フリルをふんだんに使った、ふわふわふりふりのワンピース。アーシェにとても似合いそうなそれを、何故か彼女が持って、ニアに迫っている。

「ね、これとかとっても似合うと思うの! それとも、もっと可愛いのがいい?」

目をきらきらさせているアーシェに、ニアはたじろいでいる。さっきから「えー」とか「あー」とか、言葉にならないことを繰り返している。しかしそこにはちゃんと意味がある。「似合うはずないよ」という意味が。

アーシェを貶しているわけではない。この可愛らしい服がアーシェの身を飾るのなら、ニアだって「いいと思うよ」と即答する。そうではないから、言い淀むのだ。しかしながらアーシェのセンスを否定することもできず、言葉が出ずにいるのだった。

「ニア君、試しに着てみて! 絶対にピッタリだから!」

「いや、僕はちょっと……」

「お願いだから!」

いったい誰に似たのか、彼女は見た目に反して強引なのであった。

そしてそんな彼女を誰も止めないのは、彼女に逆らえないからというだけではない。ふわふわふりふりのワンピースをニアが着ているところを見たい人間が、彼女以外にもいるからである。

「ニア、一回着るだけなんだからいいじゃん」

「レヴィがカメラ構えてるから嫌なんだよ! 保存する気満々じゃないか!」

「焼き増し頼むぞ」

「ルー、変な期待やめてよ!」

ニアの女装姿は、可愛いニアが大好きなルーファとレヴィアンスもぜひ見たいと思っている。レヴィアンスなど、ここぞとばかりに写真撮影の趣味を役立てようとしている。おそらく写真はルーファだけでなく、遠く離れているダイのもとへも届くのだろう。だからこそ、ニアはアーシェの暴挙を許すわけにはいかないのだ。

「アーシェちゃん、僕は男だよ? そんなことさせて楽しい?」

「楽しいに決まってるじゃない。ニア君はおば様に似て可愛いから、絶対にこのワンピースを着こなせるわ」

しかしこのアーシェが折れるはずもなく、結局ニアには「諦める」という道しか残されてはいないのだった。

 

そもそもの発端は何だったか。ことは、アーシェが依頼任務の報酬の一部として、大量の古着を貰ってきたことに始まる。いや、実際は古着なんて言葉では済まされないくらいのブランド物ばかりだった。

いくら高級なものでも、たくさんあっては困ってしまう。軍に所属する女性たちに譲ったりもしたが、それでもいくらかは余ってしまった。普段着るには華美なワンピースドレスなど、使い道が見当たらない。もっとも大会社の社長令嬢であるアーシェの場合は、着る機会がなくもないのだが。それでも全てを着こなすことはできないので、有効な利用法がないものかと考えていたのだった。

男子たちの何気ない雑談が耳に入るまでは、本当に困っていたのだ。

「ニアってお母さん似だよな。色こそカスケードさんと同じだけど、顔立ちは男にしては可愛いというか……」

「童顔なんだよね。ボクも色々ニアに関する噂は聞くよ。男女ともに可愛いと評判」

「僕にとってはあんまり嬉しくない話だなあ……」

この会話を聞いたとき、アーシェの頭の中は花が一斉に咲き誇ったようだった。これは名案だという確信があった。そうしてすぐに衣装を一着持って来ると、ニアのところへまっしぐらに走ってきたのだった。

 

相手が自分の思い通りになったことに、アーシェは実に満足気だった。ついでに、ルーファとレヴィアンスも心の底から感心していた。まさか女性の衣服が、男であるはずのニアに、こんなにも似合うとは。

軍人になってから随分経っているにも関わらず、ニアは華奢だ。筋肉がまったくついていないわけではないが、同じだけこの仕事をしているルーファや、年下であるはずのレヴィアンスに比べても細い。こういうところはどうやら父に似なかったらしい。

おかげでアーシェの見立てが大当たりだった。いかにも女の子らしい装いも、ニアはほぼ完璧に着こなしてしまうのだった。

「うーん、やっぱり男の子ね。思ったよりは肩幅があるみたい」

「でしょう? だからこんなことはやめようよ」

「でも気にならない程度だな。アーシェは流石だ」

「モデルさん、ポーズお願い!」

「ルーとレヴィはあとで大剣で叩くね。もういいでしょ、脱ぐよ」

ニアが溜息を吐きながら衣装を脱ごうとした、その時だった。ドアが何の声掛けもなく開いた。――描写するのを忘れていたが、ここはエルニーニャ王国軍中央司令部の第三休憩室であり、現在は昼休みである。

「あらまあ、可愛い!」

「何してんの、君たち……」

「お、新しい遊びか?」

オリビア、ドミナリオ、ホリィの同期三人衆が、この時間をのんびり過ごそうと思って入って来ても、何の不思議もないというものだ。寧ろ、来たのが知り合いでまだ良かったと言えるだろう。知らない人が見たら、ニアの性癖が疑われることになっていた。

「いや、これはアーシェちゃんが!」

「そうそう、アーシェの見立てでね。すっごく可愛いでしょ?」

「このあいだの古着、何かに使えないかなと思って。ニア君を見てピンときたんです」

慌てるニアに、何故か得意げなレヴィアンス、目を輝かせているアーシェに、ニアに見惚れるルーファ。この光景を見た先輩たちは、三者三様の反応だ。そう、いっそ全員が、ドミナリオのように引いてくれれば良かったのだ。あるいは、ホリィのように笑って流してくれれば、それで済む話だった。

「これは一大イベントにできるわね。まだ衣装、余ってるんでしょう? ニア君一人で遊ぶのもいいけれど、他の人も参加させてみたいと思わないかしら?」

オリビアがこんなことを言わなければ、その場限りの辱めで終わったものを。

「モデルさんをもっと増やして!」

「どうせなら、メイクもしちゃったりして!」

「え、あの、アーシェちゃんとオリビアさんは何を言って……」

ニアが戸惑う中、女子二人の話はどんどん進んでいく。そしてついに、この台詞が出てしまった。

「やりましょう、中央司令部女装大会!」

第三休憩室から、悲鳴があがった。

 

「また変なこと考えて……」

この企画を聞いたグレイヴは呆れかえっていた。しかし、まるで興味がないというわけではなさそうだ。目が男子を追いかけている。

「で、ニアはそれを了承したの?」

「みんなでやれば怖くないよって、説得したよ」

「みんなって誰よ。まさかルーファやレヴィにもやらせるの? あのあたりは無茶じゃない?」

「うん、だから女装が似合いそうな人にやってもらうの。私の持ってる可愛い服を着こなせそうな人を飾りたてて、優勝チームには賞品を用意するんだよ」

アーシェたちはもうすっかり企画を立てて、司令部中に広めているようだった。女子は大盛り上がり、男子も一部は期待しているという。

チームは基本的に二人以上の組だ。女装をする男子一人と、それを飾りたてる人々。アーシェはニアと無理やり組んで、オリビアはドミナリオを捕まえているという。他にもあちこちで、アーシェから衣装を貰った女性軍人たちが張り切っている。

「グレイヴちゃんもやらない? きっと楽しいよ」

「まあ、女装させられる側が納得するならいいけれど……」

ニアとドミナリオは絶対に納得していないだろうなと思いつつも、グレイヴはアーシェの誘いを断ることができない。昔からそうなのだ。

ちょうどいいところに、モデルに適していそうな人物が通った。

「あ、パロットさん。女装しませんか?」

「え?」

彼なら美人に仕上がりそうだ。

 

ドミナリオは必死で抵抗していたが、軍人学校時代からオリビアには勝てないと刷り込まれているおかげで、それも無駄になった。おまけにホリィが「オリビアのやることには基本的に反対しないぞ」と明言してしまったために、逃げ場はなくなった。

「……屈辱だ」

そう呟くも、オリビアには聞き流される。これはどう、こっちは、と次々に衣装をあてられる。なす術もなく、ドミナリオはただただそこに立っていた。

「うん、やっぱりゴシックロリータ系かしら。髪もエクステで足してツインテールにしましょう」

「あのさ、こんなことしてるのが父にばれたら、大事になるんだけど。エスト家の威厳が損なわれるだのなんだのって、絶対に言う」

「そのエスト家の慣習に反発したがってたのはドミノ君じゃないの。ここで一気に弾けちゃったらいいのよ」

「こんな弾け方は望んでない」

何を言おうと、オリビアの手は止まらない。彼女の中ではすでにドミナリオ改造計画の全貌が出来上がっていて、それを達成するまでは満足しないのだ。

それに、きっとこれが、彼女が軍人でいられる残り少ない期間の大切な思い出になる。そう思うと、どうしても断固拒否するというわけにはいかなくなってしまった。

「これが最初で最後だから。もう二度とやらない」

「わかってるわよ。だから全力でやらせてね」

衣装を合わせられて不自由なドミナリオに、自由を満喫しているオリビアが美しく微笑んだ。

 

女装大会には、予想以上の参加者があった。科学部や軍医チームからも一押しの女装男子が出ていると聞いて、発案者であるアーシェたちはわくわくしていた。

一方、女装して人前に出なければならないニアはげんなりしている。アーシェが選んだふわふわのワンピースドレスに身を包み、化粧を施され、すっかり疲れてしまっていた。

「ニア君、笑顔笑顔! そんなんじゃ優勝できないよ!」

「優勝できなくていいよ……こんなのもしイリスに見られたら、僕は実家の近所にある川に飛び込む」

「そんなこと言わないで。ドミノさんやパロットさん、それにもっとたくさんの人が道連れになってるんだから」

道連れはたしかに多いが、何の慰めにもなっていない。あとでドミナリオと盛大に愚痴を言い合おうと心に決め、ニアは舞台へ向かった。

会場は練兵場である。多くの観客を収容できるこの場所は、度々このようなイベント事にも使われるのだ。もちろんそれには大総統の許可が必要なのだが、ハル・スティーナ大総統閣下は二つ返事でオーケーを出した。理由は「面白そうだから」である。補佐官に呆れられていたが、よほど深刻な事態でない限りそんなことは気にしない。

「これより、中央司令部女装大会を始めます! まずは、予想をはるかに超えたご参加に感謝いたします!」

主催を務めたオリビアが挨拶すると、会場は歓声に包まれた。そしていよいよ、メインの登場である。

「エントリーナンバー一番、ニア・インフェリア中尉です! メイクアップはアーシェ・リーガル准尉です」

その声とともに、練兵場にアーシェとニアが登場する。正確には、アーシェがニアを引っ張ってきた。俯きがちなニアの頬は赤く染まり、皮肉にもそれが彼の可愛らしさを引き立てていた。

それを観客席から見ていたルーファは満足気だ。今日は一日あの恰好でいてもらおうかなどという、よこしまな考えも浮かんでしまう。

レヴィアンスはひたすらシャッターを切っていた。貯めていた給料を一気に使って買った上等なカメラは、その性能をフルに発揮していた。

「レヴィ、あとで焼き増し」

「わかってるよ」

「俺にも焼き増し」

「わかって……え?」

ルーファには当然と思って答えたが、もう一つの声に対しては驚いた。まさかここにまで来ているとは思わなかったのだ。

「カスケードさん?! 今日のイベントは非公式なのに……」

「いやあ、イリスがお兄ちゃんに会いに行きたいっていうからな。そうしたらあんなに可愛いニアが見られた」

笑顔のカスケードと、その腕に抱かれた幼いイリスを、ふと顔をあげたニアは見つけてしまった。今すぐ川に飛び込みたい気持ちでいっぱいだった。

続いて現れたのは二番、ドミナリオ・エストだ。オリビアによってゴシックロリータ風に飾り立てられた彼は、終始眉根を寄せていた。だが、流石は血筋というべきか。その表情が彼の持つ美しさを見事なものにしていた。

「ドミノー! 美人だぞー!」

歓声にまざって、観客席からホリィの声が聞こえた。「あいつあとでシメよう」とドミナリオは思った。

三番。ここまでは主催の身内である。グレイヴによって整えられたパロット・バースは、言われなければ男性だとわからないくらいに綺麗になっていた。ドレープの寄った細身のドレスが、これ以上ないくらいに似合っている。

「やるじゃん、グレイヴちゃん。オレの理想をよく表してくれている」

「ゲティスさん、嬉しそうだね。あとで撮った写真あげるよ」

観客席はここまでで、すでに大盛況の様相だった。レヴィアンスのように写真を撮る者もあれば、あとでモデルを近くに寄って見られないかと話し合う者もある。その後に続いた面々も含め、皆が皆、とにかく出来が良かった。司令部の女子たちが、ここぞとばかりに力を発揮した結果だった。

「さて、それでは最後になりました。エントリーナンバー二十……あら、名前がないわ?」

イベントも最高潮を迎えたとき、事件は起こった。最後の一人は、エントリー用紙に名前を書いていなかったらしい。これではどこの誰だかわからない。

しかし、人はいる。現に練兵場の入口に立っている。とにかくどうぞと言うしかない。

その人物は、露出の少ない真っ白なドレスに身を包んでいた。ベールで顔を隠し、俯いている。彼がすっと練兵場中央まで歩いてきたところで、観客席にいたカスケードがハッとした。

「あのドレス、まさか……」

彼にはその姿に、見覚えがあった。もう二十年も前のことだが、たしかにカスケードはそれを見たことがあった。

白いドレスの人物が、そっとベールをあげる。そして観客席に向かって、にこりと微笑んだ。その表情があまりに艶やかで、客はどっと沸いた。そこにいたのは、まさしく伝説。

「ユロウ、何やってんの……」

ホリィが呟いたその名が全て。そこにいたのは、かつてその美貌で囮捜査に尽力した女性によく似ていて、とある事件で花嫁の代理をつとめた人物が身に纏っていたドレスを着た、ユロウ・ホワイトナイトだった。

「ええと、ユロウさん? 軍関係者ではないですよね?」

オリビアがそっと近づいて、耳打ちする。けれども返ってきた答えは、さらに予想を超えたものだった。

「ううん、軍医手伝いとしての参加だよ。当日の出番まで内緒にしておきたかったんだ。ちなみにプロデュースはクリスさん」

実のところ、ユロウの発言には語弊がある。中央司令部で女装大会なんてものをやると聞いたクリスが、いつものように手伝いに来たユロウに「せっかくですから出てみては?」と冗談を言ったにすぎないのだ。なので、クリスも本当にやるとは思っていなかった。この姿に着替えるユロウを、ついさっき見るまでは。

伝説を纏った謎の美女(?)は、観客の話題をさらった。そのあと行なわれた人気投票では、大きな支持を受けて優勝してしまったのである。

ある意味、軍内の人間でなくて良かったのかもしれない。女装大会参加者、まして優勝というレッテルは、後々まで残るものだったから。

 

なにはともあれ、女装大会は大波乱の中で幕を下ろしたのだった。優勝賞品はなかなか高級なメイクセットだったのだが、ユロウはそれを知人に譲ってしまったという。

優勝こそしなかったものの、飾りたてられたニアたちは、それからしばらくはたくさんの人から声をかけられていた。

「屈辱だ」

「ドミノさん、その台詞何回目……。僕も疲れましたけど」

「パロ、知ってる人増えた。有名人」

多く声がかかるということは、それだけ人気も高かったということなのだが、事情が事情だけに嬉しくない。不幸中の幸いといえば、この三人は皆、何かあったときにガードしてくれる人間がいるということか。

「また女装してくれ、なんて頼まれた時は困ったよ。ルーが守ってくれたけど」

「ニア、騙されるな。そもそも女装をたきつけたのもそのルーファだ。僕はホリィやオリビアに守られているとは思っていない」

「パロも同じこと頼まれた。でも、ゲティス、だめだって。あれは一回限りだから良いんだって」

「パロットさんは騙される以前の問題です。あの恰好が屈辱的だとは思わないんですか」

「なんで? みんな楽しんでたよ?」

パロットだけはこの調子なので、女性陣はそれに甘えている。今度は何をして遊ぼうかと、新しい企画を立てているようだ。もう勘弁していただきたい。

深く溜息を吐く犠牲者たちのところへ、レヴィアンスが元気に現れた。

「おーい、女装大会の写真できたよ! 見て見て!」

名カメラマンはできたての写真を広げて、ニアたちに見せてくれた。これ以上疲れることになるのかと思いながら、ニアは、ドミナリオは、そしてパロットもそれを手に取る。

そこには、女の子が写っていた。衣装と化粧のせいか、そうとしか思えなかった。これが自分だとは、すぐにはわからないくらいだ。

「……これ、僕?」

「へえ、傍から見るとこんなふうに……」

さっきまで文句を言っていたニアとドミナリオも、思わず感心してしまう出来栄えだった。あんなに恥ずかしい思いをしたのに、写真はなかなか良い。おかげで何も言えなくなってしまった。

「ニア、ドミノ、きれい。パロも新鮮かも」

「でしょ? ゲティスさんたちにも大好評だったよ。普段も女装もどっちもいいって」

だが、言葉を失ったのも一瞬のこと。すぐにレヴィアンスの台詞に気づいて、ニアとドミナリオは視線を彼へと向けた。

「たち、って。もしかして、もうルーにもこれ渡したの?」

「おい、まさかホリィたちだけじゃなく、あの忌々しい北国の奴にも送ったのか?」

レヴィアンスは目を逸らす。それだけで十分、肯定になっていた。どうやらこの痴態は、身近な人間だけでなく、ノーザリアのダイにまで送られてしまったらしい。

「……そういえば、建国御三家で女装してないの、レヴィだけだったよね?」

「不公平だな」

「いや、ボクはレヴィアンス・ハイルなので遠慮しておきます!」

「まて、逃げるな!」

どうやらまだまだおかしな大会の影響は続きそうだ。はたしてあと何日、この話題は付きまとうのだろう。少なくともあのダイなら、このネタで一生からかい続けてくれるに違いない。

 

ところで、優勝者はどうなったかというと。

「ユロウ君、勝手にボクの名前を使っておかしなものに参加しないでください」

「はいはい、すみませんでした。ところで僕、綺麗でした?」

「……反省していませんね。今後そういったことにボクの名前を使ったら、出禁にしますよ」

クリス師匠にきっちり叱られていた。

後に兄から「あの恰好が似合いすぎて怖い」という感想も貰ったという。