王が、崩御した。

世間には急な病によるものと発表し、遺言状は捜索中であるとした。

後継者は――この国を治める次なる者は、誰になるのか。

国民は恐れていた。王の親族は、ただ一人しかいないから。

もう一度隣国の助けを借りなければならない事態が起これば、今度こそこの国は立場を失うかもしれない。

もしも次の王が、あの罪人となるならば。

一度身分を剥奪された、あの者となるならば。

冷たい風が吹く。もう夏になるというのに、刺すような冷たさを持つ風だった。

 

暗い牢獄から外へ出ると、光に眩んだ。

相も変わらず、この地は広かった。

それでも父はまだ足りないと言った。我々が周囲の小国も治めてやらねばなるまいと、そう語った。

抵抗する民はいらぬ。従順な人間による、強大な大国をつくれ。

そしていつかはあの隣国も手中に。

語り部は今やこの世を去り、この言葉は誰もが忌むものとなっているはずだった。

自分が牢に放り込まれてから、この国は平穏な日々を送っていた。

――本当に、そうでしょうか。

先日の声が脳裏によみがえる。

――隣国から犯罪者が流れてきて、人々は怯えています。

ずっと世間を知らずにいた。そんなことが起こっているなんて知らなかった。

――軍も役に立ちません。…殿下が治めるならば別でしょうが。

諸悪の根源は隣国だ。だから、この国を守るために隣国と戦え。

今の王は平和ボケしているから、早く交代しなければ。

その言葉通りに、自分はこれから王宮に向かう。

イース・イルセンティア・ダウトガーディアムは、今度こそ大国ノーザリアを治めるのだ。

 

「私は反対ですね。罪人を王にするなど、民の不安を煽るだけでしょう」

軍の責任者として、カイゼラ・スターリンズは大臣に意見する。

いや、王亡き今、彼はすでに国の責任者だった。

「大体、王の死因だって納得できません。病死など嘘に決まっている。これは暗殺だ!」

「落ち着きたまえ、スターリンズ大将。医師の診断は病死だ。心臓が突然発作を起こし、そのまま死に至ったのだ」

「王は心臓の病など患っていなかった!」

「人間の身体というものは何が起こるかわからない。これも自然の理というものだ」

同じ問答の繰り返し。今王宮にいる者のほとんどが敵と言ってもいい。

味方がいたとしても、逆らうのは命がけだろう。何せ、王がすでに殺されている。

だから味方になってくれとは言わない。カイゼラは一人でも戦うつもりだった。

しかし、

「医者は信用できませんよ。なんなら、俺が診ましょうか」

彼は一人ではなかった。傍らには最も信頼を置いている部下がいる。

それだけで、彼は王宮決定に逆らう勇気を持てた。

「そう言って、スターリンズの都合のいいようにしか診ないのだろう」

「そちらにも同じことが言えますよね。医者を買収して、都合のいい発表しかさせなかったんじゃないですか?」

目上の人間に対しても威圧的な笑みを向ける部下だが、カイゼラは止めない。

大臣がこれに逆上して真実を吐いてくれれば、全て解決する。

だが、そう上手くはいかない。結局は無理やり追い出される。

この国では、王宮決定が最も重い。軍人になど覆せない。

「覆した奴の息子でも、か…」

「流石に俺は人を殴ったり出来ませんから」

「嘘を吐け」

四年前にノーザリア中央司令部に配属された部下は、カイゼラが尊敬する人物の孫だ。

彼の父親はかつての喧嘩友達であり、ノーザリア王国にとっては重要な人間になりつつある。

「私はお前にもこの国を変えてほしいんだが」

「そんな重いものを背負うのはごめんですよ」

「本当にお前は父親そっくりだな。養子とはいえ、そこまで似ているとは」

「やめてください。父は似たくない人一位なんです」

「手遅れだな」

軽口を叩きながらも、考えることはこの国の行く末。

亡くなった王の甥が国を治めることになれば、大臣どもにのせられてしまうだろう。

そしてカイゼラは、軍大将という地位から退くことになる。

その気がなくとも、辞めさせられる。

「お前は名誉大将の孫だ」

「はい」

「だから、大将を継げ」

「…他の人に睨まれます。ただでさえ俺は嫌われているようですし」

すぐには継げないだろう。でも、いつかはそうなってほしい。

呼び出したときから、彼はカイゼラの希望だった。

 

イルセンティア・ダウトガーディアム五世が即位し、ノーザリアは不穏な空気に包まれた。

過ちは償ったのだと大臣たちが説明しても、人々はまだ半信半疑だった。

カイゼラは当然信じてなどいない。

もし改心していたとしても、大臣たちの言いなりになっているならば何も変わっていないと考えていた。

「ラシェーニャ、君はウーノを連れて国を出た方がいいかもしれないな」

妻と息子を、これから先の争いに巻き込みたくない。

その思いから出た言葉は、拒否で返された。

「私はここに残ります。どうしてもというのなら、ウーノはそうさせましょう」

「君が傷つくかもしれない。それにウーノ一人では…」

「私はこの国を見届けたいのです。危険が及ばないのなら、ウーノにもそうしてほしいと思っているわ」

これ以上は言う必要がないだろう。彼女の意志は強かった。

カイゼラは頷き、妻を抱きしめた。

「私は軍を追放されるだろう。生活していくことは難しくなると思う」

「きっと何とかなりますよ」

本当は、カイゼラが何とかしなければならなかった。

それがかなわず、こうして家族に辛い思いをさせてしまう。

どれだけ謝罪しても足りない。

 

このままでは戦争が始まるだろう。

名誉大将フィリシクラム・ゼグラータは、苦い顔で言った。

その言葉を、彼の孫が黙って聞いていた。

「王ではなく、大臣がそそのかしている。前王のお人よしが仇になったな」

フィリシクラムは前王が嫌いではなかった。寧ろ、気に入っていた。

死の知らせを聞いたときは、友人として嘆いた。

悲しむ時間は多くは与えられず、今はこうして国の未来へ不安を抱く。

「あの国との戦いになれば、大事になるのは必至だ。止められるのは両国を繋ぐ者…」

自身の孫が頼りだった。

隣国に生まれ育ちながら、この国を守るものとして存在する彼。

「この国が破滅の道を行かぬため、お前がやるべきことがある」

「大将は継げませんよ。俺はまだ准将です」

「そうだ、だからこれは賭けだ」

彼が大将になれないのなら、別の方法がある。

間違えれば彼の立場は両国どちらにもなくなり、国は崩壊する。

しかし、もうそれしかないのだ。

「…できるか?」

「やれと言うならやりますよ。どうせ俺は嫌われ者です」

それに、と彼は言う。

穏やかな、昔を懐かしむような表情で。

「その方法なら、久しぶりにあいつらに会えます」

 

はじめは小国への侵攻命令だった。

大国を狙うには時期尚早だ。まずは近隣の小さな国々を手中にする。

兵を増やすという目論見も含んでいた。

カイゼラは全てを拒否し、王の遣いを追い返した。

何度命じられても断り続けた。軍は王に従うという国法を無視し、王宮と対立した。

その一部始終を、部下は見ていた。

カイゼラが解任になるそのときまで、ずっと。

「王の命令に従わぬなら、大将の地位を剥奪する」

遂に告げられたこの言葉を、部下である彼も聞いていた。

それに頷き、何の抵抗もせず連行される元大将の姿を、微動だにせず見ていた。

いや、唇が僅かに動いていた。

カイゼラにだけ聞こえるように、言葉を紡いでいた。

この国を、そして、隣国をも守ってみせる。

そんな彼の誓いが、この一言に込められていた。

「あとは俺に任せてください」

扉が閉まって、彼一人になった。

ここからが、本当の始まりだ。

 

イルセンティア・ダウトガーディアム五世が接触してくることは分かっていた。

自分は彼が牢獄に閉じ込められる原因となった者の子だから。

嫌われながらもこの国で積み重ねてきた功績も、ここで役に立った。

あとは相手の問に、了承の意を返せばいいだけ。

「ダイ・ヴィオラセント」

王が自分の名を口にした。

それを自分の名とするようになってから四年が経っていた。

「我の命に従うか」

誰に従うのもごめんだ。自分は自分の意思で行動し、自分にとって最も良い方へ進む。

だが、今はそのためにこう答える。

「はい」

守りたいもののために、国を壊すと決めた。

壊すのは得意だ。自分は「喧嘩屋」の息子なのだ。

「では新大将の命の下、近隣諸国を統制せよ」

「恐れながら陛下、こちらの計画が隣国に漏れぬよう、それは避けたほうがよろしいかと」

「しかし近隣諸国の秩序と、この国の兵力増大のためには…」

「兵力は充分です。近隣諸国は大国を制覇すれば向こうからついてきます。それに」

自分がこの地位を得たのはノーザリアでだが、育ったのは隣国。

現在の自分を培った場所は、中央の大国エルニーニャ。

「エルニーニャ王国軍大総統ハル・スティーナを油断させておくべきです」

「ならばどうする」

「友好大使として、俺がエルニーニャへ行きます。エルニーニャ出身の人間なら、向こうも信じるでしょう」

大臣たちがざわめいた。

少し前までは王宮に逆らっていた人間だ。これをあっさり許可するわけにはいかない。

しかしそれは想定していたこと。騒々しい中声を張り上げ、礼儀もかまわず言い放つ。

「俺はこの国にとって最も有益と思われることをするまでだ!そのためなら故郷を敵に回したってかまわない!」

嘘は一つもない。神に誓ってもいい。

全てに嫌われても、自分は自分の信念を貫く。

自分には果たさなければならないものがある。

「それとも俺に任せるのが怖いか?」

「貴様…無礼だぞ!」

「待て」

大臣を制し、王は告げる。

「任せてみようではないか」

きっと、そう言うと思っていた。

まだ彼はどこかで、遠い日の記憶を信じている。

 

世界暦五二八年、夏。

ノーザリアがエルニーニャへ使者を送ることが、合意の上となった。

表向きは友好大使として。

四年以上踏まなかった土の感触も、

蒼く広がる空の色も、

ダイにとっては、戦う準備の舞台に過ぎない。

「ようこそ、エルニーニャへ」

「これからしばらくお世話になります」

見知った顔に、他人行儀に挨拶してから。

彼はもう一度、北の方角を振り返った。