「おじいちゃんが軍にいた頃の話が聞きたい」
ちょうど連休をもらって帰ってきていたイリスが、祖父にこうねだった。
退役してほぼ自由業となった僕は、時折実家に戻ってきては家族と話をしているが、イリスにはそんな時間はなかった。
そのこともあってか、祖父はイリスには幾分か甘く、大抵の頼みは聞いているようだった。
……イリスの頼みが、格闘技の相手をしてほしいだとか、剣の扱いについて相談したいだとか、そういうものだったからかもしれないけれど。
祖父は根っからの軍人気質なのだ。子どもだった父と叔母を軍に入隊させるために厳しくあたったこともあったという。
父からの伝聞なので、詳しくは知らないが。
蛇足だが、僕が軍人を志して勉強していたときも祖父は厳しかった。体力に少々難があった僕は、祖父のスパルタ教育のおかげで上位入隊を果たせたようなものだ。
そういうことを考えると、軍人としての仕事に積極的にあたり、めきめきと力をつけているイリスは、祖父にとって可愛いのかもしれない。
けれども、だ。祖父自身が自らの現役時代を語ったことは、僕の記憶では全くと言って良いほどない。
曾祖父の話なら別だ。父と同じ名を持つその人は、これまた父と同じく大総統だった人でもあるのだから、国内でも相当な有名人だ。
祖父も、曾祖父の話なら訊かずともしてくれた。人望があり、尊敬に値する人物だったと何度も語っていた。
そう、僕が聞いた祖父自身の話というのは、いかに曾祖父を尊敬していたか、それに恥じぬよう努力していたかということだけだった。
具体的な話はほとんど語られていない。
だから、イリスが話をねだったとき、僕はチャンスだと思うと同時に、少しだけ怖かった。
祖父自身、過去に何か重いものを抱えていて、それを話すことが心苦しいのではないかなど勘繰った。
イリスに話しかけて話題を逸らそうかとも思ったとき、祖父は「では」と言った。
「どんな話が聞きたい?」
「おじいちゃんの仲間の話とか。あのダリアウェイドさんと同期だったんだよね?」
屈託なく、イリスは言った。アレックス・ダリアウェイドは四代前の大総統にあたる人で、確かに祖父とは同期だったようだ。
そういえば、その話も聞いたことがなかった。
「アレクのことか」
祖父はそう言って、微笑んだ。意外だった。同期をあだなで呼ぶことも、思い出して微笑んだことも。
「アレクって呼んでたんだ! てことは、結構仲良しだったんだね」
「ああ、奴は私にとって、かけがえのない存在だ」
僕は祖父とイリスの話に耳を傾けた。本を読んでいるふりをしながら、全く別の物語を聞くことにした。
目には見えずとも、想像することならできる、昔々のお話を。
アーサー・インフェリアは、軍家インフェリアの十六代目だ。
第二十五代大総統カスケード・インフェリアを父にもち、入隊当初から相応の期待をかけられていた。
彼自身、父の名に恥じぬようにと、心技体全てを陰で磨いてきた。しかしながら、彼は父とは違う道を歩もうと決めていた。
父は人望を最優先に、時折無茶な行動にも出た。若い頃は少々ルーズな面もあったと、母から聞いたこともある。
アーサーはどちらかといえば、性格は母に似て真面目だった。父と比べて頭がかたいと言われることもしばしばだ。
それでいいと思っていた。親の七光で軍人をやっているのではなく、自分の意思で行動しているのだと示したかった。
そんな彼が入隊して最初に話した相手が、同じく軍家出身のアレックス・ダリアウェイドだった。
「やあ、有名人」
周囲がアーサーについてひそひそと話している中、彼だけが直接話しかけてきた。
「……何か用か」
十歳の少年にしては無愛想に返すアーサーに、アレックスは苦笑しながら「特には」と言った。
「明確な用がなきゃ、話しかけちゃいけないのか?」
「俺が大総統の息子だから近づこうという奴もいるだろうからな。確認させてもらった」
「まぁな。だから有名人って声かけたんだけど」
当時、カスケード・インフェリアは大総統として現役だった。そのため、親が子を不正に入隊させたのではという噂も一部にはあった。
しかし、アーサーの実力を見れば不正などなかったことが誰にでもわかる。彼は確かに、強く賢かった。
同じ入隊試験を受けたアレックスはそれも知っていた。彼の言う「有名人」には、アーサーが大総統の子であることと、トップ入隊であったことの両方が含まれていた。
「周りは遠巻きに見てるだけで、ちっともお前に話しかけようとしない。あんまり雰囲気が悪いから、俺がまず接触しようと思って」
「はっきりものを言うんだな」
「場合によるよ。俺は常に損得考えて生きようと思ってるんだ」
ダリアウェイド家の教育方針だったのだろうか。アレックスはまだ子どもでありながら、全体の利益をいつも計算していた。
「俺はアレックス・ダリアウェイド。これからよろしくな、アーサー」
それに何より、初めからアーサーに対し「インフェリア」という呼称を使わなかった。
彼は相手が大総統の実子であろうが、入隊試験の最上位であろうが、単なる一個人としてアーサーと手をとろうとしてくれたのだった。
アーサーは、アレックスのそんなところが気に入った。
「こちらこそよろしく頼む。……アレク、と呼んでも良いだろうか」
「おお、それいいな。是非そう呼んでくれ」
この先、二人は友人として、ともに歩むこととなる。
アレックスは真面目すぎるアーサーよりも先に階級を上げ、追いかけてくるアーサーに手を差し伸べた。
アーサーは時に大胆すぎる行動に走るアレックスを、手伝ったり抑制したりした。
どんなに痛ましい事件があっても、胸がつぶれそうなほど辛い思いをしても、互いを支えあってきた。
そうしてアレックスが大総統になったとき、アーサーは補佐として彼の傍にいた。もっとも、それはアーサーの子が軍に入隊するまでの短い期間であったが。
「……それがアレク、アレックス・ダリアウェイドとの出会いだ」
どこか切なさを感じる微笑を浮かべて、祖父は話を締めくくった。
イリスは目を輝かせて聞いていたけれど、僕は物足りなかった。なぜなら、祖父は他の仲間のことに一切触れなかったからだ。
エルニーニャ軍では複数人での行動が原則。祖父には他にも、付き合いのあった人間がいたはずなのだ。
僕が手にしていた本に目を落としたまま考えていると、背後から祖父が声を投げかけてきた。
「なんだ、ニアはもっと話をしてほしいようだな」
真剣に聞いていたことは、とうにばれていたようだった。
僕は本を閉じて傍らに置き、祖父を振り返って言った。
「そりゃあ、ダリアウェイドさんのことだけじゃ足りないよ」
「じゃあ、お兄ちゃんは何が聞きたいの?」
イリスが首を傾げてこちらを見つめる。僕はたくさんある疑問の中から、一つだけ選んで尋ねることにした。
「おじいちゃんは、いつおばあちゃんと知り合ったの? まさか、それもダリアウェイドさんの引きあわせ?」
確か、祖父と祖母の出会いは軍だ。インフェリア家は軍家だからなのか、軍で知り合った相手と結婚するケースが非常に多い。
曾祖父も、そして僕らの父も、付け加えていいなら僕もそれに洩れない。僕の場合は結婚はできないけれど。
僕はできるだけ無難な質問を選んだつもりだった。それが通じたのか、それとも関係ないのかわからないが、祖父は即答してくれた。
「そうだな。アレクがいなければ、私とガーネットの出会いもなかったかもしれない。奴は私と違い、よく気のつく男だったからな」
ただし、それだけ。詳細は語ってくれなかった。
というよりも、語る時間がなくなってしまったのだ。僕自身の用事のせいで。
「お兄ちゃん、時間大丈夫なの? そろそろルー兄ちゃんの仕事終わるんじゃない?」
「あ、そうだった……帰って夕飯の準備しないと。おじいちゃん、貴重な話ありがとう」
まあ、いいか。祖父はまだまだ元気で、話はきっといつでも聞ける。
今度は僕から、他の仲間との交流について聞いてみよう。祖母とのなれそめだけでなく、他にもたくさんの出会いがあったはずだ。
何しろ、祖父はインフェリアの人間だ。何故か周りに人が集まってくる、そういう血筋なのだ。
目には見えないけれど、確かな絆を繋ぐのが得意な人たちなのだ。
僕はもう一度祖父に礼を言い、イリスに「時間があったら遊びにおいで」と告げて、その場をあとにした。
ねえ、おじいちゃん。わたしもおばあちゃんたちとの話、気になるなあ。
また今度、話してやろう。ニアも聞きたいだろうしな。
うん、楽しみにしてる。……若い頃のおばあちゃん、とっても美人だったから、堅物のおじいちゃんがどうやってゲットしたのか知りたかったんだ。
お前もなかなか言うな、イリス……。