エルニーニャ軍で働く人々は、とにかくなんでもこなす。
机に向かうのも戦うのも、両方やることを前提として、新兵時代から様々な経験をする。
だがそのことが苦手の解消になってくれるかどうかは、また別の話。
体を動かすのが苦手なデスク派の人間もいれば、書類が最大の敵だという肉体派もいる。
中央軍に所属する者は、そのような特性を考慮しつつ、上司によって集められて班を構成する。
中でも、いわゆる肉体派の割合が多い班は、毎度事務仕事に苦しめられているのであった。
「……終わりませんね」
「黙って手を動かせ。会話の時間ももったいない」
月に一度くらいの周期でやってくる、デスクワーク地獄。
その間、彼らはストレスと腱鞘炎に悩まされるのだ。
中央司令部内にいくつかある事務室の、その一角に一際大きな「島」がある。
きれいに片付けられている机もあれば、乱雑で目も当てられないようなものも。使用者の個性が強く出ている「島」だ。
そのきれいに片付けられている方のうち、四つが現在使用中だ。その傍らには書類が積み上げられている。
机に向かっている四人は、全員眉を寄せながら手を動かしていた。
「……終わりませんね」
何度目かの台詞を呟いたのは、カイ・シーケンス少尉。
どちらかといえば書類処理は苦手だ。気分屋な彼は、飽きがくるのも早いのだ。
「だから黙ってやれ。さっきから何度同じ返答をさせるつもりだ」
明らかに苛立っている様子で、グレン・フォース大尉は返す。
彼もデスクワークは苦手だ。というよりも、単調な作業が性に合わない。
だからなんだかんだ言いつつ、カイへ返事をすることで救われている部分もあるのだろう。その時は作業に変化が生まれるのだから。
少なくとも、二人の様子を見ながら仕事をしているリア・マクラミー中尉にはそう思える。
彼女は、デスクワーク自体に不満はないが、どちらかといえば体を動かしたいと感じていた。
「ラディアちゃんは大丈夫?」
リアはこっそりと、隣で作業をしているラディア・ローズ曹長に尋ねる。彼女は小さく頷き、しかし苦笑して答えた。
「大丈夫です。……さすがにちょっとは疲れてきましたけど」
普段は書類処理そのものよりも、そのサポートが中心だったラディアのことだ。言うよりも疲れは溜まっているだろう。
デスクワーク向きではない彼らが、今日は四人だけで作業をしなければならないことには、それなりに訳もあった。
まず、直属の上司である准将と大佐が不在だった。それは以前から決まっていた、上官対象の研修会のためだ。
そこへ他の佐官らの仕事や、他の合同訓練やら視察やらが重なったのだ。
加えて、リア本人の体調のこともある。彼女はつい先日まで入院しており、無理をしないようにといいおかれていた。
だから彼女が外の任務から外され、普段行動を共にすることが多い三人がつき、というように今日の留守番メンバーが決まってしまったのだ。
それがちょうど今月の書類処理ラッシュと重なった結果がこれだ。
こんなに書類を溜め込んだ某大佐や某中佐が不在である以上、幾分かは自分たちが片付けておかなければ、後々もっと酷い目にあう。
そんな経験を何度かしているから、四人は必死で代理業務などをこなしているのだった。
「あー……俺やっぱり限界です。お茶淹れて来ますね」
作業に耐えられなくなり、カイは席をたった。これでもかなり持ったほうだ。
それに頷いてから、リアは隣でまだ頑張っているラディアに声をかけた。
「ラディアちゃんもお茶の準備を手伝ってきてくれる? 気分転換にもなるし」
「はい、そうします。実はちょっと眠かったので、助かりました」
立ち上がってからリアへ改めて礼を言い、ラディアはカイの後を追いかけた。
それを見送ってから、リアはグレンへと視線を向ける。
彼はきっと、言ってもここから動かないだろう。他の三人よりも多く仕事を持ち、今日の分はこれと決めて作業をしている。
とにかく真面目で、まっすぐな人だ。傍らにカップが置かれても、手に取らないかもしれない。
「グレンさん」
「何だ」
「きっと美味しいお茶を入れてきてくれると思いますから、ちゃんと飲んでくださいね」
「……あぁ」
会話の間も顔を上げない彼に、リアはそれだけを念押しした。
今日の書類には、きっとリアが入院している間に片付け切れなかったものがいくつかある。
だから申し訳なくも思っているのだが、謝罪を述べれば述べるほど、入院の原因の一つを作ってしまったグレンは自分を責めるだろう。
そう考えて、彼女は謝るのをやめた。謝る代わりにできることは、たくさんある。
リアは再び書面に向かい、自分の仕事に集中した。
事務室には二人分の、ペンが机にぶつかる音だけが響いた。
給湯室を物色していたラディアは、戸棚の奥からいかにも高級そうなお茶の葉を発見した。
とはいえ銘柄などに詳しいわけではないので、カイに中身を確認してもらおうと思い、彼女は振り向いて茶葉の袋を軽く持ち上げて見せた。
「カイさん、これ」
「ん? ……うわ、これすごく良いやつだ。いつの?」
「わりと新しいです。開けてみましょうか。……ふわぁ、良い香り!」
給湯室全体に広がろうかというほどの、豊かで上品な香りが、袋を開けた途端に漂う。
ラディアがうっとりしている間、カイは冷静にこれが何故ここにあるのかを考えた。
「この給湯室では、客用のお茶は淹れないし……だとしたら上の人が持ち込んだのかな? いや、ケチな人たちに限ってそんなことが……」
思考している間に、袋の口を閉めたラディアが再び棚を漁りだした。
そこに収納してあった茶葉を全て並べてみたが、先ほどの茶は他と段違いに上等なものらしい。
「奥にあったってことは、誰かがこっそり楽しんでいたってことでしょうか?」
「そうかもしれない。……四人分なら、使っても問題ないかな」
「使っちゃうんですか?!」
目を丸くしながらも、どこか期待していたような表情で、ラディアはカイを見る。
それに応えるように笑って、カイは茶さじを手にした。
「頑張ってるんだから、バチはあたらないさ。それにグレンさんとリアさんにリラックスしてもらわないと」
「そうですよね。リアさんは病み上がりなのに頑張りすぎだし、グレンさんはこのままだと血管切れて胃が爆発します」
「爆発はしないと思うけどな。じゃ、そういうことで」
茶葉の芳醇な香りを吸い込みながら、二人は茶の準備を進めた。
ティーカップが机に置かれてから、四人は暫くペンを置くこととなった。
正確には、置かざるを得なかったというべきか。例の茶の香りに抗うことができなかったのだ。
「とってもいい香り。なんだか心が安らぐね」
「リアさんにそう言ってもらえて嬉しいです。戸棚を徹底的に漁った甲斐がありました!」
にこにこと笑うリアを見て、ラディアは言葉通り嬉しそうだ。
「よくこんなものが給湯室にあったな」
「不思議ですよね。でもあるものはありがたく使います」
グレンは感心し、カイはそれに頷きながら茶を楽しんでいた。
デスクワークのストレスが、一口飲むたびにほぐれていく。休憩後は新たな気持ちで仕事に向かえそうだ。
今月の受難は、幸運に変わりつつあった。
ところでこの茶葉は、大総統が秘蔵の一品をこっそり紛れ込ませていたものなのだが……。
これまでの発見者は彼らと、本日研修会へ出かけている二人のみである。