外へ出るなら雨の日がいい。
晴れの日のように肌が焼けることはないし、傘が不自然にならずに済む。
曇りの日のように紫外線をさほど気にせずに済む。
僕は雨の日が好きだ。
薬品棚を整理していて、もうすぐ消毒液のストックがなくなりそうだということに気付いた。
「クリスさん、消毒液が」
「またなくなってるんですか?」
溜息をつきながら、クリスさんは外を見る。今日の天気は雨。
「仕方ありませんね。ユロウ君、お使いをお願いします」
「わかりました」
晴れている日は僕が留守番をすることになっている。曇りの日も、大抵は。
僕が外へ出かける用事を頼まれるのは、雨の日ばかりだ。
その雨の日だって、できる限り上着を着込むように指示される。
できるだけ肌を日の下に晒さないようにして、外へ出る。
幼い頃からの習慣だから、今更言われなくても…とも思うけれど。
「あぁ、それとついでに病院に寄ってください。サクラさんと今度の検診の打ち合わせをしたいので」
「予定を聞いてくればいいんですね」
傘を持って、軍病院を出る。エントランスに響く雨の音と、立ち込める湿気た埃のにおい。
広げた傘にぶつかる水の音は、楽器が歌うよう。
水溜りにわざと足を突っ込みながら、少し小走りで進んだ。
僕が医療を学ぶために、クリスさんの手伝いをするようになったのは、高校へ進学してからのことだった。
学校に通いながら、暇を見つけて軍の病院や司令部の医務室に立ち寄る。
時々は一般の病院で、サクラさんの手伝いをさせてもらう。そんな毎日が続いていた。
もちろん無理をすると身体に悪いから、適度に休みも取っている。
とくに夏はよく倒れてしまうので、医者の不養生なんて情けないことになるのが嫌なら寝ていなさい、とクリスさんに叱られたこともある。
それでも動こうとしたら、さらに一言付け加えられてしまう。
変な意地を張るところが、兄さんにそっくりだって。
そこまで言われるのは心外だったので、僕は自分があまり強くないことを自覚しながら生活するようになった。
でも雨の日だけは別。僕が好きなように動けるのは、雨の日くらいだから。
「すいません、消毒液お願いします」
契約している薬局で、注文だけする。そうすれば数時間後には届けてくれるシステムだ。
それなら電話だけで済むかもしれないけれど、クリスさんは僕に気を遣ってくれているらしい。
「なくなるの早いな。ついこの間も注文してただろ」
カイさんが苦笑した。そこへ僕は追い討ちをかける。
「先日ルーファ君がぼろぼろになって任務から戻ってきたもので」
「なんだ、ルーファの所為かー。…って、それだけじゃないだろ」
僕の人間関係は狭い。その中でも少しは会話をしなければ。
こんなふうに談笑できる時間を作って、あまり外へ出られない生活を潤わせたい。
今は兄さんもいなくて、ただでさえ退屈なのだから。
「それじゃ、後で届けておくよ。それとディアさんに先日の飲み代早く返してくださいって伝言お願い」
「一応伝えておきますけど、あと一週間は払えないと思います」
他愛のない話をして、再び傘を広げる。
雨はまだ景気良く降り続けている。おそらく明日まで止まないだろう。
病院の事務の人は僕の顔を覚えてくれているようで、挨拶をするとすぐにサクラさんを呼んでくれる。
サクラさんも忙しくなければすぐ来てくれるので、僕はあまり待たなくていい。
「ユロウ君、今日はどうしたの?」
「クリスさんが、健康診断の打ち合わせをしたいそうです」
「じゃあ日曜の午後三時からにしてくれるかしら。…ユロウ君は身体の調子どう?」
「僕は大丈夫です。それに今日は」
「そうね、雨だものね。元気なはずだわ」
サクラさんはにっこり笑う。僕も笑った。
仕事に戻るサクラさんを見送ってから、頭の中でこれまで預かった連絡を整理する。
それからまた、水溜りを踏みに行く。
小学生の頃と中学に編入した頃は、雨の日も特別好きというわけではなかった。
傘を差していてもからかわれないから、いつもよりはマシな日として捉えていた。
運動場に出なくてもいいから、体育の時間をサボっていると思われない日だった。
小学生の時はホリィ君や兄さんがいたから、救いがあったけれど。
中学生のときは二人とも傍にいなかったから、僕は自衛を身につけるしかなかった。
からかいを無視したら酷くなったから、兄さんの真似をして言い返してみたり。
言い返すと暴力を振るわれたから、ホリィくんの真似をして立ち向かってみたり。
でも、どれも僕がやると事態が悪化するばかりだった。
高校に入って漸くそういうのが落ち着いた。
クリスさんのところに通うようになり、仕事を任されるようになって、やっと雨の日を好きと言えるようになれた。
雨の日は僕が誰かの役に立てる日。外に出て人とふれあえる日。
「戻りました」
「ご苦労様。薬もちゃんと届いてますよ」
消毒液がきちんと補充されているのを確認して、僕はサクラさんからの言葉を伝えた。
クリスさんがカレンダーに予定を書き込んだら、僕の仕事はとりあえずおしまい。
「そうそう、ボクもユロウ君への伝言を預かってるんですよ」
「何ですか?」
「ホリィ君から、夕方から出かけないかという誘いがありましたよ。ちょうどいい雨の日だからと」
僕は雨の日が好きだ。
雨の日に外に出て、傘を差しながら、たくさんの人と会える。
僕の心を潤す雨が、好きだ。