首都レジーナの大通りの公園には、お洒落な恰好をした老若男女が往来している。不便はないが所詮は片田舎の小さな町であるクラウンチェットの、素朴な駅前公園とはわけが違う。
 ホットチョコレートを売る屋台は、首都に来た初日に駅で見かけた。兄にねだると、そのときは「他の場所にもあるから後で」と却下されてしまった。でも今にしてみれば、それで正解だったのだ。
 きっと自分のお小遣いで買って、大好きな人と一緒に飲んだら、もっと美味しく感じるだろうから。
「サシャ、おまたせ。遅れてしまってごめんなさい」
 今日は首都での、初めてのデート。


「今回は結構長くいるのか。じゃあ、たくさん遊ぼうな」
 大親友がにんまりしたので、サシャも大きく頷いた。
 サシャ・ハイルは生まれも育ちもクラウンチェットだが、父方の祖父母が首都に住んでいるために、いくらか馴染みはある。
 そして仲の良い友達もいる。その一人が、サシャよりも二つ年上のグリンテールだ。父の後輩の子で、元気で明るく気が合う。住んでいる場所がお互い遠いのが残念だが、その分会えば全力で楽しめるのだった。
「あ、でもさ、グリンは先生のボディーガードとかやってるんじゃなかったっけ」
「大丈夫。先生、きっとサシャにも会いたいと思う。一緒に行っちゃおうぜ」
 何かと忙しいらしいグリンも、サシャが遊びに来ている間は都合をつけてくれる。年の差はあれど、同い年の友人同士のように思っていた。
 そんな彼にだからこそ、話せることもある。サシャは周囲をきょろきょろと見回してから、そっとグリンに耳打ちした。
「あのさ、それってモルドも来る?」
 グリンは少し考えてから、体調次第かな、と答えた。サシャに合わせて小声である。
「年末年始は家の来客が多かったみたいで、疲れて寝ちゃってるんだ。サシャが帰るまでには、一日くらいは外に出られる日を作れると良いんだけど」
 モルドリンという少女も、この首都に住んでいる。年齢はグリンと同じで、つまりはサシャにとっては少しだけ年上。明るい茶色の長い髪が綺麗な子だ。
 けれども持病があって、会うのはなかなか難しい。年に数回程度しか首都に遊びに来られないサシャが顔を合わせる機会は、より少ない。
 それでもその僅かな時間で、サシャは彼女に想いを寄せるようになったのだった。
「出られなくても、ちゃんとサシャが来てることは伝えるからな」
「頼むよ、親友! 本当はオレもモルドの家に行きたいけどさ……」
 非常に残念ながら、サシャは彼女の家に行くことができない。そもそもモルドの家に出入りすることを許されているのが、幼馴染であるグリンだけなのだ。
 恐いのはモルドの祖母である。とても厳しく、モルドの体調管理のためにはできるだけ外界との接触を減らした方が良いと主張している。そのくせモルドを学校に通わせることだけは強硬に推し進めたそうなのだが。
 そういうわけで、付き合いが長く頻繁であるグリン以外の子供が、モルドに会いに行くことは難しいのであった。一緒にいられる機会は、彼女の体調が良いときに許可される、外出の日だけ。それも月に一回しかない。
「モルドもきっと、サシャに会いたいと思うぞ。たまに元気かなって話すと、すごく嬉しそうだから」
「ホント? モルド、オレのこと好きかなあ!?」
「いや、そこまでは俺にはわかんない……」
 友達としては大好きだと思うけど、とグリンは言う。嬉しいけれど、そうじゃないんだよな、とも思う。
 サシャの初恋は、いつでもどこでも燻っているのだった。

 会いたいという想いは募っているのに、チャンスはなかなか巡ってこない。グリンと共にあちこち遊びに行ったり、知り合いの小説家の先生(グリンの従兄)の家でお菓子をご馳走になったり、首都で過ごす冬休みはあっという間だ。
「俺はまだこっちで仕事があるけど、サシャとフィーはそろそろ帰らなくちゃね。次の週末ならじいちゃんが一緒に行ってくれるし、クラウンチェットの駅まで父さんが迎えに来られるって」
 兄にそう宣告された日、サシャはいよいよ焦り始めた。もとは兄のトビが、こちらでひと月ほどのアルバイトをするというので連れてきてもらったのだ。
「もうちょっといちゃだめ?」
「フィーがぐずり始めたから、そろそろ帰してあげないと。でもサシャはもっと友達と遊んでいたいんだよね」
 サシャは小さな妹の兄でもある。トビが兄として自分たち弟妹の面倒をみてくれていることには感謝しているし、尊敬もしている。自分もそうでありたいと思う以上、ここはわがままを通すべきではない。そう答えを出したからこそ、笑い返した。
「平気だよ。オレ、フィーと一緒に帰る」
「そっか、ありがとう。サシャも一人で列車に乗れるようになったら、好きに遊びに来られるからな」
 今度一緒に練習しよう、とトビが頭を撫でてくれる。その手から安堵が伝わってきて、これで良かったんだとサシャもこっそり息を吐いた。
 さて、そうと決まれば残りの休みを有効に活用しなければ。早速グリンに連絡をすると、彼も素早く行動に出てくれたらしい。
「サシャ、やったぞ! モルドが外で遊べるって!」
「ホントに? じゃあ最後にみんなで遊ぼう!」
 一目でも好きな子に会える。サシャはそれで十分幸せだ。ところがグリンは、電話口で「チッチッ」と言った。見えないが、指を振っているのだろう。
「モルドと二人で会えよ。初デートだぞ、サシャ!」
「……でーと」
 それは、気持ちを伝えてすらいないのに、してもいいものなのか。というか、モルドは良いと言ったのか。
「グリン、勝手なこと言ってない?」
「ちゃんとモルドに言ったぞ。サシャと二人で遊びに行ったらって」
「良いって言った?」
「面白そうね、楽しみ。だってさ」
 モルドはクールな少女だ。又聞きだろうと直接だろうと、その真意はよくわからない。だが、彼女の貴重な時間を独り占めしてもいいというのは確からしい。
 呆然としたままグリンに礼を言い、電話を切った。それから込み上げてきた興奮にまかせ、祖父母の家を走り回った。
「じいちゃん、大変大変! あのさあのさ、好きな子と一緒に出かけるときって、どんな恰好したらいいのかなあ!?」
「何、サシャ、まさかデートか! よし、服を買いに行こう!」
「二人とも、騒いだらフェリシーが起きちゃうよ。せっかく気持ちよくお昼寝してるのに……」
 呆れる祖母に見送られ、サシャは祖父と共に商店街へと繰り出した。まだデートの日時と場所を決めていないということなど、意識にはなかった。

 グリンと打ち合わせを重ね、祖父に買ってもらった新しい服を何度も試着し、ついにその日がやってきた。
 明日にはクラウンチェットの家に帰らなければならない、絶対にやり直しのきかない一日。待ち合わせ場所に到着したのは、グリンに指定された時刻よりも三十分ほど早かった。
 お洒落な人々が行き交う大通りの公園。カップルらしき姿もある。都会っぽくてかっこいいな、と思う反面、自分が浮いていないか気になってしまう。
 チェック柄を取り入れたコートは、祖父も兄も、小さいながらもお洒落が大好きな妹も「とても似合う」と褒めてくれた。祖母は「お父さんほどは上手くないけど」と言いつつも写真を撮ってくれた。大丈夫なはずだ。きっと。
 ホットチョコレートの屋台から甘い香りが漂ってくる。運んだ風に誘われるように、誰かがサシャを呼んだ。
「サシャ、おまたせ」
 音は高く、色は落ち着いた、耳触りの良い声。目に映ったのは、奇しくもチェック柄の入ったダッフルコート。
「遅れてしまってごめんなさい。待ち合わせの時間を勘違いしてしまったかしら」
 表情ははっきりいって乏しいが、太めの眉と大きな瞳は申し訳なさそうに下がっている。サシャは慌てて首を横に振った。
「違うよ、オレが早すぎたんだ! モルドは時間通り!」
「そう? サシャ、もしかして少しせっかちなの?」
 彼女はやっと笑ってくれる。絹糸のような髪が揺れた。
 恋焦がれる女の子、モルドは今日もとても可愛い。
「明日にはクラウンチェットに帰るって、グリンから聞いた。わたしがもっと元気なら、いる間にたくさん遊べたのに」
「疲れてたんだろ、仕方ないよ。オレもモルドに会いたかったから、今日来てくれて嬉しい。そうだ、モルドは屋台のホットチョコレートって飲んでもいいんだっけ」
 呼び込みの声がする方を指さす。ちょうど若い男女が寄り添いながら、湯気をたてるカップを受け取っているところだった。
 少し恥ずかしくなってしまったサシャを、モルドは見ていない。屋台の方に目を向け、うう、と唸った。
「お祖母様に知られたら、少し叱られるかも」
「あ、そうだよね。外で売ってるものは避けた方が」
「だからバレないように買おう。サシャ、ずっと待ってたからお腹空いちゃったでしょう」
 いたずらっぽく目を細め、モルドはすたすたと屋台へ向かう。そして慣れた様子でホットチョコレートを二つ注文し、一つをサシャに渡した。会計もすっかり済んでいる。
「……ありがとう」
「どういたしまして。ここのが公園に出てる屋台で一番美味しいの」
 実は何度か通ってるけど、お祖母様には一度しかバレたことがないんだよ。そう言って赤い舌先を出すモルドの可愛いことといったら。そして「オレが奢る」と言えなかったサシャの、情けないことといったら。
 何かで挽回できないだろうか。確かに美味しいホットチョコレートを味わいながら、サシャは公園を見渡す。
 露店を開いている人がいた。敷物の上にきらきらしたアクセサリーをたくさん並べている。
 ――そういえばモルドは、きらきらした物が好きなんだっけ。
 グリンがいつか教えてくれた。なかなか外に出られないモルドは、きれいな石やアクセサリーが好きなのだと。人以外で好きなものを尋ねると、一番に本、二番にきれいな物と言うらしい。
「モルド、あの露店を見に行かない?」
 指さして歩き出そうとしたサシャを、けれどもモルドは厳しい顔で止めた。
「待って、サシャ。あの人、許可証を出してない。見えるところに置いておかないと、公園でお店を出せないの」
 屋台にもついているでしょう、と示された通り、営業許可証というものがあるらしい。露店にはそれらしきものが見えなかった。
「お店の人が持ってるんじゃ」
「持ってるだけはだめ。誰にでもきちんと見えるようにしておくのがルール。従わない店には近づいてはいけないって、父が言っていた」
 モルドの父は軍人、しかも大総統補佐である。その人が言うのであれば、無視してはいけない。出しかけた足を引っ込めながら、それでもサシャはもう少しだけ食い下がった。
「もし、許可証のない店に近づいたら? オレ、捕まっちゃう?」
「軍には捕まらないけど、悪い人には捕まるかもね。決まりを守らない人が不当に得たお金は、裏組織とかそういう悪い人たちに回る。人間はぼったくられて誘拐されて、もしかしたらばらばらにされて大陸中で売りさばかれるかも」
「ごめん、もう近づこうとしない。だから怖い話やめて」
 本をよく読むモルドのことだ、語っている間にも豊かな想像力で、その光景を頭の中に描き出しているに違いない。それがこちらにも流れ込んできそうで、サシャは思わず耳と頭を押さえた。
 その様子を見て、モルドは困ったように、微かに笑った。
「ごめんね、怖がらせてしまって。でも気をつけましょう。サシャのご両親も心配するから」
 ああ、なんて情けない。好きな女の子の前で、かっこいいところを一度だって見せられていない。
 露店はまもなく、見回りに来た軍人に声をかけられ畳まれていた。

 少しお話をしたい、とモルドが言うので、二人でベンチに向かった。冬のベンチは冷えているので、サシャは持ってきたハンカチを広げる。
「あんまり意味ないかもだけど、モルドはこの上に座りなよ。兄ちゃんがさ、オレとフィーによくこうしてくれるんだ」
「ありがとう。紳士ね、サシャ」
 にっこりしたモルドを見て、やっと一つデートらしいことができたと、サシャは小さく拳を握った。ところがすぐにベンチの上のもう一枚のハンカチに気づいた。しかも大判のタオル地だ。
「じゃあ、サシャはそこに。せっかく新しそうなコートなのに、汚れたら勿体ないよ」
「あー……ありがとう。モルドは優しいな」
「お互い様でしょう」
 いや、違う。モルドの方が先に上をいってしまう。年齢は仕方がないとしても、仕草くらいはサシャでも大人っぽくできると思っていた。
 しかしこれでは、まるでモルドの弟だ。
「サシャに紳士的な振る舞いを教えたのは、トビ君なのね」
 戸惑いつつも座ったサシャに、モルドが言う。
「うん。兄ちゃんはスマートにかっこいいんだ。大人だしさ。憧れてるから、少しでも近づきたくて真似するんだ」
「いいね、お手本が近くにいて。わたしもトビ君みたいなお兄さんがいたらなあ」
 サシャの胸が、針を刺したように痛んだ。兄を真似たのは、その振る舞いに憧れているからというだけではない。以前からわかっていたことだ。
 モルドとトビは、本好き同士仲が良い。サシャよりも会う機会が少ないのに、顔を合わせればずっとおすすめの本の話を楽しそうにするのだ。
 年齢なんか関係ないとでもいうように、モルドは七つも年上のトビと対等に話す。呼び方だって「トビ君」だ。一方で彼女は、サシャにはお姉さんらしくきびきびと振る舞う。今日もそうだった。
「ねえ、サシャ。最近、トビ君はどんな本を読んでいるの? レナ先生の新刊はもう読んだかしら。わたし、短編集に収録されたお話の考察をしているんだけれど、トビ君の意見が聞きたくて」
「……ええと、多分、まだだよ。この前、サイン本貰ったって喜んで帰ってきたけど、短編集ではないみたい」
 同時期に出た二作のうちの一作だとか、そんな話は聞いた。聞いたけれど、サシャには難しくてわからなかった。読み書きを今のサシャくらいの年から始めた筈なのに、トビはよく本を読み、感想を話す。けれどもとっくに読み書きができる今のサシャは、あまり本には興味がない。
「サシャは最近、何が好きなの?」
 モルドの穏やかな声が、無邪気に尋ねる。具合が悪く寝ていることが多いモルドに、外を思い切り駆け回る遊びやスポーツのことを、話してもいいのだろうか。気分を害さないだろうか。
「何が、とかは、特には」
「そう? 趣味とか見つからない? 色々なことに触れておくと、たくさんのことができるようになるよ」
 できないよ。モルドや兄のようにはできない。グリンのようにモルドと楽しくお喋りをすることだって難しい。
 もっと楽しいデートにするはずだった。こんなはずじゃなかった。もっと、もっと。
「どうしたの、サシャ。どこか痛くした?」
「え、なんで」
 ぱたり、と水が落ちた。冷えた頬に流れたようで、そこがじんじんと痛痒い。
 慌ててハンカチを出そうとして、さっきモルドのためにベンチに敷いたのだと思い出した。そして彼女はちゃんと予備を持っていたようで、サシャにきれいな花柄のハンカチを差し出す。
「寒くなったかな。わたしが遅かったから、待たせちゃったものね」
「ち、違うよ。これは何でもないんだ。ただ、オレが」
 この瞬間まで、ずっとずっと情けないだけだ。
 コートの袖で乱暴に涙を拭うと、隣で小さな溜息が聞こえた。
「帰ろうか、サシャ」
 そんな、何も挽回できてないのに。引き留めることもできず、ベンチから立ち上がったモルドの背中を見た。
 その背中が傾いて、ふらりと屈み込むまで。
「モルド? どうしたの、ねえ」
「……急に、眠く、なって」
 つらそうに声を絞り出す。そういえば、モルドの病はそういうものだった。疲れて眠り続けるだけではなく、急に睡魔に襲われて立っていられなくなることもある。
 まさかそれが、今?
「ど、どうしたらいい? そうだ、家に電話を」
 公衆電話はここから遠い。モルドをベンチに寝かせて、それから向かわなければ。けれども力の抜けてしまった体は、二歳しか違わない女の子でも十分すぎるほど重い。サシャにはとても支えられなかった。
「誰か」
 好きな女の子のことを助けることもできない。誰かに助けを求めなければ、何もできない。
「誰か助けて……!」
 悔しい。悔しいけれど、悔しがっている場合じゃない。
「動けないんです! この子を助けてください!」
 たった一つ。声の大きさなら、兄にだって負けない。
 集まってきてくれた人たちを掻き分け、サシャを呼んだ者がいた。周囲の人にお礼を言いながら、「この子たち、俺の弟と友達なんです」と説明していた。
「サシャ、よく頑張った。遅れてごめん」
 涙で滲んでよく見えなくても、兄はかっこよかった。
「兄ちゃん、モルドが」
「うん、寒さで体力を消耗したのかも。背負うから少しだけ手伝って」
 兄の手際は素晴らしかった。サシャがモルドの腕を兄の肩へ伸ばしてやると、彼女を背負って立ち上がる。しっかり支えて、もう一度集まった人にお礼を言って、早足で通りの方へ向かった。
「サシャ、タクシーを捕まえてくれる? 大きな声で呼び止めて」
「うん!」
 兄に指示された通りに、やってきた車を止める。運転手にはモルドの家の住所を告げた。
 ようやく一息ついて、サシャは隣のモルドの様子を見つつ、助手席に座る兄に尋ねた。
「兄ちゃん、どうして来てくれたの」
「こういうこともあろうかと。あ、サシャを信じてないわけじゃないんだ。何事もなければ邪魔しないで帰るつもりだったんだけど」
 判断まで正しい。サシャは「ありがとう」と小さく呟き、唇を噛んだ。
 それを見ているのかいないのか、兄は振り向かずに言った。
「今度はサシャの番だよ」
「……何が」
「万全の準備をしておいて、次に同じことになってしまったときは、サシャがちゃんと対応するんだ。モルドをおんぶできるように、力をつけておこう」
 ね、と微笑みを含んだ声が、あまりに優しい。兄は賢くて、護身術として身につけた技も強いけれど、一番の力はこの優しさなのだろう。
 血の繋がらない兄だ。でも世界中のどんな人よりも、サシャの兄なのだ。
 ――そりゃあ憧れるよ、モルドだって。
 ――オレの兄ちゃんはかっこいいもん。
 準備をしよう。好きな女の子も、もしかしたらいつかは困ることがあるかもしれない兄も、全部この手で助けられるように。
 悔しい思いを重ねないように、強く、逞しくなるんだ。


 サシャが妹のフェリシーと共にクラウンチェットに帰ってから、一週間以上が経った。
 兄のトビは、更にあと何日か仕事が残っているらしい。まだ帰っては来られない。けれども電話をかけてきてくれた。
「サシャ、父さんの手伝いはしてくれてる?」
「バッチリ! フィーの世話もちゃんとしてるよ!」
「さすがサシャだね。俺も安心して仕事に集中できるよ」
 兄に褒められると、やはり誇らしい。照れていると、話題が彼女に移った。
「モルドが、サシャに感謝してるって。直接聞いたわけじゃないけど、グリンが言ってたから確かなんじゃない?」
「あ、モルド起きたんだ。でもさ、オレなんにもできなかったのに、何に感謝するのさ」
「ピンチのときに助けを呼んだのはサシャだよ。それに、デートはとても楽しかったって」
 また仕切り直しましょうって。兄の声だけれど、その台詞はいかにもモルドらしかった。
 今度は、もっとたくさんの話題を持っていこう。モルドはきっと、外の世界のことをたくさん知りたいのだ。
 スポーツの話だって、モルド相手なら躊躇しなくていいのだ、きっと。彼女は本を通じて、たくさんの世界を楽しんでいる。そういうことができる人だ。
 次までに、どれくらい鍛えられるだろう。目標はどうしよう。強くなってレジーナに行くとすれば。
「あ、そうか。兄ちゃん、オレ、軍人目指せばいいんだ! 中央司令部に行けば良いんだよ!」
 それなら全部達成できるのではないか。中央司令部に所属すれば、レジーナに住むこともできる。モルドとの距離も近くなる。
 サシャが入隊する頃には、グリンが先に在籍しているかもしれない。心強い仲間も約束されている。
 兄は「なるほど」と、「頑張れ」と言ってくれた。温かい手が背中を押してくれたような気がした。