聞くところによると。

祖父スティーレンは上司であったにもかかわらずあだ名で呼ばれるという屈辱を受け、

父ヴォルフィッツは何度も口論をし、いつも最後は打ち負かされたという。

そんな連鎖がいつまでも続くと思ったら大間違いだ。

私は絶対に勝ってみせる。

 

エスト家の永遠のライバル、インフェリアに。

 

「今日からこの部屋で生活してね」

寮の管理人、セレスティア・セレナーデが微笑みながら言った。

今私が立っているのはある部屋の前だ。

ネームプレートには「カスケード・インフェリア」とある。

つまり同室になる者は、あのインフェリア家の跡継ぎなのだ。

「カスケード君は五年くらいずっと一人で部屋を使ってたから、慣れないかもしれないわ。

でもあなたたちは二人とも大人だから、きっと大丈夫よね」

大丈夫だ。必ず私がインフェリアを倒す。

そしてエスト家の偉大さを知らしめてやる!

「失礼する」

私はドアを開け、部屋に踏み入った。

あまり物の無い、すかすかとした部屋だった。

そして奴はそこにいた。

「よぉっ!やっと来たか同室!」

妙にハイテンションだ。

「初めて会うな。セントグールズ・エスト、階級は大佐だ」

私が名乗ると、奴も名乗る。

「カスケード・インフェリア、同じく大佐だ。よろしくな!」

握手を求めているのか、右手を差し出してきた。

しかし私にそんな余裕はない。大体ライバルと握手など交わせるか。

さっさと荷物を片付けようと、私は部屋に入っていった。

「何だよ、つれないぞセンちゃん」

つれないのは当然だ。私と貴様はエルニーニャ建国以来代々ライバルの家系で…

…今、奴は奇妙なことを言わなかったか?

「あ、セントなんとかって長いからセンちゃんって呼ばせてもらうから」

何だその屈辱的なあだ名は!

祖父がかつて体験した屈辱を、今私が味わっている…っ!

ちなみに祖父は「スッチー」と呼ばれていたらしい。さぞ苦しめられたことだろう。

「センちゃん、紅茶飲めるか?」

「その呼び方はやめろ」

「セントなんとかって長いんだって。で、紅茶は?」

「飲めるが、その呼び方をやめろ!」

「飲めるんだな。じゃ、荷物ほどいてる間に淹れとくから」

人の話を聞かないとは、何たる侮辱。

まぁいい、これから先祖代々の仕返しをしてやる。覚悟しろ、インフェリア!

 

二日目、インフェリアの弱点を掴めないかと思い見張る。

幸いなことに、今日は私も奴も非番だ。

「センちゃん、部下からクッキー貰ったんだけど食うか?」

「だからその呼び方をやめろ」

昨日の夜から今日にかけてわかったことだが、奴は女性にモテるらしい。

昨日は金髪ショートカットの美女が夕飯を作って持ってきた。

さっきは黒髪の少女がクッキーを持ってきた。

全くけしからん奴だ。

「まぁ、一つ食ってみろって」

「貴様が食えば良いだろう。女性の好意は素直に受け取れ」

「良いから良いから」

あまりにもしつこいので手を伸ばしてやった。

仕方なく思いながらクッキーを口に運ぶ。

…な。

「何だこれは?!」

辛い。クッキーは菓子だ。甘い菓子のはずだ。なのにこの味は何だ!

「シィちゃん、また作ったんだな…もう大分慣れたけど」

慣れた?!インフェリアはこの味に慣れたというのか?!

く…っ、私はどうやらまだまだのようだ…。

弱点を掴むどころか負けを認めてしまった。

 

五日目、私はあることに気づいた。

インフェリアは食堂に来ない。なのに夕飯時にはどこかへ行く。

一体どこに行っているのか気になり、食堂に行くふりをして後をつけてみた。

すると奴は金髪ショートカットの美女に声をかけられ、並んで歩き出した。

あれは一日目の夜に夕飯を持ってきた美女だ。まさか奴は彼女と夕飯を…?

なんと破廉恥な!こんなことが許されて良いわけがない!

私は奴を止めるため、更に後をつけた。奴はごく自然にある部屋へ入っていく。

あれが彼女の部屋か…全く、なんとけしからん…

…って、ここは男子寮ではないか?

急いでネームプレートを見る。するととんでもないことが判明した。

ここはあの喧嘩屋ディア・ヴィオラセントの部屋ではないか!

ではあの美女は一体誰だ?…待てよ、もしやあれは…マルスダリカ危険薬物事件の…!

「アクト・ロストート…まさか近くで見るとあんなに美人だったとは…」

そしてあんなに料理上手だったとは。あのような知り合いがいることに完敗だ。

 

七日目、インフェリアが大剣の手入れをしていた。

よほど大切なものなのか、念入りだ。私が銃を愛好するのと似たようなものなのだろうか。

「センちゃんさ、すごく仲いい友達とかっているか?」

大剣を磨きながら話しかけてくる。全く、くだらない質問をするものだ。

「トモダチなどいなくとも、優秀な上司と部下、同僚がいれば十分だ」

「そうか?友達は重要だと思うぞ」

貴様の友達などあの野蛮な傷男や女顔のようなものだろう。それが重要か?

「俺は親友のおかげで今の自分になれた。だから友達っていうのはすごく特別なんだ」

「ほう、親友とは誰だ」

「そこの写真の」

インフェリアが指差した方には、あっさりとした部屋の中では珍しく鮮やかなものがあった。

地味な写真立てに入ったそれには、明るく笑う二人の少年がいた。

「片方は貴様か。もう片方は…」

「ニア・ジューンリー。俺の大親友」

その名前は聞き覚えがある。いつだったか殉職者名簿で…

あぁ、そうか。この親友とやらはもうこの世にはいないのか。

いないものなど忘れてしまえばいいものを、奴は心に留めておく気か。

奴は軍人になど向いていない。

 

九日目、インフェリアの部下が訪ねてきた。

あれなら知っている。グレン・フォースだ。仕事が早く正確だと評判の、素晴らしい銃使いだと聞く。

そしてその傍らの美少女はリア・マクラミー…実は私もファンクラブに入っている。絶対に公言できぬ秘密だが。

「カスケードさんはどう思います?」

あのマクラミーに名前にさん付けで呼ばれるとは…羨ましいぞインフェリア!

奴の部下、一部はかなり有能なようだ。フォースやマクラミーの他、シーケンスやローズ、ベルドルードなども奴の下にいる。

それなのに何故ヴィオラセントやリーガル、ダスクタイトまでも部下なのだ。不可解すぎる。

大体あの天才リルリア准将がインフェリアを信頼しているなど信じられん。

奴の人望がここまで厚いのにはどんな理由があるというのか。全く謎だ。

 

十一日目、私の昇進が決まった。

同時に部屋を移動することになった。三日後にこの部屋を引き上げることになる。

「センちゃん、良かったな。今日はお祝いだ!」

ここは野心に燃えるところだろう。何故祝えるんだ。

「貴様…人が昇進するのに悔しくないのか?」

「めでたいことだろ。その人の頑張りなんだから、悔しくなんかないさ」

奴はそう言って、満面の笑みを見せた。

わからない。何故悔しくないんだ。

エスト家は代々悔しい思いをしてきたのに、何故インフェリアは悔しがらない?!

すでに勝ちを確信しているからか?いや、今インフェリアは不利なはずだ。

「乾杯しようぜ、センちゃん」

「そんなものは不必要だ。貴様になど祝われたくない」

「…センちゃん、俺のこと嫌いなのか?」

「屈辱的な呼び方をやめろと何度言ったらわかるんだ」

インフェリアはおかしい。こんな奴に何故エスト家は負ける?

何故私は負けるんだ?

「…呼び方が嫌なら、悪かった」

謝るな。何故謝る。

「酒は置いとくからさ、自由に飲んでくれ」

インフェリアは席を立ち、部屋を出て行った。

「おめでとう、セントグールズ」

去り際に、そう言って。

 

十四日目、あと数時間でこの部屋を出る。

インフェリアとはあれからほとんど会話をしていない。

思えば、あんなに言葉を交わした人間は家族以外で初めてだったのではないか。

奴は謎の多い人間だ。私には奴の思考を少しも読めない。

だが、しかし。一つだけわかったことがある。

奴は私とも「トモダチ」になりたかったのだ。だからあの屈辱的な呼び名で私を呼んでいたのだ。

呼ばれなくなってから、物足りない気がしていた。

私もまた、慣れてしまっていたのだ。

祖父はスッチーと呼ばれてどのような思いだったのだろう。

私には「屈辱的だった」と言っていたが、そう語る表情は…穏やかだった。

「インフェリア」

「ん?あ…どうした?」

何か考え事でもしていたのか、奴の返事は曖昧だった。

「何を考えていた」

「あー…部下が国外に出張に出て…それで、そいつといつも一緒にいるやつが元気なくてさ」

部下のことを考えていたというのか。全く、人のことより自分のことを考えたらどうだ。

だから貴様は…人望があるのか?

「私は今日ここを出る。その元気のない部下を泊めるなりしたらどうだ」

「お、ナイスアイディア!さすがセンちゃ…あ、これは嫌なんだっけな」

別にいい、とは言えず。私はまとめた荷物に目をやった。

時間は迫る。結局私は奴に何一つ勝つことができずにここを去るのだ。

「…セントグールズ、俺はこの二週間楽しかった」

インフェリアが、唐突にそう切り出した。

「久しぶりの同居人だったから、懐かしいのと新鮮なのと混じってて。

だから…もう少し、お前と仲良くなりたかった」

そういえば、五年ほど一人だったと言っていた。

そうか、五年は…ニア・ジューンリーが殉職してからだ。

親友の死から、奴はずっと一人だったのだ。

今更気がついてももう遅い。私は昇進して、部屋を去る。

「屈辱的な呼び名でも構わない」

その台詞は、自然に言えた。

「貴様が呼びやすいように呼べ」

「…マジ?センちゃんでいいのか?」

インフェリアの表情が明るくなる。全く、子供のようだ。

私の方が二歳年下だというのに。

 

別れ際、奴は言った。

「いつでも遊びに来いよ、センちゃん」

馬鹿者が。准将が大佐の部屋になど行けるか。

…しかし、奴は部下の部屋によく行っていたな。

たまには屈辱を味わいに来るか。私は完璧すぎるからな。

そしてその屈辱を屈辱と思わぬようになったら、私の勝ちだ。

 

覚悟していろ、永遠のライバルよ。

世代の連鎖を全てかけてでも、いつか必ずエスト家が勝利する。

 

それから五年後。

インフェリアが大総統になり、私は完全な敗北を悟るのだった。

あとは息子のドミナリオに全てを任せよう。

そしていつしか実現してみせる。

「エスト家の野望は打倒インフェリアだ!覚悟していろ!」

…ドミナリオ、お前は何故そんなに冷めている。