「そこまで」
 低い声と手を打ち鳴らす音が、明るい空の下に響く。いつの間に水を撒いたのか、緑の濃い庭の匂いが、合図を境に鼻腔を刺激した。
 どれくらいの時間、集中して剣を振るっていたのだろう。実際には物を斬ることのできない訓練用の模造品だが、重さは本物と同じ。気を抜くと肩から腕にかけて、どっと疲れが湧いてきた。
「センちゃん、手が痛い」
「手? 剣は足腰を使って振れと言っただろう。まだ腕だけを力任せに振っているのか」
 試験まであと一週間だぞ、と呆れた師に、グリンは困った顔でへにゃりと笑った。
「足もくたくたなんだ。先にへばりそうだったから、庇っちゃって」
「しっかり踏み込んでいれば、そんな無茶な庇い方はしなくていいはずだ。それができないのは何故だ」
 きっとわかっているのだろう。センテッドはグリンからきちんと報告するのを待っているのだ。渋々降参し、グリンは靴下を捲って見せた。
「……さっき、ちょっと捻った」
「身体の違和感を放置して良いことは何も無い。一週間後に支障が出たらまずいだろう」
 幸い腫れてはいないようだが。そうは言ったが、センテッドはグリンをひょいと脇に抱えた。そのまますぐ側の大きな家に向かって、アプローチを歩いていった。
 その姿がかっこいいなと、自分もきっとそうなろうと、グリンは宙に浮いたまま思った。

 世界歴五六三年夏。グリンテール・インフェリアは十歳――遂にエルニーニャ王国軍入隊試験の直前を迎えていた。

 夕食をとる間もセンテッドの講義は続く。実技も筆記も、グリンが軍人を目指すと言った日から、時間ができたときにはここに来て指導をしてくれていた。
 あまりに熱心なもので、この家の主であるニールも微笑ましさ余って苦笑がもれる。
「ね、ご飯くらい落ち着いて食べたら?」
「ごめんな、先生。歴史とか全然覚えられなくてさ」
「グリンは大総統史が苦手なんだ、大総統の孫なのに。さて、先の事件を収束させた先カスケード・インフェリアだが……」
 食事をしながらの勉強はクイズ形式で、グリンの正答率はなかなかのものだ。特にこの一年の学習の成果は目覚しく、一週間後の本番も問題はないだろうと誰もが思っていた。
 グリン本人以外は、だが。
 当人の不安を少しでも取り除こうとして、センテッドも問題を出し続けている。剣の訓練も同様に。それでも本番が近づくにつれて、グリンは焦ってきているようだった。
「俺、だめかもしれない」
 たった一問を記憶違いしていただけで、全てを失敗してしまったかのような重い溜息を吐く。そんなグリンをどうやって励ましたらいいのか、センテッドとニールも悩んでいた。
「センテッド君、入隊試験ってそんなに難しいの?」
「そのときによって難易度が若干変動するようだが、難しいものではないはずだ。グリンは夏の試験を受けるわけだし」
 受験のタイミングが三月ならば、軍人学校の卒業予定者たちと重なってしまって、入隊の難易度は上がる。だがこの時期は暑さ以外の悪条件はなく、合格の可能性は比較的高いはずだ。
 一方で誰一人として実力が伴わないと判断されれば、合格者がゼロのときもある。例えば受験者が一人だったとしても、油断はできない。
 合格したとしても成績如何でスタート位置が異なる。成績優秀者と軍人学校出身者は伍長から、そうでなければ最も低い三等兵から始まる。
 グリンの母と伯父は伍長入隊だった。その次の世代であるグリンにとってはプレッシャーである。
「緊張しすぎて、最近はあんまり眠れないんだ」
「体調管理も仕事のうちだぞ」
「センテッド君がそれを言う? 連日徹夜して疲れきって、ここでよろよろしながらご飯食べてたことあったでしょう」
 眠れなかったらぼんやりしてなよ、とニールは言う。悪夢に魘されることの多い彼は、いくつもの夜をそうして過ごしたのかもしれない。グリンは頷き、ひんやりと甘い夏のスープを味わった。

 勉強は苦手だ。体を動かすのは好きだけれど、最近になって長く伸びてきた手足は持て余し気味である。成長痛にもうんざりする。
 それでも軍人になるために、毎日ノートを開く。跳んだり走ったり振り回したりを繰り返す。守り、助けたい人がいるからだ。
「グリン、おかえりなさい。夕食はニールのところで食べてきたのかしら」
 帰宅すると笑顔で迎えてくれる、大好きな祖母。優しく温かく、そして繊細で傷つきやすい人。まず、この人を守れるようになるんだと思っていた。
「うん。でもほら、先生がお菓子をくれたんだ。一緒にお茶の時間にしよう、ばあちゃん」
「まあ、綺麗なお菓子。そうね、今から食べちゃいましょう」
 父も母も、仕事が忙しくて揃う日が少ない。それでもグリンが独りで寂しくならないのは、祖母が常に隣にいてくれたからだ。
「おお、グリン、帰ったか。今日はどんな具合だった?」
「じいちゃんもお菓子食べようよ。食べながら話すからさ」
 それから祖父。この人は大きな体と心でグリンたちをいつも守ってくれる。かつてエルニーニャ王国軍のトップでもあった、この人のようになりたいと思っていた。
 祖父はあまり近親者を軍に入れたくはないらしいのだが、グリンの夢は応援してくれていた。センテッドが挨拶に来てくれたから、というのもある。
 ――僕が責任を持って、グリンの面倒を見ます。入隊試験のことだけではなく、その先も。
 夢を追うことを許してくれた祖父と、共に責任を負ってくれたセンテッドに報いたい。そうしていつかは彼らのことも守れるくらいに強くなりたかった。
 その気持ちがよりはっきりとしたのは、昨年のこと。大好きな「先生」ニールと、その仕事相手でグリンと友達になってくれた女性マトリが、事件に巻き込まれてしまったのだ。命を落としかねない状況だったのだが、グリンは何もできなかった。ただの子供だったから――先生の助手でボディガードだったのに。
 あんな悔しい思いはしたくない。グリンには立場と力が必要だった。大切なものを守るための、守れると認められるだけの、絶対的な肩書と実力が。
 入隊試験に合格すれば、そのためのスタートラインに立てる。立たなければならない。夢に手の届くところまできているはずなのに、いまひとつ自信が持てないでいる。
 グリン自身が自分の力を抑えなくてはならない事情もあるからなのだけれど。全力を出さずに壁を越えなければならない理由が。とても難しいことだが、できなければ前には進めない。
 そういう意味では、グリンにとって入隊試験の難易度は他の誰よりも高かった。
「剣を振るとき、足をちょっと捻ったんだ。もう全然平気だけど、気をつけなくちゃな」
「本当に大丈夫なの? 赤くなってたりはしない?」
「センちゃんにも見てもらったけど、大丈夫だよ」
 些細な負傷を気にしてなんかいられない。もっと実力をつけたい。もう時間がないのだから。
「足は癖になるから、甘く見ちゃ駄目だぞ。そうだ、明日にでもサクラに診てもらおう」
「いいよ、じいちゃん。サクラおばちゃんに診てもらうのを待ってる人がいるのに、横入りはできない。おばちゃんも忙しいだろうし」
 でも、と祖父が食い下がろうとしたところで、玄関から明るい「ただいま」が聞こえた。母が帰ってきたらしい。
 椅子から勢いをつけて立ち上がり、グリンは軽快に駆けていく。元気に「おかえり」と言う頃には、心配の空気はなくなっていた。


 エルニーニャ王国軍入隊試験当日。玄関先で祖父母と、両親までもが珍しく並んで見送ってくれた。
「気楽にやりなさいよ。どうせ最終判断するのはフィンとゼンなんだから」
「えー……身内にこそ厳しい人たちだからなあ」
 そりゃあ、彼らの友人である母は気楽かもしれないが。彼らが仕事に関わることにけっして手を抜かないことも、グリンは知っている。
 家族に手を振って出かける先は、母や祖父に連れられてよく行っていた場所でもある。エルニーニャ王国軍中央司令部――インフェリア家代々の職場といって間違いではない。祖父などは散歩ついでに立ち寄って、若い後輩たちの様子を見たり、方々に挨拶をするという建前で孫たちの可愛さを自慢している。従兄も自分もそうして軍に親しんだものだった。
 バス一本で行ける場所だ、道も単純である。朝が早くて外気温もまだ上がっていない。そこでグリンは、目的地まで走っていくことにした。
 体を動かしていた方が記憶力にも良いと、センテッドも教えてくれた。リズム良く足を運びながら、まずは王国年表を諳んじてみる。大陸戦争期から今までの主な出来事は、これでもかというぐらい頭に詰め込んだつもりだ。
 今年の春まで、グリンは学生だった。学校にはあまり通わなかったし、勉強もそれほど得意ではないが、基礎はできていた。周りの子供たちやその親たちとうまくやれなかった苦い思い出が多い日々も、少しは役に立った。
 学校を辞めて入隊試験の準備に集中するようになり、当時のクラスメイトとは会うこともほとんどない。たまに街で見かけても、あちらがグリンを見つけて何やら意地悪く囁きあうくらいで、言葉を交わすことはなかった。もう関わることもないのだろうと、安心したような、でもほんの少し悔しいような気持ちでいた。
 軍人になったら、そんなふうに考えることもなくなるだろうか。もっと強い心を持てたなら。
 そこまで考えて、はっとして首を横に振る。いつの間に集中が途切れていたのだろう。年表の暗唱に戻り、足を動かし続けた。
 司令部まではもう少し。余裕を持って到着できそうだ。――そう思ったところで、ふと嫌な感じがした。
 グリンの聴力は人並みだ。先生と慕うニールのように、五感が鋭いわけではない。しかし今は試験前で研ぎ澄まされていたのかもしれない――どこかからかすかに聞こえた悲鳴をとらえてしまった。
 辺りを見回す。それらしい姿形は見えないが、気のせいではない。自分と同じくらいの子供の声だった、と思う。足は直感に従って、向かっていた方とは違う道へと動き出す。
「どこだ」
 早朝ともあって、周囲には人がいない。意識すれば声は聞こえる。だんだんはっきりしてくる。そうして辿り着いたのは古い小屋だった。元は何に使っていたのかわからないが、中央司令部からほんの五百メートルほどしか離れていないところに、こんなものがあったなんて。
 声は――何故か聞き覚えがあったが思い出せない――確かにそこから聞こえた。
「誰かいるのか?!」
 叫ぶように問うと、中から音がした。それから、
「いる! ……助けて!」
 今までで一番よく聞こえたそれは、グリンに向けられていた。
 小屋の入口はすぐに見つかった。やけに新しい錠前が取り付けられていて、事故か故意かはともかく、中に人が閉じ込められたのだということは明らかだ。
 鍵が落ちている、なんて都合のいいことはない。戸を破れるようなものも見当たらない。それなら頼れるのはただひとつ――グリンにはひとつ、あるのだった。
「入口から離れて待ってろ!」
 呼びかけると、人の気配が遠のいた。木製の戸の、錠前のついた開く側ではなく、蝶番のある方に手をかける。新しい金属に手を加えることは難しいが、古く脆くなったものならなんとかできそうだ。
 手と腕に力を込める。でも、一番重要なのは足腰だ。しっかりと踏ん張って、グリンの持つ力を最大限に発揮できるように。
「――――っ!!」
 木が割れる音が響く。頭が、目の辺りが、熱くなる。鼓動が早くなり、全身に血が巡るのがわかるような気がした。
 蝶番が壁ごと剥がれ、戸が外れる。壊れた戸を放り投げると、小屋の中に光がさした。
 照らし出されたのは、涙と鼻水にまみれてはいるが、知っている顔だった。
「……大丈夫か?」
 声をかけることを一瞬躊躇ったのは、閉じ込められていた少年が、元クラスメイトだったからだ。グリンのことをよく思っておらず、粗探しをしては陰口を叩いていた一人。グリンが学校に行けなくなった原因のひとつだった。
「だ、大丈夫。ありがと、ありがとお……」
 しゃくりあげる彼に手を伸ばし、立たせる。そうして外に連れ出したところで、目が合った。途端、相手はぎょっとして目をむいた。
「お、お前……なんでここにいるんだよ」
「なんでって」
 泣き声が聞こえたから、と言いかけて、今まで正体を知られていなかったことに気がついた。逆光でこちらの顔が見えなかったのだろう。グリン自身も以前より背が伸びていて、年上のように見えたのかもしれない。
 少年は慌てて顔を拭いた。汚れた服で擦ったので、ぐちゃぐちゃだった顔は真っ黒になる。グリンは鞄からハンカチを取り出して、彼に差し出した。
 祖母がグリンの髪と同じ青い糸で刺繍を施してくれた、真っ白なハンカチだ。いつか目の前の彼に馬鹿にされたことがある。祖母を貶すような言葉とともに、似合わない、と。
 だがそれを忘れたかのように――実際、忘れていたのだろう――彼は黙ってハンカチを受け取り、乱暴に涙と鼻水を擦り付けた。
「どうしてこんな時間に、こんなところに?」
 グリンが訊ねると、彼はぼそぼそと「兄ちゃんたちが」と言った。彼は兄とその友人たちに可愛がられていたのではなかったか。だって彼のかわりに、街で見かけたグリンを囲んで文句を言うことだってしたのに。
「朝早くに連れ出されて、ここに閉じ込められた。強くなる修行だって」
 小屋に残され、置いていかれた。兄たちは彼を可愛がっていたというより、自分たちの憂さ晴らしの口実として利用していたのだろう。彼がグリンにそうしていたように。
「ざまあみろって思うだろ」
「……思わないよ。辛いだろうなって思うだけだ」
「嘘つけよ。バケモノがいい子ぶるな」
 吐き捨てて、ハンカチを押し付けるように返してきた。そしてどこかへ走って行ってしまった。呆気に取られたグリンを残して。
 黒く汚れ、皺だらけになってしまったハンカチを畳み直す。気を取り直して深呼吸をすると、どっと疲れてしまった。
 それでも踵を返して、本来の目的地へと向かう。ハンカチの刺繍を撫でて、ポケットにしまった。


 試験から一週間。あれからずっと夢を見ているようだった。悪夢でもあったし、良い夢でもあった。――いや、紛うことなき現実であると、鏡に映った自分が証明している。
「グリン、支度できた?」
 母が部屋の戸を叩く。返事をすると、覗き込んで「おおっ」と赤い目を輝かせた。
「似合うじゃん! さっすが、わたしの息子だね」
 試験の結果を見てから、母は誰よりも喜んでいた。グリン当人は、ずっと戸惑いが優っていたのだけれど。
 白い半袖のシャツの、左胸に金の国章と黄土色のバッジ、肩に金色の帯章。そして紺色の丈夫にできたボトムス。――エルニーニャ王国軍の夏の制服を纏うと、やっとほんの少し実感が湧いた。
 まさかこの格好を、すぐにできるとは思わなかった。直前に「能力」を使ってしまっていたため、試験を受けるときにはとうに疲れ切ってしまっていたのだ。筆記試験などはろくにできず、実技の記憶も曖昧だった。
 落ちた、と半泣きで帰ったら、祖母が優しく抱きしめてくれた。その向こうで、母は「じゃあ来月の試験の受験票が必要かな」とあっさり頷いていた。
 ところが後日届いたのは合格証明で、信じられずにぼうっとしていたグリンを、祖父母はわしゃわしゃと撫でてくれたのだった。仕事から帰宅した両親は「泣くほど頑張った甲斐があったね」と笑った。
 従兄も友人たちも祝ってくれた。それでもまだ幻でも見ているかのような気分だった。
「多分、俺、成績ギリギリだよ。母さんみたいに伍長入隊はできなかったし」
「そんなの後になればどうでもよくなるって。ここからが本番なんだから」
 そう、入隊はゴールではない。やっとスタートラインに立ったところだ。夢を叶えるため――人を助け、守れる人になるための。
 リビングに行くと、祖父がカメラを持って待ち構えていた。しかしそれを押し退けて、いつ来たのやら、伯父がひらひらと手を振って現れた。
「グリン、おはよう」
「ニアさん! おはよう。どうしてここに?」
「初出勤前にどうしても渡したい物があって。グリンのお母さんとお揃いのお守りだよ」
 差し出されたのは小さな箱。晴れた日の海のような色のそれに、赤いリボンがかかっている。解いてそっと蓋を開けると、銀色に輝くものがあった。
「これ、母さんもつけてるやつだ!」
「イリス、つけてあげなよ」
「うん。グリン、良かったね。お兄ちゃんの作ったお守りは超ご利益あるよ」
 それを母に預けると、そっと取り出して、グリンの左耳に丁寧につけてくれた。母と、伯父と、そしていつかの祖父とも同じだという輝きが宿る。
「イヤカフがあると、ますますインフェリアらしいね」
 にんまりした母に、同じ表情で返した。

 軍人は、けっして感謝されない仕事だ。しかし国民を守ることは、いつか自分を助けることにもなるかもしれない。大総統フィネーロ・リッツェの言葉に迎えられ、グリンは晴れてエルニーニャ王国軍中央司令部の三等兵となった。
 そこで運命の人に逢える、と祖父が語って聞かせてくれた中庭の大樹の下にいると、いつもの調子で名前を呼ばれる。
「グリン、これで正式に僕の後輩になったな」
「センちゃん! ……あ、エスト少将って呼んだ方がいいのか」
 人前ではな、とセンテッドは微かに笑う。どうやら畏まらなくてもいいようで、グリンは安心した。
 後輩で部下であるとはいえ、グリンとセンテッドの差は大きく、同じ仕事をすることはまずありえない。それでもわざわざ会いに来てくれたのは、祖父との約束があるからか。
「足は治ったのか」
 ――いや、そうではないらしい。
「……なんで?」
「入隊試験の後、歩き方がおかしかった。捻ったのを放っておいたからだな。……僕の責任だ」
 グリン自身には記憶がない。だが、どうやらセンテッドは試験を見に来てくれていて、こちらの異常にも気づいていたらしい。
「違うぞ、直前にちょっとあったから」
「ちょっと? 眼の力を使ったことか」
 やはりセンテッドにはお見通しだった。ただ立場上、試験もその結果が出るのも済んでからでなければ、言及できなかったというだけだ。
 あの日あったことを、グリンは憶えている限り正確に打ち明けた。言い訳になると思って、まだ誰にも話していなかったので、センテッドが当人以外で事情を知った初めての人間だ。
 彼はしばし考え込んでから、そうか、と頷いた。
「だから実力を出し切れなかったのか」
「それは違う、と思う。あれが俺の精一杯で、あのときの実力だったんだよ、きっと。ちゃんと力を制御できて、余力を残せていたら、試験だってちゃんとできたはずだ」
 ここにいられるのもまだ夢みたいなんだ、と笑った。笑ったつもりだったけれど、センテッドは申し訳なさそうにグリンの頭をくしゃっと撫でる。
「最初から求めすぎだ。君自身も、……僕らだってそうだった」
 少しずつでいいんだ、と言う声はグリン以外の誰かにも言い聞かせるような響きがあった。
 グリンは俯き、呼吸を整えた。そうして今度は本当に明るくにんまりして、
「センちゃん、俺、強くなるから。なりたい自分になる。そうしたら、センちゃんとも肩を並べられるようになるよな」
 左耳のカフスが、太陽を受けて輝いた。センテッドも今度は優しく微笑んで、ああ、と答える。
「それなら頑張ってもらわないと、僕はすぐ引退してしまう」
「待ってくれよ。せめて俺が尉官に、ううん、佐官になるまで!」
「順調にいってもあと十年といったところか。待つのは難しい」
「十年くらい待っててくれよ! いや、もっと早くするから!」
「少しずつでいいと言っただろう」
 少年の物語は始まったばかり。新たな時代はここから、本人たちには変化もわからないくらいにゆっくりと進む。
 あるいは、どこかで急激な転換を迎えるかもしれないが――それはまた、いつかの話。