背はそこそこ高かった。
スタイルにも気をつけていたし、化粧も妥協しなかった。
胸元の大きく開いたドレスに身を包み、
唇から零れる言葉は偽りの愛。
アルコールを流し込む客の接待が私の仕事。
酒を目的としない人たちは、私たちの言葉と身体を求める。
こちらが偽りを囁けば、向こうは満足する。
こちらが肌を晒せば、向こうは触れる。
全ては演技。本気になってはいけない。
こちらも向こうもただの遊び。
私は常にそう考えてきた。
あの男が現れるまでは。
彼は私を指名し、肩を抱いた。
いつものことだと特に気にはしなかった。
「妻は退屈でね。…僕を満たしてくれないか?」
身体を求められるのも、もう慣れた。
私は微笑み、受け入れるだけ。
好みに合わせて喘ぎ、足を開き、腰を動かす。
私にとってはなんてことない行為。
その男が他と違った所は、私に快楽を与えたこと。
そして、
「十万エアーあげるよ。…これからも通っていいかい?」
大金をもたらしてくれたこと。
「何度でもお相手するわ。…またね、リース」
彼は大会社の婿養子だった。
莫大な財産をもっていたけれど、奥さんに満足できなかった。
金を持ち出し、私のところに通い詰める。
私はいつも十万から三十万ほどの札束を受け取る。
身の回りのものを揃えたりするのには十分だった。
彼のおかげで私の生活は安泰。
仕事を辞め、小さな家を買った。
彼はそこに来て、私と交わり、金を置いていった。
そのうち私は忘れてしまった。
「本気になってはいけない」ということを。
私は彼を愛するようになっていた。
彼の妻が子供を産んだ時、彼は言った。
「あの子供は愛せない。僕にとって邪魔なだけだ」
私はそれを聞いて安心した。
彼は私から離れない。私だけのもの。
私は勝ったのだと思っていた。
でも、違った。
私が彼の子供を孕んだ時、彼は言った。
「これで、子供をおろしてくれないか?」
私は愕然とした。
私を愛してくれていたんじゃないの?
私の子供は、産ませないっていうの?
必至で抗議する私を、彼は簡単に突き飛ばした。
「邪魔なんだよ、子供は。一人もいりゃたくさんだ」
「でも、リーガルの子は愛していないって言ったじゃない!だったらこの子の父親になってくれても」
「うるさい!リーガルの子も、お前が孕んでいる子も、両方邪魔なんだよ!」
彼は百万エアーを残して私から去った。
子供をおろさなかった私にとって、それは手切れ金。
私は愛されていなかった。彼が求めたのは私の身体だけ。
私が愚かだった。こうなることは、予測できたはず。
彼を憎んでも仕方がない。
憎めなかった。愛してしまっていた。
子供もおろす気にはならない。
私は決心を固めた。
大きな屋敷が見える。あれが彼の家。
そして、道を歩いているのは彼の妻と…
彼と同じ色を持った、子供。
声をかけてきた彼の妻は、大事にされてきた娘という感じだった。
何も知らないお嬢様。そして、何も知らない子供。
情けなくて笑える。
「あなたが、リーストックの奥さん?」
「は、はい」
「はじめまして。ブルニエ・ダスクタイトと申します」
私が名乗ると、彼女は一瞬だけ不審そうな顔をした。
「ブルニエ、さん?」
「えぇ…リーストックの愛人よ」
そう言ってやっと、表情を硬くした。
私は彼女に全てを話した。
彼と寝たこと、金を貰ったこと、
そして、お腹にいる私と彼の子のこと。
彼女は青ざめていた。
ついてきた世話役らしき人たちを遠ざけて、私の話を聞いていた。
目を逸らして、震えていた。
「…わかったでしょう?これがあなたの夫の…リースの本性なのよ」
かわいそうな人。
この人もまた彼に愛されず、その子供も彼にとっては邪魔な存在。
私たちは彼の欲望のために利用されていただけだった。
十月三十一日、私は病院で子を産んだ。
男の子だった。
看護師の言葉が耳に入るより先に、子供の髪が見えた。
黒かった。
彼と同じ、漆黒だった。
後で子供の眼を見て、私は呟いた。
「同じなのね…あの人と…」
ライトグリーンの瞳。
彼はこんなにはっきりと自分を遺していった。
この子には何の罪もないのに、これからきっと辛い思いをさせる。
いつか真実を話さなければならない。
でも、いつかでいい。今は、我が子に祝福を。
「あなたの名前…何がいいかしら」
彼は酷い人だった。
この子がそんな風になるのは嫌。
世の中の汚れに染まらず、穢れなきまま育って欲しい。
「…そうだ、ブラックがいいわ。これ以上何にも染まらないように」
黒は全ての色の集合。それ故に、染まらない。
「ブラック・ダスクタイト…なかなかいい名前じゃないの」
私の子、ブラック。私がこの子の親。
あの人の遺伝子を持っているけれど、私の息子。
私は日記帳を開いた。
今のこの決心を、忘れないように。
『十月三十一日、我が子ブラック・ダスクタイトに祝福を』
この子は私が幸せにしてみせる。
この唇が囁くのは、我が子への愛情。
看護師の助けもあり、ブラックは順調に育っていった。
笑顔は天使のようで、私はそれを見るたび疲れを忘れた。
あの男の子供ということを忘れるくらい、ブラックは可愛かった。
命に代えても守りたいと思った。
この子を守るため、もしもの時のために日記は書きつづけた。
私がいなくなっても、真実を知る事ができるように。
ブラックに手紙を書き、看護師への手紙に同封した。
日記も一緒に託した。
いつかブラックが全てを知り、自分の兄とその母親の存在を知ったとき、
その後は彼女に任せることにした。
ハルマニエ・リーガルに。
保険はかけてある。
心残りは、私の手でブラックを育てきれなかったこと。
予想はしていたけれど、早過ぎた。
私の身体はあの男に切り刻まれ、
唇からは断末魔。
最期にあの子に言葉をかけてあげたかった。
全てを見ていたあの子は、きっと傷を負っている。
せめてそれを和らげてあげられるような、優しい言葉をかけてあげたかった。
私の唇は偽りばかりを唱えてきた。
だけど、本当の愛を偽ったことは無かった。
もう一度言いたかった。
愛してるわ、ブラック。
これからどんなことがあっても、あなたはあなたのままでいて。
何にも染まらずに生きて。
そしていつか、
あなたも、人を愛して。
私のようにならないで。
動かない唇で、私は聞こえない愛を告げる。