その部屋は、たまらなく美しかった。

転がるものから溢れ出す赤という赤全てに、性的な興奮すら覚えた。

男は嗤った。これまで生きてきて、こんなに愉快なのは初めてだった。

昔見た通りに、素肌を曝け出した肢体と交わってみる。冷たくて硬い。

まだ変色していない血液で、真っ白な肌に化粧を施す。

あぁ、なんて美しい。

自分の求めていたものは、これだったのだ。

 

つけられた名があったが、それで呼ばれたことはほとんどなかった。

ただ、戸籍を確かめてみたらそういう名称だったというだけ。

一応存在は認められていたらしい。

アルコール中毒の母親に産み落とされ、天井から漏れてきた雨水に育てられた。

よく生きていたな、と思う。

その頃から毎日のように、母親が男と交わっているのを見た。

毎日違う男だった。

いくらか成長してからもずっと見てきたので、それが当たり前の光景になった。

空の酒瓶がおもちゃで、食事は水か、運がよければ母親の愛人が持ってきたパンを食べることができた。

きらきら光る硬貨や、酒やパンと引き換えることの出来る紙幣に感動した。

これさえあれば、なんでもできるのだと知っていた。

金がどこからきてどこへ行くものなのか、どういう人間がそれをたくさん持っているのかを調べた。

街を歩いて、人についていけばいい。運がよければ孤児と思われ、食べ物も貰えた。

暗くなってから家に帰れば、また母と男が喘いでいる。背を向けて水を飲んだ。

 

ある日、母が死んだ。

自分が寝ている間に、たまに肉屋で見るような格好になっていた。

血はほとんど黒くなってしまっていたが、腹の中に手をつっこむと赤く染まった。

そういえば、初めて母に触れた気がする。こんなに冷たくて気持ちが良いものだったなんて、知らなかった。

こんなに素敵なことを教えてくれたのは誰だろう。昨日母が連れてきた男だろうか。

ありがとう、ありがとう。やっと母さんは僕のものになりました。

そう呟きながら、ずっと母に寄り添っていた。

時折腹の中をかき混ぜて、長いでこぼこした紐のようなものを引っ張った。

そうしているうちに、時間がたつと母は壊れてしまった。

臭いも酷くなってきた。これではもう一緒にいられない。

 

新しいのが、欲しくなった。

 

辺り一面赤い海が広がる。

海というものを見たことはないが、これは本当に美しい。

きっと本物の海よりも。

白い肌の女たちは人魚といったところか。動かずに、自分のためだけにその身体を捧げてくれる。

あぁ、なんて楽しい。

それに、ここには金だってたくさんある。何でも出来るんだ。

人間はそのうち腐ってしまうから、形の変わらないものを持って離れよう。

誰かが邪魔をしようと追ってくるなら、そいつらの来ないところへ行こう。

もっともっと、赤が欲しい。

もっともっと、快楽を味わいたい。

そして、何でも出来る金も手に入ればもっともっと愉快。

さぁ、次はどこへ行こうか。

追っ手を撒いたら、自由になれる。

自分が世界で一番楽しくなれる。

 

莫大な財産を得た。

金をばら撒いて、何でも出来るようになった。

邪魔者さえ現れなければ、全てがうまくいくはずだった。

「結局、最期は自分が殺されてしまいましたね」

生きた人間と交わったことが失敗だったのだろうか。

きっとそうだ。そんなことをしなければ、死ぬことなんてなかった。

「でも、もし僕らがいなくても…誰かが貴方を裁いたでしょう」

誰が裁ける?自分の欲望に従っただけで、何故裁かれねばならない?

「人の社会とは、そういうものです」

お前のいう社会とは何だ?お前のいうことが正しいとされる環境か?

欲望を押し殺して生きて、何が楽しいんだ。

お前にもあるはずだ。ありとあらゆる欲が、煩悩が、数え切れないほどあるはずだ。

「僕にだって欲はあります。でも、周囲に受け入れられる生き方をするためには抑えることも必要です」

周囲に受け入れられるためだけに生きるというのか。なんてつまらない人生だ。

「大切なものを得て、守るために、それは必要なんです」

それは初めから全てを持っている人間の言うことだ。綺麗事だけで生きていけるわけがない。

「綺麗事だと分かっています。実際、僕は抑えられませんでした」

そうだろう。人間なんて所詮、元は獣だ。欲に抗うことはできないさ。

「僕は、貴方が消えることを望んで…貴方を撃ちました」

 

最期は、人生で最大の邪魔者に殺された。

目についた時に、すぐに殺しておけば良かった。

ガキだからと見逃さずに、原形を留めないほど切り刻んでおけば良かった。

 

「オレも人殺しなんだよな…コイツと同じく」

ブラックが足下の石を見下ろす。

ずっと憎んでいたとはいえ、血の繋がった父親だ。墓くらいはと思い、ここに埋めた。

最悪の猟奇殺人鬼ラインザー・ヘルゲインは、この場所に眠っている。

「墓くらいでコイツを殺した罪が消えるわけじゃねーのにな」

「僕らが死ぬまで憶えてるしかないよね」

アルベルトは寂しく嘲り、立ち上がった。

「この人がいなければ僕らはいなかった。今大切だと思えるものにも、出会えなかった」

罪を重ねて、得てきたものがある。

大切な人、大切な場所、大切な記憶、…。

ラインザーは罪の果てに、何を手に入れたのだろう。

「…この人が手に入れたのは、本当に富と快楽だけだったのかな」

「さぁな。オレにはわからねーよ」

もう、知ることはできない。

それを知る術は、この手で絶ってしまったのだから。

「行こうか」

墓石に背を向け、歩き出す。

負うのは一生の罪。人を死に追いやった、赦されることのない大罪。

――あぁ、ここに眠るのは人だったのだ。

とても自分に正直で、それが周囲から狂気と見なされてしまった、ただの人だったのだ。

 

何が正常で異常なのか

どこからが中毒症状なのか

どこまでなら周囲に人と認めてもらえるのか

狂気の境目は、いつもぼんやりとしたまま

その方が、都合がいいのかもしれない

全てが狂っているのなら、そうした方が自分を保っているつもりでいられる

 

「僕たちは日常中毒かもしれないね」

「何だよそれ」

「何なのか分からないのが、多分日常中毒だよ」

「………」