私が彼と出会ったのは、何の変哲も無い日々の中。
私にとって何の変哲も無いというのは、繰り返し同じ日々が続くということ。
病院のホールは私が存在する場所だった。ただそれだけのこと。
だけど彼との出会いはちょっと普通じゃなかった。
とにかく出会ってからすぐに私は彼に惹かれたのだった。
第一印象は最悪だったけど、そのうち彼が優しい人なんだと気付く。
人を抱き上げたりということをいけしゃあしゃあとやってのける奴だということもわかった。
彼を知れば知るほど、私は心に抱えていた寂しさを少しずつ解かしていく事ができた。
あの時はちょうどご飯時で、本当なら面会はできないはずだったんだけど。
でも彼は軍人だから、昼休みを利用して私に会いに来るしかない。
まぁ、よくサボってるみたいだけど。それでよく階級上がったわよね。
いつものように他愛の無いお喋りをして、いつものように憎まれ口を叩いて。
「まだ残ってるじゃねーか」
「んー…私少食だからね」
「そんなんだから胸ねーんだよ」
「余計なお世話!」
そう、こんな風に。
でもその日はそれだけじゃなかった。
「食べれば良いんでしょ食べれば…」
「待て。口についてる」
「うそ?!どこ?!」
「とってやるから動くなよ」
今思えば見え透いた嘘だったんだけど。
でも、そんな嘘までついて口付ける彼がなんだか可愛くて。
まぁ、今だから言えることなんだけど。
私は当然ファーストキスで、彼もまたそうだった。
これはとっても意外だったんだけどね。
ちょっと惚気ちゃったかな。それじゃ、私と彼の関係はこのくらいにして、今のことを話そうか。
外泊を申し出たのは初めてだった。だから医者も看護師も驚いていた。
当然だ。今まで私には行く所が無かったんだから。
今はある。大好きな人のところに行ける。
「支度できたか?」
「ちょっと、ノックくらいしてよ!着替え中だったらどうするのよ!」
「まな板に興奮する趣味はねーよ」
「セクハラ!痴漢!」
「何とでも言え」
カバンには薬が詰まっていて、何かあったらすぐ戻ってくるように医者にも散々言われてる。
それでも私は彼のところに行きたかった。
「彼女に無理はさせないようお願いしますよ」
「わかってます」
彼も何度も説明を受けたらしい。…ていうか敬語似合わないよ。
何も言わずに握ってくれる手が暖かい。病院に戻りたくないなぁ。
このときの私は何もわかっていなかった。
彼のことを何一つ聞かずに好きになっていた。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
「料理得意な奴に作ってもらったからな」
「誰それ。女の人?」
「いや、男。…男に見えねーけど」
彼の家で食事を終えて、私たちは一息ついていた。
今日のために彼はこの家(車椅子でも問題ないバリアフリーマンション)を用意してくれた。
美味しい料理も上司の人に頼んで食べさせてくれた。
一緒に過ごせるだけで幸せなのに、ここまでしてくれるなんて。
愛されてるなぁ、私。
幸せを噛締めているうちに、ふと昔のことを思い出す。
そういえば、彼と会うまで誰かと一緒に食事をすることって全然無かった。
私の両親は仕事で世界中を駆け回ってる。そのおかげで私は長期入院と十分な治療を受けている。
だけど、私は両親にあえなかった。会いたくても会いに来てくれなかった。
私のため。つまり、私の所為。
一人で病気と闘うのは、とても辛かった。
誕生日になると両親はぬいぐるみを送ってきた。でもぬいぐるみは動かない。
彼は寂しい私を救ってくれた。抱きしめてくれた。
私は彼に話した。親のことも、私の寂しさも、全部話した。
だけど、彼のことを聞いたことがなかった。
彼も話したがらなかった。
「スノーウィー」
「何?」
「嫌になったら帰って良いからな」
「何よ急に。帰って欲しいの?」
「そうじゃねーよ。…今からする話が嫌だったら、全部聴かなかったことにして帰って良い」
彼が何を言っているのか、私にはわからなかった。
だけど、瞳が決心を見せていた。それだけはわかった。
「何の話?」
「オレの過去だ。…お前に隠し事はしたくない」
無理してる?ううん、違う。
私だから話そうって、そう思ってくれてるんだ。
話の内容は痛々しかった。
彼の父親は犯罪者で、母親はその愛人だった。
お兄さんと腹違いというのは、そういうことだったのだと知った。
彼が二歳の時に母親は殺された。彼の父にだ。
その真実を知った彼は復讐の鬼と化した。
復讐心から多くの人を殺めた。
中央司令部勤めになって、お兄さんや多くの人と出会ってからは変わった。
だけど、結局父親は殺した。
彼はその罪を背負って生きてきた。
罪を負ったまま、私に出会った。
罪を負ったまま、私を愛した。
「オレは人殺しだ。髪と眼も人殺しの色だ。
こういう奴だって知って、オレのことを軽蔑したって構わない。それは当然のことだ」
彼は苦しんでいた。本当に辛いんだ。
私は彼を軽蔑なんてしない。罪を認められることがすごいと思った。
彼が有罪なら、今まで周囲に甘えてきた私も有罪。
彼に頼りっぱなしで、彼の思いを汲み取らなかった事が私の罪。
私は彼の手をとった。
こんなに温かい手の人が、これ以上罪を重ねることはない
「私はブラックの色、好きだよ。髪も、眼も、好き。
だから…人殺しの色なんて言わないで。
私はブラックが好きだよ。だから嫌いになんかならないよ」
彼に彼自身を嫌いになって欲しくない。
苦しむのはやめて、とは言えない。思いつめなくて良い、とも言えない。
ただ、嫌いになって欲しくない。私がちゃんと好きだから。
「私、あんたの色の子供を産むよ。そうすれば、もうその色を人殺しの色だなんて言えなくなるよね。
もうそんなこと言わせないよ。私はあんたの子供を産んで、寂しい思いをさせないようにするの。
決定事項だから変えようったって無駄だからね」
彼はじっと私を見ていた。
私は彼を見つめていた。
どうか思いが伝わって。
彼の思いを汲み取れなかった私がこんなことを言うのは、ただのワガママかもしれない。
だけど、もう人殺しなんて言って欲しくなかった。彼は彼だもの。
私が愛している、ブラック・ダスクタイトだもの。
「子供、か…」
暫くの間があって、彼は呟いた。
やっぱり急にそんなことを言うのはまずかったかな…なんて一瞬思った。
でも、これで良いんだ。私は彼の子供なら欲しいと思っている。
命をかけても産みたいと思っている。
「外泊何日許されてる?」
「長くて一週間、かな。体調を崩せばもっと短くなっちゃうよ」
「体調崩さない程度ならいいんだな?」
いいって、何が?
そう尋ねる時間も与えず、彼は私を軽々と抱き上げる。
さすが軍人。力はあるよね…
…って違う!何で急に抱き上げるの?!
「オレの子供が欲しいって?」
「え、あ、そうは言ったけど…」
「じゃあつくるか?」
「な、何を言ってるのかなぁ。ちゃんと理解してるの?子供つくるってこと…」
「理解してるから言ってんだよ。痛かったら言えば手加減してやる」
「なんでそういうことになるわけ?!だいたいあんたまな板には興味ないんじゃなかったっけ?!」
「目的は子供だ。性的欲求はこの際置いとく」
「そういうこと言わないでよ!なんか仕方なくって感じに聞こえる!」
「それは悪かったな」
あぁ…この人って前から思ってたけど結構ムッツリ何とかよね…。
それでも好きなんだから、私自身も大したものだ。
どういうわけか、本当に私は彼の子供を孕むことになった。
医者には怒られた。自分の体のことを第一に考えろって。
でも、やっぱり私は彼の子供が欲しかったんだ。
命をかけてもこの子は産むつもりだった。
そして九月十三日、私は「母子ともに非常に危険な状態」って言われながらも無事出産した。
彼は私の両親にかなり怒られたらしい。
初対面でいきなり「うちの娘を殺す気か?!」って…今まで私に会いに来てくれなかったくせに何よ。
私の入院のため、病気の治療のため。そんなことはわかってる。
でも、と言おうとしたとき、目に入ってきたのは両親の笑顔だった。
孫はやっぱり可愛いらしい。その色が完全に彼から受け継いだものであっても、孫は孫だ。
漆黒の髪にライトグリーンの瞳。これでもう彼は自分の色を嫌えないはず。
私はちょっと勝ち誇った気持ちで、日記に記した。
「九月十三日、我が子グレイヴ・ダスクタイトに祝福を」
これは彼のお母さんの言葉を借りたもの。
そして子供の名前は、彼がつけたもの。
彼は黒、私は白。その中間だからグレー。
中間だから、どう染まっていくかは本人次第。
何にも染まらない彼と、永遠に染まる色を探しつづける私。
その子供なんだから、きっと素晴らしい色になる。
「…あ」
娘を抱く彼の表情に、私は初めて笑みを見た。
ほんの一瞬だったけれど、それはとても素敵で、惚れ直した。
いつか彼は娘にも語るだろう。
娘はきっと受け止めるだろう。
だって、私たちの娘なんだから。
結局私は常に娘の傍にいるということは不可能になってしまった。
それに、残された時間もあまりないらしい。
成人した娘の姿は、確実に見る事ができないと言われている。
だけど私は精一杯生きよう。
愛する人がいてくれるから、私は終焉を怖れない。
終焉を怖れることは、私にとっての罪だから。
ほら、今日も足音が聞こえる。
彼はノックなしに戸を開けるんだ。そして娘に叱られる。
それから私は紅茶を買って来るよう頼んで…
もう少し時間を下さいってお願いするのは、有罪になるでしょうか。