インフェリア家はエルニーニャ王国建国の英雄の末裔、軍御三家の一つ。代々軍人を生業としてきた。しかしその十七代目にあたるカスケード・インフェリアは、大総統を務めた祖父と同じ名前を持っているにもかかわらず、軍人にはなりたがらなかった。そうなることを強要する父への反発だったが、結局は父の出した条件をのんで軍籍に入った。高い身体能力と、何より家名が入隊の決め手だった。
ジューンリー家は特に歴史に名を遺すこともない、平凡な一市民だった。あえていうなら代々手先は器用で、細かい作業を必要とする仕事や、細工物を作ることで生計を立てる者が多かった。ニア・ジューンリーの親も銀細工を作って売ることを仕事にしていたが、そんな平和で平凡な日々は、ある日突然炎に包まれ、跡形もなく燃え尽きてしまった。唯一生き残り、行き場をなくしたニアが選んだのは、軍に入ることだった。
そんな二人が出会い、手を取り、一緒に「人を助ける軍人」を目指すことになった。ニアはカスケードを家名で特別視するようなことはしなかったし、カスケードはニアがみなしごであることを必要以上には気にしなかった。ただ、二人で同じ方向へ歩いていられれば、それで良かった。
「親友」でいられれば、それで。
二人が始まった夏の盛り、それから時間は流れ、十五歳の夏。誕生日が近い二人が一緒に出掛けて、ニアが大剣を手に入れた、これはその後の物語。
重い大剣を引きずる親友の姿を、カスケードはかれこれ一時間眺めていた。もちろんそのあいだ、自分も射撃訓練をしたりしていたのだが、ニアが新しい相棒と格闘しているのが気になって仕方がなかった。
「ニア、やっぱり無茶じゃないか。今まで通り細い剣を使ってたほうがいいって。そんな重いの、扱いにくいだろ」
少し離れたところから声を飛ばす。するとニアは、ムッとして返事をした。きれいな形の眉が寄る。
「そんなの、やってみなきゃわからないよ。使ってたら、扱えるようになるはず。なにかコツが掴めるかもしれない。僕は絶対に諦めないからね」
今まで、ニアの得物は軍支給の細身の剣だった。軽くて扱いやすい、女性が選ぶことも多いものだ。ニアは見た目が華奢で、実際十五歳男子としては少々非力ではあったので、それが最も扱いやすかったはずだ。それが急に大剣を持つことになったのは、十五歳の誕生日に、それに出会ってしまったからだ。
カスケードとともに商店街へ出かけ、そこで見つけた、幅の広い大きな刃にしっかりとした柄の剣。巨大なそれに、ニアはあろうことか一目惚れしてしまった。しかもその店の主は、「コツを掴めば使える」とニアにそれを譲ってしまったのだった。
店主の親友の、最後の作だという大剣。ニアは店主の親友への思いを代わりに受け取り、それを使いこなすことを目指して特訓を始めた。カスケードも「使えると信じてくれたのだから、大切に使うのがニアの義務だ」などと励ましたが、実際に訓練しているところを見ると、やはり不安になる。
ニアの体格と大剣は、どう見ても不釣り合いだ。引きずっている時点でアウトだろう。今になって、カスケードは自分の発言を後悔していた。余計なことを言って、ニアに期待を持たせるのではなかった。
「諦めないにしても、今日はもうやめとこうぜ。腹も減ってきたし」
今は終業後。練兵場には見張りの上官がいて、残って訓練をしている下級兵たちの様子をチェックしていた。その視線も、こちらへ向くと苦笑いするのだ。誰もが、ニアに大剣を扱うのは無理だろうと思っている。
できると信じたいと思ったカスケードでも無茶だと思うのだから、他の人はもっと「無理だ」「不可能だ」と思っているかもしれない。
それでもニアは、そんな視線や声など無視して、大剣を必死に持ち上げて振るおうとし、耐え切れずに地面に落とすことを繰り返していた。
「カスケードは先に戻ってていいよ。僕はもう少しやっていく。筋力トレーニングにもなるし」
「お前を残してくくらいなら待ってるよ」
「そう? じゃあ、あと五分だけ」
ニアは頑固だ。強情だ。それは実は、出会った時から変わっていないのだった。笑顔と穏やかな声で、他人にはそうとわかりにくかっただけで。
上司と二人の軍人寮の部屋で、カスケードはぼうっとしていた。ニアは別室で、他の上司と一緒に暮らしている。同じ部屋だったらいいのに、と話したことはあるけれど、それは実現されていなかった。カスケードの同室は軍家出身の者、ニアの同室は子供の頃に身寄りをなくした、つまりは同じ境遇の人間だ。
「インフェリア、ぼーっとしすぎ。暇なら武器の手入れするなり、ちょっと勉強するなりしたら? お前、趣味とかないんだし」
同室は悪気なくそんな言葉をかけて、自分は飴を舐めながら漫画本を読んでいた。瓶にいっぱい入った飴を、カスケードに分けてくれたことは一度もない。欲しいとも思わないが。
「別に、なんにも考えてないわけじゃない。ニアのことを考えてたんです」
「ジューンリーのことなら四六時中考えてるじゃんか、お前。あいつのこと好きなんだろ? 同室になれるよう、セレスさんに言っといてやろうか」
コロコロと飴を口の中で転がしながら、同室は笑う。この同室が「わざわざ部屋替えまでして同室になるようなやつらは、寮管理人のセレスさんに付き合ってるんだと思われてる」なんて言うものだから、カスケードからニアに同じ部屋になれたらいいなと話すことはなくなった。気恥ずかしくて、できなくなってしまった。
「あー、でも、最近のジューンリーに関しては俺も思うところがあるかな」
同室は漫画本から目を離さないまま言う。
「どういうことですか」
「お前もわかってんじゃない? あの大剣だよ。突然手に入れて、すぐに武器登録して。あんなでかいの、ジューンリーみたいなひょろひょろに使えるわけないじゃん。大剣ってのは、もっと鍛え上げたやつがぶんぶん振り回して使うんだよ。周りの敵を一振りで一掃する、その光景は超かっこいい。でもさあ、ジューンリーにはそんなの無理無理。だってそもそも、まともに持ち上げられないし」
あいつチビだしなあ、と同室は鼻で笑い、漫画のページを捲った。カスケードは無性に腹が立ったが、言い返すことはしなかった。自分もニアにあの武器は無茶だと思っていた一人なのだから、言い返せない。
「インフェリアも、友達ならはっきり言ってやったら? もとの武器に戻せって。じゃないと任務のときも足手纏いになる。お前らよく組むんだし、諦めさせるのも優しさだよ」
確かにカスケードとニアはよく組む。二人とも今はフリーの人員だが、そのうちどこかの班に組み込まれて仕事をすることも増えてくるだろう。軍の多くの人間は大なり小なり班に所属して、任務には極力まとまった人数で臨んでいる。ニアが大剣を使いこなせなければ、その班でもうまく立ち回れなくなってしまうだろう。カスケードとニアが同じ班になるという確証はない。今、寮での部屋が別々であるように。
一緒ならサポートできる。ニアがその頭の良さを生かして作戦を立てて、カスケードが動けばいいのだ。今もそうしている。でも、別れてしまったら。
諦めさせるのも優しさ。ニアがこれから上手く立ち回るためには、彼の憧れを断ち切らせることも必要なのかもしれない。カスケードは組んだ腕に顔を埋め、ニアの笑顔を思った。大剣を苦労して持ち上げながら、それでも彼は希望を湛えて笑っていたのだ。
翌日もニアは、空き時間には練兵場で大剣を手にしていた。昨日持ち上がらなかったものが今日になって突然軽々と扱えるということはもちろんなく、重い鋼の塊との格闘は続いている。柄を何度か握り直しては少し持ち上げることを繰り返している様子からは、とても実戦で動けそうにない。
カスケードは自分の訓練をしながらニアを見て、何度か口を開きかけた。もういいんじゃないか、と。大切なものを譲り受けただけでもすごいことなんじゃないか、と。それとも、扱えると信じているだなんて無責任に発言したことを謝るべきだろうか。
結局何も言えないまま訓練の時間は終わり、二人で事務仕事なり簡単な任務なりに向かう。視察任務のときにニアが持っていくのは、大剣ではなく、軍支給の細身の剣だった。
「そっちも使うんだな」
「登録を解除したわけじゃないからね。今はまだ、こっちの方が役に立つ」
それを聞いてホッとした。つまり、いつニアが諦めても、武器で困ることはない。しかしニアはキラキラした瞳で続けた。
「でも、やっぱり大剣を実戦で使えるようになりたいな。あっちのほうがリーチがあるし、力も大きい。例えば、他の先輩たちがやっているような大型獣の退治なら、大剣のほうが断然都合がいい」
諦めるつもりなんか毛頭ない。きっとカスケードが無理だと言っても、ニアはあの大剣へのこだわりを捨てないだろう。あれはニアの願いの象徴だ。人を助ける軍人になりたいという、変わらぬ願いの。
一緒に同じものを目指すと約束した自分が、ニアの願いを否定しようとしている。そう思うと、カスケードの胸はじくじくと痛んだ。
「カスケード、そんな変な顔してどうしたの」
「変……失礼だな、変な顔なんかしてない。むしろ俺はかっこいい! と、よく言われる!」
「ええ、絶対今変な顔してたよ。何かまた、面倒なこと考えてるんでしょう。僕にはわかるんだよ」
ニアにはお見通しだ。こちらが悩んでいることも、もしかしたらその内容も。それでも大剣を使おうとしているのであれば、もう止める手立てなんかない。彼に中途半端な「優しさ」なんて必要ないのだろう。ニアは最初から、カスケードより強かった。胸に抱く、魂ともいえる心の形が、全然違った。
「あのさ、ニア。もし……もしも、だぞ。大剣が使えなかったらどうするんだ」
嘘がつけない、ごまかしが下手なカスケードだから、尋ねてしまう。胸をしめつけられるような思いで、声を絞り出して。するとニアは振り返って、にこ、と笑って答えるのだ。
「使えるって店主さんが言ってたから、そのもしもはない。だから僕は、考えてない」
いつだって物事を考えてから動くニアが、大剣を使えないという未来を考えていないのなら、その未来はないのだ。彼はきっと、あの重い剣を使う。考えるのは、それを使うためにクリアしなければならないハンデをどう乗り越えるかだ。
「心配しなくても、ヒントは見つけたんだ。僕みたいに非力でも、あれを使える方法。まだ実践してないから、うまくいくかどうかはわからないけどね」
「本当か?! どうやって」
驚くカスケードに、ニアは唇の端を持ち上げ、人差し指を立てた。
「内緒」
その任務は、十五歳の年末に入ってきた。
「貴族家を狙った盗難事件が相次いでいる。一件は傷害もついていて、貴族たちはいよいよ怯えている。何とかしろと軍に詰めかけてくる者も後を絶たない状況だ」
「住宅街の見回りの強化と、一部貴族家の護衛をします。護衛対象になるのは、年配の方や小さな子供、心身に障碍を持つ人を抱えている家庭。それぞれ交代で行なうので、持ち回りを確認しておいて」
事件のために大班が結成された。カスケードたちの上には、日ごろから世話になっている上司、マグダレーナがいる。よほど大事にならない限りは、彼女の指示に従うことになる。
「よろしくね、カスケード君、ニア君。あなたたちのコンビネーションには、みんな大いに期待しているんだから」
マグダレーナのウィンクに、カスケードとニアはしっかりと頷いた。また二人で組んで仕事ができるという嬉しさと、それ以上の使命感。もう二度と、昨年の春に出くわしてしまった事件のようなことはごめんだった。
昨年の四月、裕福層の住む住宅街で殺人事件が起きた。家の中も荒らされ、金品が持ち去られていたので、強盗殺人事件として処理されている。家主の男性が行方不明、女性が亡くなっており、三人の娘たちがかろうじて生き残っていた。その凄惨な現場を見てしまってから、そこにいた少女の涙を見てから、二人にとってこの手の事件は必ず防がなければならないものとして刻み込まれている。
「俺たちの担当は?」
「まずは見回りに加わってもらうわね。あなたたちはまだ階級が高いとはいえないから、護衛をさせるのは難しいの。実力はあっても、肩書がより重視されてしまうのが、こういう仕事だから」
だから頑張って出世してね、とマグダレーナが二人の背中を強めに叩いた。カスケードは嫌な顔をするが、ニアは笑って「はい」と返事をする。
見回りは今夜から始まる。カスケードとニアには、裕福層の住む住宅地の一画が割り当てられた。見回りの日は午前休みをとってもいいらしいが、第一陣である今日は朝から夜中までずっと仕事ということになる。十五歳の成長にはあまりよくないが、これも軍人としての務めだ。
見回りの時間になって外に集合したとき、カスケードはギョッとした。他の軍人たちも戸惑っている。ニアがあの大剣を背負っていたのだ。細い体に、あまりにも似合っていない。
「ニア、お前、それ使う気か?」
「使わないで済むといいよね。もし何か起こそうなんて人がいても、これを見たら驚いてやめるかもしれないでしょう」
むしろ見た目には弱そうなニアに、これ幸いと襲いかかってきそうなものだが。上司らに説得されても、ニアは首を縦に振らなかった。意地でも大剣を持って行くつもりだ。
「インフェリア、やめさせろよ」
ついにカスケードに助けを求め始める。けれども簡単に頷けない。ニアの頑固さは、ここにいる誰よりも知っている。そうと決めたら、梃子でも動かないのだ。
「俺がついてるんで、今日は許してもらえませんか。そうだ、いざとなったら俺がこの大剣使いますよ」
とっさに思いついたことを口にすると、上司たちは渋々と頷いた。まあ、インフェリアが一緒なら。ジューンリーもそれほど馬鹿ではないし。そう会話が飛び交う中で、カスケードはホッと胸をなでおろした。
しかし、ニアはそんなカスケードをじろりと睨む。
「カスケード、今の何? これは僕の武器だよ。カスケードには銃があるじゃない」
「そうだけど。でもさ、やっぱり大剣を扱うのって力がいるだろ。ニアは俺より非力だし……」
「だから僕には無理だっていうの? その認識は大きな間違いだ。僕には僕の、この剣との付き合い方がある」
ふい、とそっぽを向いたニアは、どうやら本気で怒ったようだ。そんなつもりじゃなかった、なんて白々しいことは、カスケードには言えない。喧嘩になってしまった今でも、戦わなければならなくなったら自分がニアから大剣を奪って振おうかと思っている。それが最も確実な、この剣の利用法だと。
険悪な雰囲気のまま、見回りが始まった。カスケードたちは指定された区画に、上司たちとともに向かう。冬のエルニーニャは、まだ暖かいほうだというが、ずっと住んでいる身にはやはり空気は冷たく感じる。コートをしっかり着込んでいても、体は震えるし、吐く息は白かった。
「ニア、寒くないか?」
「……平気」
まだ機嫌が直っていないらしく、返事は短い。どうしたものかと思っていると、手に温かいものが触れた。ニアが小さな白い布袋のようなものを、カスケードの手に押し当てている。
「これ、持ってれば温かいよ。僕はもう一つ持ってるから、あげる」
「サンキュ」
こんなときなのに、ニアはカスケードを思いやってくれていた。もっと怒ってもいいのに、ニアの怒りはいつも長続きしない。ことカスケードに対しては、頑固なくせに、別の部分で譲ってくれることが多かった。
揉むと熱を発するらしい布袋を、コートのポケットにしまう。時折、ポケットに手を入れて温めた。ニアがそうしているように、カスケードも真似る。冬の夜の一日目は、そうしているうちに何事もなく終わった。
二日目、三日目も、カスケードたちには何も起きなかった。他の区画に行った班は、怪しげな人物を捕まえることもあったようだが、いずれも貴族家を狙う者ではなかった。しかし事件は、軍を嘲笑うかのように続いている。見回りの目をすり抜け、軍が護衛をしていない家を巧妙に狙い、盗みは繰り返されていた。そうなると貴族たちの不満はいよいよ膨らみ、軍への苦情や不信感が今にも爆発しそうになっている。この事態を重く見たマグダレーナら上司たちは、より見回りを強化するよう計画を立て直した。見回りの時間は長くなり、一晩あたりで歩く距離も増える。他の仕事に支障が出ないギリギリのラインで動き、なんとかして事件を解決しようと尽力していた。
カスケードとニアも、欠伸を噛み殺しながら日々の仕事をこなし、見回りに参加する。ニアの背中には毎回大剣があったが、今のところ一度も抜かれてはいなかった。相手がいないのだから、抜く必要はない。
大剣を使わないことに、カスケードもニアも安堵していた。けれども理由はそれぞれ違う。カスケードはニアの身を案じ、ニアは自分の見回る場所が無事であることに安心した。
「でも、そろそろ窃盗犯は捕まえないとね。あんまり被害が増えて、もっと酷い事件になったら困る」
「そうだな。貴族は軍に頼らないで自分でなんとかしたほうがいいんじゃないかって言いだしたらしいし、怪我人がまた出る前に決着をつけたいって上司連中も言ってる」
もう二度と惨劇が起きないように。カスケードとニアの想いはそれだけだ。今夜も武器を手に、町中の見回りが始まった。
十二月ももう下旬。安心して新しい年が迎えられるよう、物騒な事件は片付けてしまいたい。貴族も軍も、その気持ちは同じだった。
「止まって。……今、屋根の上を何かが走っていった」
班を率いていたマグダレーナが、腕を伸ばして立ち止まる。見上げた班員たちは、遠くに微かに移動する影を見た。
「こちらマグダレーナ班、東区画にて不審者を発見。追います」
無線で他班と連絡をとった、それが合図。通信が終わるや否や、カスケードとニアも他の班員とともに走り出した。途中の道で半分ずつ分かれ、次の道でまた半分。影の走る方向を追ううちに、いつのまにかカスケードとニアは二人きりになっていた。
「カスケード、みんなと分かれちゃまずいんじゃない? これはちょっと分散しすぎだよ」
警戒するニアを気にしている余裕も、カスケードにはなかった。だって、不審者には確実に近づいているのだ。もうすぐで追いつくところまで来ているのだ。あれを他の仲間が来るまで放っておくわけにはいかない。
「行き先はみんな同じだ。合流できるだろ」
「相手が僕たちと同じように複数人だったら? 考えているよりも、もっと大きな組織だったら……」
そんなはずはない。見えた影は一つだった。相手は一人、あるいはこちらと同じように少人数に分散しているはずで、もしものときでも二人もいれば対処できる。カスケードは考えたままに、ニアに告げようとした。だが、できなかった。
「やっとガキどもだけになった」
「階級章の色はよく見えねえが、そんなに高くはなさそうだ。さっさとやっちまおう」
「軍の目を掻い潜るのも、いい加減面倒になってきたしな」
いつのまにか、二人は囲まれていた。周りには柄の悪そうな大人たちがいて、手には棍などの入手しやすい武器が見える。どうやらニアの懸念通り、相手は大人数で、カスケードたちを罠に嵌めたようだった。
「おいおい、チビのほうが何かでかいの持ってるぜ。使えんのかよ、あれ」
「ただの荷物だろ。でかいほうには気をつけておけ。暗くてよく見えねえが、ありゃあもしかすると、建国御三家の人間かもしれねえ」
カスケードの額に青筋が浮いた。家のことをどうこう言われ、それと自分を結び付けられるのが、カスケードは何よりも嫌だった。軍の人々はそれをわかっていて、あまりインフェリア家の話題は出さない。しかし相手は、何も知らない人間だ。
「カスケード、冷静に」
「わかってる」
ニアの声で深呼吸をし、落ち着いて銃を構える。射撃の腕は悪くないつもりだ。ニアが大剣を使えるかどうかがわからない今、頼れるのはカスケード自身の力だけだった。
相手が一斉に棍を振り上げて襲いかかってくる。こちらに到達するよりも早く、カスケードは引き金を引いた。弾丸が一発、二発と放たれるごとに、相手の手や足を撃ち抜いていく。けっして殺してはいけない。奴らを捕まえ、これまでの事件と関係があるのかどうか証言をさせなければならないからだ。もとよりカスケードには、殺すための技術も心構えも足りていないのだが。
ニアは攻撃をひたすら避け、勢いづいた相手の自滅を誘っている。大剣を背負っているというのに、足取りは重く見えない。そういえば一緒に訓練をしていて、足運びが随分良くなっていたなと、カスケードは思い出した。
気が反れた、ほんの一瞬。カスケードの手から銃が弾かれた。相手も銃を持っていたのだ。弾丸は手には当たらなかったが、しっかりと握っていたはずの銃を遠くに飛ばすくらいの威力はあった。暗闇も不利に働き、カスケードは自分の武器を完全に見失ってしまう。
「くそ……っ、ここからは体術だけで頑張るしかないか」
体術にもいくらか自信はある。そもそも実技能力の高さをかわれて軍に入隊したカスケードだ。ニアとの訓練の中で、その技術も力も、当時より格段にあがっている。近くにいた敵を蹴り飛ばし、殴り倒し、なんとか凌いだ。だが相手が銃を持っているとわかった以上、それもどこから狙われたのかがわからないままでは、その対抗策が見つからない。さすがに徒手空拳で立ち向かうことは難しいだろう。
どうする。ニアだって、いつまでも逃げていられるとは限らない。――俺がニアを守らなければ、やられてしまう。
「カスケード、あっちには今、誰もいない」
不意にニアが囁いた。示された方向には、たしかに敵がおらず、頑丈そうな塀がそびえていた。
「あっちに離れててくれる? ここは僕に任せて」
「任せてって、どうするんだよ」
大剣は満足に扱えないはずだ。扱えたのを見たことがない。カスケードよりも力の弱いニアでは、格闘でも不利だ。しかし、ニアは笑顔を浮かべていた。
「大丈夫。突破口は見えてるんだ。でも君を巻き込みたくないから、早く離れて」
馬鹿なことを言うな、と叱り飛ばすべきなのかもしれない。でも、そんな余裕はなかった。それに何より、大剣を背からおろして柄を握るニアが、とても自信に満ちていて。
気がつけば、カスケードはニアの指示に従っていた。
「さあ、いくよ。……僕には、僕の戦い方がある!」
嘲笑いながら襲いかかってくる人々と、どこかから聞こえた銃声。危ない、とカスケードが叫ぼうとしたその刹那。
大剣の刃が、宙に輝いた。大きな弧を描き、その軌道にいた者と、ついでに銃弾までも、跳ね飛ばした。
あの細い腕で、カスケードより小さな体で、ニアは大剣を完全に使いこなしていた。
両手で柄を握り、それでも持ち上がらなかったはずの大剣が、ふわりと浮き上がって、その鋼の広い面で周囲の敵を叩く。動きが大きく、その分だけ攻撃範囲も広い。たしかにカスケードが近くにいれば、巻き添えを食うだろう。呆然としていると、手に何かが当たった。触れてみると、慣れた感触。どこに飛んだのかわからなくなっていた、カスケードの銃だった。ニアの周りは彼がどうにかする。誰だって、今のニアには近づけない。だったら離れたところにいる者は、カスケードの担当だ。再び銃のグリップを握りしめ、身体は体術の姿勢をとる。素早くあたりを見回すと、不思議なことに、遠くからニアを狙おうとしていた狙撃手がはっきりと見えた。近くにいた敵に拳を浴びせた直後、弾丸を放つ。闇の中で小さな影が膝を崩した。
突破口はある――ニアはずっと、このときを見据えていた。大剣を自在に操る、そのコツを掴んでいた。ただ日々を大剣を持ち上げては置くだけの繰り返しに費やしていたわけではない。どう扱えば自分の力でもこの大きな武器が振るえるのか、彼はずっと頭の中で計算していた。それがニアの得意なことであり、器用に道具を使うことはもっと得意なことだった。どうしてそれを忘れていたんだ、とカスケードはにんまり笑う。やっぱりニアは、すごいやつだ。
他の人員が現場に到着する頃には、カスケードたちを囲んでいた集団は壊滅していた。大剣を手にするニアに、誰もがぽかんとする。そんな軍人たちに、ニアは、えへ、と照れたように笑った。
同時に、他の班が窃盗団の確保に成功したようだ。その晩、窃盗事件は終息を迎えたのだった。
明日から新しい年を迎える。それと同時に、カスケードとニアの年齢は十六歳になる。満年齢はまだ十五歳だが、この国では一般的に年が変われば年齢も上がる扱いだ。
例のごとく実家に帰るのを嫌がったカスケードは、ニアの暮らす部屋に入り浸り――年末年始は二人とも同室の上司がいないのだ――インスタント食品と炭酸飲料と菓子を大量に持ち込んで年を越そうとしていた。
「ニアの部屋の人って、休みの日いつもどこ行ってんの」
柑橘の皮をむきながら、カスケードは興味なさげに尋ねる。
「お世話になってた施設の手伝いに行ってるんだよ。前に言わなかったっけ」
「んー、忘れた」
果物の実を口に放り込む。酸っぱい味が広がって、そこに炭酸飲料を流し込んだ。
「なあ、ニア」
「何?」
「あの大剣、どうやって使えるようになったんだ。店主が言ってたコツっての、掴んだんだろ」
ずっと訊きたかった。どうしてあの瞬間、ニアは大剣を振るうことができたのか。掴めば使えるようになるという「コツ」とは何だったのか。身を乗りだすカスケードに、ニアは首を傾げて微笑んだ。
「知りたい?」
「もちろん」
「でも、カスケード、信じてなかったでしょう。励ましてくれたけど、本当は僕に大剣を使うのは無理だって思ってた」
ぎくりとした、感情がそのまま顔に出る。しかしニアは怒らずに、代わりにいたずらが成功した子供のような顔をした。
「だから今は教えない。どうしても知りたかったら、いつか突き止めてごらん」
「ええー、それ余計気になる……」
テーブルに突っ伏したカスケードの頭を、ニアがぽんぽんと優しく叩く。きっといつかはわかる。カスケードも、あの大剣を使ってみればいい。
それは少し遠く、けれどもあまりに近すぎる未来の話。それまで二人は、並んで歩いて行くのだ。