レスター・マクラミーの身柄が軍に拘束されてから、一週間が経った。
アーシャルコーポレーションには毎日のように調査員が派遣されている。そうして秘密裏に行われていた核兵器やクローンの研究や開発についての情報が少しずつ明らかになってきた。
「マクラミー中尉の様子はどうだ」
大総統アレックス・ダリアウェイドは、こちらの本日分の報告が一段落したところで問う。俺は少し考えてから、医者から聞いた言葉を伝えた。
「まだ昏睡状態が続いていますが、快復に向かっていないというわけではないとのことです」
「なるほど、つまりはっきりとした変化はなしか」
相変わらず、ばっさりとものを言う人だ。そういうところが彼の同期である俺の父親と似ていて、ときどきいらつく。
けれども、俺自身が医者の言葉に対して抱いていた感想と同じではあった。病院の人間は皆手を尽くしてくれているということはわかっている。でも、どうして彼女を目覚めさせることができないんだという気持ちもたしかにあるのだ。
「……インフェリア大佐。部下が負傷し、未だ眠りから覚めないという状況で、君はよく指揮をしてくれている。軍内外の評判や体裁もあるからな、マクラミー中尉と近しい君やリルリア准将にしか、この件のリードを任せられないんだ。すまないな」
「いいえ、それに関しては寧ろ感謝しています。俺はずっと昔から、この件に関わっていますから」
「そうだったな」
マクラミー家に起きた悲劇に、俺は発見者という形で関わっている。過去にリアちゃんに対して何もできなかった分、今こそ自分の立場を利用して彼女を救いたいと思っている。
大総統が言った「軍内外の評判や体裁」なんかよりも、あの子を救うことと俺の意地が先行している。軍の体裁なんか、どちらかというとどうでもいいことの部類に入っている。
大総統にとってはそれが大事なことらしいけれど。軍のトップなのだから、仕方がないか。
俺はひとつ溜息をついて、さっきまで読み上げていた書類を抱えなおした。それから敬礼をして、踵を返す……その前に。
「ダリアウェイドさんの本音は?」
彼の友人の息子として、質問してみた。
「マクラミー中尉が内外から余計な非難を受けることのないよう、守りたい。ここを彼女が安心して帰ってこられる場所とするには、君たちにこの件をきれいに片付けてもらわなければ」
「当然です」
この人はやっぱり、俺たちのトップだ。俺は今度こそ安心して、大総統執務室をあとにした。
リアちゃんは先日まで真相を何も知らず、ただ事件の被害者だった。彼女がレスター・マクラミーの身内だからといって、非難される筋合いはない。
なくても、そっちに結び付けたがる奴はいる。噂に尾ひれをつけて刺激を求めるのは、人間の性だ。
それをどれだけ抑えられるかが、リアちゃんが戻ってきた時のことを考えたときの最重要事項だ。
もちろん俺一人でなんとかできることではないから、俺たち皆でなんとかする。
実際、ちょっと噂好きな奴ら何人かが、すでにディアたちによってシメられているようだ。やりすぎるなよ、不良。
それからリアちゃんのファンクラブメンバーたち。こっちはリアちゃんを思いすぎて過激な行動に出る可能性があったので、手をまわせそうなところから鎮めていっている。
幸いにも、ファンの中でも影響力の強い方であるライアンという男がカイの同期だった。彼に任せておけば、大人しくしていてくれるだろう。
……さて、カイで思い出したが。心配事は、なにもリアちゃんの容態だけではない。
リアちゃんが病院に収容されてから数日、実は一番気がかりだったのがグレンだった。
なにしろ、リアちゃんに怪我を負わせてしまった張本人だ。誰よりも今回の件に責任を感じている。
俺ができるのは、リアちゃんを撃ったのがグレンであることを知られないようにすること。グレンに刻まれた心の傷を癒すことまではできない。
そこで活躍してくれたのがカイだった。というよりも、あいつが一番グレンに近い。グレンが心のうちを明かし、痛みをさらけ出せるのは、カイだけだろう。
けれども昨日、カイは俺と二人になったときに、ぽつりと言った。
「俺、グレンさんが死ぬんじゃないかって思ったんです」
唐突だったので、すぐにはその言葉を理解できなかった。何もいえなくなっていた俺に、カイは気まずそうに続けた。
「リアさんを傷つけたって、すごく自分を責めてましたから。あの人、リアさんが病院に運ばれた翌日から毎日、必ず見舞いに行ってましたけど。そのときのグレンさん、表情が生きてなかったんです。あと何日かリアさんが眠ったままだったら、誰よりも先に命を絶ってしまうんじゃないかって思って……」
このときまで口にしなかっただけで、誰もが思っていたことだった。
グレンは一人で見舞いに行っていたが、カイはその姿をずっと見ていたのだろう。目を離した瞬間に、グレンが死んでしまうのではないかという不安を抱きながら。
「だから俺、グレンさんに言ったんです。自分を責めないで下さいって。それはあなたの悪い癖だって。そしたら、泣いてました。自分がリアさんを撃ったのは、殺そうとしたのは事実だって」
はは、とカイは笑うような声を漏らした。けれども、それは笑っているわけではけっしてなく、その表情はそれこそ泣きだしそうなものだった。
「それならあの瞬間、俺がリアさんを止められなかったのも事実ですよ。あの状況を作ったのは俺です。グレンさんは事実として、リアさんの体に傷をつけてしまった。でも、俺は二人ですよ。グレンさんの心を傷つけ、リアさんの体を傷つけた。それなのにグレンさんに自分を責めるなって……偉そうですよね」
リアちゃんとグレンにばかり気をとられていて、俺はもう一人深く傷ついていた人間がいたことに気付いていなかった。
「カイ、お前、ずっとそんなことを考えてたのか」
やっとそれだけ言って、カイの背に手を伸ばした。けれども俺がふれる前に、カイは顔を上げ、こちらにその痛々しい表情を向けた。
むりやり嘲笑を作ろうとして、けれども泣きたくて仕方ないからできそこなって、ただ見ているのも辛い顔だった。
「ねえ、カスケードさん。俺はまた何もできずに、今度は二人の人間を失うところでした。そして俺がグレンさんにかけた言葉は、きっと俺自身が救われたくて言ったものです。俺自身が大切なものを失うことが怖くて、偽善的な言葉を吐いて」
「もういい。もう何も言うな」
これ以上悲痛な表情を見たくなくて、喉から搾り出すような声を聞きたくなくて、俺はカイを自分の腕の中に押し込めた。抱きしめる以外に、してやれることが見つからなかった。
俺の胸で、俺のシャツを掴んで、声を殺して泣いている。こいつは、こいつらは、まだ十八歳の子どもだ。
人の生き死にに関わりすぎて、ときどき感覚を見失うが。まだほんの子どもなのだと実感させられた。
親友のニアが、死んでしまったのと同じ年齢。命を落とせば「若すぎる」と言われるけれど、軍に入ったことで早く大人になることを余儀なくされた人間。俺はそのことを忘れていた。
リアちゃんは実際に目が覚めないからわかりやすい。グレンはリアちゃんを撃ってしまったという事実があるから気にかけることができた。
でも、カイは。こいつはあまりに気丈に振舞っていたから、この瞬間まで痛みを知ってやることができなかった。
ちょっと考えればわかることだったのに。こいつは昔に、大切な人を亡くしてひどく辛い思いをしていたのに。
それがまた、と思ったとき、どんなに胸を痛めたか。
「どっちがいい?」
俺はカイを抱きしめたまま訊ねた。
「これまで自分の思いを隠して、グレンの気持ちを軽くしてやったことを褒められるか。それともいっそ、お前が悪いんだと罵られるか。……後者は絶対にやらないけどな」
「……それ、選択肢にした意味ないじゃないですか」
「そうだな、そんなこと誰もしてやれないからな」
腕を緩め、ハンカチを手渡してやると、カイはそれで顔を覆った。泣き顔を見られたくなかったのだろうか、こいつも男だなと思った。
「時間とらせてすみません。ハンカチは洗って返しますから」
しかも泣き止んだ第一声がこれだ。
「いいよ、そのまま寄こせ。……ちょっとはすっきりしたか?」
「はい、少しは」
「ならばよし。グレンのこと、ありがとうな。あいつ、今日はリアちゃんのところに行ってないだろ。お前のおかげで落ち着いたんだよ」
「俺が選ぶまでもなく褒めてくれましたね。……グレンさんのことは、俺が生きるために何が何でも守りたかったんです。それだけのことですよ」
カイは自嘲を含めて言ったのだろうけれど、俺には「自分が生きるために」というのがとても大事な気がした。
俺自身が、ニアを亡くしたあと、暫く抜け殻のようだった。自分が生きていくために誰かを必要とするのは、当たり前のことなんだと思う。
今日、カイは何事もなかったように……とはいかないが、普段通りに仕事をし、仲間たちと会話をしている。
グレンとも言葉を交わし、あいつの胸のつかえを少しずつ取り除いてくれている。
大総統室から戻ってきてから、俺はその光景に救われていた。
「カスケードさん、報告どうでした?」
そこへ、ラディがひょこりと顔を出す。俺は笑顔を作って、「ばっちりだ」と答えた。
「ラディが調べてくれた部分も、よくできてたよ。このまま順調に調査が進めば、アーシャルコーポレーションの技術をネタに、マクラミー氏の罪を軽くできるかもしれない」
「本当ですか?」
ぱっと明るくなる表情。リアちゃんのことが大好きなラディは、おそらく最も「今後のこと」について考えていた。
リアちゃんが目を覚ましたあと、何が彼女のためになるか。司令部にこれまでどおりいられる環境を作るのももちろんのことだが、レスター・マクラミーとの親子関係を考えることも重要なことの一つだった。
リアちゃんがレスターを守ろうと飛び出したのは、彼女が彼を父として見、愛していたからだ。真実を知ってもなお、守りたいと思ったからだ。
ラディはその意思を尊重したいと、俺に言ってきた。取り乱したグレンをひっぱたいたときといい、何気に一番冷静に事態を見ることができているのはこの子なのではないか。
「お願いしますね、カスケードさん。私はリアさんの笑顔が見たいけど、残念なことに難しいことには関われません。だから、私にできることを精一杯やって、あとはカスケードさんたちに託しますから!」
いつもはとぼけた発言や突発的な行動で周囲を驚かせたり呆れせたりするラディだが、本当はとても思慮深くて、慈愛に満ちた女の子だ。
よく「リアさんが私に希望をくれたんです」と話してくれていたが、きっとこの機会にたっぷり恩返しをするつもりなのだろう。アーシャルコーポレーションの調査に入ったとき、この子はよく動いてくれている。
「……ちなみに、カスケードさん。ネタになりそうな技術って、何ですか?」
「マクラミー氏の弁護以外にはあまり使いたくないネタなんだけどな。たとえば核兵器は、まず軍事的に他国への牽制として利用されると思う。クローン技術は、生体実験とか。もっと手放しで喜べるようなことに使われれば良いんだけど、そうはいかないだろうな」
「そうですか……あんまりいいネタじゃないんですね」
「エネルギーや医療への正当な転用ならいいんだけどな。倫理的にはギリギリのネタだから、これをなんとか上手く弁護に使うのも俺の手腕にかかってる」
「期待してますね」
可愛いレディにそう言われちゃ、俺も頑張るしかない。ラディの気持ちにも、リアちゃんの思いにも、応えなくちゃな。
その点も俺が一人で頑張り過ぎなくていいところなのだが。なぜなら、こちらにはメリーという大きな味方がついている。将官としてほかの仕事も抱えているからこちらのリーダーは俺ということになっているが、いざというときは何より心強いバックアップだ。
これも、俺やラディ、グレンにカイ、メリー、……とにかく皆がリアちゃんが帰ってくるのを待っているということ。目を覚まして、優しい笑顔を向けてくれる日が今日であって欲しいと願ってやっている。
「報告も済んだようですし、リアさんのお見舞い行きましょう!カスケードさんと一緒なら、サボリだなんて言われませんし」
「寧ろそれは俺のほうだな。ラディと一緒なら、俺が不良からサボリだって言われることがない」
ラディは俺の腕をひっぱって、早く早くと催促する。多分、この子もカイと同じだ。リアちゃんが必ず目覚めると信じて行動しながら、どこかに人には言わない不安を抱えている。だから、今この瞬間もリアちゃんが生きていることを確認したくてしかたがないのだ。
この子だって、十七歳の女の子なのだから。
俺とラディが目的の病室の前まで来ると、中から声が聞こえた。先客がいたらしい。
そしてそれが誰なのかは、すぐにわかった。
「……それで、クライスとクレインが同時に呆れてた。やっぱり兄妹なんだな。結局ディアさんも素直に負けを認めて、いつものとおりだ。……」
日常を、事細かに話している。相手から返事はないのに、ずっと語り続けている。眠り続けているあの子が、目を開けて、笑顔で相槌をうってくれることを期待して。
病院を訪れる頻度は減らしたものの、完全に大丈夫だとはいえないようだ。
「グレンさんが出てくるまで、待ってた方が良いんでしょうか」
ラディが病室のドアを指差して言う。俺は数秒悩んだが、意を決してドアに手をかけた。
一度カイの前で泣いたらしいから、その前後では心持ちが違うはずだ。入っていっても大丈夫だろう。それが俺の出した結論だった。
そっと戸を開けると、グレンは話をぴたりとやめて、こちらを見た。
「よう」
片手を挙げて声をかけると、小さく頭を下げた。
「……お疲れ様です」
数日前よりは顔色がいい。こいつも少しずつ日常を取り戻そうとしている。
「グレンさん、私もリアさんとのお話に混ぜてください!」
俺の後ろからラディが顔を出した。グレンはちょっとだけ気まずそうな顔をしたが、部屋から出て行こうとはしなかった。
どちらにせよ、俺が出入り口を塞いでいたら出られないのだが。
「リアさんが話題に遅れないように、教えてあげてたんですよね。私もたくさん話したいことあるんですよ」
グレンの隣に座り、グレンの手をとって、ラディはにっこりと笑う。この子は本当にこいつを逃がさないつもりだ。
俺は苦笑しながら、リアちゃんの顔を見る。今にも目を覚ましそうなのに、呼吸も正常なのに、瞼が開くことはなかった。
「グレン、お前もリアちゃんが目を覚ますのを期待してここに来てるんだよな?」
我ながらデリカシーのない質問だと思う。けれども変に遠まわしに聞くよりはいいと思った。
そうだ、「死なないように見張ってるわけじゃないよな」と言うよりは随分マシだろう。そしてこう訊いたなら、カイと話す前のグレンならば緊張したように目を伏せて、黙り込むんだろう。それがこいつの、悪いことを肯定するときの仕草だ。
それが今は、しっかりこっちを見て頷く。
「はい。……早く目を覚まして、俺たちのところに戻ってきてほしいです」
「そうだな」
カイと話したことが、かなり効いているらしい。一週間で、皆が救われ始めている。
「すぐ戻ってきますよ。皆が待ってるんです。リアさんは絶対に応えてくれます」
「そうだな、リアは期待を裏切らない」
リアちゃん、今すぐ目を覚ませばよかったのに。そうしたら、レアなグレンの微笑を見ることができたんだぞ。
笑えるくらい、こいつも立ち直ってきたんだ。
ラディが先に司令部へ戻ったあと……多分俺とグレンに気を遣ったんだろうな。とにかく俺たちには、ちょっと話をする時間ができた。
「どうだ、調子は」
俺はわざと曖昧な訊き方をした。リアちゃんのことでも、グレン自身のことでもかまわない。なんでもいいからグレンの口から何か聞きたかった。
「悪くないです。……カイのおかげで」
そしてグレンは、自分のことだととってくれたらしい。
「カイに、自分を責めるなって言われたんです。辛そうな俺を見てるのが辛いって。……だからできるだけいつも通りに振舞おうと思ったんですけど、やっぱり悪いのは俺だっていうのは、ずっとここにあるんです」
とん、と自分の胸を叩いて、グレンは弱々しくも笑みを浮かべる。困ったな、というように。
生きている表情だ、と思った。リアちゃんが倒れてしまった直後のような、今にもふらっと消えてしまいそうな様子はもうない。
だから俺は安心して言うことができた。
「罪悪感はそう簡単に消えるものじゃないさ。もしかしたら何年も、何十年も付き合っていかなきゃならないかもしれない」
「……そうですね」
「でも俺は、グレンはそんなものに潰されたりしないって思ってるぞ。お前は独りじゃないからな」
それは、カイに言われてわかったはずだ。ラディの一喝もそういうことだったのだと理解しているはずだ。
皆、もちろん俺だって、グレンを独りで苦しませるつもりはない。
「はい。……ありがとうございます」
グレンがこんなに柔らかい表情をしたのは、久しぶりだ。本当に、あとはリアちゃんが目覚めるのを待つばかりだな。
それからまた何日も経った。
アーシャルコーポレーションの調査は順調に進み、結果を大総統に報告したところ、マクラミー氏の減刑は可能になりそうだとのことだった。
「しかし、よくここまで研究の利用価値を説いたものだ。頭を使うのは苦手だったのではないか? インフェリア大佐」
「私が苦手でも、班には優秀な人材が揃っていますから」
「そうだな。だが、それらをまとめあげたのは君の手腕だ」
ふ、と大総統が、……いや、ダリアウェイドさんが笑った。
「よくやった、カスケード君。この資料は裁判にまわそう」
「ありがとうございます」
さあ、これでリアちゃんを迎え入れる準備は整った。まだ目を覚まさないけれど、いつ戻ってきても大丈夫だ。
リアちゃんが目を覚まして、俺に頼みごとをするのはそれからまた数日後のことになる。
彼女のいない数週間が終わって、やっと俺たちの日常が帰ってくる。
それからまた大きな事件が続き、俺たちは翻弄されることになるが……とにかく、俺の長年の胸のつかえが一つとれたことはたしかだった。
これが、俺たちの話。ニアの墓前で報告した一部始終だ。