太陽が一度死に、再び生まれる日を祝うのだというのが一説だ。贈り物はそもそも、太陽神に捧げるものだともいわれる。けれども多くの人は、諸説あるうちのほんの一握りしか知らないのだとか。今まで行事には疎かったニールでも、これくらいの知識はあって、その日と自分の誕生日は、それなりのお祝いをしてきた。
「ニール君、クリスマスのご予定は?」
でもこんなふうに、予定を人から尋ねられたのは初めてだ。
*ご予定は?*
エイマルと会うのは、大抵大きな公園か図書館だ。人の目のあるところで遊びなさいと、大人たちからは言われている。暖冬といわれるエルニーニャ中央部にもとうとう雪が降り始めた十二月の今は、専ら図書館の児童書コーナーで待ち合わせていた。
好きに本を読んだり、喋っても迷惑にならないホールで家のことなどを話したりするのが定番の過ごし方だ。今日もホールに出て、小声でのお喋りをしていたところ、エイマルが思い出したように言ったのだった。
クリスマスの予定。昨年までなら、母と二人で過ごしていた。仕事から帰ってきた母は丁寧にラッピングされた包みを抱えていて、それをニールに渡してから、いつもより時間をかけてご馳走をつくる。ささやかだけれどとても幸せな時間だった。
もう二度と、訪れることのない時間だが。
「……予定は、まだないかな。でもニアさんの実家のほうで何かやりたがってるみたい。最近よく電話が来るよ」
ほんの少し息が苦しくなったのをごまかすようにニールが笑ってみせると、エイマルは腕組みをして考え込んでしまった。
「そっか。こういうの好きだものね、ニール君のおうちの人たち。何も計画してないはずないよね。でもあたし、どうしてもニール君をクリスマスパーティに招待したいの。どうしよう?」
「パーティ?」
訊き返すと、美少女の輝かんばかりの笑顔が返ってくる。
「おばあちゃんの下宿でパーティをするの。下宿してる軍人さんや学生さんが中心になってやるんだけど、料理はおばあちゃんが作るのよ。賑やかで楽しいから、ニール君もいたらいいなって思ったんだ」
「そうなんだ。そういえば、秋に貰ったお菓子、美味しかったよね。エイマルちゃんのおばあちゃん、すごく料理上手なんだって、ニアさんたちも言ってた」
秋のイベントの時はあまり話せなかったが、エイマルがおばあちゃんと呼ぶその人は、とても綺麗な人だったという記憶がある。けれどもエイマルとはあまり似ていなかったような、と言ったら、ニールの保護者であるニアとルーファは複雑な事情を説明してくれた。
あの人は、実の祖母ではないらしい。エイマルの父を世話していた育ての親であるということで、エイマルも「おばあちゃん」と呼んでいるのだそうだ。実の祖母もちゃんといて、こちらは地方に住んでいるのでめったに会えないという。母方の祖母はエイマルが生まれる前に他界したので彼女は会ったことがないが、その人は雰囲気がエイマルとよく似ていたのだとか。そういうわけで、エイマルには「おばあちゃん」が三人いる。「おじいちゃん」も同じく三人いるのだが、健在なのは母方の一人だけだ。
「毎年おばあちゃんの下宿に行ってお手伝いしたり、一緒にご飯食べたり遊んだりしてるんだけど、いつも言われるの。お友達も連れておいでって。でもあたし、こういうのに誘えるようなお友達っていなくて……。イリスちゃんは時間があれば来てくれるんだけど、お友達とはなんか違う気がするし」
「イリスさんは友達というよりお姉さんだよね」
同年代の友達は、ニールもエイマルも、お互いが初めてだった。エイマルのほうが一歳年上だから少しお姉さんぶっているけれど、一緒に誘って同じ目線で遊べるのは、今のところお互いだけだ。エイマルは他人に臆することなく話しかけられるのに、どうしてニールだけを友達と呼ぶのかは疑問だったけれど、それを尋ねたことはない。
「ほんの少しの時間でいいの。あたしと一緒にクリスマスを過ごしてくれたら、嬉しいなって」
ただ、ニールならこんなことを人にお願いするのは、とても勇気のいることだろうと思った。ニールは、エイマルとは違うけれど。
「わかった。僕、エイマルちゃんのお友達として呼ばれるよ。エイマルちゃんのおばあちゃんが、良いって言うなら」
答えると、またぱあっと笑顔が咲いた。本当に美少女だなあ、とどきどきするニールの手を取って、エイマルは嬉しそうに言う。
「絶対に良いって。おばあちゃん、ニール君ともっとお話したかったって言ってたもの。じゃあ、約束ね。クリスマスは、あたしと一緒に下宿に行く。もう決めちゃったからね。ニール君の予定、もーらい!」
ここが図書館ではなく公園だったら、彼女は走り回って喜んだかもしれない。自分の言葉一つでこんなに喜んでくれる子がいることを、ニールは幸せに思った。
母と過ごした日々と、同じくらいに。
*窓を開けて数える*
立体のカレンダーについた窓を、十二月の最初の日から、一つずつ開けていく。クリスマスまでの日数を数えるためのそれを、ニールは今年になって初めて手にした。それも二つ。
エイマルからクリスマスパーティの誘いを受けた次の日の朝も、二つのカレンダーの窓を開けた。片方は手作り感のあふれる、少し丈夫な紙製。もう片方は来年も使えそうな木製で、裏の隅にフォース社のロゴが入っている。どちらも飾りをたくさんつけた木の形をしていて可愛らしい。しかも開けた窓からは、小さなお菓子が出てくるのだ。二つもあるなんて、一気に贅沢をした気分になる。
「あ、今日の飴同じだ」
クスクス笑いながらお菓子を机の上に並べ、それからリビングに向かうのが、十二月に入ってからの日課になっていた。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
「おはよう、ニール。今朝は何だった?」
「お二人とも同じ飴でした。イチゴの」
「被らないように入れたはずなんだけど、一昨日も同じだったよな。ニアと示し合わせたわけじゃないのに」
カレンダーを用意したニアとルーファは、ちょっとぎこちなく笑いあう。それぞれで用意してしまったので、十一月の終わりの日、ひと悶着あったのだった。きっと毎朝それを思い出しているのだろう。
あの日、夕飯の後の時間。ニールにとっても忘れられない思い出だ。
「お土産。といってもうちの会社で出した商品だけど」
ルーファが勤めているのは家具をデザインから流通まで手掛ける大手企業だ。定番も季節ものも評判が良く、「フォース社の家具」に信頼を置いている人は多い。そんな良いものを「お土産」と言って、自分にぽんと渡してくれて良いのか、ニールはいまだに悩んでいる。だから「開けてみろ」と言われるまでなかなか包装をとることができない。
その日も戸惑いながら包装紙を丁寧に剥がし、現れた箱を見た。側面に、中身の写真がきれいにデザインされている。白地にたくさんの飾りを描いた木の形に、1から24までの数字の書かれた窓がついているそれは、店のディスプレイなどで見たことがあった。
「カレンダー……これって、クリスマスまでのですよね」
「そう、窓を一つずつ開けてくやつ。一日一個のおまけを入れられるようになってるんだ。今中身入れてやるから、ちょっと待っててな」
ルーファが楽し気に笑って、席を立とうとした。ニールも初めて手にするものにわくわくしていた。が、二人で顔をあげて、びくりとした。
ニアが、お茶のカップを載せたトレイを持ったまま、無表情になっていたのだ。
「ど、どうしたんだ? 何かあったか?」
「すすすすすみません、こんな簡単にもの貰っちゃだめですよね」
「ううん、良いんだよ、ルーがくれるっていうなら貰いなよ。お礼はちゃんと言うんだよ」
慌てて笑顔を作ったニアが、テーブルにカップを置いていく。ルーファとニールの分だけ。カップは三つあったのに、ニアはここでお茶を飲まないのだろうか。部屋に戻って仕事をするなら、おかしくはないけれど。
「俺がこういうの持って帰ってくるの、気に障ったか?」
「そういうわけじゃないよ。可愛いね、それ。来年以降もずっと使えそうだし」
そのまま部屋に引っ込もうとしたニアを、しかしルーファは腕を掴んで引き留めた。またいつぞやのような喧嘩になるのではとニールは気が気ではなく、言わなければならないお礼もどのタイミングで言っていいのかわからず、途方に暮れて二人を交互に見る。
「じゃあどういうわけだよ。何でもないなら、あんな顔しないだろ」
「どんな顔かわからないよ、鏡見てないし」
「あ、あ、あの……僕がこんなこと言うのは差し出がましいかもしれないですけど、心配になっちゃうような顔でした」
思い切って発言したら、やっとニアがまともにこっちを見てくれた。ちょっと泣きそうな顔だった。「ごめんね」と言ってカップをテーブルに置くと、ルーファの手を振り払って部屋に行ってしまい。
「……これ、なんだけど」
緑色の樅の木に、飾りと数字が細かく美しく書きこまれたカレンダーを持って戻ってきた。紙製だが立体に組まれていて、数字の部分は窓が開くようにできている。ルーファのお土産と同じく、小さなものなら窓の中の部屋に入れられそうだ。
「すごいな、これ。よく作ったな」
「作っ……、え、ニアさんが?」
感心するルーファに驚いて、ニールはニアに目を向けた。そしてさらに驚いた。顔が真っ赤だったのだ。
「こっそり作って、明日の朝にでもニールの部屋に置いておこうかなって思ってたんだ。そしたらルーが先に持ってきちゃうんだもの、出すのが恥ずかしくて……」
ニアが器用なのは知っている。絵を描くのが仕事だし、細工物を作っていたのも見たことがある。その技術は、どうやら紙工作にまで及ぶらしい。それをどうして恥ずかしがって、隠そうとしたりしたのだろう。
「恥ずかしくなんかないですよ。すごいです」
「いいじゃないか、一点もの。しかも新進気鋭の芸術家が手掛けてるなんて、ニールはよそで自慢できるぞ」
「個人的なものだし、自慢はしないで……。サプライズ失敗したから、余計人に知られると困る。父さんならもっとうまく仕掛けるのに、僕はどうしてタイミングが悪いんだろう……」
ああ、そうか、と腑に落ちた。ニアの「仕事」は、翌朝にニールが驚くところで完成するはずだったのだ。それができなければ未完成で、つまり、完璧主義の芸術家であるニアにとっては、とても表に出せるものではなくなってしまうのだろう。
「変なところカスケードさんに似てるんだよな。ニールが喜ぶ顔、先に見たかったんだろ」
「そうだよ。まさかルーがこんなに立派なの持って来るとは思わなかったし」
「まあ、自慢の商品ではあるけど。実際秋からかなり頑張って売り込んだ。だからこそうちの分買ってきたんだけど」
ルーファが畳みかけるごとに、ニアの肩が落ちる。でも。
「ニアはニールに喜んでほしかったんだろ。俺もそうだ。タイミングとか関係なくないか?」
「……ない、ね。でも僕のは今年しか使えないよ。それならルーのほうがずっと使える」
「使えるとか使えないとかじゃないだろ。ニール、お前は? お前のだから両方とも好きにしていいぞ」
やりとりを一旦始めてしまえば、遠慮なくものを言い合えるのがこの二人なのだと、ニールでもそれはわかってきた。そのたびに戸惑うけれど、こちらの話をまったく聞いてくれないわけではない。それがなんだか本当の家族みたいだとも思う。
だから二つの思いがけないプレゼントは、感激しすぎて何を言ったらいいのか迷うくらいに嬉しかった。
「ルーファさんも、ニアさんも、いつも僕のこと考えてくれて……」
ニアに負けないくらい顔が赤くなっているのがわかる。でも照れてばかりでは伝わらない。
「あの、両方とも部屋に置いていいですか? 毎日両方開けます。ここに来てから贅沢ばっかりさせてもらってますけど、もうちょっと贅沢させてもらっていいですか?」
ルーファが満足気に頷き、ニアがニールを抱きしめる。二人で声を揃えて「もちろん」と言ってくれる。
「ありがとうございます」
その言葉は、おはようと一緒に毎日心の中で呟いている。
カレンダーが二つあることは、その翌日、十二月の最初の日にエイマルが遊びに来て、あっさり知られた。彼女は両方ともに目を輝かせ、両方とも褒めてくれた。
「一点ものと高級品かー。ニール君、いい暮らししてるね」
「うん、おかげさまで」
「あたしも毎年、お父さんにカレンダー送ってもらうの。……でも、たまには手渡しがいいな」
いつも明るく笑っているエイマルが、一瞬だけ寂しそうな表情をしたことも含めて、カレンダーの件は忘れられない記憶になったのだった。
*君のためのプレゼント*
たぶんエイマルにとって一番いいプレゼントは、単身赴任(ということになっているし、事実そう言って間違いではない)をしている父が帰ってくることなのだろうと、ニールは思っている。けれどもさすがに一国のお偉いさんを連れてこられるような権限はただの少年にはなく、当然クリスマスプレゼントは他のものを考えるしかなかった。
いつも遊んでくれるお礼を。クリスマスに誘ってくれたお礼を。とにかくありったけの「ありがとう」を何にどうやって詰め込んだらいいのかは、ニールにとって大きな課題だった。
「それでわたしに相談してくれるなんて、嬉しいなあ」
「イリスさんなら、エイマルちゃんの好きなものをたくさん知っているかと思ったんです。付き合いが長いんですよね」
「あの子が生まれたときから知ってるからね」
クリスマスプレゼントの相談をしたい、と話したら、イリスは駆けつけてくれた。秋の暮れに買い物に連れて行ってもらったときに買ってくれた、コートや手袋を使っているということを教えたかったというのもある。手袋はエイマルと色違いだが、無地なのでお揃いだとはわかりにくい。
ニールの恰好を見たイリスは「かわいい」と言いながら抱きついてきて、それから首周りに違和感がないか心配してくれた。コートの襟ぐりが少し高くなっているのだ。首に物が触れるのが苦手なニールのためにイリスが選んでくれたもので、何もないより温かいし、直接首に当たらないのでさほど気にならない。そのまま伝えると、彼女は満足気に頷いた。
「わたしもニールとエイマルちゃんには改めてクリスマスプレゼントを贈りたかったけど、今年のクリスマスはがっつり仕事なんだよね。良いものが見つかったらお兄ちゃんにでも託すよ」
「忙しいのに、今日は空けてくれてありがとうございます。あと、僕に気は遣わなくてもいいですから」
「気遣いじゃないよ、むしろ押し付け。だからそっちが迷惑じゃなければ、わたしは何でもしちゃう。しつこかったらそう言ってね」
言ってもお風呂に一緒に入るのはやめないんだよなあ、という感想は口に出さずに、ニールは曖昧に笑った。それから話を本題に戻す。
「あの、エイマルちゃんの好きなものって何でしょうか。僕が把握してるのは、色んなジャンルの本と、食べることと、それからねぁーなんですけど」
「大体合ってる。でも本はもう片っ端からニールと一緒に読んでるんでしょ? 食べ物にはあの子はすごく恵まれてるし、ねぁーグッズはダイさんから大量に送られてきてもう置く場所がない」
「そうなんです。だから余計に迷ってしまって」
さすがにイリスは現状をよくわかっていた。さらにいえばこの冬の防寒具は、彼女自身が先日に贈ってしまっている。必要なものはすでに揃っているように思えた。
だが、イリスは歩きながら人差し指を立てる。
「音楽関係のものはどうかな。エイマルちゃん、ピアノも得意だよ」
「そうなんですか? それは知りませんでした」
「アーシェお姉ちゃんに習ってたの。わたしも一時期やってたんだけど、この性格だからすぐに飽きちゃって。でもあの子は続けてた。わたしなんかよりずっときれいにピアノを弾きこなして……だから音楽は好きなんじゃないかな」
本当にエイマルという少女はなんでもできるんだなと、ニールは心底感嘆した。あれで一応は苦手なものもあるというのが、知っていても信じられない。あの木琴が鳴るような可愛らしい声で歌いながらピアノを弾いたら、多くの人が惹きつけられそうだ。
「でも音楽は……本と同じで趣味が分かれますよね。エイマルちゃんはどんな曲を弾くんですか?」
「それがね、わたしは練習用の曲しか聴いたことがないんだ。そういえば、好きな曲ってわからないや」
ごめんね、と言うイリスに、首を横に振って応えた。イリスにもわからないことはあるらしい。でも、ヒントはくれた。ニールが知らなかった情報を、やはりこの人はちゃんと持っていた。
ある店の前にさしかかり、そのショーウィンドウを見て、ニールは立ち止まる。まるで今の会話を知っていたかのように、品物が並んでいた。この季節にぴったりで、音楽が好きかもしれないエイマルが気に入ってくれそうなもの。一目で「これだ」と思った。
「ああ、可愛いね、それ」
「イリスさん、エイマルちゃんはこれも持ってますか?」
「部屋では見たことない。しかもこのタイプでしょ? よそでもあんまりないんじゃないかな」
じゃあ決まりだ。小さくて場所もとらない。物の多いエイマルの部屋にあっても邪魔じゃないのは都合がいい。ニールがそれに見入っていると、イリスが肩を叩いた。
「お店、入ろうか。一番エイマルちゃんのイメージに合うものを選ぼう」
「はい!」
店内には飾られていたもの以外にも、もっとたくさんの種類があった。イリスが店員に話を聞いたところ、どれも一点もので、同じものはないという。そういうわけで当然どれも値が張るものだったが、今まで貰ったお小遣いをコツコツ貯めていたおかげで何とかなりそうだ。
「……うん、一個なら買えそう」
「わたしも買っちゃおうかな。お兄ちゃんたちも好きそうだし、執務室に置いてもおしゃれ。ねえ、お兄ちゃんたちの分はニールとの連名で贈ろうか」
「連名ですか。僕はちょっと余裕が……でもニアさんたちにもお礼したいし……」
財布の中身を確認して、それから値札を見る。一個なら買えると思ったが、一個買ってしまうと他のものは買えなくなる。イリスに丸一日の時間をもらったのは、ニアとルーファへの贈り物も用意できたらと思ってのことだった。
考えが足りなかったか、と落ち込みかけたところへ、イリスが頭を優しく叩いてきた。
「だからこそ連名。お金は年上の余裕でわたしが出す。ニールはこのお店を見つけたんだからいいんだよ。選んでくれればなおよし」
「イリスさん、お財布大丈夫ですか?」
「こう見えて稼いでるのよ。それに、こんな素敵なものにケチるようなわたしじゃありません。エイマルちゃんの分だって、足りなければ出そうと思ってたし」
「それはいいです。……でも連名は便乗してもいいですか?」
にい、とイリスが笑う。こういう笑顔は、兄より父より、上司に似たのではないか。そうして宣言通りに、ニールが選んだものを躊躇なく買ってくれた。
エイマルの分はもちろん、ニールが自分で選び、買った。悩んでやっと決めた一つは、きっと彼女に似合うだろうという確信があった。イリスのお墨付きでもある。
丁寧に包装されたそれをそうっと抱きしめると、胸がほわりと温かくなった。
――誰かのために何かを選ぶって、こんなに楽しくて嬉しいことなんだ。
母もいつか、こんな気持ちになったのだろうか。カレンダーを贈ってくれたニアとルーファも。コートや手袋を選んでくれたイリスも。
「ニールはセンスいいなあ。この調子で、もう何軒か付き合ってくれる? 友達へのプレゼント、一緒に考えてくれたら嬉しい」
「僕で良ければ」
こんな気持ちなら、何度でも味わいたい。
もっと大人になったら自分の力で、と誓って、イリスの隣を歩いた。
*聖夜の宴*
中央司令部に近い下宿には、冬も暖かい光が灯っている。エイマルは朝から行って準備を手伝っているというので、今日の待ち合わせは現地になった。
クリスマス当日。カレンダーの窓も開け切った日、外には雪が積もっていた。人々はどこか浮足立っていて、今月に入ってから賑やかになった街の装飾は一層立派に見える。日が暮れると、イルミネーションが色とりどりの表情で、家へ向かう人々を見送っていた。
「それじゃ、下宿のみなさんによろしくね」
ニアはたくさんの手作りクリスマスカードを持たせてくれた。コピーで申し訳ないけど、と言っていたが、正真正銘の最新作だ。下宿にはニアの絵のファンもいたはずだから、きっと喜ぶだろう。
緊張して下宿の呼び鈴を鳴らす。するとすぐに戸が開いて、エイマルが飛び出してきた。
「ニール君、いらっしゃい! 待ってたよ!」
「こ、こんばんは。今日はお招きいただきありがとうございます」
エイマルはエプロンを着けていた。髪は高いところで結っている。料理を手伝うときの恰好だ、と思ったときには、もう家の中へ連れ込まれていた。
美味しそうな匂いが、家中を満たしている。かと思えば、リビングは木の匂いがする。大人の背丈くらいの樅の木が、きらきらした飾りを纏っているのを見て、溜息が漏れた。
「みんなー、ニール君来たよ!」
エイマルの呼びかけで、そこここに散っていた下宿人が集まってくる。全員が私服だったが、いつもは学生だったり軍人だったりする人たちだ。口々に「いらっしゃい」「よく来たね」と笑顔で言ってくれるので、ニールは律儀にひとりひとりに「こんばんは」と返した。
「エイマルちゃんが友達連れてきたのって初めて?」
「いや、この子秋にも来たよ。お菓子貰いに」
「私のこと憶えてる? 一緒にインフェリアさんの絵の話したよね」
覚えのある下宿人の顔を見て、カードのことを思い出した。取り出して配ると、やはり喜んでくれた。ニアの絵のファンだという人は、悲鳴のような声をあげながら仲のいい下宿人の背中をばんばん叩き出すほどだった。
「騒いでるのは誰? ミキ? 暴れてツリーを倒さないように」
嬉しい悲鳴に反応して現れたのが、こちらもエプロン姿のユロウだった。ニールを見ると、呆れた表情が笑顔になる。
「いらっしゃい。エイマルの我儘に付き合ってくれてありがとう」
「こんばんは。あの、我儘とかじゃないです。僕はエイマルちゃんに誘ってもらって……」
「うん、それならそういうことにしておこう。でもこの子、父親に似て強引なところあるから、断るときははっきり言ってあげてね」
「叔父さんの意地悪。今日そんなこと言わなくてもいいじゃない」
エイマルが頬を膨らませると、みんなが笑ったり、ユロウを宥めたりする。いつものことだよ、とニールに教えてくれる人もいた。喧嘩じゃなくて懐いているようなので、その通りなのだろうと頷く。
そうしているうちに、足元にねぁーがやってきた。この家に住むねぁーたちは、やはり簡単には見分けがつかない。下宿人たちも「長くいるけどぱっと見じゃ判断できない」という。ここにいる人ですぐに名前がわかるのは下宿の主とユロウ、そしてエイマルだけのようだ。
「この子はブラドベリ。ちょっと気難しいんだけど、ニール君のことは気に入ったみたい」
「本当? 触っても大丈夫かな」
「ブラドベリから近づいてきたんだもの、大丈夫よ」
ちょっと屈んで、そうっと丸い頭を撫でてみる。しっとりした手触りが気持ちいい。ねぁーものんびりとした鳴き声をあげた。
「やっぱりニール君が好きなんだわ」
「ブラド様、まだ懐いてない人もいるのに。すごいね、君」
思わぬところで褒められて、ニールはちょっと照れた。ねぁーはさらにすり寄ってくる。しばし遊んでいると、ユロウが慌てたような声をあげた。
「しまった、母さん一人で作業してる! エイマル、戻るよ」
「はーい。ニール君、ちょっと待っててね」
手を振りながら台所へ去っていくエイマルを見送り、ニールはねぁーとのふれあいや周りの人たちとのお喋りを続けた。人見知りだと自覚している自分がこんなにたくさん喋れることに驚きながら。
テーブルの上にご馳走が並んだ。ついでに床にも、ねぁーたちのためのご馳走が並べられている。メインの肉料理はもちろん、サラダもスープも、何もかもが美味しそうだ。自分の皿に自由に取っていいと、ユロウが説明してくれた。
「というか、そうじゃないと食べられないからね。遠慮してたらなくなっちゃうよ」
「き、厳しいんですか」
「ニール君の分はあたしが取ってあげるよ。苦手なものってないよね?」
これだけの人数に、いちいちかまっていられないのだろうということはわかる。そしてエイマルに甘えてばかりいたら、彼女の分がなくなってしまうというのも理解した。
「大丈夫だよ、僕は自分でいただくから」
「でも欲しいものがあったら、近くの人に頼んでいいんだよ。あたしでも、他の誰かでも」
いつもそうだから、とエイマルは笑う。いつもより楽しそうな笑顔だ。ニールが世話になっている家の人たちに負けず劣らず、彼女もこういうお祭りが好きなのだと、改めて感じる。
「飲み物は行き渡った?」
尋ねてきたのは、さっきまでずっと台所に詰めていた、下宿の主だった。秋以来で顔を見るその人は、やはり美人だ。見ただけでは年齢不詳だが、エイマルの祖父の一歳上らしい。
「注いでもらいました」
ちょっと戸惑いながら返事をすると、そう、とさらに綺麗に微笑んだ。
「じゃあ大丈夫か。乾杯するよ。今日は誰が音頭とってくれるんだ」
「はい、俺がやります! えー、クリスマスを祝し、アクトさんの料理に感謝して! 乾杯!」
周りの乾杯の声に少し遅れたニールの頭を、その人は優しく撫でてくれた。この手がいつもエイマルを撫でているのかと思うと、ほんの少しだけ羨ましくなる。もう多くの手に触れられるようになったというのに、今触れた手にはどうしても母を思い出してしまって、欲が出た。
「あ、つい撫でちゃったけど、嫌だった? 小さい頃のユロウ思い出して、つい」
「いいえ、嫌だなんてことないです」
「そう、よかった。料理取っておいで。届かなければ、そこらへんにいるお兄さんやお姉さんに頼むといいよ」
下宿人たちは、すでに料理を好きな分取り分けて、適当な場所に座ろうとしていた。それでもニールがテーブルの傍に近づくと、すぐに戻ってきて、あれこれと世話をやいてくれる。エイマルも一緒になって、ここぞとばかりに年上として振る舞おうとしていた。彼女がニールに対して「お姉さん」でいたがる背景には、ここの人たちの存在もあるのかもしれない。
「ニール君、サンドイッチは四種類だよ。二つだけでいいの?」
「一度にたくさんは食べられないよ。美味しそうだから、ちゃんと味わって食べたいな」
「エイマルは大食いだからってたくさん取りすぎ。少しはニールを見習ったら」
「大食いじゃないもん。叔父さん、意地悪ばっかり言うんだから」
それでも皿の上が少しは気になったようで、エイマルはそうっと自分の皿がニールの視界に入らない位置に持って行こうとした。そんなの気にしないでたくさん食べたらいいのに、と思えども言えず、ニールはただただ苦笑する。だがその顔は、サンドイッチを口に運んだ瞬間に嬉しい驚きに変わった。
「美味しい!」
「ね、たくさん食べたくなるでしょう。これはね、あたしが玉子の味付けしたの」
「エイマルちゃんが? すごいなあ、いつもお手伝いしてるんだよね」
ちょっと照れたように笑ったり、ユロウにからかわれてふくれたり、エイマルの表情はころころと変わる。きっと料理を手伝っているときは真剣だったんだろうと想像できる。何事にも全力の彼女なら、そうに違いない。
ゆっくり食事をしながら、動き回るエイマルを眺めていると、ふと視界に入ったものが気になった。棚に並ぶ写真立てに、四人の人物が映った写真がある。そこにいる一人が下宿の主であるアクトだとわかれば、自然と一緒にいる子供たちも予想がつく。幼い頃のエイマルの父と、ユロウだ。ただもう一人、エイマルの父に似ているがほんの少しだけ恐い顔をした人だけが、誰だかすぐにはわからない。
「どれ見てるの?」
視線の先に気がついたらしいエイマルが、隣に戻ってきた。皿にはさっきとは違う食べ物が載っている。
「ええと……エイマルちゃんのお父さんたちの、昔の」
「持って来る」
皿を置いて、エイマルは素早く棚に向かい、いくつかの写真を持ってきた。さっき見ていたものもちゃんとある。指をさして教えると、一人ずつ丁寧に紹介してくれた。
「これがお父さん。軍に入ったばっかりの頃って聞いたから、十歳くらいかな。でもちょっと大人っぽいでしょ。こっちはユロウ叔父さん。小さい頃はこんなに可愛かったのに、今はあたしに意地悪ばっかり。それからおばあちゃん。今より若いよね。……で、この人がおじいちゃん」
さっきわからなかった人に指先で触れ、エイマルは笑顔のまま言った。
「あたしは、一度も会ったことないの」
そうだ、知っていたじゃないか。エイマルには、会ったことがない祖父がいる。彼女が生まれる前にいなくなってしまった人が。
「おじいちゃんね、大総統補佐やったことあるんだよ。イリスちゃんと同じだね。軍ですごく強かったから、辞めたあとは警備員になったんだって。それで、博物館の警備をしてるときに事件に巻き込まれて、亡くなったの」
表情をそのままに、淡々と、その言葉を口にする。ニールがまだ、言うと胸が痛くてたまらなくなる言葉だ。
そういえば、エイマルに初めて会った場所は、博物館だった。祖父が亡くなった場所を、彼女は案内してくれたのだ。ニールにずっと笑いかけながら。
「……エイマルちゃん、つらくないの? 博物館に行くのとか」
「あたしが生まれる前のことだから、つらいとかあんまり思わないなあ。でもね、おじいちゃんが護ってた場所、あの『赤い杯』のあるコーナーに行くと、いつも考えるよ。会ったことないけど、たしかにここにいた人は、どんな人だったんだろうって。育ての親だからお父さんと直接の血の繋がりはないんだけど、ちょっと似てるでしょう。もしかして性格もそうなのかなって……」
細く白い指が、写真立ての上を滑る。幼い父の上で指先が止まった。
「だけど、よく考えたら、あたしってお父さんの性格もちゃんとわかってないの。おじいちゃんと違って同じ時間を生きているはずなのに、お父さんのことをよく知らないの」
声の調子が、注意しないとわからないくらい微かに、沈んだ。ニールが写真から顔をあげると、エイマルは笑顔のままだったけれど、さっきまでとは違って寂しさが滲んでいる。
「お父さんって呼べるようになったのも、去年くらいからなんだ。それまでずっと、おじさんって呼んでた。大変な仕事をしてるから、他人みたいに振る舞わなくちゃいけなかったの。何度会いに来てくれて、たくさんのお土産をくれても。あたしが本当はあの人はお父さんなんだって知ってても」
エイマルの部屋にはたくさんのねぁーグッズがある。どれも父から贈られたものだが、おそらくはエイマルが父を父と呼べなかった頃からずっと贈られてきたのだ。エイマルはそのたび、どんな気持ちで礼を言ってきたのだろう。
お父さんと呼べるはずの今でも、こんなに寂しそうなのに。
「だからやっぱり、おじいちゃんのこともよくわからないの。おばあちゃんは、恐い顔してるけど優しい人だよって教えてくれるんだけど」
うまく説明できなくてごめんね、とエイマルは立ち上がる。写真を棚に並べ直す後姿は、背中がまっすぐだった。いつだって笑顔で、背伸びをしている。泣き方を知らないんじゃないか、と思うほどに。
生きたまま離れているのと、死に別れてしまうのと、どちらが悲しいかなんて比べてはいけない。きっとその尺度は人によって違うのだろう。悲しみ方、寂しさの表し方だって、いろいろある。そうと知っていても、ニールの心のどこかで叫ぶ声がある。――また会えるんだから、エイマルちゃんはいいじゃない。それに気づいて、唇を噛んだ。
「どうした、ニール。具合悪い? 何かアレルギーとかあった?」
下宿の主――アクトが慌てて、けれども静かに駆け寄ってくる。首を横に振り、なんでもないです、と言ったけれど、声が震えた。表情も歪んでいるのが自分でわかる。
見兼ねたのか、アクトが小さく息を吐いた。
「ちょっと場所を変えようか。おいで」
きっとこんな顔はこの場に相応しくないからだ。ニールは言われるままに、アクトに連れられて行った。
きちんと整えられた部屋は、ほのかに漂う石鹸らしい匂いで、アクトの自室だとわかった。けれども元は一人分の部屋ではないというのも、家具の大きさなどから判断できる。
「この下宿も人間関係とかいろんなことで悩んでる子が多いんだ。だからここは相談室。誰でも本音を言っていい場所なんだよ」
柔らかいクッションを置いた椅子に座らせてもらう。と、膝の上にねぁーが飛び乗ってきた。いつのまにかついてきていたようだ。その子はエリック、とアクトが教えてくれる。
「エイマルが写真見せてたみたいだけど、何か思い出しちゃった?」
「えと、そうじゃなくて……写真は、僕が見てたから、エイマルちゃんが持ってきてくれたんです。おじいさんのこととか、教えてもらって」
「顔恐くなかった? 昔はすぐ子供に泣かれたものだったけど」
「優しい人だって教えてもらったので、そんなに。それよりエイマルちゃんが、お父さんに会いたそうで……」
それを羨ましく思った、なんて言ったら、軽蔑されるだろうか。この人はエイマルの祖母だ、怒るかもしれない。そう思うと続きは言葉にできなかった。
少しの間があって、ねぁーが小さく鳴いてから、アクトがぽつぽつと語りだした。
「生まれたときと、あとは年に数回かな。エイマルが父親と過ごせた時間ってそれくらいなんだ。なにしろ他国軍の上層の人間だから、なかなかこっちに来られなくて。それなのに親子だって認識はあるんだ、お互いにね」
ほんのわずかな時間しか会えないのに、泣き言を口にせず、笑顔で父を待つエイマル。何でもできる上に心が広いなんて、よくできた子だ。ニールのそんな考えを呼んだかのように、アクトが続けた。
「できすぎてるよね。おれだったら帰ってこないで物ばっかり送ってくるような人は、とても父親だなんて思えないけど。でもエイマルには、ちゃんと仕事を頑張って、時間を見つけて会いに来てくれる、お父さんなんだよ」
「……それは、本当にすごいことだと思います。エイマルちゃんも、お父さんも。会えるから、いいなあって……」
滑った口を慌てて押さえた。さっきまで言葉にできなかったことが、こんなにするりと出てきてしまうなんて。どうしよう、怒られるかも、とぐるぐるし始めた頭を、けれども優しい手が撫でた。
「羨ましいよね。忙しいって言いながら、生きて帰ってきてくれる人がいるのは。おれは三歳のときに両親失くしてて、ついそう思っちゃうんだよ。帰ってくるどころか物を送ってくることもない、顔もあんまり記憶にない。どんな形であれ、ちゃんと親子でいられるあの子たちが、羨ましい」
「でも、エイマルちゃんは寂しそうです。だから僕は、羨ましがっちゃいけないんだと思ってました」
手が離れると、言葉が止まらなくなる。零れた言葉は、掬われる。
「羨ましがるくらい、いいんじゃない。エイマルだって、ニールのこと羨ましがってた。カレンダー貰ったんだって? 直接手渡ししてくれて、しかも二つもあるなんていいなあって、ここで言ってた」
「それは……僕もちょっと自慢したので」
もしかして、それもエイマルに寂しさを感じさせていたのだろうか。だとしたら、申し訳ないことをした。そんなふうに考えるニールに、アクトは微笑んだ。
「いいんだ、来年も見せてやって。エイマルの話には続きがあるんだよ。ニールが幸せなのがわかって良かった、大変なことがあったんだからもっと幸せになってほしい、って。ニールに母親の話を振ってもいいのか迷ってたこともある。エイマルにとってニールは初めての同年代の友達だから、あれで付き合い方を考えてるんだよ。ニールと同じ」
「同じだなんて。エイマルちゃんのほうが良い子です」
「お互いにそう思ってるんだ。似たもの同士が仲良くなったな」
全然似ていない。エイマルはいつも笑っているのに、ニールはなかなかうまく笑えない。つらいことや嫌なことはすぐ顔に出る。あんなに明るく振る舞えない。そういう意味で首を横に振ったら、少し暗くなった声が返ってきた。
「エイマルは、笑い方だけ覚えちゃったんだ。これはおれたち大人のせいでもあるけど」
「……笑い方、だけ?」
顔をあげると、困ったように口元だけで笑う人がいた。
「周りが大人だらけの中で、大人を心配させまいとしてきたんだ。つらいときでも、それを言わずに笑ってしまう。悪いことじゃないけどさ」
たしかにエイマルはどんなときでも笑っている。笑っていることのほうが圧倒的に多いし、それが彼女の魅力だとニールも常々思っている。だけど。
「本当に笑い方だけですか? エイマルちゃん、怒ったり怖がったりもしますよ。泣いてるところはまだ見たことないけど……それはたぶん、僕の方が先に泣きそうになるからです」
アクトが言うほどではないだろう。ニールはともかく、イリスならもっとエイマルの表情の変化を見ているはずだ。それをこの人が知らないなんて、そんなことがあるだろうか。
不思議に思っていると、ふきだす声がした。
「ごめんごめん、意地悪なこと言った。なんだ、ニールはわかってるじゃん。それだけエイマルのことわかってくれてるなら、変に気を遣いすぎなくていいことも、もう知ってると思うけど」
途端にニールの脳裏をよぎったのは、エイマルに意地悪ばかり言うユロウと、会うなりこちらに嫌味のような言葉を投げてきたエイマルの父ダイの姿だった。大人に対して失礼かもしれないが、もしや彼らのたちの悪さはこの人譲りなのではないか。
「僕、真剣だったのに……どうして意地悪なんか言うんですか! 僕がエイマルちゃんのこと誤解したらどうするつもりだったんですか?」
「万が一そうなったら訂正するつもりだったよ。でも誤解しないだろうって思ってた。これからも変わらずエイマルと友達でいてくれるだろうって」
「友達はやめません。エイマルちゃんは明るくて優しい良い子です。強引なところもあるし、おばけは苦手だけど、僕はそれにも付き合います。もう意地悪なんかに惑わされないで、自分でエイマルちゃんのこと考えます」
言い切ってから気づく。今、何も考えていなかった。ただ思いつくままに言葉をぶつけてしまった。相手は大人、しかも祖父母の年代の人だというのに。
急に顔が熱くなって、たぶん赤くなっているなというのがわかった。でも不思議と、手が冷たくなったり、頭の先から血の気が引くような感覚はなかった。
「ぜひそうして。自分で言ったこと、忘れないようにね。おれはずーっと覚えてるから」
忘れられそうにない。忘れちゃいけないことを言わされた。抗いようがない、まるで魔女の誓約書だ。
この人が本当は女の人ではないということも、ニールは知っているけれど。
怒りと疲れと恥ずかしさとを抱えてリビングに戻ると、テーブルの上にケーキが現れていた。丸太を模ったタイプを、とても大きくしたもので、本当に切りだしてきたかのような迫力があった。
大きな声を出してしまったからかお腹が空いている。ケーキは十分に食べられそうだった。
「どこ行ってたの、ニール君。残してたご飯食べる? もうケーキ出てるけど」
「食べる」
残したものをきれいに片付けて、ケーキが切り分けられるのをエイマルの隣で待った。さっきまでの寂しそうな表情はどこへやら、今の彼女はケーキに目を輝かせている。
悩んだことを無駄だとは思わない。エイマルとの付き合い方を考えるきっかけにもなったし、きっとこれからも役に立つ。次からは、余計に考えすぎずに済みそうだ。
「エイマルちゃん」
「なあに? ケーキの大きさの注文ならこれからとるよ」
「違うんだ。……あの、ユロウさんってお母さん似だよね。エイマルちゃんのお父さんも」
「そうかな。叔父さんはホワイトナイトのおばあちゃんにもこっちのおばあちゃんにも似てるんだけど、お父さんはどうかなあ」
「似てると思うよ。僕の個人的な感想だけど」
エイマルは首を傾げていたが、やがてケーキに目を戻した。それから。
「ニール君が言うなら、そうなのかも。じゃあ寂しくなったら、いつもどおりにここに遊びに来たらいいね」
我慢していたと思っていた言葉を、さらりと口にして、また笑った。
「エイマル、ケーキ切るの楽しみにしてたでしょう。やる?」
「やりたい! ナイフはチェーンソーの形のがいい!」
ユロウが声をかけると、エイマルは勢い良く手を挙げて立ち上がる。もう片方の手は、ニールの手を握っていた。
「え、そういうのあるんだ……」
「あるんだよ。ねえ、ニール君も一緒にやろう!」
「いいの? 責任重大なんじゃ……」
「だから道連れ。切り間違えると叔父さん怖いの」
エイマルの強引さは、父譲りな気がする。彼女がわからないと言っても、離れている時間が長くても、ちゃんと受け継がれているものがあるようだ。今度、それを教えてみようか。
「ニール、一応確認。エイマルとケーキ切ってるところ写真に撮って、この子に持たせていい? 年明けには父親の目に触れることになると思うけど」
「え、それは」
「写真はちゃんと撮ってね、叔父さん。記念にするんだから」
「はいはい、初めての二人の共同作業だからね」
「あの、ユロウさん確信犯ですか? 僕、顔赤いと思うので、色々と誤解が」
教えて喜んで、さらにその気質が強まるようであれば、止められるのはきっと自分だけだ。そのためにももっと強くなろうと、少年は再び誓う。
*今日が終わる前に*
そろそろ子供たち帰さなきゃね、とユロウが言った。壁掛け時計は、いつもなら寝る準備をする時間を指そうとしている。
「エイマルちゃん、泊まらないの?」
「家でおじいちゃんとお母さんが待ってるから。お父さんから何か届いてるかもしれないし」
それが毎年のことなのだという。次に親戚が集まるのは年始だが、やはり父は忙しいので、時期をずらして帰ってくるのだそうだ。
「お父さんからのプレゼントは手渡しで欲しいって言ってたよね」
「うん、でも帰ってきたらお土産くれるからいいの」
行事ごとと、年に数回の帰宅。エイマルの父との思い出は、そうして積み重なっていく。その一つ一つを大事にしている。ずっと部屋にとってある贈り物は、その形だ。
これも今夜の思い出として、持っていてくれるだろうか。ニールは鞄から手のひらに載るくらいの箱を取り出し、エイマルに差し出した。
「これ、今日のお礼に。エイマルちゃんが誘ってくれたおかげで、すごく楽しかった。ありがとう」
「あたしに? こっちこそありがとう」
箱を受け取り、エイマルは目の前で包装を解いた。ニールのように、開けてもいいかどうか確認をすることはない。すぐに反応を確かめられるのはいいが、緊張する。
「わあ、可愛い!」
中を見たエイマルが、歓声をあげた。それを店で見つけたニールと同じ感想だ。
ついているネジを、本体を逆さにして回し、元に戻す。するとオルゴールの音色とともに、ガラスの球体の中に雪が舞い始めた。赤と白の花が中と台座に咲き乱れるスノードームを、エイマルはうっとりと眺める。
「イリスさんに相談して、一緒に選んでもらったんだ」
「そうだったの……。こんなに素敵なもの、本当にありがとう。今日の写真と一緒に、机の一番目立つところに飾るね」
嬉しそうで幸せそうな笑顔に、ニールは少しだけエイマルの父の気持ちがわかった気がした。こんなふうに笑ってくれるなら、何度だって贈り物をしたくなる。――物だけ送ってくる父親、ではないのだろう。だからエイマルは父が好きで、きっと父もエイマルのことをとても愛しているのだ。
ニールの母がそうしてくれたように、そして今世話になっている人たちがそうしてくれるように。
家に帰ると、ニールにもプレゼントが待っていた。服が一式、読みたかったハードカバーの新刊、遊園地のチケット、それから新品の本棚。小さいものから大きいものまで、一つずつニアとルーファが説明をつけてくれた。
「服は僕の実家。新年の挨拶のときにでも着て行ってあげると喜ぶと思う。本はイリスが置いていった」
「遊園地のチケットは俺の実家から。たまには三人で遊んで来いって言われた。で、本棚なんだけど、これは来年からうちで売り出す商品」
「来年からって、そんなの貰っていいんですか?」
「売り出すまで緊張してるよりは、先にニールに使ってもらって慣れておこうと思ってな。俺がこの人気作家様に頼み込んで実現したアートコラボレーション企画第一弾だ。意見感想は随時受け付ける」
「ルーとの仕事、楽しかったよ。というわけでこれは僕らから」
テーブルにはスノードームが飾ってある。本と一緒にイリスが置いていってくれたのだろう。そのお返しとしては大きすぎるような気がしたが、余計な言葉はもういらない。
「ありがとうございます。ここに来てから、お母さんと暮らしてた頃と同じくらい幸せなことが続いています」
「こっちこそ。うちに来てくれてありがとう、ニール」
「これからもよろしくな」
毎日を大切に過ごして、あの子のように笑いたい。