部屋に立ち込める甘い甘い香りに、この身まで溶けてしまいそう。所詮は糖と脂だろう、と嘯く口も、次第に黙って作業に没頭するようになる。理想はきゃあきゃあと盛り上がりながらの光景だが、真剣な現場では迂闊な一言が命取り。
「イリスちゃんはウルフさんに本命チョコ渡すんだよね?」
「違うぞ、エイマル。あの男はウルフではなく変態盗人と呼べ」
「ちょっとベル、エイマルちゃんに変な言葉教えないでよ! チョコはみんな同じで、特別なのなんてないから! あっ」
大きく傾くボウルを慌てて支え、こぼれるのをなんとか回避する。ほうっと息を吐きながら、どきどきという大きな鼓動を落ち着かせようとした。
好きな人を意識してから、初めてのバレンタインがやってくる。
*一緒に作ろう*
一月末にニールの誕生日を盛大に祝い、暦は二月になった。直近の大事件もやっと落ち着いてきて、代わりに新聞の紙面を「大総統、ついに結婚か?!」の見出しが飾る。もともと明るい話題を欲していたのだからこれはこれで正しいのだが、イリスは今でもこれが事実だということを受け止めきれない。
兄であるニアがルーファと暮らし始めた時とは感覚が違う。まるで自分が取り残されたような気持ち。相手のエトナリアのことはよく知っていて、良い人だとわかっているのに。
「結構時間経ったのに、まだ複雑な心境なんだよね」
「まあ、簡単に信じられることじゃないよな。だって閣下、というかレヴィさんと結婚って、なかなか結び付かないよ」
昼食をとりながらのお喋りも、自然とこの話題になった。イリスは玉子サンドをちびちびと食べ、ルイゼンはチキンカツバーガーにかぶりつく。
「私は良い話だと思うぞ。邪魔者が一人減った」
「閣下は邪魔者ではない。少々僕らにとって余計なことはしてくれたが、イリスのためにはなっている」
メイベルはサラダをつつき、フィネーロは具だくさんのスープを少しずつ口に運んでいる。それで足りるのか、とルイゼンに尋ねられて、二人は同時に頷いた。イリスは何の話なのかわからないので黙っていたが、おかげで少し整理できた。
たぶん、兄が兄ではなくなることが寂しいのだ。ニアは実兄で、ルーファも以前と変わらない態度でいてくれるが、レヴィアンスは、一番距離が近かったはずのその人は、これからイリスの兄役の一人ではいられなくなる。世間が求めれば、人の夫として振る舞うだろう。それはイリスが知らないレヴィアンスだ。
「……レヴィ兄を素直に祝うには、どうしたらいいんだろう」
「祝うったって、そもそもが仕事的な結婚なんだろ。祝っていいの?」
「祝った方が良いんじゃないかな。一応はめでたいことだし」
せめて日頃の感謝くらいはすべきだろう。随分と助けられたし、イリスが今軍人でいられるのはレヴィアンスのおかげだ。問題はどうやって表すか、だが。
玉子サンドの最後の一口を咀嚼しながら、イリスは目を閉じた。と、耳に女の子たちの会話が飛び込んでくる。
「あ、イリス中尉だ。ねえねえ、今年はチョコ渡す?」
「もちろん。司令部一のイケメンに笑顔でありがとうって言ってほしい!」
チョコ。あの甘いお菓子。そういえば、それが大量に手渡されるイベントがある。好きな人へ、またはお世話になっている人に感謝を込めて。気持ちを込めた贈り物が、自然に人を行き交う日。
「これだ!」
「なんだよ、いきなり」
「どうせみんなに感謝とお詫びをしなきゃいけない立場なんだから、これに乗っからない手はないよね。そうだよ、レヴィ兄も甘いもの好きだし、ちょうどいい」
意気込むイリスに、ルイゼンも何を考えているのか気づいた。フィネーロはやれやれと溜息を吐き、メイベルは眉間にしわを寄せる。
「まさか、あの忌まわしいイベントに参加するつもりか。毎年大量に貰って処分に困っているのはイリスだろう」
「それはそれ、これはこれだよ。ベルも一緒にやらない?」
にっこり笑ったイリスに、メイベルは勝てない。ずるいと思いながらも頷いてしまうのだ。
エイマルから電話があったのはその夜だった。
「イリスちゃん、バレンタインチョコ作らない?」
「チョコ? 作るの?」
人に渡すにしても、ちょっと良いものを買おうと思っていた。作れないことはないが、メイベルとは一緒に料理をするよりも買い物をしたほうが楽しい。けれどもエイマルが加わるのなら……。
「そういえば、エイマルちゃんは毎年手作りだよね。今年もダイさんに送るの?」
「そうだよ。おじいちゃんと叔父さんとおばあちゃんと、下宿のみんなにも。ニール君の分もあるから、今年は最高に美味しいの作るんだ」
弾む声を聞いていたら、イリスも作りたくなってきた。メイベルも一緒に、と言ったら、嬉しそうな返事があった。
「いいね、みんなでやろうよ! リチェさんとか誘えないかな」
「リチェか、声かけてみよう。場所はどうしようか」
「お母さんがね、うちに来ていいって。だから誘ったんだよ」
ダスクタイト家でなら、エイマルも安全だし、プロはだしのお菓子職人だっている。これ以上の好条件はないだろう。
かくして、バレンタイン直前のチョコレート作り女子会が開催されることとなったのだった。
*チョコレート女子会*
エイマルとイリス、メイベルにリチェスタも加わって、チョコレートの会が始まった。本日のお題は簡単で可愛い、フルーツチョコレート。イチゴやリンゴ、オレンジなどのドライフルーツを、溶かしたチョコレートに浸けるだけ。もう少し凝りたいなら、イチゴなどをチョコレートで包むということもできる。教えてくれたのはエイマルの母であるグレイヴだ。
「アタシも父さんから教わったんだけどね。母さんが甘いものの好きな人で、制限ギリギリまで食べちゃう人だったから、作り甲斐があったみたい」
意外だが羨ましい話に、リチェスタは頬に両手をあてて、うっとりと聞き入っている。
メイベルはそのての話にはまるで興味がないようで、ただ自分が必要な数を確認していた。妹や弟にあげるのだ。
エイマルは湯煎のためのお湯を沸かしながら、板チョコを刻み始める。製菓用の、ちょっと良いものだ。イリスも一枚とって手伝う。
「イリスちゃんはいくつ作るの?」
「多ければ多いほどいいかな。わたし、貰ったらお返ししなきゃいけないからね」
「モテモテだね。イリスちゃんかっこいいから、またファンが増えてるんじゃない?」
でも、順番をつけてはいけないと思いつつ、大切なのは身近な人たちだ。家族と友人、世話になっている上司、それから……。そういえば彼は、甘いものは平気だっただろうか。
次第に部屋は甘い香りに満たされていく。お湯が沸いたらちょうどいい温度にして、チョコレートを湯煎にかけるだけで、口の中まで甘くなってくる気がした。
「こっちはチョコがけ用だからそのまま。これはフルーツを包むから、温めた生クリームを入れて混ぜるの」
「混ぜるの順番ね。あたしの次はイリスちゃん。リチェさんはメイベルさんと交代してね」
作業に没頭すると、口数が少なくなってくる。ここには失敗が許されない乙女もいるのだから、真剣にもなる。リチェスタにとって、今回のバレンタインは勝負だった。
ルイゼンに告白し、一度は振られた。だが、絶対に振り向かせると宣言したからには、胃袋からがっちり掴まなければ。いつにもまして気合が入っているのは、そういうわけだ。
「メイベルちゃん、生クリーム入れてくれる?」
「了解した。……交代、しないほうがいいか? ルイゼンへの念を込めているんだろう」
「念って……。交代はしてもらうよ、メイベルちゃんだって渡したい相手がいるんでしょう」
いるにはいるが、生憎とリチェスタのような乙女思考は持ち合わせていない。どうせなら彼女が好きなだけやればいい。
溶けたチョコレートにまだ塊が残る状態で、エイマルはイリスにバトンタッチ。お湯の温度を調節しながら続けた。
「イリスちゃんはウルフさんに本命チョコ渡すんだよね?」
そろそろなめらかになってきたところで、不意にエイマルが言う。心臓が大きく跳ねた気がした。返答する隙がないまま、メイベルが無表情で割り込む。
「違うぞ、エイマル。あの男はウルフではなく変態盗人と呼べ」
「ちょっとベル、エイマルちゃんに変な言葉教えないでよ! チョコはみんな同じで、特別なのなんてないから! あっ」
取り落としかけて、傾くボウル。ここでひっくり返しでもしたら、全てが台無しだ。――もう、大事なことをだめにしちゃいけない!
すんでのところでボウルを支えたイリスは、ほう、と溜息を吐く。だが、一度始まった話はなかなか止めることができない。
「えー、特別じゃないの? だってウルフさんって、イリスちゃんの彼氏でしょう」
「彼氏じゃないよ。あと、今回の最大の目的はレヴィ兄へのお礼で……」
「でも、好きなんだったらあげるよね。イリスちゃんが恋して初めてのバレンタインだもの」
「リチェまで変なこと言わないでよ」
これまでの仕返しだと言わんばかりに、リチェスタまでもがイリスをいじる。面白くないのはメイベルで、手を止めたリチェスタからボウルを奪って混ぜ始めた。
「メイベル、もうそれは冷やしちゃいましょう。ちょっと冷やして扱いやすくなってから続きね」
「ああ、もういいんですか」
「アンタたちも、早くしないとチョコが固まっちゃうわ。好きなフルーツをとって、こんなふうにちょっとつけたら、シートを敷いたお皿に置いて」
グレイヴの指示が飛ぶ。途端にリチェスタは真剣さを取り戻し、エイマルもフルーツに手を伸ばした。イリスだけが赤面したまま、他人の恋に興味を持った乙女の恐ろしさを感じていた。
カラフルなフルーツチョコと、甘酸っぱさを包み込んだトリュフが揃った。エイマルが集められるだけ集めたというラッピング素材に、年長女子達は感心する。
「こういうの、エイマルちゃんは得意だよね。わたしのセンスはお兄ちゃんに全部持って行かれちゃったからなあ」
「適当に袋詰めして押し付けるのではだめなのか」
「それじゃ可愛くないよ。私も持ってきたけど、エイマルちゃんのコレクションのほうがキラキラして見えるね」
リチェスタが持参したのはクラフト紙でできたもので、エイマルのものよりも少し大人っぽい。レースの飾りをつければ可愛くもなる。これはこれで、本命には合いそうだ。
「リチェはそれでいいんじゃない?」
「そうかな。でもゼン君はいっぱい貰うだろうから、埋もれちゃいそうで」
「埋もれることはないだろう。身近な人間からの贈り物は他人からのものとちゃんと分けるぞ、あいつ」
そもそもそんなに貰ってない、とメイベルが言うのは、イリスと比較してのことだ。インフェリアの血を引く司令部一のイケメンは、ここ何年か大変な思いをしている。
「男どもより紳士だと評判のイリスが、変態盗人にとられそうだと知ったら……女どもは暴徒化するかもな」
「しないよ。みんながみんなベルじゃないんだから」
「でもメイベルちゃん、なんだか落ち着いた感じする。エイマルちゃんはどう思う?」
「あたしはみんな前から素敵だと思うよ。イリスちゃんはかっこいいし、メイベルさんはクールで、リチェさんは可愛い!」
そういうエイマルちゃんが可愛い、とリチェスタはエイマルを抱きしめる。イリスにとっては最高の絵が完成した。レヴィアンスがいたら写真を撮ってもらうのに。
結局、グレイヴに急かされるまで遊んでいて、ラッピングはなかなか決まらなかった。
「そういえば、イヴ姉はダイさんにチョコは」
「何年かあげてない。エイマルからあれば十分でしょう。昔は欲しいってしつこかったけど、今はそうでもないし。アンタたちと違ってもう若くないからね」
それでも、エイマルと一緒に熱心にラッピングの組み合わせを試しているのだから、蔑ろにしているわけではないのだろう。ただかたちが変わっただけで、グレイヴもちゃんと気持ちを贈り物に込めている。
「じゃあ、私たちくらいのときはどうだったんですか? 手作りとかしてました?」
「してたしてた。アーシェと一緒に、ああでもないこうでもないって騒ぎながらね。だから今日のアンタたちが静かだったのは意外だったわよ」
たしかにこんなに真剣なバレンタインの準備は、イリスも初めてだ。リチェスタは「告白してすぐだから緊張してて」と頬を赤らめる。以前なら、ルイゼン相手にそんなに気張らなくても、と言ってしまったかもしれないが、今ではイリスにもその気持ちが少しわかるので黙っていた。
「あたしもね、今年はちょっとだけ頑張ろうって思ったんだ。ニール君、お母さんからしかチョコ貰ったことないんだって。だから今年はあたしが美味しいのをあげるの」
ニールのことになると途端に張り切るエイマルだが、これは弟分を可愛がっているのだ。リチェスタとは違うが、この子も十分に乙女といえる。
「みんな女子力高いねえ、ベル……。わたし、まだラッピング決まらないよ」
「変態盗人や閣下にはビニール袋に適当に入れて渡せばいいんじゃないか」
言葉はぞんざいでも、弟妹の分はちゃんとカラフルな紙袋を選んでシールを貼っている。メイベルも良いお姉ちゃんなのだった。
*当日の景色*
二月十四日、早朝。ルイゼンは覚えのある状況に頭を抱えていた。
「ゼン君、おはよう」
寮の管理人に呼び出され、玄関へ向かうと、リチェスタが手を振って待っていた。
「……リチェ、お前また学校」
「今日は大丈夫! 余裕持って来たから、ちゃんと自分で間に合うよ。どうしても誰よりも早く渡したかったんだ」
まったく、逞しくなったものだ。いったいどこの誰から影響を受けたのだろう。差し出された包みを受け取って、しかたないな、と笑う。
「ありがとな。どうせだから送っていくよ。支度してくるから待っててくれ」
「! うん、待ってる!」
ぱあっと咲いた笑顔は、やっぱりまだ幼くて、なかなか彼女の気持ちには応えられそうにないけれど。
予想外に可愛い包みを、予想外の人物が「ほら」と押し付けてくる。怪訝な表情をしたフィネーロを、メイベルが不機嫌そうに睨んだ。
「なんだ、いらないのか」
「いや、わざわざどうも。君から物を貰うのが珍しすぎて驚いただけだ」
「ただやるわけじゃない。これはイリスと充実した時間を過ごした私からの自慢だ」
そういえば、女子で集まってチョコレートを作るのだと言っていた。まさかメイベルが、弟妹たちの分以外を用意しているとは思わなかったが。
「……それとだな、今すぐ食って感想を教えろ。カリンのところへ届くのが明日になってしまうらしい。慣れないことをしたから多少は不安なんだ」
さらに貴重な台詞だ。あのメイベルが不安とは。驚きながらも包みを開ける。チョコレートに浸けたイチゴをその場で口に放り込む。甘酸っぱさが広がって、そしてやはり、メイベルらしくないな、と思った。
「どうだ」
「美味いよ。だから堂々としていろ。だいたい、君個人で作ったものじゃないんだから、自信がないというのは失礼にあたるんじゃないか」
「自信がないとは言っていない。美味いならそれで良い。信じるぞ、フィネーロ」
幼馴染にこんなに驚かせられる日が来るとは、夢にも思っていなかった。少しは変わっているのだろうか。彼女も、自分も。
残りは少しずつ食べて、しばらく感動を噛み締めていようか。
所変わってレジーナのとある警備会社。人材採用の基準が少々変わっているここは、社員にとても寛容だ。しっかり仕事をしてくれさえすれば、本人の代わりに荷物を受け取ることになっても、何も文句は言わない。
「ヤンソネン、君宛てに届けものだ。食品らしいから、すぐに開けたほうが良い」
「はあ、食品ですか」
ほぼ地顔のうっすらとした微笑みで、ウルフは上司から荷物を受け取った。そして言われた通りに、その場で開封する。もちろん差出人は、ほんの一瞬で確認済みだ。
赤い滑らかな手触りの素材の、小さな箱が現れる。開けるとチョコレートのかかったフルーツとトリュフが少しずつ、綺麗に並んでいた。彼女はこんなこともできたのか、と感心する。
「これは将来が楽しみだな」
「あ、ウルフ君、そのチョコ誰に貰ったの? なんか、昔先輩が奥さんに貰ったって自慢してきたやつに、ちょっと似てるわ」
ウルフよりも先輩にあたる、女性社員が覗き込む。「先輩が持って来たのはもっと豪華だったかもだけどね」と言いながら、自分もウルフの机に市販のチョコレートを置いていった。礼を言うと、「来月三倍返しね」と冗談交じりに返される。
さて、彼女にも三倍にして返すべきか。例えば夜中に部屋に忍び込むとかして。
「そんなことしたら、怒られちゃうな」
捕まえるのは嫌だ、と言われそうだから、別の案を考えるとしよう。幸い、時間はたっぷりある。
柑橘のオレンジや黄色、イチゴやリンゴの赤、青や紫の小さな実。そしてちょっと背伸びしたトリュフが、可愛い袋に一つずつ入れられている。去年まで母がくれたちょっと高そうなチョコレートもたしかに懐かしいけれど、これはこれで宝石のようで、なんだかエイマルらしい。
「こんなにたくさん、いいの?」
尋ねると、花のような笑顔と頷きがあった。ふわりと甘い匂いもする。
「もちろん! ニール君のお母さんには及ばないかもしれないけど、あたしにできる精一杯をやったつもり。だったら全種類食べてもらわなきゃ損じゃない?」
「なんだか、すぐに食べちゃうのがもったいないくらいきれいだから。ありがとう、エイマルちゃん」
すぐに食べるのも、独り占めするのも躊躇われる。だからニールはその場で二つ封を開けて、一つをエイマルの口もとに差し出した。
「はい。一緒に食べよう。友達と食べたほうが、きっともっと美味しいよ」
母がいた頃もそうだった。結局は二人でチョコレートを食べて、美味しいね、と笑いあったのだ。もう母はいないけれど、友達とそうしなさい、と言うに決まっている。
エイマルはきょとんとしていたけれど、そのうちにんまりして、ニールの手からぱくりとチョコレートを頬張った。
「……うん、美味しい。これね、おじいちゃんが下宿のおばあちゃんに教わって、お母さんに教えたレシピなの」
ニールももう一つをそっと口に入れる。舌の上に、優しい甘さが広がった。
「そうだね、とっても美味しい。これはお返し、頑張らなくちゃね」
「お返しとかいいよ。それより、これからもあたしと仲良くしてくれたら嬉しいな。ニール君は、あたしの親友なんだから」
初めての、母以外からのバレンタインチョコレート。初めてできた、親友。母に、それから今の親たちに、報告したらとても喜んでくれるだろう。
大総統執務室では、ガードナーが紅茶ではなく、ココアを用意していた。イリスにもマシュマロを浮かべたものを出してくれる。これがたいそう甘くて、事務仕事といくらかの緊張で疲れた脳に効く。
「おいしー……。執務室でこんなの飲んでるって知られたら、みんなに恨まれちゃうよ」
「そのときはみなさんにもご馳走します」
「レオなら本当にやりそうだ。サービスはほどほどにね」
レヴィアンスは喋りながら書類を片付けている。ときどきちらりと見える左手の薬指に、指輪が光る。宝石も何もない、ただの銀細工だ。仕事の邪魔にならないようにわざとそうしたと言っていたが、必ずつけているところをみると、やはりまんざらでもないらしい。
ガードナーにそう言ったときは、閣下はいつ誰が訪ねて来ても対応できるようにしているのだと言うでしょうね、と笑っていたけれど。
「レヴィ兄、エトナさんからチョコ貰った?」
「忙しい人に期待はしないよ。オレもお返しの約束できないし」
処理が済んで溜まった書類を取りに行く。これをバインダーに綴じるのがイリスの仕事だ。でもそれだけなら、いつもと同じ。今日はちゃんと感謝を伝えると決めた。
「堂々と期待していいのに。わたしはさ、もうちょっとレヴィ兄から素直になってあげたらいいのにって思うよ」
「オレはいつでも素直だよ。嘘は得意じゃないし」
「そういうことじゃない。……これ、あげるよ。食べたらレヴィ兄だって、素直になれるよ」
周りが思うより、あたしたちはお互いを好きよ。エトナリアはそう言っていた。それが真実だと、イリスはわかっていてもなかなか認められなかった。認めたつもりで、受け入れたつもりでいても、実感はなかなか湧いてこなかった。
だったらこちらから、きちんと見ようとすればいい。それはイリスの得意なことで、けれども今まで避け続けてきたことでもある。自分の全てを認めてくれたこの人のことを、自分も認めよう。
赤い箱を机に置き、手をそっと離す。
「いつもありがとう、レヴィ兄。それから、おめでとう」
何が、とは言わない。言う必要はない。全部としか答えようがないものを、今更説明するつもりはない。
レヴィアンスは手を止めて、イリスを見ていた。その瞳を、真っ直ぐに。
「……ありがと」
そうして顔をほころばせ、イリスの頭をくしゃりと撫でた。その手は昔と変わらない温かさで、この人はいつまでもこの人のままなのだということが、どうしようもなく嬉しかった。