東方諸国連続殺人事件が起こっていたあの当時、軍が全てを負えないのをいいことに犯罪が増加した。
そして事件が終焉を迎えたその後も、犯罪は増え続けた。
特に小国の一つであるイストラは、軍人の裏切りが露見してから国全体が荒れていた。
国民は軍を信じない。
軍は国民の支持のために必死になり、策を講じる。
意見が別れ、対立し、派閥ができる。
そのせいで軍の機能は更に低下し、国民は余計に軍を信じなくなる。
テロなど日常茶飯事。国民と軍人の衝突は激しく、死者も出ている。
女王は国をまとめきれず、過労による病からいつ崩御するかわからない。
そんなところに好きこのんでくる者などいない。
援助として派遣される軍人がいたとしたら、それは明らかな左遷。
イストラ国軍の凶悪犯罪担当副長官は、大国エルニーニャの中央司令部から「左遷されてきた」人間だった。
イストラ国軍中央司令部准将カスケード・インフェリアは、昨晩のテロの被害報告書に目を通していた。
ここに来てから半年以上経つが、国の状態は一向によくならなかった。
いや、これでも減ったのだ。カスケードが来てから変わり始めたと、ナナツ・ココノエ少佐は言う。
カスケードが街を歩いて、人々と言葉を交わす。それだけでテロが減った、と。
「もともと軍と国民の間のコミュニケーションが上手くいってませんでしたから…」
「そこからして問題だよな。国を守るんだったら国を歩いて国を知る。国ってのは国民でできている。
エルニーニャではそれが普通だったから、ここに来て改めて実感したよ」
イストラとエルニーニャの間に、軍のシステムの差はほとんどない。
そのはずなのに、民と軍の間には大きな溝があった。
軍人になれば生活が変わる。そこに生まれる格差を埋められない。
軍は軍のために動く。国民には何も知らされない。
「情報の開示は必要だろ。それから軍に入ってくる資金も考え直すべきだな」
「そうは思いますけど…准将は、それをどうにかできるんですか?」
必要なことは見えているのに、カスケードという一准将にできるのはせいぜい街を歩くことくらい。
何度かトップに掛け合おうとしたが、よそ者の言葉には耳を貸さない主義らしい。
他国に応援を要請したのは人手が足りないからで、それ以上のことをする必要はない。
いつもそう言われて追い出されていた。
「軍内部から変えていかないとダメなのに、俺の意見は無視。
なんか派閥できてるし、よそ者は肩身が狭いな」
「…すみません」
「いや、ナナツちゃんの所為じゃない。むしろ頑張ってくれてるだろ」
現在カスケードの味方はごく少ない。
その一人がナナツ・ココノエで、准将補佐と表現すると妙にしっくりくる。
そして、もう一人。
「カスケードさん!ナナツさん!」
淡い赤紫の髪と青紫の瞳を持つ少年が駆けてくる。
「ウィリク、どうした?」
「昨晩のテロについての追加なんですけど…」
ウィリク・セイジ大尉は正真正銘サーリシェリア人で、カスケードと同じような境遇だった。
彼はカスケードが来る少し前にイストラに来て、ナナツの部下になったのだという。
最も協力してくれるのは、ナナツとウィリクの二人。
よそ者でないのはナナツだけ。
しかしナナツには上に意見する権限などなく、結局できることは限られてしまう。
「…あの、准将」
「何だ?」
「やはりエルニーニャに援軍を頼めないでしょうか」
大国がイストラを動かしてくれたら、とナナツは言う。
しかし、カスケードは首を横に振る。
「イストラのことはイストラで何とかしよう。
エルニーニャの中央司令部にいるリルリア准将から何度か申し出があったが、全て断ってる」
「だって、殺人事件のときは来てくれたじゃないですか」
「あれはこっちにも事情があったし、イストラだけの問題じゃなかった」
同じ話を何度しただろう。
それくらい、現状に疲れている。
「ナナツさん、オレは殺人事件のことは知らないけど…」
ウィリクが口を開く。
「やっぱり、これはイストラが何とかしなきゃいけないと思います」
この台詞も、何度も耳にした。
「少しずつだけど現状が良くなっているのは、エルニーニャの人が来たからじゃありません。
カスケードさんが来て、イストラを知ろうとしているからです」
「…そんなの、わかってる。わかってるよ」
わかっているのに話を蒸し返すのは、ナナツが悔しいからだ。
イストラ人のくせにイストラを知らない自分が、悔しい。
「誰もわかってない…私も含めて、誰も。
一番知ってなきゃいけない人が、皆知らない」
ウィリクの持ってきた資料が目に入る。
死傷者追加、一名。
それがどんなに重いものか、かつて友を失った彼女にはよくわかる。
けれどもそれが何のために失われなければならないのか、それがどんなに愚かなのかは誰も気づいていない。
気づいている人は、気づいていない人の圧力に負ける。
「私たちは…命を忘れてる」
そしてまたテロが起こる。
今回のものは規模が大きく、司令部を直接狙ったものだった。
夜中に鳴り響いた警鐘に叩き起こされ、カスケードとウィリクは寮の部屋を飛び出した。
「燃えてるな…」
火炎瓶が投げ込まれた、と誰かが言っていた。
個数は不明だが、司令部西棟の被害は甚大だ。
「消火隊は?!」
「足りないんです!ほとんどがテロリストと衝突していて…」
どこかから聞こえる会話に、カスケードは苛立つ。
今は争っている場合じゃないのに、一体何をやっているんだ。
消火隊に加わった方がいいと判断して向かおうとしたが、ウィリクに止められた。
「どうした?」
「ナナツさんが残業してたみたいで…中にいるそうなんです!」
「なんだと?!」
あの激しくのたうつ炎の中に、ナナツがいる。
「ナナツさんは北棟にいるそうです。北棟にも火炎瓶が投げ込まれたとか聞いて…」
「わかった、ウィリクは消火の手伝いをしてくれ。俺はナナツちゃんを探してくる」
「え?!」
今度はウィリクにも止められなかった。
青い影は司令部の建物に消えていき、あっという間に見えなくなる。
「…わかりました」
もう誰にも聞こえない了解を呟き、ウィリクは消火活動に加わる。
戻ってこなかったら承知しません、と続ける余裕はなかった。
西棟が崩れていく音と、赤い光が広がっていく景色。
報告書に「2」を書き加えたくない。
そのために今できることを。
遠くから誰かの叫びが聞こえた。
軍人を非難する声が響いた。
民を守るはずのものが、また民を傷つけた。
「もう人が死ぬのは見たくない…
オレのせいで誰かが死ぬのなんてごめんだ!」
ウィリクは二度親友を失った。
一度目は遊んでいて、ふざけて相手を突き飛ばした。
転んだ相手は偶然石に頭を打ち、死んだ。
二度目は相手の病に気づかなかった。
何もわからずに過ごしていて、その結果病を重くして、親友は帰らぬ人となった。
三度目なんていらない。
絶対に失わない。
「あの人は言ってた…大切なものは何が何でも守り抜けって。
それがオレの償いだって…!」
ナナツは親友とその父を失った。
親友は東方諸国連続殺人事件の被害者だった。
事件を追っていた親友の父も、その関係で殺された。
ナナツは軍人で、重要な情報を持っていた。
それなのに大切なものを失った。
炎の中で考えるのは、そのことばかり。
「ごめん…ごめんね…」
失って、今もまだ失い続けている。
何も変わっていない。
「大将…ごめんなさい…」
自分がもっと行動していたら、何か変わったかもしれない。
これから何かを変えられるかもしれない。
だけど、その力は残っていない。
このまま焼かれて終わってしまうのだろう。
「…死にたく…ないなぁ…」
天井が崩れる。
「あの子にも…大将にも…私まだ何にもしてない…」
瓦礫に潰されるのも、時間の問題だ。
「准将…インフェリア准将にも、ウィリク君にも…」
音がした。
「准将に気持ち…伝えたかったな…」
がたん、と響く。
それは段々近付いて、
「…?」
ナナツの体を持ち上げた。
「ナナツちゃん、無事か?!」
暖かくて、懐かしくて、
だけど、傍にあったもの。
「じゅん…しょ…?」
「すぐ脱出するから、しっかりつかまってろ。
…もう何も炎の中にとり残したりしないから」
カスケードはナナツを抱えて走った。
炎の中に残した親友を思いながら、ひたすらに走った。
守れなかったものに語りながら、駆け抜けた。
今度は必ず守り抜くから。
それが誓ったことだから。
もう二度と失わない。
失いたくない。
「何が何でも守り抜いてやる。
それがお前との約束だからな」
火が消え、夜が明けてからは西棟および北棟の一部の調査が始まった。
終わればすぐに建て直しを始めるらしい。
「国を立て直す方が先だと思うんだけどな…」
病院の窓からその様子を眺めるカスケードと、ため息をつくウィリク。
今回のテロは、不幸中の幸いか死者が出なかった。
負傷者は多かったが。
「この負傷者二十五名のうち一人は俺なんだよな。情けない…」
「カスケードさんは情けなくないです。おかげでナナツさんは手足の火傷で済んだんですから」
「手足火傷したんだから済んでないだろ。レディが傷つくなんてダメだ」
同じくらいの火傷だったカスケードは、自分よりナナツの方を気にする。
そういう人だとはわかっているけれど、ウィリクは少し呆れていた。
「自分を大切にしてくださいよ」
「…ん」
「しっかりしてくれないと、オレもナナツさんもまだまだ困ります」
「わかったよ」
サーリシェリア人だから色合いはハルに似ているのに、口調はアーレイドのようだ。
カスケードはウィリクに対していつもそう思う。
そういえば、エルニーニャは今どうなんだろう。
「さてと」
「その包帯だらけの体でどこ行くんですか」
「公衆電話。エルニーニャに電話する」
「…あなたって人は…」
もちろんテロで怪我したなんて言わない。
明るく喋って終わらせるつもりだ。
電話の相手は向こうにいる親友。仕事中だとまた怒られるだろう。
「…もしもし」
イストラの件が片付いたら、故郷に帰ろう。
いつになるかはわからない。きっとまだまだ時間がかかる。
それでもやろうと思えるのは、大切なものがあるから。
大切なものに境界線はない。
「ねぇ、ウィリク君」
「なんですか?」
電話をかけているカスケードを見ながら、ナナツは言った。
「私、もう一度上に掛け合ってみる」
火傷の体は痛々しい。しかし、彼女の眼は強かった。
「私はイストラの人間よ。…同じ国の人間が傷つけあうのをやめさせなくちゃ」
そしてまた、戦いが始まる。
どんな痛みも乗り越えて、必ずこの国に笑顔を取り戻す。
「全力をかけて協力します。オレはナナツさんの部下ですから」
「…ありがとう」
カスケードが電話を終えて、こちらに気づいた。
さぁ、今日も行こうか。