ふと目が覚めて体を起こすと、そこに広がっていた光景は死屍累々のひどい有様。
わたしは仕方なしに台所へ立ち、薬草水を用意し、それから温かいスープでも作ろうかと思い、卵とねぎを冷蔵庫から取り出した。
きっとゾンビ状態になっているであろう彼らを起こさなければ。今日だって、まだ宴会は続くのに。
昨夜はクリスマスイブ、太陽神の聖誕を祝う前夜祭だった。
わたしはいつものように司令部で事務仕事をこなし、勝負を挑んできた奴らを一掃し(本当はお兄ちゃんに止められているのだけれど、向こうから来るのなら仕方ないよね)、ちょっとばかり街の見回りをして、とごく普通の日常を送っていた。軍人に祭日の休みはないのだ。あっても何かしらの事件は起こるので、ほぼ無意味だ。
けれどもそれが終われば、楽しい楽しいクリスマスパーティが待っていた。お兄ちゃんとルー兄ちゃんが住むアパートで、ちょっとした集まりをしようと約束していたのだ。ゼンやメイベル、フィンも連れてきていいといわれたので、みんなにも声をかけた。
けれどもメイベルとフィンは実家に帰らなければならず、ゼンもリチェから誘いを受けているということで、彼らの邪魔はしないことに決めた。
そういうわけで、わたしは一人でお兄ちゃんの家に向かったのだった。
お兄ちゃんのいるアパートまで、司令部からはバスに乗ってほんのちょっと。あらかじめ用意しておいたプレゼントを抱えて、わたしはわくわくしていた。お兄ちゃんのために選んだニットのカーディガン、気に入ってくれるだろうか。ルー兄ちゃんには仕事で使えそうなシャツを選んだ。それから、それから……。
考えているうちに、バスはアパートのそばの停留所に近づいていく。慌てて停車ボタンを押して、停留所で降り、通いなれた道を歩いた。
アパートの一室の呼び鈴を鳴らすと、優しい声が聞こえてくる。わたしが幼いころから、ううん、きっと生まれたときから大好きだった声。
「イリス、いらっしゃい。待ってたよ」
「こんばんは、お兄ちゃん。メリークリスマス!」
わたしは思い切りお兄ちゃんに抱き付いた。間にプレゼントの包みがあって、密着はできなかったけれど、お兄ちゃんは温かかった。
お兄ちゃんに「これあげる」と包みを押し付けてからリビングへ行くと、ルー兄ちゃんと何故かここにいてはいけない人物がいた。
「よ、イリス」
「いやいや、なんでレヴィ兄がいるの? 仕事は?」
この国の大総統であり、今日もたくさん仕事があったはずのレヴィ兄。わたしは一応補佐見習いなので、この人が抱えていた仕事の量は知っている。とてもここでのんびりしていられるようなものではなかった。
「仕事……仕事か……。それはレヴィアンス・ゼウスァートのものだ。今ここにいるオレは、レヴィアンス・ハイル。しがないニアの友人兼愛人さ」
レヴィ兄はどこか遠くを見るような目で言った。どんな顔をしたって、通用しないものはしないんだからね。
「要約すると現実逃避に来たってわけね」
「愛人ってなんだよ。ニアには俺一人で十分なんだ、お前は司令部に戻って仕事しろ」
ルー兄ちゃんがしっしっと、追い払うようなしぐさをする。でも愛人どうこうはどうでもいい。レヴィ兄は「なんだよ二人してー」と頬を膨らませてみせるけれど、うん、二十四歳でそれはアウトじゃないかな。
「こら、静かにして。近所迷惑になるから」
騒いでいたわたしたちに、お兄ちゃんが言った。プレゼントの包みは、どうやら一旦寝室に置いてきたらしい。
「だってお兄ちゃん、レヴィ兄の仕事……」
「さっき終わったって言ってたよ。ねえ?」
「その通り。オレの集中力を知らないわけじゃないだろ、イリス」
たしかに、いざというときのレヴィ兄の集中力は半端なものではないのだけれど。なにしろ、こっちが何を話しかけても聞こえないくらいなんだから。
それで仕事を終わらせて、ゆっくりクリスマスイブの夜を過ごそうというのか。変なところで有能だなあ、大総統閣下。
「そういうわけだから、飲もう! ニア、今日の献立は?」
「アーシェちゃん提供のローストチキンに、グレイヴちゃん提供の緑の野菜と魚介のソテー。あとは僕が作っておいたポテトサラダと、バゲットと温野菜のチーズフォンデュ。デザートはユロウさんが届けてくれたケーキ」
おお、お兄ちゃんにしては頑張ったんじゃない? アーシェお姉ちゃんとイヴ姉がメインを作ってくれたみたいだけど。チーズフォンデュとは考えたなあ、これならチーズと牛乳を混ぜて溶かすだけだから、おかしな味になる心配はない。問題はポテトサラダがちゃんとポテトサラダらしい味になっているかどうかだけか。
豪勢なメニューに、ルー兄ちゃんとレヴィ兄も感心しているみたいだった。
「これはワインに合いそうだね。今日もいいやつ持ってきたよ!」
「わあ、レヴィありがとう! そうそう、ワインがなきゃ始まらないよね」
お兄ちゃんは、レヴィ兄の持ってきた上質らしいワインに大喜びしてる。それを見ていたルー兄ちゃんは、「酒豪どもめ」と呆れている。
たぶんお兄ちゃんがレヴィ兄を出入りさせているのは、美味しいお酒が飲めるからなんだろうなあ。お兄ちゃんはインフェリア家の人間にしてはお酒が強いのだ。ご先祖様にも強い人はいたらしいから、きっと世代を越えに越えた隔世遺伝なんだろう。
わたしは未成年だし、お兄ちゃんに止められてるから、お酒は飲まない。そのかわり、ワインによく似たブドウのジュースを注いでもらった。
ごちそうがテーブルに並び、お酒の用意も完璧。全員席について、それでは。
「かんぱーい!」
わたしたちのクリスマスイブを祝いましょうか。
きっと今頃、ゼンやメイベル、フィンも、それぞれのクリスマスイブを過ごしている。そしてクリスマスに日付が変わるまで、楽しく過ごすんだ。
わたしとお兄ちゃんは、クリスマス当日には実家に帰って、家族で過ごすことになっている。いつ出動になるかわからないけれど、わたしたちは一応、一日だけクリスマス休暇をもらっていた。今そこでワインをあおっている軍のトップが許したんだから、間違いない。
父さんと母さん、ラヴェンダと一緒に、平和な一日を過ごせたらいいなあ。
……さて、しばらくするとルー兄ちゃんは完全に酔いつぶれて倒れ、レヴィ兄も呂律が回らなくなってきた。お兄ちゃんだけは平気な顔をしていたけれど、何を思ったのか、突然立ち上がった。
「どうしたの、お兄ちゃん? まだケーキ残ってるよ」
「そうだぞー。酒もまだあるんだからなー」
「レヴィ兄はもう飲まないほうがいいよ」
まだグラスにワインを注ごうとするレヴィ兄を止めながら、わたしはお兄ちゃんの動向を追った。お兄ちゃんは電話の受話器を取ると、国際線に繋ぎだした。ああ、まさか。
少しして、電話の相手が出たようだった。小さくだけれど、向こうの声が聞こえる。お兄ちゃんがそれに応えて、へらりと笑いながら言った。
「ニアです。ダイさん、元気?」
やっぱり。見た目にはわからないけれど、お兄ちゃんも結構酔っぱらってたんだ。たぶん今も仕事中であろう人に私用で電話をかけるなんて、いつものお兄ちゃんなら絶対にしないもの。
「……うん。僕は元気です。ルー? それなりにうまくやってますよ。今は倒れてますけど。レヴィもイリスも来てて、四人でクリスマスパーティしてたんです。ダイさんも来ればいいのに」
そんな無茶な。向こうは隣国ノーザリアで、レヴィ兄とは違ってコツコツと仕事をしているんだから。まあ、お兄ちゃんのことだから冗談なんだろうけど。
……あ。ダイさんと話せるのなら、わたしも言っておきたいことがあるんだった。
「お兄ちゃん、わたしもダイさんと話す」
「うん、いいよ。……待って、今イリスにかわります」
お兄ちゃんから受話器を渡される。そっと耳に当てると、異国からの声が聞こえた。
『イリスか?』
「うん。ダイさん、お久しぶり」
優しくて、落ち着いた声だな。今はどうやら、機嫌がよかったらしい。ホッとした。
「ねえ、ダイさん。エイマルちゃんにプレゼント送った?」
『送ったよ。今年は長毛種ねぁーのグッズが欲しいって言ってたから、いくつか選んで詰め合わせた』
「そっか、よかった。エイマルちゃん、楽しみにしてたから」
これはただの雑談。聞きたいのは、これじゃない。
エイマルちゃんが本当に楽しみにしてることが、実行されるのかどうか確かめたい。
「ダイさん、年末年始はどうするの? お仕事?」
『……うん、仕事』
ああ、そっか。エイマルちゃんはまだ、お父さんに会えないんだね。
次はいつになるんだろう。まだまだ、先になっちゃうのかな。
「あの約束、忘れてないよね」
『忘れてないよ』
「エイマルちゃんの次の誕生日が来たら、お父さんって呼ばせてあげるんだよね」
『うん、そう言ったな』
年末年始は無理でも、そのときには絶対に帰ってくるんだよね?
エイマルちゃんが、待ってるよ。
「約束は守ってね」
『守るよ。必ず守る』
そう、それ。その確認ができれば、いいの。
「……エイマルちゃん、きっと喜ぶよ。ねぁーグッズも、お父さんも」
『そうだといいな』
わたしたちはもう一度約束して、電話を終えた。
それからまたお兄ちゃんたちは飲み始め、一度目を覚ましたルー兄ちゃんは再び潰され、そうして時間が経って今に至る。
今日はクリスマス。太陽神の誕生を祝う、その当日だ。
前夜祭で大騒ぎする習慣が浸透してからというもの、当日はすっかり静かになってしまった。でも、それはそれでいいのかもしれない。だって、神様の誕生日だもの。本来なら厳かにやらなきゃ。
南の国のサーリシェリアは太陽神信仰が強くて、今でもクリスマスは前夜祭から荘厳なイベントらしい。わたしは経験したことがないけれど、たぶん、賑やかなのも静かなのも、両方をいいなあって思えるはずだ。
だって、どっちもきっと素敵なイベントには違いないのだ。心穏やかに過ごすのも、楽しくにぎやかに盛り上がるのも、特別であることには変わりないのだから。
そんなことを思いながら玉子とねぎのスープを作り、薬草水を添えて、片付けたテーブルに並べる。
頭に響かないようにそっとお兄ちゃんたちを揺り起して、暖かく柔らかな太陽の光のように微笑んで、言うんだ。
「おはよう、お兄ちゃんたち。朝ごはんできてるよ。今日はみんな家族で過ごすんだから、早くしたくをしないとね」
前夜祭はおしまい。ここからは静かに穏やかに、神様に感謝しよう。
「あ、イリスが作ってくれたの? ありがとう」
「うわ、頭痛い……。イリス、薬草水とってくれるか?」
「げ、もうこんな時間。父さんと母さんに、買い物して帰るって連絡しないと……」
もそもそと動き出すお兄ちゃんたちとテーブルを囲んで、酔い覚ましにぴったりの朝ごはんを食べる。わたしは酔ってないけどね。
実家に帰るときには、父さんと母さんとラヴェンダへのプレゼントを持っていかないと。たしか、全部まとめて寝室にあるはず。
喜んでくれるといいな。たとえば、今お兄ちゃんたちが浮かべているような表情を、実家でも見られたらとても嬉しい。
そう思いながら、わたしはクリスマスの一日を始めるのだった。