初夏を迎えたエルニーニャ。昼間の気温は上がってきており、かといって冷房をきかせすぎると体に良くない。
そこで軍が採用したのが、夏季略装だった。男性はワイシャツに肩章と国章、そして階級章をつける。女性は同じようにしたベストを着用する。
もちろん危険の伴う任務の際は防護着として上着を着用するが、普段は薄着でもかまわないということになっている。
「……まぁ、私服視察多いとそんなに涼しくも思えないんですけどね」
特に暑い日となった今日この頃、略装をしていても溶けてしまいそうだった。
私服での任務が多い者は、むしろ略装が辛い。こんな日にかっちりとしたシャツを着ていたくない。
そういうわけで、第三休憩室に集まったいつものメンバーはうだっていた。
「グレンさんなんか特にそうじゃないですか? 私服のときのほうが布面積狭くてうなじセクシーですよね」
「カイ、暑さで頭がやられたのか。今楽にしてやろう」
半分冗談の台詞を吐くカイに、グレンがいつものように銃口を向ける。見慣れた夫婦漫才を止めようとするものは誰もいない。通常営業にわざわざツッコミを入れられるような気力は、ここにいる人間は持ち合わせていなかった。
「それにしても暑いな。ハル、水分と塩分はちゃんと摂れよ」
「うん、アーレイドもね。……あ、首の後ろ冷やすといいみたいだよ。ボクもアーレイドみたくまとめちゃおっかなあ」
「それは可愛……涼しそうだな。そうしとけ」
アーレイドから予備のヘアゴムを受け取ったハルは、ちょっと悩んで室内を見渡した。リアがいればすぐに髪をまとめてくれるよう頼むのだが、今ここにはいなかった。それどころか、女子は一人として存在していない。
というのも、全員で特別教練に参加しているらしく、丸一日不在なのだ。
「誰か器用な人やってー」
「ハル、オレは」
「アーレイドは後ろに回ったら抱きつくからだめ」
ぴしゃりと拒まれ、ただでさえ暑さで気が遠くなりかけていたアーレイドはダウンした。
ハルはそれにかまわず、とりあえず得意そうな人を選んで近づいていく。
「ツキさーん」
「はいはい」
頼まれたツキはハルの髪をまとめあげながら、ちらりと他のメンバーを見る。
それぞれのシャツの着こなし方が当人らしいことに気付いて、思わず笑いが漏れた。
グレンやハル、アルベルトはどんなに暑くてもボタンをきっちり留めている。真面目さがそのまま表れているようだ。
カイ、アーレイド、ブラックなどはある程度開けてしまっている。これはツキ自身もそうなのだが、普段からの緩さか、あるいは我慢しきれなかったかだ。
ここにカスケードがいたら、間違いなくちゃんとボタンを留めていないだろうなと思う。彼は今、イストラの地でどうしているだろうか。
遠い地に思いを馳せながらハルの髪を結い終わったところで、ちょうど室内にメンバーが増えた。
「あっちい! 何なんだよこの暑さはよ!」
乱暴に戸を開けて入ってきたディアは、さっそくボタンをはずし始めた。ある程度どころではない、全部だ。
「馬鹿、そんなだらしない格好するな」
その後ろからやってきたアクトは、……なんといったらいいのか、こんな日に見ていたら暑くてたまらないような格好だった。
「なんでアクトさんはこの気温で上着なんか着ていられるんですか」
「この方が直射日光当たらないから涼しいんじゃないかと思って。あと傷見えるのやだ」
「お前異常だぞ」
そもそもが熱を吸収しやすい色合いのエルニーニャ軍服を、アクトはブレずに着込んでいる。しかも汗すらかいていない様子だ。
対照的なコンビの入室によって室内の人口密度が上がり、温度が上昇する。ブラックが舌打ちして呟いた。
「誰か出てこうってヤツはいねーのかよ……」
「お前が出てけよまっくろ黒すけ。熱吸収しまくりだろうが」
「うるせー、お前が出てけバカイ。ディアとアクトも暑苦しいから来んな」
「あぁ? 何か言ったかクソガキ」
「……おれが暑苦しく見えるのは否定しないけどさ」
人数が増えたことと暑さにいらだっていることで、わいのわいのと言い合いが始まる。ツキは苦笑いしながらそれを眺め、涼しそうな髪型になったハルは「やめましょうよー」と言葉だけでも止めようとする。
グレンは呆れて溜息をつき、アーレイドはまだ回復しない。
そんな中、それまで黙っていたアルベルトがぼそりと言った。
「……二酸化炭素増えて余計暑くなってるんですよ。黙ってればいいのに」
その一言で、「あ、今日この人機嫌悪いやばい」と全員が察した。
旧資料室は暗く、暑い日でもひんやりと涼しい。
クライスは必要な資料を取りに来るついでに、この快適な環境を満喫していた。
「いいなあ、クレインたちは。水難救助訓練って、要するにプールじゃん……」
今朝クレインから得た情報によると、女子の特別教練は希望者のみのものだったようだ。しかし、今日の気温を考えれば、選択した者はかなりの得をしたことになる。
それにひきかえ男どもは……おそらく今頃、いつものように第三休憩室に屯しているのだろう。こんなに暑いのに。
「おや、クライス君。こんなところにいましたか」
「あ、どうも」
ほとんど誰も来ないような資料室に来たのは、クリスだった。彼も何か探しにきたのだろうかと思ったが、すぐに壁に寄りかかったところを見ると、どうもそうではないらしい。
「涼みに来たんですか」
「ご名答です。こんな日に第三休憩室に集まる人たちの気が知れません」
「クリスさんがポニーテールにするくらいの暑さですもんね」
クリスの長い髪は普段と違い、一つにまとめあげられていた。昔はこっちが主流だったんですよ、ということだ。
「この部屋、略装だと肌寒いくらいですね」
「そうですね。でもオレたちだけの秘密にしておきましょうよ。大挙して来られたら室温が上がる」
「ボクも同じ意見です」
二人は顔を見合わせて笑った。
教練を終えて帰ってきた女子は、実にさっぱりとした顔をしていた。
「楽しかったですね、プール!」
「ラディアさんが溺れ役になったときは大変だったけど。溺れないで泳いで行っちゃうから」
遊びに行っていたわけではないが、やはり今日の選択は正しかったらしい。クレインですら、呆れながらも機嫌は良さそうだった。
「シェリーさんが本当に泳げないとわかったときは大変だったけどね」
「シィもちゃんと泳げてなかったでしょうが」
「まぁまぁ、二人とも。今日で泳げるようになったんだからいいじゃない」
シィレーネとシェリアの軽口の叩き合いを収めながら、リアはメリテェアへと視線を送る。本日の教練担当は彼女で、きちんと成果が出せるよう適切な指導をしてくれたのだった。
「メリーちゃん、ありがとう。これでいつ事故にあっても安心だね」
「あわないのが一番ですわ。……そもそも、地方へ遠征にでも行かない限りは使いどころのない訓練ですし」
「もしものときのためだよ」
笑顔で司令部へ戻ってきた女性陣は、このあと男性陣のヘタレっぷりに驚くことになる。
東の小国、イストラ。エルニーニャの中央部よりは涼しいこの地で、カスケードはラジオニュースを聴いていた。
「うわ、エルニーニャそんなに暑かったのか……こりゃ不良あたり死んでるんじゃないか?」
このときばかりは、イストラに来ていて良かったと思うカスケードであった。