例えるなら、砂で作ったお城。
どんなにきれいに作っても、ほんの少し力を加えれば壊れてしまう。
心も同じ。どんなに繕っても、ちょっとしたきっかけで崩れてしまう。
「元気そうだな、大総統夫人」
わかっていても、崩れてしまうことは恐ろしい。
「…誰?」
「覚えてないのか?オレだよ、学校で同じクラスだった…」
思い出したくもない。
あの頃の私は弱かった。
あなたたちの罵倒に負けてしまうほど弱かった。
「抱いてんのお前の子?へぇー、巧く玉の輿やってんじゃん」
だから、流せるように強くなったの。
強くなれたのは周りの人たちのおかげ。
こんなの気にしないんだから。
「無視すんなよ、悪魔のくせに」
こんなの…気にしたくない。
無理やり掴まれた腕には、指の感触が残っていた。
痛かった。実際に加えられた力とは関係なく、潰されるんじゃないかってくらい強い痛み。
もちろんこんなことは誰にも言えない。
連れていた子供はまだ生まれて数ヶ月だけど、それでも眠っていてくれて良かったと思った。
見られたくない。聞かれたくない。あんなに弱い私を覚えられたくない。
「シィ、どうかしたのか?」
彼の声で、私は我に返る。
いけない。忘れよう、あんなことは。
「なんでもない。ちょっとぼーっとしてただけ」
私がそう言うと、彼は納得してくれた。
彼――カスケード・インフェリアは私の夫だ。
そして、この国の大総統。
そうなったのは結婚してからで、別に玉の輿とか考えたりはしていなかった。
だから、アレは言いがかり。
私は純粋にこの人が好き。
大体私にだって貯金くらいある(確かに夫とは比べ物にならないけれど)。
私だって軍人だったんだ。強くなったんだ。もう負けないんだ。
…あ、でも。
私が軍人になったのは、逃げ場を求めてのことだったっけ。
方向転換してくれた周囲の人たちがいなきゃ、きっと私は何にも変わってなかった。
私一人で強くなったわけじゃない。
「シィ」
「なに?」
「あんまり抱え込むなよ。俺じゃどうしようもないって思ったなら、シェリーちゃんとかに話すといい」
優しい言葉があった。
温かい手があった。
いつも傍にいてくれた。
「うん…ありがとう」
ねぇ、まだ恐がってるの?
私の周りの人たちは、どんな弱さも受け止めてくれる。
どんな私にも笑いかけてくれる。
私はそれを知っているじゃない。
恐れる必要なんかない。
カスケードさんに元気付けられて、私は翌日さっそくシェリーさんに話しに行った。
シェリーさんは弟さんの経営するパン屋さんに住み込みで働き始めて、お客さんの相手をするのにいつも忙しい。
それなのに私の話を真剣に聞いてくれて、挙句の果てに
「何よソイツ!そんなヤツはアタシが殴って蹴り飛ばして噛み付いてやるよ!」
「シェリーさん、お客さんびっくりしてる…」
この剣幕に敵う人はいないだろう。だって、シェリーさんなら本気でやっちゃう。
「まぁ、それは冗談としても」
何だ、冗談か。
「失礼なヤツだね。学校でってことは…シィをいじめてたヤツでしょ?」
「いじめてたっていうか、悪魔とか言ってたっていうか…」
「人を傷つけて何が楽しいんだか。最低だよ」
「あの場合は優越感があったからじゃないかな…」
「どんな理由でも人を故意に傷つけちゃいけない。しかもこの年になってまでってどれだけガキなのよ」
シェリーさんはかなり憤慨しているようだった。
でもひとしきり相手の子供っぽさについて語ったあと、
「何かあったらアタシに言いな。いつでもシィの味方になるよ」
と、心強いことを言ってくれた。
そういえば昔もシェリーさんの言葉に救われたんだっけ。
「ところで、アンタの旦那は何してるわけ?青いだけで話聞いてくれないの?」
「青いのは関係ないし、話はちゃんと聞いてくれてるよ。シェリーさんに話せたのだって、カスケードさんのおかげなんだから」
「それならいいけど…」
シェリーさんはカスケードさんのこと嫌いって訳じゃないみたいだけど、あんまり納得してないみたい。何かあるたびに青いとか言うし。
原因はわかってるけど、もう忘れてくれてもいいのにな。
とにかく私は、崩れかけた城壁をそうやって作り直してもらって帰宅した。
家では義妹(私より五つも年上だけど)のサクラさんが、子供の面倒を見てくれていた。
その夜、カスケードさんは急に謝った。
「ごめんな、シィ」
「え、何が?」
「いや…シィの叔父さんに怒られてさ。シィの様子がおかしいって気づいたなら何かしてやることがあっただろうって」
どうやら昨日の夜のことらしい。
カスケードさんってば叔父さんに話しちゃったのか。
叔父さんもそこまで言わなくてもいいのに…。
「私はあなたに十分助けられました。叔父さんがちょっと心配しすぎなの」
「でもモンテスキューさんの言葉は重い…」
だろうなぁ。叔父さんは私のお父さんみたいなものだし。
でもね、心配しなくても大丈夫です。
「私はもう大丈夫。あなたにもシェリーさんにも叔父さんにも、たくさん助けられてるから」
「それならいいけど…」
「じゃ、この話はおしまいね。…ありがとう、カスケードさん」
私は崩れやすい。
だけど、崩れたらまた作り直せばいいでしょう?
何度でも、何度でも、そして重ねるうちに丈夫になる。
私はそうやって強くなる。
「よう、玉の輿のシィレーネ。大総統夫人はさぞ幸せだろうな」
「えぇ、幸せよ。でも勘違いしないで、私を幸せにしてくれたのはお金でも権力でもなくて人なの」
ほら、胸張って言えるよ。
笑えるくらい余裕もできた。
悔しかったらあんたも気づけばいいのよ。
崩れたら修復してくれる人たちが、どれほど大切かってことに。
「ニア、行こうか」
そうしたら、今度は守ることができるから。
今度は私が守る番。
もしもこの子の砂の城が崩れてしまったら、私が直すのを手伝ってあげる。
何度崩れても、その度に直してあげる。
私がそうしてもらったように。