから」

「はい」

「それで…その。次に会った時は、俺と…付き合ってくれねぇか?」

振り向いたカヅキと、目が合った。

驚いているのか、照れているのか、彼女の顔が赤い。それはレックスも同じこと。

「うわ、こんなところで告白かよ」

「な…っ、聞いてんじゃねぇよ、ダイ!」

茶化すダイに言い返すレックスを見ながら、カヅキはくすくすと笑う。

そして、

「レックス」

そのまま彼の気持ちへの、返事を告げた。

「こんな私でも、受け入れてくれますか?」

それは問いの形だったけれど、承諾と捉えて間違いない。

「良かったな、鶏冠頭」

「うるせぇよ」

車椅子を押す役割が、レックスからダイにうつる。

ここから先は、レックスでは進めない。

「お祝いに良い事教えてやる。その前に確認するが、お前が尊敬してるのって、ディア・ヴィオラセントで間違いないな?」

「…そうだけど」

列車の扉が開き、列が前へ進む。

ざわめきの中でも、レックスにはそれがはっきり聞こえた。

「それ、俺の親父!お前、親父に似てて本当に腹立つ!」

だから、レックスも周りの人が引くくらいの大声で返す。

「お前も、お前の親父さんにそっくりで腹立つぜ!」

駅から列車へ、人が移動する。

辺りがすっかり寂しくなった頃、発車の合図が鳴り響いた。

「手紙書くからねーっ!!」

エトナリアの叫びに応えて、レヴィアンスが列車の窓から体を乗り出し、手を振る。

だが、危ない、とすぐに母に引っ張り戻される彼の様子を、エトナリアは笑って見ていた。

 

遠くなる駅を見つめるカヅキの肩を、ニアが軽く叩いた。

「これ、どうぞ。さっき急いで描いてきたから、あんまり上手じゃないけど」

差し出されたのは一枚の紙だった。カヅキは受け取り、そこに描かれているものを見る。

六年もの間、彼女がまともに見ることのできなかった景色が、そこに広がっていた。

懐かしく、そしてすぐに帰ってくると約束した、ハイキャッシの街並。

「そこで皆で楽しく暮らせる日は、すぐに来ますから」

「そうですね。…きっと、すぐに」

カヅキが愛しげに見つめるその風景の中で、たくさんの人が彼女を待っている。

そしてニアたちが向かうレジーナには、彼らの帰りを待つ人々がいる。

二つの都市の間を、列車が確かに繋いでいた。