主人公は待ちつづけた。
愛する人が帰るのを。
ずっと、ずっと、待っていた。
その任務の話に一番喜んだのはアクトだった。
カスケードが説明しようとするのを抱きついて遮るほどに。
傍から見ればなかなか絵になる光景だったが、すぐにディアに引き剥がされた。
今回の任務は依頼型。
依頼人は、とある映画監督とその娘である女優。
彼らの手がける映画は好評で、多くの映画ファンを虜にしている。
ねぁーの次に映画が好きなアクトも例外ではなかった訳だ。
しかしいざ説明を受けて、一番機嫌を損ねたのもまたアクトだった。
理由は簡単、それが囮作戦だったからだ。
もちろん「女装囮作戦」。
監督と女優はとても喜んだ。
長い金髪の髪を持つ、美しい「女性」が現れたのだから。
実際は男性なのだが、軍の人間以外はそれを知らない。
「なんで教えないんだよ」
「敵を欺くにはまず味方から…ってカスケードさんが言ってました」
今日のパートナーはカイらしい。普段グレンと組んでいる彼が、素直にアクトと行動をともにするのは珍しい。
「あの女優さんになりすますんですよね。確かにリアさんじゃ無理があるなぁ」
金髪女性の身代わりならば、リアや他の女性軍人でもいいはずだ。
しかしそれでもアクトに話がきたのは、ただ面白いからというだけではない。
彼女のスタイルに一番近かったのがアクトだったのだ。
「…で、いつ身代わればいいんだっけ?」
「監督さんが呼んだらです。
それにしても、有名人って大変ですよね。売れると狙われるんですから」
そもそもこの任務は、監督と女優への脅迫状が発端だ。
監督が要求された金を用意しなければ、女優の命が狙われる。
そういうわけで身代わり任務なのだ。
「何で大佐になってまで女装しなきゃいけないんだろう…」
「仕方ないですよ。アクトさんきれいですから」
「どうでもいいよ…」
二人が全く違う表情で話しているところへ、駆けて来る女性があった。
女優だった。
「父…いえ、監督から話があるそうです。
シーケンス大尉はこちらでお待ちください」
アクトが女優に連れて行かれるのを見ながら、カイは楽しそうに笑った。
「後ろから見たら双子みたいだな…」
もちろん「一卵性の」。
エルニーニャだけではなく、世界にその名を轟かす名監督。
アクト自身彼に憧れていた。
しかし、まさかこのような形で会うことになるとは。
「軍の方がこんなに美しいとは…今度の映画のヒロイン、やってみませんか?」
「そんなご冗談を…」
冗談であって欲しい。
「ところで、お嬢さん…失礼、ロストート大佐は映画をよく見ますか?」
明らかにお嬢さんと言われたが、いちいち気にしていては仕事にならない。
「見ます。監督の映画は特に好きで、よく拝見させていただいています」
「それはありがたい」
監督は笑みを咲かせる。
「去年公開したものは見てくれましたか?」
「はい。素晴らしかったです。…だけど、一つ質問が」
「何でしょう?」
去年公開されたものは、監督の娘である女優が主演していた。
愛する男を待ち続ける、女の物語。
想い、想い、想い続けて、朝焼けに包まれたラストシーンもまだ想っていた。
男は帰ってこなかった。
映画本編では、一度もその姿を現さなかったのだ。
「結局、彼は帰ってきたんでしょうか。
訊くべき事ではないことはわかっているのですが…」
監督は黙って聞いていた。
肯定も否定もしない。
ただ、沈黙していた。
長い時間だった。
ほんの三分ほどだったのに、一時間より長く感じた。
「脚本を書いたのは、男なんだよ」
監督がそう言ったのは、アクトが「今の質問は忘れてください」と言おうとしたときだった。
「…男?」
「そう。女を待たせていた男が、その脚本を書いたんだ」
引出しから取り出された古いアルバムの一ページを指差し、監督は言った。
「彼が脚本を書いた者だ。もうこの世にはいない」
「…亡くなられたんですか?」
「もう十年になる。彼はあの脚本を書き上げた三日後に逝ったよ。
あれは彼の形見なんだ」
優しそうな表情が、陽気な笑顔に囲まれ、幸せそうだ。
これはいつの写真なのだろうか。
「…彼は帰らなかったんだ。いや、帰れなかった」
「亡くなったからですか?」
「違うんだよ。…あの映画は所詮綺麗事だ。実際は女に別の男がいたんだよ」
あの映画は、脚本家の希望だったのだろうか。
待っていてくれればという、想いの中に残る僅かな希望。
アクトはこの時、そう思っていた。
「見てくれ!できた!できたんだ!」
朝焼けの中、男が叫ぶ。
原稿を掲げ、興奮しながら。
「できたんだよ、彼女の話が!」
「彼女の…?」
監督は怪訝に思った。
先月その彼女から真実を告げられ、放心していたではないか。
何日も泣き、狂い、部屋に閉じこもっていたではないか。
恨み言でも書いてあるのかと思いながら監督は原稿を読んだ。
男は彼らしくない乱暴な字で、それを書き綴っていた。
狂った文字が作り出す、美しい愛の物語。
男が失ってしまったものが、そこにあった。
「お前、これは…」
「彼女はずっと僕を待っていてくれる!僕は帰るよ、彼女のもとへ!」
「しかし、お前の彼女は…」
監督はそこで漸く男の眼を見た。
光がない。
濁った眼は、狂気を宿していた。
彼はまだ立ち直っていなかったのだ。
「僕は彼女とともに映画を見る。だから頼んだ!
僕はここを辞めて帰るんだ!」
「待て!正気に戻るんだ!」
監督が止めるのも聞かず、男は自室に戻っていった。
誰かが部屋に入ると、荷物をまとめる男の姿を必ず見ることになった。
三日間、ずっと荷物を整理し続けていた。
代わる代わるに様子を見に行くと、何かがとり憑いた死人のような彼がいた。
三日後に彼の様子を見に行った者は、彼を見なかった。
部屋にはいなかったのだ。
荷物を残して、彼は旅立っていた。
窓の外は美しい朝焼け。
窓の下には真っ赤な海。
潰れた男の表情に、笑みが見えた。
映画のラストの朝焼けに、スタッフの誰もが彼を思い出した。
朝焼けに飛び込んで、狂気の中で永遠の幸せを手に入れた男を。
思い出すから、撮れなかった。
「お嬢さんにする話ではなかったな…。
映画を好きだと言ってくれたのに、申し訳ない」
アクトは項垂れる監督をただただ見つめていた。
希望ではなく、狂気。
いや、男にとっては希望だったのかもしれない。
壊されたものを全てなかったことにして、
幸せだけを見ていた。
「女性の方は…どうなったんですか?」
「映画を見て訪ねてきたよ。
あの男は過去の幸せばかり追って、未来に希望を見出さなかったんだな」
映画を公開してから一週間、女性が訪ねてきた。
あの女だった。
彼女には別の男がいたが、すぐに別れたのだという。
やはり自分が愛しているのはあの男だけだと悟ったのだ。
いや、愛していたからこそ、別の男を作り、そのことを連絡した。
早く帰ってきて欲しかったから。
しかし…
「全てはあの朝焼けに消えてしまった。
待ち続けていた女はもう待つ者がない」
哀しみだけを残して、幕は下りた。
フィルムはもう回らない。
脅迫はイタズラで、その日の任務は結局何も起こらずに終わった。
もしもの時のために警備を堅め、解散となった。
「知らなくてもいい真実がある…か」
司令部に戻り、アクトは一人呟いた。
美しく描かれる世界の裏に、残酷な現実がある。
それは全てにおける「法則」なのかもしれない。
人々が美しいものを求め続けるのは、現実から逃れるためなのだろうか。
…いや、違う気がする。
アクトが見ている世界は、そんな逃避ではない。
残酷で哀しいものの中に、美しさを見出しているのだ。
現実は辛く厳しいもの。だけど、幸せもまた現実なのだ。
辛い現実にはいくつも出会った。しかし、今アクトは生きている。
幸せを感じながら、生きている。
映し出すことをやめてしまったフィルムを見ながら、動き続けている。
様々な現実がある。
どんなことがあっても、自分は生きよう。
たとえ、それが別れでも。
「アクト、おつかれさん」
「大して疲れてない。
…そうだ、映画の招待券貰ったんだ。一緒に行く?」
「お前一人で行かせねぇ。一緒に行くに決まってんだろ」
「でもディア寝るからなぁ…」
「今度は努力するからよ」
今はまだ、フィルムが回り続けますように。