エルニーニャ王国の首都レジーナにある、国内で最も規模の大きな病院。

そこに一人の少女が入院している。

三週間ほど前、彼女は東部の都ハイキャッシからやってきた。

薬物に侵された体を治療するには、ここに来る必要があった。

だが、それももう終わり。検査と投薬治療を重ね、東部の病院と相談した結果、彼女はハイキャッシに帰ることになった。

東部の病院で治療を続けられる目処が、漸く立ったのだ。

 

「カヅキさん」

「こんにちは、アーシェ」

病室を訪れたアーシェに、カヅキは笑顔を見せる。

いつになく機嫌の良さそうな彼女に、アーシェも嬉しくなる。

「退院おめでとうございます」

「ありがとうございます。毎日見舞いに来てくれて、とても励みになりました」

アーシェだけではない。ホワイトナイト班の全員が、暇さえあればカヅキのもとを訪れていた。

家族や友人から離れ、たった一人で知らない土地へ来た彼女が、少しでも寂しくないように。

しかし彼女は今日で退院し、明日には故郷へ戻る。

こうして話ができるのも、これが最後だ。

「アーシェ、列車はまだ到着しないのですか?」

「そろそろだと思いますよ。さっき男の子達が迎えに行きました」

カヅキを迎えに来るのは、そう約束したあの少年。

もうすぐ会えると思うと、自然に笑みがこぼれてくる。

そんなカヅキを、アーシェはにこにこと眺めていた。

「楽しみですね、レックスさんに会えるの。エトナちゃんも来るし」

「そうですね。久しぶりに会うので、少し緊張もしていますが…」

たった三週間。されど三週間。この日をどんなに待ち侘びただろう。

 

駅はハイキャッシから来る列車を待つ人々でごった返している。

その片隅で、ニアとルーファ、そしてレヴィアンスは客人を待っていた。

「早く来ないかなー」

「あれからまだ三週間なんだね」

随分長いこと会ってない気がしていた。だが、ひと月も経っていない。

なんだか不思議だ、と思いながら、ニアは列車の音を聞く。

「エトナも来るんだよな」

「うん、レックスさんについてくるって言ってた」

「きっとレヴィにも会いたかったんだろうね」

今回は仕事ではない。だから何も気にせず、賑やかに過ごせるだろう。

たった一日だけれど、楽しめるといい。

そんなことを話していると、到着した列車の方がなにやら騒がしくなってきた。

「にいちゃん、すげーな!」

「おもしろかったよ、ありがとう!」

小さな子どもたちが目をキラキラさせながら、赤髪の少年とうす桃色の髪の少女を取り囲んでいた。

明らかに待ち人なのだが、どうしてこうなっているのかさっぱり分からない。

「レックスさーん!」

「エトナ、一体これどういうこと?」

声をかけると、二人はこちらに気付く。子どもたちに別れを告げて、ニアたちの方へ向かった。

「よ、久しぶりだな」

赤毛の少年レックスはそう言って、指を鳴らした。

すると彼の手から、さっきまで持っている様子のなかったミニカーが現れる。

「レックス兄ちゃん、列車の中でこれやって人気者になってたの」

「手品?すごいね!」

「こんなことできたんですね」

先日は見られなかった、レックスの新たな一面。

彼は意外に手先が器用らしい。

「一応趣味なんだぜ。ところで、ダイの奴は?」

「大尉は仕事です」

「なんだ、仕事か…会ったら殴ってやろうと思ってたのに」

物騒な挨拶に、ダイさんが来てなくてよかったな、とルーファは思う。

近況は移動しながら話そうと、五人は病院を目指して歩き出した。

 

病室のカヅキを目に留めるなり、エトナリアは彼女に飛びついた。

「カヅキさん!会いたかった!」

「私もエトナにずっと会いたいと思っていました。来てくれてありがとう」

抱き合って再会を喜ぶ二人を、レックスは少し離れて見ている。

どうやら彼は照れて病室に入れないようだ。

「レックスさん、行かないの?」

「いや…なんか、うん」

「ほら、早く行きなって!」

煮え切らないレックスの背中に、レヴィアンスが体当たりする。

それに押されるように病室へ入ってきたレックスの姿を見て、カヅキの顔がより明るくなる。

「レックス、迎えに来てくれたんですね」

「あ、あぁ…約束だからな」

頭の先から耳まで真っ赤なレックスが面白くて、エトナリアとレヴィアンスは顔を見合わせて笑う。

ちょうどそこへ、仕事から解放されたダイとグレイヴが到着した。

「来てたんだな、鶏冠頭」

「お前、会うなりそれかよ!ぶん殴る!」

「ここ病院ですから、静かにしてくださいね」

その光景に、グレイヴは呆れて溜息を吐いた。

あの時はこうしてのんびりと言葉を交わす時間などなかった。

だが、あの事件がなければ彼らが出会うことはなかった。

皮肉なものだ、と思うダイに、ニアが苦笑する。声に出ずとも、心中を覚られてしまっていた。

いや、覚ったのではない。きっと全員が、同じことを考えていた。

 

東方司令部侵入事件の首謀者トキマサ・イズミは、現在中央刑務所にいる。

面会することは誰であっても禁じられていたはずだが、ダイは一度だけ彼に会っていた。

彼が六年前の危険薬物取引に関わっていたのなら、それは一体誰との取引だったのか知っているはずだ。

そう考えての訪問だったが、イズミは相手の素性を全く知らなかった。

だが全くの無駄足というわけではない。身体能力を増強する薬物DD-PHY-01がどのような意図で取引されていたのかはわかったのだから。

「イズミたちの目的は、カヅキのような使い捨て傭兵を多くつくり、それを自分たちの思い通りに動かすことだった。

薬を投与し続けなければ動くことすらままならないんだから、言うことを聞かせることは容易い。

そうしてゆくゆくは国を乗っ取り天下を取る、という夢物語を妄想してたんだ」

しかしそう簡単にいくわけはない。同じような考えを持った人間はこれまでにもいたが、大抵は誰かに使われているだけだった。

真の敵は他にいる。イズミも所詮、利用されただけに過ぎないのだろう。

「オッサン、そんな奴には見えなかったんだけどな。俺に色々なことを教えてくれた、すげぇ人だったんだ」

レックスの中のイズミは、あの事件までずっと尊敬できる上司だった。

あのイズミが全て偽りだったなんて、今でも思いたくない。

「アーシェが言ってたよ、最初から全て悪い人なんていないって。だからお前がそう思ってるなら、そうなんじゃないのか」

「…お前は、本当はどう思ってるんだ」

「俺は危険薬物を悪用する人間なんてぶっ殺したいと思ってる」

「執着してんだな」

カヅキとエトナリアがニアたちと話している間、ダイとレックスは事件のことを振り返っていた。

今回はカヅキだけだが、いつかはイズミも迎えに来たいとレックスは考えている。

だがダイがイズミのような犯罪者を憎む気持ちもわからなくはない。

このことは追々、ゆっくり考えていこうと思いながら、レックスは伸びをした。

「俺、難い話嫌いなんだよ。そんなことよりお前の親父さんに会わせてくれるって約束だろ」

「あんなのに会いたいのか?後悔しても知らないぞ」

カヅキたちは当分お喋りを続けているだろう。

その間に用事を済ませてしまおうと、ダイはレックスを連れて自宅へ向かった。

 

ホワイトナイト班は女子が少ない。十一人もいて、そのうち女子は三人だ。

だから班員ではない女の子が話に加わるだけで一大イベントになってしまう。

「カヅキさん、レックス兄ちゃんのこと好きなの?」

エトナリアの率直な質問に、カヅキは頬を赤くする。

「えぇ…そうですね。レックスは優しい男性ですし…」

「うん、最初は嫌な奴だと思ったけど、少なくとも大尉よりは優しいかもね!」

「レヴィってば…」

聞こえたらあとで大変だよ、とニアが苦笑する。

幸いこちらで何を話しているかは聞こえていないようだが、何せ普段のダイは地獄耳だ。用心するに越したことはない。

「それよりエトナ、ミヅキは元気ですか?」

カヅキが話を逸らそうと、双子の姉について訊ねる。エトナリアは頷き、笑顔で話してくれた。

「元気になったよ。でもカヅキさんがいないと寂しいみたいだったから、時々レックス兄ちゃんとあたしで遊びに行くんだ」

「レックスも、ですか?」

「うん。だいぶ仲良くなったよ」

サクライ姉妹は一卵性双生児で、髪の長さが同じならほとんど見分けがつかない。

今はカヅキが髪を短くしているために、髪の長い姉と区別できる。

そんな姉とレックスが親しくしているというので、カヅキは少し焦る。

「まさか、同じ顔だからって二股かけてないよね」

そしてレヴィアンスのこの台詞で、その焦りは少しではなくなった。

「そ、そんな…でも私よりミヅキの方が女の子らしいし、そうなってもおかしくないですね…」

「いや、大丈夫じゃないですか?なぁ、ニア」

「え、僕にふるの?!えーと…レックスさんならきっとそんなことしませんよ!

ほら、レヴィが変なこと言ったんだから責任とって!」

「ボク?!ちょっと口が滑っただけなのに!」

まだまだ子どもで恋愛事には慣れていない男子は、うまくフォローできずに慌てふためく。

その様子を女子は呆れながら見ていた。

「レックスさんと大尉って似てるし、そんなことないよね、グレイヴちゃん」

「なんでそこでアイツが出てくるのよ。…まぁ、心配は要らないと思うけど」

「でもレックス兄ちゃんって誰にでも優しくしちゃうからね。そこは不安かな」

エトナリアでさえ、おろおろしている少年達よりも冷静なことを言える。

こういう話では当事者にならない限り、女子の方がずっと大人なのであった。

 

ヴィオラセント邸を訪れたレックスは、まずダイの母に驚いた。

「ダイ、お前の母ちゃん美人だな」

「まぁね。見た目は美人だよね」

今性別を教えてもどうせ信じないだろう。

ダイが落ち着きなくきょろきょろするレックスを居間に連れて行くと、ユロウがお茶の準備をしていた。

「お兄ちゃんおかえり。お友達さん、いらっしゃいませ」

「ただいま」

「…どうも」

レックスはダイとユロウを交互に見る。

似ていない兄弟だと言われるのは慣れているので、ダイはそれを放置する。

レックスをソファに座らせたところで、この家に来た目的が現れた。

「おう、よく来たな」

初対面の少年にも無遠慮な、ダイの父。

実際は養父だが、そう思えないほどに見た目はよく似ている。

その彼にレックスは強い憧れを持ち、尊敬の念を抱いていた。

「初めまして、ヴィオラセントさん。俺はレックス・ナイトといいます」

「ダイから話は聞いてた。随分と俺のことを知ってるらしいじゃねぇか」

ディア・ヴィオラセントは昔から悪評ばかりが目立ってしまう人物だった。

こうして憧れを抱く者は稀有で、それゆえに彼らにはできるだけ気前よく接してやろうというのがディアの心がけだ。

そのおかげか、レックスの緊張もすぐにほぐれたようだ。

二人が楽しそうに言葉を交わし始めたところで、ダイはそっと自室に戻った。

 

カヅキとエトナリアは女子寮に宿泊することになったが、レックスはヴィオラセント邸で一夜を過ごすことになった。

話が弾みすぎて、時間がたちまちに過ぎてしまったためだ。

幸いここは下宿も兼ねている。レックスが泊まれる場所は充分にあった。

「ダイ、お前の親父さんすげぇな」

しかし別室があるにもかかわらず、レックスはダイの部屋に入り浸っていた。

ダイも特に気にしておらず、レックスの話に付き合っていた。

「北の話とか聞けて、楽しかったぜ。…あと、お前のことも」

「俺のこと?余計なこと言ってないだろうな、あの人」

「余計じゃねぇよ、多分。お前と仲良くしてやれだってさ」

余計だ、とダイは呟くが、レックスは笑って続ける。

「また喧嘩しようぜ、ダイ。今度は引き分けじゃなく、きっちり白黒つけてやるよ」

「…そうだな、それは望むところだ。今度こそお前を負かしてやる」

本音をぶつけ合える相手が、ダイには少ない。

特に同い年の友人はレックスが初めてだった。

拳をぶつけあい、二人は笑う。

出会ったときは互いに気にくわないと思っていたのに。

「そういや、俺らって女の好みも似てるよな。カヅキに何かしたらぶん殴るぞ」

「しないよ。そっちこそ俺の彼女に手出すなよ」

「歳離れすぎてて、手ぇ出そうと思わねぇよ」

似てるところもあり、正反対のところもある。

そんな二人が明日、再び別れる。それ以降はいつ再会できるかわからない。

何年、下手をすれば何十年も会うことがないかもしれない。

それでも今日のことを憶えていられれば、きっと関係は変わらないはずだ。

 

「そういえば、エトナはお母さんと上手くやってるの?」

部屋に遊びに来たエトナリアに、レヴィアンスはずっと気になっていたことを訊ねてみた。

あれから三週間、彼女と家族との関係はどうなったのだろうか。

「前とそんなに変わらないよ。

でも、お母さんがあたしのことちゃんと大事に思ってくれてることが分かったから、もう寂しくない」

「そっか、良かった」

彼女が孤独に涙を流すことは、もうないだろう。

ホッとしたレヴィアンスに、エトナリアはにっこりと笑いかける。

「本当にありがとう」

「うん?」

「レヴィたちがハイキャッシに来てくれて、あたしたちは良い方に変わったと思う。

中央に手柄を持っていかれたって言う人はまだいるけど、確実に減ってる。

レジーナとハイキャッシの関係も、きっと良くなってるんだよ」

そうならいいな。そうに決まってる。

そしてこれから、もっと良くなる。

自分達が架け橋になるのだから。

明るい未来を思い描いて、二人は笑い合う。

 

車椅子から人を降ろすのは、グレイヴにとっては慣れたことだ。

いつも母にしているようにすれば良い。

この三週間でその話も聞いていたので、カヅキも安心してグレイヴに身を任せられる。

「私、重くはありませんか?」

「寧ろ軽いくらいです。元気になったら、もう少し食べた方が良いですよ」

「お菓子とか作ってあげれば良かったね」

アーシェが自分の部屋から持ってきたティーセットを並べながら言う。

カヅキとエトナリアで寮の一部屋を借りたのだが、カヅキには補助が必要なのでグレイヴも今夜は泊り込む。

そこへアーシェも遊びに来ていた。

一緒に過ごせる最後の夜。まだ話していなかったことや、ここで過ごした日々のことなど、もっともっとお喋りしたい。

カヅキが疲れてしまわない程度に、会話に花を咲かせ続ける。

「アーシェ、グレイヴ、ありがとう。私たち家族をもう一度繋いでくれて、本当に感謝しています」

この言葉で、カヅキが締めくくるまで。

 

あっという間に過ぎた時間。

近付いてくる列車の音。

駅の喧騒も、なんだか寂しく聞こえる。

「じゃ、世話になった」

「ありがとうございました」

「またね」

さようならを言わない別れの挨拶。

また会える。自分達は繋がっている。

そう信じているから、言わない。

「ニア」

ルーファに背を押され、ニアが前に進み出る。

その手には、一冊のスケッチブックがあった。

「また、描いたんだ。今度はレジーナの絵を。僕達のこと、忘れないでほしいから」

丸々一冊使った大作。三週間かけて描かれたその全てがレジーナの景色と、人々の笑顔。

「忘れられるわけないですよ」

それをまた、カヅキが受け取って。

彼女の手で、二つの景色が重なった。

もう一度「またね」と言って、距離がどんどん開いていく。

列車が見えなくなってしまうまで、何度も出会いから今までを思い返す。

決して良い出会いではなかった。でも、必要な出会いだった。

沢山もらった「ありがとう」に、僕らも同じ言葉を返そう。

そしていつまでも、僕らが続きますように。