まだこの大陸に大国が存在しなかった時代。

五つの地域が領土を奪い合い争っていた頃。

太陽神に愛された、癒しの力を持つ人々が中央を目指し歩いていた。

傷に手を翳すだけでそれを治癒するという、不思議な力を代々受け継いできた彼らは、これまで多くに翻弄され続けてきた。

時に異端だと罵られて住処を追われ、時に兵士達の傷を治し戦に協力しろと脅された。

彼らが最後の希望を持って向かったのは、そこにいる者全てを家族とみなし守ろうとする、心の広い大将の下。

 

戦争は全く終わる気配がない。今では少年達も、戦いに出向く準備をするようになっていた。

その中でも一際目立つのが、大将の実子であるワイネル、知識と知恵が武器のヴィックス、そして超人的な身体能力を持つガロットだった。

弱冠十二歳にして成人の近い者と同等の力を発揮する彼らは、将来最も有望だと噂されていた。

その将来が来る前に戦が終わるのが一番良いんだが、と中央の大将であるリックはぼやく。

だがその思いを嘲笑うかのように、ここ最近で状況は一気に悪化していたのだった。

特に北の兵士達の動きには警戒が必要で、どの地域も対北戦に備えていた。

そんな中、新たな難民達が中央にやってきた。

 

「大将はいらっしゃいますかな」

たくさんの人を引き連れた老人が、ワイネルに声をかけた。

彼はたった今、友人であるガロットとヴィックスと共に行っていた剣の訓練を終えたところだった。

振り向いたら団体様、という驚くべき状況で、彼は戸惑いながら答える。

「大将は奥のテントにいますけど…オレが案内しましょうか」

「それはありがたい。お願いします」

こんなにたくさんの人たちが、一体どこから来たのか。詳しいことはワイネルには分かりかねたが、ただ彼らが難民であるらしいことは理解できた。

随分と長い距離を、戦いを潜り抜けながら歩いてきたのだろう。中には衣服が破れた人や、衰弱した幼児なども混ざっていた。

ワイネルと老人を先頭にした長い行列を、ガロットとヴィックスは少し離れて見ていた。

剣を片付けてワイネルのところに戻ろうとして、この光景が目に入ったのだ。

「何だあれは…難民か?」

「どこからだろうな」

「可能性としては北だろう。向こうは横暴な兵士も多いという話だ」

「へぇ…」

ヴィックスの考えを聞きながら、ガロットは女性や子どもを見ていた。疲れきって歩くのもやっとといった様子の彼らを、助けに行きたかった。

その思いを見通してか、ヴィックスは先に進んでガロットを呼んだ。

「行くぞ。貴様に付き合ってやる」

「…あぁ、ありがとうヴィックス」

二人が列に近付くと、ちょうど目の前で少女が一人、ふらりと倒れそうになった。

「わっ、大丈夫か?!」

ガロットはそれを慌てて支えてから、彼女を見て息を呑んだ。

「あ…ありがとうございます」

黒い髪と黒い瞳の、人形のように可愛らしい少女が、美しい声で礼を言う。

歳は自分達と同じくらいだろうか。疲れているはずなのに、ガロットには微笑んでくれた。

「どういたしまして…あ、水飲むか?」

「私は大丈夫です。お水は他の子にあげてください」

倒れそうになっても、彼女は自分以外の人間を心配していた。

ガロットから離れて頭を下げると、彼女は再び列に戻っていく。

それを見たヴィックスが珍しく感心していた。

「気丈な娘だな。僕達とそう変わらないというのに」

「…なぁ、ヴィックス」

「なんだ」

「今の子、すごく可愛かったな」

「…貴様はこんな時に何を言っているんだ」

ヴィックスがいつものように呆れてしまっても、ガロットは彼女の姿を目で追いかけていた。

胸の高鳴りの正体が分からないまま、そこに立ち尽くして。

 

戻ってきたワイネルが、興奮しながら難民達の事情を教えてくれた。

「あの人たち、治癒の民なんだってよ!」

「治癒の民?」

「手を翳すだけで傷を癒すことのできる力を持つ人々のことだ。その力は代々受け継がれるが、どうしてそうなったのかは不明らしい」

博識なヴィックスの説明に、ワイネルはただ頷くしかできない。

自分で語ろうとしていたことよりも随分と上手くまとめられてしまった。

「すごいな、傷を治せるなんて」

「オレも純粋にすごいって思うんだけどさ、中にはその力を怖がる奴もいるらしいんだ」

「一方では利用しようとする輩もいる。人形のように弄ばれてきたのだろうな」

ガロットたちは素直に感心できるが、そうではない人たちもいる。

大多数の人が持っていない能力を、彼らは自在に使うことができる。それ故に異端とされ、良い扱いを受けてこなかった歴史がある。

治癒の民らの気持ちが、ガロットには少し理解できた。彼もまた、かつては力を忌避されてきた人間だったから。

「あの子も、辛い思いをしてきたのかな…」

「あの子?」

ガロットの呟きに、ワイネルがすかさず突っ込む。

さっきガロットが少女を助けたのだ、とヴィックスが説明した。

「随分と可愛らしい娘だったようだ。僕からはよく見えなかったがな」

「へぇ…もしかしてガロット、その子に惚れたとか?」

「え、ほ、惚れ?!」

ワイネルはちょっとからかっただけのつもりだったが、ガロットの顔は真っ赤に染まる。

冗談を真に受けたのか、それとも本当に一目惚れしたのか。

どちらにしろワイネルにとってこれ以上面白いことはなく、ヴィックスにとってこれ以上興味深いことはなかった。

「その子紹介しろよ。名前聞いたのか?」

「いや、何も…名前くらい聞いとけば良かったな…」

「難民ならば暫くここにいるだろう。次に会ったときに訊けば良い」

あの弱虫だったガロットが、この数年でどんどん強くなり、今日はどうやら初恋をしたらしい。

ワイネルとヴィックスは、友人として何だか感慨深かった。

 

リックと治癒の民の長が話し合った結果、難民は中央に留まることとなった。

速やかに住居が用意され、彼らがここで生活できるように環境が整えられた。

少年達もその手伝いに借り出され、力仕事を任される。

ガロットがテントに使われる丸太を運んでいた時、後方から声を掛ける者があった。

「力持ちなんですね」

美しいその声に振り向けば、あの少女の姿があった。

つい焦って荷を落としそうになるが、なんとかごまかして彼女に答える。

「俺、力だけがとりえで…」

「そんなことないです。私に優しくしてくれたじゃないですか」

少女の微笑みに、ガロットの胸が高鳴る。この音が聞こえていやしないかと心配になり、何か話さなければと言葉を探す。

しどろもどろしているうちに、邪魔をしてはいけませんね、と少女がぺこりと頭を下げる。

彼女が歩き出そうとしたのを止めたのは、ガロットではなくその友人達だった。

「君、可愛いな。名前何ていうの?」

「ワイネル、貴様の訊き方は軽すぎるぞ」

ガロットの背後から、ワイネルとヴィックスが突然現れる。

いや、彼らはずっと二人の様子を見ていたのだが、もどかしくなったのでこうして出てきたのだった。

ガロットが止める前に、ワイネルは少女に接近し、その顔を覗き込む。

「しっかし、本当に可愛いな…」

「え、あ、ありがとうございます…」

戸惑う少女を見て、ガロットは漸くワイネルの頭を叩く。

叩くといってもガロットの場合は力が強いので、かなりの衝撃を与えることになるのだが。

「いてっ!ガロット、お前何するんだよ!」

「彼女を困らせるな!ごめんな、こいつが失礼なことを…」

「よくやった、ガロット。ワイネルは僕が説教しておこう」

この賑やかなやりとりを見て、初めは呆気にとられていた少女も、声をあげて笑い出す。

こんな笑い方も可愛いな、と思いながらガロットが見ていると、彼女はそのまま自己紹介を始めた。

「あなたたち、面白いのね。私はローザっていうの。これから仲良くしてね」

「ローザか…綺麗な名前だな。俺はガロットっていうんだ、こちらこそよろしく」

「僕はヴィックスという。この頭の中身が軽い奴はワイネルだ」

「うわ、ヴィックス酷い!」

この瞬間、たいそう賑やかな四人組が誕生した。

彼らは毎日のように集まり、話をしたり、駆け回ったりしていた。

 

ローザは自分の力を見せなかった。

使う必要がなかったということもあるが、何より彼女自身が使いたがらなかった。

治癒の民がこれまで傷つけられたり、利用されて裏切られたりという歴史を繰り返してきたことを、彼女自身がよく知っていた。

ガロットたちが自分を非難するような人間だとは思っていない。だが、力を見せることでまた怖れられるかもしれない。

せっかくできた友達が離れていくことを、彼女は何より怖れていた。

その思いは治癒の民全てに共通したもので、彼らは皆、ここに来てから治癒の力を使わないようにしていた。

リックもそれを汲み取り、治癒の民に力を使うよう強要することのないように、人々に呼びかけていた。

彼らを戦に協力させてはいけない。中央に味方しているとみなされれば、敵は治癒の民を滅ぼそうと乗り込んでくる。

あくまでこちらは彼らを保護しているのだ。

「オレたちは治癒の民を守らなければならない。そのために何をすべきかというと…」

リックは剣をとり、目の前に座っている自分の息子とその友人達に渡す。

それぞれの体格と剣の腕を考慮した、彼らに合った剣だった。

「自衛だ。相手を追い払い、自分もできるだけ無傷でいること。万が一怪我をしたら、自分の力で早めに治すようきちんと休養を取れ」

治癒の民に心配をかけるな。彼らは力を使うことを避けてはいるが、世話になっている人や大切なものを守りたいという気持ちは同じく持っている。

その言葉をしっかりと受け止め、ワイネル、ヴィックス、そしてガロットの三人は剣の柄を握り締める。

明日から彼らも、居住区域周りの警備に加わることになった。その力を大人たちに認められ、推薦された結果だった。

特にガロットの持つ身体能力を防衛に利用することは、以前から提案されていた。

忌避していたと思ったら、今度はそれを使われる。ワイネルは一度そんな大人たちの態度に反発したが、当のガロットはすんなりと受け入れていた。

自分の力で人々を守れるのだと、笑みすら見せていた。

「面白いものだな」

外に出て、暗い空を仰ぎながらヴィックスが呟いた。

「何がだよ」

「あんなに自分の力を怖がっていたガロットが、それを進んで使おうとしている。そして今、ローザが忌避されることを怖れて力を隠している。

実によく似た二人だ。だからこそガロットは彼女に惹かれているのかもしれないが…」

「じゃあ、いつかはローザも自分の力を誇れるようになるのかな…」

受け取った剣を振るうガロットを眺めながら、ワイネルは昔を思い返す。

ガロットが自分の力を受け入れて、誇れるようになったのは、ヴィックスがここに来てからだ。

ローザが自分の力を誇れるようになれるなら、そのきっかけはガロットが作るような気がする。

「オレが何にもしなくても…皆強くなって、変わっていくんだろうな」

ほんの少しだけ寂しさを覚えながら、ワイネルは小さく息を吐く。

ガロットの傍にはいつの間にかローザがいた。

「大将さんの話、終わったの?」

その表情はけっして明るいものではない。だが、ガロットは笑顔で答える。

「あぁ。明日から守備隊の仲間入りだ」

「そう…」

ローザは胸の前で結んだ両手を強く握り、祈りをガロットへ向ける。

「どうか、無事でいてね」

「大丈夫だって、直接対決しに行くわけじゃないし」

彼はそう言うが、ローザはずっと不安を消せずにいた。

ガロットが昔、人々からどんな扱いを受けてきたのかを、彼女は聞いていた。

それから彼がどのようにして今の彼になったのか。自分の力で人を助けたいと、どれほど強く思っているのか。

それを知った彼女には、ガロットに「行かないで」とは言えない。

不安を打ち消すために、自分には何ができるのだろうかと、ローザは自問自答を繰り返していた。

 

夜が明けて、晴れ晴れとした青空が広がる。

大将の号令で整列する少年達の中に、ガロットらの姿があった。

身長が著しく伸びているガロットはともかく、歳相応のワイネルとヴィックスは他の少年達よりも頭の位置が低い。

普段ならば面白い光景だと思えるのだが、今日は違う。

居住地の守備とはいえ、彼らは戦争に参加するのだ。危険に身を投じていかなければならないのだ。

男ならばそれを誇りに思うかもしれない。だが、女は胸が張り裂けそうなほど心配している。

「では、持ち場へ就け!上の者の指示には速やかに従うように!」

大将リックの声で、少年達はそれぞれに割り当てられた守備位置へ散っていく。

いつも一緒にいる三人組は、どうやら同じ場所へ配備されたようだ。

皆一緒なら大丈夫、とローザは自分に言い聞かせる。

どうか私に力を使わせないで。――それが彼らの身を案じてなのか、単に自分が異端者扱いされることを怖れているのかは分からない。

いや、おそらく両方がローザの心境に当てはまっていた。

何もできない自分が、何もしようとしない自分が、たまらなく嫌になる。

そんな気持ちのまま見送る背中は、本当に立派に見えた。

 

遠くがよく見える高台で、一人の少年が敵の姿を見つけた。

ずっと向こうに、こちらを見つめる大人が数人。すぐに攻め込んでくる様子はないが、すぐに誰かに報せなければならない。

だが、彼はそれを黙っていた。静かに櫓を下り、「異常なし」と伝える。

そしてそこにいた少年数名と共に、こっそりと持ち場を離れた。

大人といえども、相手は少ない。もしかしたら自分達でも撃退できるのではないか。

もしそれができれば、自分達は英雄になれるかもしれない。

そんな思惑で、大人達に見つからないように移動を始めた。

彼らにとっては幸いなことに、大人達は集まって話し合いをしているようだった。こちらには気付かない。

しかし、同じ子どもにはその姿を見止められてしまっていた。

「…おい、ワイネル。奴らはどこへ行こうとしているんだ?」

ヴィックスに訊ねられ、ワイネルはその方向を見る。

こそこそと中腰で移動する少年達の姿は、誰がどう見ても怪しかった。

「おーい、どこ行くんだ?」

躊躇いなく声をかけるワイネルに、少年達は振り向いて、人差し指を口元に当てる。

「ば、ばか、ちょっと腹が痛くなったんだよ。大人にばれたら恥ずかしいから、絶対に言うなよ!」

「あぁ、そういうことなら内緒にしとく」

返答に納得して、ワイネルは彼らをそのまま見送った。

用を足しに行くのなら、すぐに戻ってくるだろう。大人達に行方を尋ねられたら、知らないふりをしておいてやろう。

そう考えていたお人好しのワイネルを背に、少年達はどんどん進んでいった。

「奴らは?」

「腹壊したって。大人には内緒な」

「…へぇ」

妙だな、あの方向へ行けば隠れられるような草地はなくなるというのに。

ヴィックスのそんな考えも、次のガロットの言葉に打ち消されてしまう。

「ワイネルとヴィックスは、緊張してないのか?」

「ない!」

「僕らに任される仕事なんて、まだそんなに大きくないだろう。いつも通り冷静だ」

「だよな。俺たちは俺たちの仕事を頑張ろう!」

拳をぶつけ合って気合を入れる彼らをよそに、事件は進行していく。

大人達が異常に気付いたのは、それから随分と後のことだった。

「おい、見張り隊はどこに行った?」

「櫓の上にいないな…」

打ち合わせを終えた大人が、見張りが一人もいないことを不審に思う。

言うなよ、と言われたからには事情は話さないつもりだったワイネルも、これはおかしいと思い始めた。

「そういや長いな…よっぽど酷い腹痛なのか?」

「大丈夫かな」

心配するワイネルとガロットだったが、ヴィックスは違う。先ほど考えかけたことをもう一度呼び起こし、二人の服を引っ張った。

「ワイネル、僕が櫓に登っている間にさっきの奴らを捜せ。ガロットはここにいて、大人の話を聞いていろ」

「え、でも邪魔しちゃ悪いんじゃ…」

「もうそんなことを言っている場合ではないかもしれない。急げ!」

二人ともヴィックスの頭の回転の速さはよく知っている。彼が何らかの答えに辿り着こうとしているのは間違いない。

ガロットは頷いて大人達の会話に耳を傾け、ワイネルは少年達の進行方向へと歩いていった。

そしてヴィックスは素早く櫓に登り、遠くを見渡す。

いや、それほど遠くへ目を向けずともわかった。少年達が敵の方へ向かっていることも、敵がこちらへ近付いてきていることも。

「あの馬鹿共…!」

櫓を下り、ガロットのもとへ走る。そしてその目で見た光景を伝えた。

ガロットは最初、その内容をよく把握できなかった。まさか少年達が命令を無視して動くなんてことは、彼の頭には一切なかったのだ。

「道に迷ったんじゃ…」

「迷うはずがあるか!とにかく、ワイネルを呼び戻すぞ。奴らを見逃した僕らにも責任はある」

少年達を捜しに行ったワイネルを追いかけ、状況を伝える。ワイネルもガロットと同じ考えを持っていて、説明に酷く困惑した。

「あいつらが嘘ついたって言うのか?」

「そうとしか考えられない。大方、自分達が敵を追い払えば手柄になるとでも思っているのだろう。愚か者が…」

「でも、どうする?大人はまだあいつらを捜してるみたいだけど…報告した方がいいかな」

ガロットの問いに、ヴィックスは当然肯定を返すつもりだった。だがその前に、ワイネルが首を横に振る。

「オレが止めていればこんなことにはならなかった。だからオレが連れ戻してくる。まだ大人には黙っててくれ」

「馬鹿か!貴様も危険な目にあうのだぞ!」

「それだけのことをしたんだ。仕方ないだろ」

こうなったらワイネルは人の話を聞かない。だが彼の判断はこれまで自分達を良い方向へ導いてきた。

「俺も行く。ワイネル一人では行かせない」

「ガロット!…それでは僕も責任を負う者として行かなければならないではないか」

早く行かなければ大人に見つかる。少年達もより危険に晒される。

後に引けなくなった三人は、少年達と敵のいる方へと走った。

その背や腰には、リックから受け取った剣がある。抜きたくはないが、万が一の為に今まで訓練を続けてきた。

彼らは使命感の裏で、ほんの少しわくわくしていた。少年達と同じ、いや実際には彼らよりも年下の子どもなのだ。好奇心はある。

大人達がこの三人も姿を消したことに気付いたのは、彼らがすでに少年達に追いつこうとしている頃だった。

 

少年達はワイネルらを見て焦った。まさか追いかけてくるとは思っていなかったのだ。

不機嫌そうなヴィックスに、企みがばれたことは一目瞭然。

「腹、大丈夫そうだな」

「…元々痛くなんかなかったさ。それより敵が近いんだ。俺達で追い払っちまおうぜ」

「馬鹿者!こちらから手を出せば状況が悪化するだけだ!」

「うるさいな!お前らだってなりたいだろ、英雄に!」

感情が昂って立ち上がった少年の背中を、大人が目にする。

彼らは味方ではない。さっきからこちらの陣へ向かってこようとしていた、敵だ。

「何だ、兵士か?!」

「いや、ガキだ。ちょうどいい、中央への土産にするか」

それが人質にとられるという意味であることは、子供でもわかる。自分達が交渉に使われ、こちらに不利な状況を作ることになってしまう。

そうなれば英雄どころではない。

「逃げろ!」

「無駄だ、ガキが!」

なす術もなく、少年達が押さえられる。反射的にガロットが剣を抜いた。

「そいつらを放せ!」

「生意気な小僧だ。大人に勝てると思ってるのか」

敵の男が鼻で笑う。だが、ワイネルとヴィックスはそれにかまわずガロットに続いた。

「ガロットなら勝てちゃうかもなぁ…」

「こちらが手を出してはいけないとさっきから言っているのに、仕方のない奴だ」

溜息混じりに、しかし明確に戦う意思を伝える。

これに腹を立てた相手は、少年達を地面に投げ飛ばすと、自らの得物を手にした。

「怪我しないとわからないのか?」

「怪我しても仕方ないかな、くらいには」

次の瞬間、巨大な槍が地面と平行に振るわれる。三人は横払いをとっさに跳ねてかわし、そのまま敵に斬りかかった。

 

櫓から敵と子供達を見つけた大人達は、息を呑んだ。

初めて守備に出したはずの少年達が、大人を相手に剣を振るっている。

それは少しも届いていないが、相手の攻撃を受けてもいなかった。

許されないことをしている子供達を急いで連れ戻さなければと思う反面、その光景に見惚れてそこから動けない。

それほどまでに彼らの動きは統制がとれたものだった。

「あの、何かあったんですか?」

騒ぎを聞きつけて集まってきた女性や子どもの中に、ローザの姿もあった。

彼女はすぐ傍にいた人に状況を訊ね、その答えに頭の中が真っ白になった。

「ワイネル達が敵と戦っているらしい。…なんてことを…」

無事であって欲しいという願いは、もはや叶わないだろう。

どんなに彼らが強いといっても、いきなり敵と戦って勝てるわけがない。

実際、ローザの考えは正しかった。子どもの体力では限界がきたのか、劣勢に追い込まれてくる。

やがて、群衆の中から赤い髪の男が飛び出していく。その後に数人の兵士が続く。

櫓からは叫び声。それは歓声ではなく、悲鳴だった。

 

どこが傷口なのか分からないほどに、真っ赤に染まった身体。

これほどの出血では助かるかどうかも分からない。

リックが彼らのもとへ急ぎ、敵を包囲した時には、すでに子ども達は負傷していた。

中でも酷いのはガロットだった。その身体能力が脅威とみなされ、集中的に攻撃を受けたのだ。

「早く処置を!」

「リックさん、いくらなんでもこれは無理だよ…これで息があるのが不思議なくらいなんだから」

怒声と諦めの声がざわめきをつくる中で、一人の少女が前へと進む。

見知った顔が三つ並んでいるのが目に映ったとき、彼女の頭に浮かんだのは、これから自分がどうするべきか。

最も怪我の酷いガロットを優先し、急いでワイネルとヴィックスの傷も癒す。

三人分の治癒が行えるほど、自分に体力はあるだろうか。ただでさえ能力が未熟なのに。

やってみなければわからない。彼らが頑張ったのだから、自分もできることをしなければ。

「ローザ、何を」

「私が治します。リック様は退いていてください」

今まで誰一人として、一度も使うことのなかった力を使う。

ローザがガロットの傷にそっと手を翳すと、彼の呼吸が徐々に安定し始めた。

「ローザ、ならぬ!お前には無理だ!」

治癒の民の長が叫ぶが、ローザは振り向かずに返す。

「私には完全に傷を癒すことはできないかもしれません。これまでこの力を使うことで、忌み嫌われたり、利用されることもありました。

それでも私は、私の意志で、治癒の力を使います」

静かだが、全ての人の胸に染み入る声。彼女はもう、他人の考えに左右される人形などではない。

「私が一番怖れているのは、大切な友人である彼らを失くすことです。それを避けられる可能性があるのなら、私はいくらでもこの力を使います!」

疲労感が酷い。身体が重くなる。ローザはガロットから手を離し、残りの力をワイネルとヴィックスに注ぐ。

力尽きるまで傷に手を翳し続ける彼女を見て、治癒の民が一人、また一人とそれに加わり始める。

そうだ、忘れていた。私達は治したいから治すんだ。この力で人の役に立ちたかったんだ。

ローザが気を失い、ガロット達が目を開ける。少女の体を受け止めたリックが、真っ先に怒鳴った。

「この馬鹿が!どれだけ人に迷惑をかけたかわかっているのか!」

何が起こっているのかもわからないまま、三人と少年達は次々に拳骨を浴びせられる。

それで完全に目が覚めたワイネルが、とっさに額を地面につけた。

「ごめんなさい!勝手な行動をとって、勝手に怪我して…って、あれ?」

謝りながら、つけられたはずの傷がどこにもないことに気付く。ヴィックスにも、あれだけ酷い怪我をしていたガロットにも、その形跡は無い。

「ローザ達が治してくれた。治癒の力は他人からの評価も問題だが、何より術者の体力をかなり消耗させる。だから使わせるなと言ったんだ」

「ローザが?ローザは無事なのか?!」

まだ痛みが残る体を引きずり、ガロットはローザに近付いた。

青い顔をしているが、寝息を立てている。自分の所為でこんなことになってしまったのかと思うと、悔しくてたまらない。

「もう無茶なことはするな。ローザを、皆を悲しませたくなければ…」

子供達は頷く。まだ自分に充分な力が無いことを痛感しながら。

英雄なんて、このままではなれるはずがないと理解しながら。

 

治癒の民は、自らの力を自らの為に使おうと決めた。

すなわち、治したいと思ったら治す。それが誰であっても。

中央に味方するわけではなく、自分達の信念を貫こうとしていた。

「すごいよな、ローザ達は。それに比べてオレたちの情けないことといったら…」

ワイネルは少年達を止めようとした時の判断を悔やんでいた。

あの時すぐに大人に報告すれば、あんなことにはならなかったのだ。

しかし、ガロットは笑みさえ浮かべて言った。

「ワイネルが行くって言わなきゃ、俺は自分の力を過信したままだったよ。だから感謝してるんだ」

「…ガロット」

何もできなかったのに、この兄弟はそんなことを言う。

バカだな、と言う前に、ヴィックスも発言した。

「僕もガロットとワイネルに任せきりだった。これからは改めなければならないな」

「ヴィックスまで…少しはオレを責めてくれたっていいじゃないか」

「貴様を責めてもどうにもならん。なぁ、ガロット」

「ヴィックスの言うとおり!」

もう一度、本当に強くなるために歩き出そう。

自分の力を見極め、誰も悲しませないように。

誓う三人のもとに、ローザが駆け寄ってくる。

「具合はどう?」

「大丈夫!ガロットなんかローザのおかげで前以上に元気になったぞ!」

「前以上かは別として、問題はない。ローザ、ありがとう」

「私が助けたかっただけだから。生きててくれてありがとう」

この笑顔を守る為に、まずは信念を確固たるものにする。強さを手に入れ、守りたいものを守れるようになる。

その想いを胸に、彼らは再び成長を始める。

それがいつか矛盾という壁に突き当たることになると、今は知らなくても。