ほんの数日離れていただけだというのに、随分と長く空けていたような気がした。

それだけエルニーニャでのできごとは、密度の高いものだったのだと改めて思い知る。

「准将、おかえりなさいませ」

ノーザリアに戻ったダイを出迎えたのは、部下であるアスターリャ・イルナコフ中佐だった。

カイゼラが大将職を降ろされた今、ダイの味方は彼女くらいだった。

この数日はノーザリア国内での調査を全て彼女に任せていた。すぐに報告が欲しかった為に、空港まで迎えに来るよう指示した。

文句一つ言わず、彼女は従ってくれる。ダイが仕事をする上では、もっとも都合の良い人間だった。

「準備は」

「できています」

アスターリャの車に乗り込み、移動しながら状況を確認する。

向かう先はノーザリア王宮だ。

「本当に、休まなくても宜しいのですね」

運転席の彼女に訊ねられ、ダイは資料から目を離さずに返した。

「休んでいる暇なんかない。急いでくれ、中佐」

「はい」

アスターリャが、アクセルに置いた足に力を込めた。

 

ノーザリア王宮政府の汚職を暴き、エルニーニャ侵攻計画を潰す。それがダイの目的だ。

ダイがエルニーニャ王国に赴いたことをきっかけとして、エルニーニャ政府は新体制をとることとなった。

エルニーニャ政府の弱さを指摘し、そこを突いて攻め込もうと考えていたノーザリア王宮政府。しかし今回のことでその目論見は崩れる。

ならばと新体制の弱点をあげようとするだろうが、もう遅い。侵攻計画を進めていた人間は、これから地位を失う。

多くの人の協力を得た。強引な手を使ったこともあったが、それでも支えてくれる人がいた。

我侭に付き合ってもらったのだから、必ず成功させなければならない。

ダイ・ヴィオラセントの、一世一代の大博打を。

 

ダイが何の連絡もなく現れたことに、王宮にいた大臣達はざわめいた。

何の用かと訊ねれば、彼は口元だけで笑ってこう答える。

「エルニーニャ訪問のご報告に」

そのエルニーニャ政府が新体制を他国に発表したのは、つい先ほどのことだ。

予想外の出来事に混乱する中での、ダイの帰還。

すぐにでも問い詰めたいが、彼は言う。

「陛下にご報告申し上げたいので、貴方がたは退けてください」

無礼だと罵る暇も与えない。誰もが状況を知りたいのだから、それは邪魔になる。

大臣らは即座に謁見の場を設け、王をそこへ据えた。

「ヴィオラセント、帰ったか」

イルセンティア・ダウトガーディアム五世が玉座から見下ろす。

ダイは形式上跪き、彼に進言する。

「はい、ただいま戻りました。さっそくですが、調査許可をいただきたく存じます」

「調査許可?」

ノーザリアでは、軍統帥権は王にある。

それ故に、まずは王の言葉が必要だった。

「王宮大臣らの身辺調査及び家宅捜査、そして王宮内捜査の許可を。彼らは危険薬物を不正に取引しています」

可能性、などという曖昧な言葉など不要だ。これは事実なのだから。

しかしながら、当然大臣らは反発する。そこかしこから怒号が飛び交った。

「何を馬鹿な!」

「証拠はあるのか!」

口々に吐き出される罵声をものともせず、ダイはただ静かに続ける。

「証拠ならあります。後ほど、エルニーニャから危険薬物の運搬に関わった人物が着きます。彼はノーザリア王宮政府の人間に薬物を運んだと証言しました。

記録だけなら俺が預かってきていますが、今ここで読み上げましょうか」

「でたらめを言うな!」

「でっちあげたんだろう!」

「調査など許可できるか!」

「何を言っているんですか。貴方がたが無実なら、都合の悪いことなどないはずですよ。それに」

ダイは立ち上がり、ぐるりと部屋を見渡す。

そして王以外の、自分を囲む人間全員に向けて言い放つ。

「てめぇらには訊いてねぇよ。俺は今、陛下と話してんだ」

部屋から声が消える。しかしそれも一瞬のこと。

すぐに無礼だ、その態度はなんだと声が飛び交う。

それを再び鎮めたのは、

「許可しよう」

王のその一言だった。

大臣らが口をぱくぱくさせている間にも、言葉は続けられる。

「それが真実ならば正さねばなるまいし、無実なら証明しなければ。

エルニーニャが体制を変えるというのなら、こちらも内部で騒いでいる場合ではない」

「ヴィオラセントが余計なことをしなければ、騒ぎにはなりませんでした!」

「陛下も陛下です! 私どもに相談もなしに決めて……」

「相談? ノーザリア王とは本来こういうものではなかったか?」

王は大臣らを見下ろす。

「自らの毒になるものは徹底的に排除する。王の決定は絶対。……そしてお前達は、それを利用する為に我を王に祀り上げた」

そうだろう、と問う王に、返答する者はいなかった。

沈黙の中でただ一人、ダイが口を開いた。手にした無線に向けて、一言。

「ほぼ全員クロ、で良いんだな?」

王が許可を出したその直後に、ダイはすでに合図を出していた。

ダイに従う部下は少ないが、アスターリャには多数存在する。

彼女の指示により、大臣らの自宅及び王宮には軍が待機していた。

彼らは合図と同時に動き、大臣らの自宅から確かな証拠を見つけ出していた。

危険薬物と、その取引の記録。どうせ調べられないと油断していたために、処分が甘くなっていたのだ。ダイはそれも想定済みだったが。

「陛下、現在判明した関係者の名前を申し上げます」

ダイが大臣の名を告げると、王はそれを復唱する。

呼ばれた者は青くなり、その場に膝をつく者もいた。

全てを唱え終わると、王は告げる。

「以上の者、全てから大臣の地位を剥奪し、拘束することとする」

その言葉を聞いた軍人らが、大臣らを取り押さえて連行していく。

ほんの僅かな時間で、王宮から多数の人間が消えてしまった。

「……驚きました。陛下がそのような行動に出るとは予測していなかったもので」

ダイが言うと、王は口角を上げた。

「では、どうするつもりだった?」

「力ずくで頷かせるつもりでした」

「……やはり、あの男の息子だな」

王の言葉に、ダイは苦笑する。

自分は拳を振るわなかったと言い返したが、一笑された。

「故郷を敵にまわしても、と言ったな。ダイ・ヴィオラセント、君の故郷はどちらだ」

生まれ育ったエルニーニャか、現在所属するノーザリアか。

その問いには、初めから変わらない答えを用意してあった。

「両方です。俺はどちらにとっても有益と思われることをしたつもりです」

「そうか、……確かに君は両方を壊し、建て直す機会を与えた」

王――イルセンティア・ダウトガーディアム五世は、王座を立った。

大臣らに被せられた冠を取り、王座へ置く。

「これで、我の王としての仕事は終わりだ」

「辞めるんですか?」

「あの大臣らに擁立された身だ。辞めなければけじめにならぬ」

カイゼラの拘束を解くことと、次の王は国民に選ばせること。

それを最後の命とし、彼はその地位を降りることを選んだ。

 

その後、発表や手続き、公式宣言などを経て。

間もなくして、ノーザリアは新しい時代を迎えることとなった。

 

国民が王として選んだ人物は、かつて軍に在籍し、名誉大将フィリシクラム・ゼグラータの部下として働いていたこともあった。

ノーザリア軍家出身であり、現在軍に中佐として在籍している人物の父でもある。

彼はイルナコフ・ジェンガーディアム一世と名乗ることになった――イルナコフとは、彼の家名である。

「ということは、君は王女になるわけだ」

ダイが言うと、アスターリャは恥ずかしそうに俯いた。

「王女といっても、引き続き軍には在籍するのですから、今までと変わりません」

「俺もそう思ってたんだけどね」

手元には文書が二つ。一つはダイがこの度の活躍により、中将に任命されたことを告げるもの。

もう一つは、王家に入らないかというものだった。

アスターリャの婿となり、次の王にならないかと。

「陛下は、そうは考えてないらしい。一応訊くけど、これ断っていいよな?」

「……私は正直、残念ですけれど」

「ごめんな、俺はエルニーニャに婚約者がいるんだ」

「婚約者がいらっしゃるにも拘らず、私に手を出したのですね」

「それは父君には内緒にしておいてくれ」

「父には言いませんが、中将には正直に申し上げますね。貴方は最低です」

「はっきり言ってくれるな」

最低な貴方の片腕は、ノーザリア軍では私にしか務まりません。アスターリャはそう言って笑う。

また一人、敵わない人が増えてしまったなとダイは思う。

 

ノーザリア軍の大将には、再びカイゼラ・スターリンズが就くことになった。

エルニーニャと同じく、ノーザリアもまた体制が変わったばかりだ。暫くは忙しいだろう。

「今まで以上に働いてもらうからな、ヴィオラセント中将」

「面倒ですが、仕方ないですね」

「ノーザリアを支える骨になってもらわなければならないからな」

「そのうちダイが軍を背負うのか。楽しみだな」

カイゼラとフィリシクラムは豪快に笑うが、ダイは喜べない。

ノーザリア軍の要になるということは、ここを離れられなくなるということ。

エルニーニャには、帰れない。

「ノーザリアの骨となって、ノーザリアに骨を埋めるのか……」

それが運命だとしても、諦められないことが一つ。

エルニーニャにいる、大切な人のこと。

負った責任と、夢見た未来。

「……まぁ、いいか。時間はまだあるさ」

一つずつ片付けていこう。

まだ、新しい時代が始まったばかりなのだから。

 

「あ、秋にはエルニーニャに行くって約束しちゃったんで、その時は休みますよ」