これからどうやって生きていったら良い?
そう尋ねると、その人は――
捜している。
おそらく対象は自分だろう。
しかし彼らは本気を出していない。
自分は半分、もしくはそれ以上にどうでもいい存在なのだ。
このまま死んでしまおうかとも思った。
両親、兄、姉を失い、家を失い、自分も失われようとしている。
死んでしまった方がマシだ。
けれども、死ぬ方法を知らなかった。
高いところから飛び降りようにも、上る体力は無い。
首を吊ろうにも、ロープが無い。
燃えてしまうにも、火種が無い。
それに、空腹だった。
自分を捜す者たちがどこかへ行ってしまったのを確認してから、移動する。
とにかく何か食べ物を。そうでなければ死んでしまう。
…あれ、矛盾している。死のうとしていたのではなかったか。
つまりは、死にたくないんだろう。
あまりにもあっさりと自己完結してしまった。
そしてその途端、力が抜けた。
六歳の少年には、この状況は重すぎた。
「ボウズ、俺の縄張りで何してる」
しゃがれた声に顔を上げると、手入れしていないもじゃもじゃの髭が見えた。
「ここはガキの来るとこじゃねぇよ。とっとと家に帰れ」
髭の男はそう言ったが、自分には帰る場所など無い。
家は燃えてしまった。姉と共に。
「家なんかない」
「…お前、捨て子か?」
「違う」
髭の男はその返答を聞くと、立ち上がってどこかへ行ってしまった。
やっぱり、もう自分の存在など認識されることは無いのか。
そう思った時、
「ボウズ、食うか?」
さっきのしゃがれ声に顔を上げると、目の前にはパンがあった。
何も考えることなく、奪い取って食いついた。
腹の足しにはならないけれど、十分だった。
「…ありがとう」
「あとは自分で食い物を探せよ。ここは俺の縄張りだから、これ以上荒らすんじゃねぇ」
「………」
髭の男は再びその場を離れ、戻ってくることは無かった。
次にその髭の男に会ったのは、初めて人に蹴られた直後だった。
「ガキは何にもわかっちゃいねぇ。家なしだって人間なのによ…」
彼はそう言って、パンをくれた。
「お前もこれに懲りたら、ガキから食い物貰おうなんて考えねぇことだな」
「…じゃあどうすればいいの?」
「ポリバケツ漁るか、パン屋の残りもんを貰うかだな。
どっちにしろ喧嘩はつきものだ」
「けんか?」
「あぁ。店の主人の罵りに耐えた後、他の家なしと殴り合って、ようやっとパン一個。
そのパンだってそうやって手に入れてんだ」
「………」
知らなかった。こんな腹の足しにもならないパンのために、髭の男がそんな苦労をしているなんて。
もうこれ以上世話になるわけにはいかないと思った。
「ぼくも、けんか強くなりたい」
「ボウズは喧嘩したことあるのか?」
「ない。にいちゃんもねえちゃんも、けんかはダメだって言ってた」
「そうか」
髭の男は立ち上がり、
「ボウズ」
と呼んだ。
「俺と喧嘩だ。こういうのは実践が大事だ」
これが生まれて初めての殴り合い。
髭の男は手加減していたのだろうが、それでも殴られると痛かった。
でも、泣かなかった。
家族を失った心の痛みのほうが、身体に受ける痛みよりもずっと強いことを知ったから。
ほんの数時間で打たれ強くなり、更に数時間で殴り返せるようになった。
夜が来る頃には、自分も相手もへとへとだった。
「ボウズ、いい拳持ってるな。今まで喧嘩したことないなんて嘘だろ」
「嘘じゃない」
「ボウズくらい実力あれば、これから先も生きていける。明日のメシは自分で何とかしてみろ」
「わかってるよ。ぼく…」
言いかけて、やめた。
「ぼく」という一人称が、何だか情けないような気がしたから。
これからは闘って生きていかなければならないのだから、もっと強そうな…
「…俺だって、それくらいできる」
今までの自分とは違う。
もっと強く生きなければならない。
それからは、本当に喧嘩ばかり。
大人相手でも容赦しない。
耐えるときは耐え、殴ってもいい時は相手が誰であろうと思い切り拳を振るった。
髭の男はそれを離れて見ていて、一騒動終わった後に闘った。
それが何度か続いて、喧嘩はすでに娯楽になっていた。
そしてある時、髭の男はこう言った。
「ボウズ、軍に入ったらどうだ」
「軍?」
「冬になる前に軍に入れば生き延びられる。
この国の冬は、家なしのガキには辛すぎる」
それはよくわかっていた。
ずっと外にいて冬を越すのは、この国では難しい。
喧嘩が強いだけではやっていけなくなる。
今までのルールが通用しなくなる前に、新しいルールの下へいけと髭の男は言うのだ。
「でも、おっさんは?」
「俺はどこか住処を探す。ボウズはガキらしくちゃんとした家に住め」
自分が子供だということを思い知らされる。
普段は大人と喧嘩しても負けなかった。だから、忘れていた。
「お前の腕なら大将が気に入ってくれるはずだ。今度の入隊試験受けて来い」
「…わかった」
その時はどうして「大将が気に入ってくれる」のか、気にも留めなかった。
全く考えなしに入隊試験に臨み、筆記なんか全然できなかった。
実技だけが、髭の男の言うとおり大将に気に入られた。
ノーザリア王国軍大将フィリシクラム・ゼグラータは、そのときこう思ったという。
一般常識も知らないバカが、荒削りの実力をどこまで成長させていけるのか見たくなった。
この手でこの少年を育ててみたい。
ただ、彼には一つ疑問があった。
格闘技を何一つやったことがないと答えたこの少年が、何故ここまで闘えるのか。
後に少年が家なしのスラムにいたことがわかり、漸く半分納得する。
「合格だ。名はなんという?」
「ディア。…ディア・ヴィオラセント」
何はともあれ、これがディアの軍人としての始まりだった。
「おっさん、合格だってさ」
「だろうな」
一度髭の男の元へ戻り、報告した。
これからはフィリシクラムの家に世話になる。これが彼らの最後の会話だった。
「…何で大将が俺を気に入ると思ったんだよ」
「あの大将の性格をよく知ってるからな」
ディアは最後まで知らなかった。
髭の男が、かつて軍人であったことを。
この国の軍を統括していた者であったことを。
前大将が退役後に行方不明になっていたことを、軍に入ってから話に聞くだけである。
「これからどうやって生きていったら良い?」
「強く生きれば良いんだ。男として、強く強く生きれば良いんだ」
それがあの日聞いたコタエ。
「強さ」がなんなのか、わかり始めたのはもう少し後のことになるけれど。