「やっぱりオレ、あの人好きじゃない」
グリンの報告を聞いたサシャは、案の定眉間に皺を寄せた。もともとクラシャン大将のことはよく思っていなかった彼は、今回のことで完全にその印象を悪くしたようだった。
休みをとってクラシャン大将と話をし、従兄の家に泊まった翌日。何があったのかを、第三休憩室で明らかにしたのである。グリンがクラシャン大将の言葉を伝える毎に、サシャは怒りと呆れを深くした。
「グリンのこと、なんにも知らないくせに。勝手なことばっかりだ。いっそあの人が黒幕なら良かったのに」
でも違うんだろうなあ、と続ける。そこは冷静なままであり、グリンも同意見だった。
「確かに手段は選ばない人かもしれない。でも、クラシャン大将は自分のリスクが大きいことはしないんじゃないか」
「損得のバランスが悪いもんな」
それにやり方はともかくとして、彼は努力家なのだろう。そういえば彼は四年で大佐から大将へと階級を上げている。経緯に不審な点はないということは、事前の調査でわかっていた。
そんな人がここにきて危険薬物に頼るとは考えにくい。グリンに対する態度や発言からみるに、彼は自分の築き上げてきたものに自信があるはずだ。わざわざ台無しにするような危険は冒さないだろう。
「やっぱり取り巻きの暴走と考えるのが自然かも。もちろん、油断はできないけどさ」
大将格ともなればある程度の狡猾さは持っている。ほぼシロだが、可能性が僅かでもあるのなら容疑者からは外せない。
「監督責任ってのもあるだろ。ま、エルニーニャの軍人の全部に大総統が責任取ってくれるわけじゃねえけどな」
小さい規模の責任すら投げるくせに、とシャーロは零す。グリンとサシャは、まだそこに言及できずにいる。彼と大総統――父親との間に何があったのか。
「引き続き大将連中をマークってことでいいんだよな、大尉?」
「そうね、捜査はそのまま継続して。グリン、辛かったらあたしが代わるけど」
ヨハンナはそう言ってくれるが、彼女には既にたくさんの仕事がある。それに、これはグリンがやり遂げたい役目だ。
「大丈夫。俺、良い土だから」
「土?」
怪訝そうにしたのは一瞬。ヨハンナはそれならと頷いて、以降のこともグリンに任せてくれた。
大将たちの動向や周囲の関係を捜査する、というのは極秘任務である。グリンたちにはもちろん通常の仕事や訓練があり、それらに支障が出てはいけない。
商店街の見廻り以降、グリンには外での任務の話がない。正しくは打診があっても内容をヨハンナが確認し、妥当ではないと判断したものをシャットアウトしているのだが、それはグリンの知るところではない。
事務仕事と訓練で一日が過ぎ、夕方には寮に戻される。だがこれも積み重ねだと、グリンはより真面目に取り組んでいた。
「先生と何か話したの? クラシャン大将に意地悪言われた割にはすっきりしてるじゃん」
「大将の言うことは、間違いではないからな。好きなことも苦手なことも、色んなことを頑張ったら、もっと良いものが実るかもしれない」
「前向きだなあ。オレ、グリンのそういうとこ大好き」
そう言って笑うサシャにも随分救われている。人に恵まれているというのが自分の最大の強みかもしれないと、グリンは改めて思うのだった。
「サシャは? パクネー大将のこと、何かわかったのか」
「オレたちのばあちゃんのことを本当に尊敬してるっぽいことくらいかな。多分現時点で一番担当の仕事が進んでないのはオレだね」
「ということは、シャーロが一番進んでるのか」
今日の報告でも、ドナー大将の取り巻きの人間関係を明らかにしてみせた。シャーロは随分、捜査対象に近づけたようだ。
そこかしこから聞こえてくる噂でも、シャーロがドナー大将の派閥に入ったらしいという声がある。それが正しくはないということをグリンたちだけは知っているが、周囲からはそう見えるくらいに接近できていた。
「意外と真面目なんだよな」
「ね。兄ちゃんもそうじゃないかって言ってたよ」
サシャの兄トビは文派特殊部隊でアルバイトをしている。特殊部隊の隊長は大総統の義姉にあたり、つまりはシャーロの伯母なのだ。
部屋に戻ってから、サシャは兄からの報告をグリンに伝えた。
「最初は知らんって言われたらしいよ。隊長、親族とはちょっと距離を置いてるらしいからさ」
だが小出しにして情報をくれたのだという。シャーロは昔、中央司令部からさほど離れていない、高級集合住宅に住んでいたとか。軍の入隊試験が受けられる十歳の誕生日の少し前から、西方にいる母の知人のところへ単身で移ったとか。それから。
「やっぱり、シャーロがわざわざ西方司令部で試験を受けたのは、閣下が関係してるみたい」
父親がいる中央司令部への所属は拒んでいた。だが西方での奔放ぶりが目に余り、結局は中央行きを申し付けられてしまった。
「閣下……フィンさんとはやっぱり仲が悪いのか」
「ちょっと違うみたいだよ。シャーロが反発してるんだ。ほら、大総統って忙しいじゃん?」
父は次第に家に帰ることができなくなった。幼いシャーロともほとんど顔を合わせなかったはずだと、トビは聞いている。
それでも時々は、軍の上層部の集まりや貴族家との交流会に連れられていったようだ。おそらく以前にモルドが会ったことがあるというのは、そのような機会だったのだろう。
「普段は家庭を顧みないのに、都合のいいときだけ利用されてる、って思ったのかもしれないよね。子供心にさ」
まるで大人のような言い方をするサシャに、グリンはちょっと苦笑いをした。
「でも、フィンさんってそんな人だったかな。俺のイメージとは違うけど」
「シャーロ視点だとどう見えるかはわからないよ。現にシャーロは父親に反感を持ってるんだし」
家庭の事情というものは、他所からはわからないものだ。見た目に明らかな問題があるとしても、その根本まで窺うのは難しい。何を問題だと思うのか、それもまた人によって異なる。
例えば、グリンの両親が忙しくて、家族がなかなか揃わないのだと知った人の反応が様々であるように。グリン自身はそう思ったことがなくても、他人はそれを「可哀想」「無責任」などと勝手にラベルを貼るように。
「ただ、兄ちゃんの話から考えるに、シャーロは隊長とはいくらか交流があったんじゃないかな。知らんっていう割には、隊長はシャーロのことに詳しい気がする」
彼の口から「伯母」という単語が出たこともあった。今度雑談のネタにでもしてみよっか、とサシャは言う。チビ犬などと揶揄われても、やはり仲間のことは気にかかるのだった。
「……俺もサシャのそういうとこ、大好きだな」
「何さ、突然。夕飯のおかずでも狙ってんの?」
しみじみとしたグリンの言葉に、サシャは耳まで赤くした。
中央司令部には慣れたか、と訊ねたのは伯父だった。父の一番上の兄にあたる人だ。シャーロは受話器を握る手に力を込める。
「アルトおじには関係ねえだろ」
「そうか。問題があるようなことはまだ聞かないから、大丈夫だととっておこう」
まだ、ということはこれから問題を起こすだろうと思っているのか。つくづく甥を信用しない。それでもこの人は、他の伯父連中に較べれば随分とましな方ではある。
他の父方の親戚は、シャーロを出来損ないだと、リッツェ家の恥だと思っている節がある。そもそも彼らは末弟であるフィネーロのことも認めていない。大総統になって一応は務めているということで、態度は随分と変わったらしいが、彼らは末弟に軍を退いて欲しかったのだと聞く。
もう末弟の立場には文句を言えない。だがその息子の素行が悪いとなれば、自分たちの正当性を持って指導を続けられる。面子を保てる。どうせそういうことなのだろうと、シャーロは考えていた。
「フィネーロとは話したのか」
「そんな暇、あの人にはねえよ。俺だってめんどくせえし」
「そうだろうな。ではカリンさんには」
「母さんには一回だけ電話した。会ってはいない」
そういえば、母を名前で呼んでくれるのも父方ではこの伯父だけだ。リッツェの家は、貧しい家の出である母を快く迎えてはいない。
それを思うと父の態度は、やはりあの家の人間かと諦めがつくものではある。
今後も大人しくしているようにと念を押されて、伯父との会話は終了した。言う通りにしてもしなくても、誰もシャーロの考えなど気にはしない。言いつけを守ったところで、こちらに何も得はない。
昔、リッツェ家の高圧的な態度が嫌にならないのかと母に問うたことがある。母は曖昧に笑って、それよりももっと大切なことがあるから気にしない、と言った。そうしてほぼ独りでシャーロを育て、自分の仕事もやりすぎなくらいにこなしていた。
その姿を見て、軍に入ろうと決めたのだ。できる限り遠くに行って、母に負担をかけないようにしようとも。ついでに父の監督下におかれるのもごめんだったので、本当は国外へ出たかった。
結局は母の伝手を頼り、西方司令部に行くまでとなってしまったが。しかも素行不良とみなされて中央に追いやられる始末――中央への異動を避けたくてとっていた態度が、却って親元へ戻される原因になった。
何もかもうまくいかない。そう思い知る度に苛立ちが募る。シャーロの胸にはいつも重く掴みどころのない塊が居座っていた。
これを壊してくれるなら、消してくれるなら、何だってする。ドナー大将に期待するのはそういうことだが、彼の傍にいると胸の塊はその重みを増すような気がする。わかっている――彼の言動は、伯父たちに似ているのだ。
「いや、毒を以て毒を制すってやつだ。今だけ我慢すれば……」
では、後に残る毒はどうやって解けばいいのか。疑問はとうにシャーロの中にあったが、見ないふりをしている。
母方の伯母――籍を抜いているので戸籍上は他人だが――のように、軍も家族も捨てて旅でもするか。何度もそう考えて、しかし取り消してきたのは、残された母が気掛かりだからだ。
何もかもを押し付けられ、それでもシャーロの前では笑顔を絶やさない母を、救い出せるのはきっと自分だけだ。そんな考えに、長いこと囚われている。
いつの間にか寝落ちてしまっていたらしい。気がつくと酷く空腹だったが、寮内食堂の終了時間をとうに過ぎていた。備え付けの冷蔵庫にも何も無く、朝まで耐えるしかない。
風呂だけでもと共同浴場へ向かったシャーロの耳に、すっかり聞き慣れた二種類の声が届いた。
「だからさあ、兄ちゃんに頼んで行ってみようよ」
「仕事の邪魔にならないか? あそこっていつも忙しいんだろ」
小さいのはサシャ・ハイル、大きいのはグリンテール・インフェリア。どちらも大総統を輩出した家の子供だ。だがシャーロとは境遇がまるで違う。
まず、二人とも建国の英雄の末裔だ。家族よりも国のことを考えるのが当たり前という認識を、はじめから持っていそうである。
そうでなくとも、彼らは家族が現役の大総統であったことがない。そういう人間の苦労を知らなさそうだ。
だから自分のことを悩んでいられるのだろう。それも大変なことだろうが、少し羨ましかった。
「シャーロ! 今から風呂入るのか?」
ぼんやりしていたら、グリンに見つかった。癖の強い上司に絡まれたばかりだというのに、屈託のない笑みはどこから来るのだろう。
「だったら何だよ。てめえらこそ、随分遅い時間にこんな所で何してる」
「俺たち、今出てきたところなんだ。誰もいないからゆっくり入れるぞ」
「ちょっと長風呂しすぎたくらいだよ。今日は大きい任務があるみたいで、寮にいる大人も少ないし」
ごゆっくり、と先に部屋に戻ろうとするサシャを、グリンが引き留めた。それだけでもう意図するところがわかったのか、サシャは眉を顰めて呻く。
この二人は付き合いが長いようで、よくこうした視線や仕草だけのやりとりをしている。このような経験が一切無いシャーロには、何故こんなに息が合うのか、言いたいことが伝わるのか、不思議でたまらない。
「なあ、シャーロ。文派特殊部隊を訪ねないか」
「……は?」
グリンの言うことは、こちらにはまるで意味がわからない。何の脈絡もなく、用事がない場所に誘うなと言いたい。が、勢いづいたグリンには言わせてもらえなかった。
「特殊部隊の隊長って、シャーロの伯母さんなんだろ。たまに会いたくない?」
「別に会いたくねえけど。だいたいあのクソババア……」
ぼやくようにその呼称を口にすると、どうしてかサシャの目が光った。このちびっこは意外と聡く、侮れない。
「隊長をそう呼ぶくらいの交流があるの?」
「ねえよ、そんなもん。文派になんか絶対行かねえ」
振り切るように目を逸らし、共同浴場の入口へ向かう。しかし背中にはまだ好奇心に溢れた視線が突き刺さる。
グリンはともかく、サシャはあの一言で見抜いたのかもしれない。面倒な奴と関わってしまった。
文派に何の用事があるのだ。伯母を通じてシャーロのことを探りに? いや、それなら一緒に訪ねようなんて思わない。そこに自分たちの仕事のヒントがあるなら、きっとサシャがそう言う。
どうでもいい、という思いとは裏腹に、興味が疼く。風呂場に誰もいないのをいいことに、シャーロは湯を頭から被ったあと、大声で言葉にならない叫びをあげた。
シャーロとその伯母の関係について話していたら、文派特殊部隊の事務所に行ってみたくなった。サシャとグリンのそんな単純な理由での希望は、翌日には叶えられることになった。
「隊長から書類を受け取ってきて。送ってもらうより取りに行った方が早いし、向こうの手間も減るから」
そう言うヨハンナの表情は何故か浮かない。というより、拗ねているようだ。怪訝に思っていたところを口にする前に察し、彼女は「だって」と口惜しそうに語り始めた。
「あたしだって隊長に会いたいのに、こっちの仕事が立て込んでて手が離せないから、やむをえずあんたたちに託してるのよ。もうふた月くらいあの気怠げなハスキーボイスで文句を言われてなくて、すっごく寂しいのに!」
「……文句言われないのは良いことじゃないのか?」
「隊長には言われたいの! 会いたいし話したいの!」
わけがわからず混乱するグリンの横で、サシャがぼそりと「拗らせてるなあ」と呟く。落ち込みながらも聞き逃さなかったヨハンナはその頭を軽く叩いた。
「このおつかいがうまくできたら、先日の見廻りのことはチャラにしてあげる。そしたら任せられる仕事も少し増やせるから」
「本当? ありがとう、ハナちゃん!」
「うまくできたらだからね。あと仕事中にハナちゃん呼びはやめなさい」
叱られてもグリンは嬉しかった。もちろん叱られることが嬉しいのではなく、先日の失敗を返上できることがだ。しかもこれからもっと外での仕事がもらえるかもしれない。
サシャは首を傾げ、ヨハンナに問う。
「ねえ、それならシャーロも一緒の方がいいんじゃないの」
「そうね。曹長階級は訓練中だから、戻ってきてから頼もうと思ってたの。ちょっと不安はあるけど……」
不安とはシャーロと隊長の関係のことだろう。あたしは何も知らないけど、とヨハンナは付け足したが、隊長の性分だけなら彼女はわかっているはずだ。
たかがおつかいと侮ってはいけないような気がする。サシャは身構え、意気込むグリンを見つめた。
午後、明らかに苛立っているシャーロと合流し、三人で文化保護機構へ向かった。文派特殊部隊の正式名称は「エルニーニャ王国文部管轄文化保護機構特殊事項対策部隊」といい、拠点は文派の施設が集まる地区にある。中央司令部からは少し遠く、グリンたちの移動手段はバスと徒歩だ。
文化保護機構は、文部事務所の大きく立派な建物を横目に奥の方へ入っていくとある、いくらか古く小さい建物だ。サシャとグリンは何度か訪れたことがあるが、シャーロの足取りも迷っていない。知らない場所ではないようだった。
先にヨハンナが連絡をしてくれているはずなので、遠慮なく屋内へ足を踏み入れる。一階の奥に三つ扉があり、掲げられたプレートを見るに、全て特殊部隊が使用しているらしい。
「こんにちは! 中央司令部から参りました!」
サシャが元気に扉を開けると、机に向かっていた大人たちがいっせいに顔を上げた。
「あ、サシャ君だ。電話もらってたから待ってたよ」
「あ、グリン君だ。なんかまた大きくなったね」
顔立ちのそっくりな双子は、金髪のノールと黒髪のジュード。文派を束ねる大文卿ハルトライム家の息子たちだ。
「やあ、暑い中よく来たね。アイスコーヒーでも飲むかい?」
爽やかに微笑むのはジョナス・スロコンブ。立ち上がりかけたところで、サシャが彼に話しかける。
「ナス兄ちゃん、隊長は?」
「僕はナスじゃないよ、そろそろ本名で呼んでくれないかな。それか義兄さんでもいいよ」
「うわー、ナスコンブってば心が狭い」
「うわー、ナスコンブってば厚かましい」
間髪入れずに双子が冗談めかした非難の声をあげた。よくあるやりとりなので、もはやサシャは気にも留めない。グリンは苦笑いしてシャーロをちらりと見やった。
彼は少しも笑っていない。視線に気づいたノールが、ジョナスを揶揄うのをやめた。
「そうそう、隊長は資料室にいるよ。ここに来るのは約五年ぶりかな、シャーロ君」
あの頃とレイアウトは随分変わったでしょう。そう言ってくすくすと笑うノールをシャーロは一瞥し、それから部屋を出ていってしまった。
咄嗟にグリンが追いかけると、彼は資料室の戸を乱暴に叩き、いや、殴った。
「シャーロ、何するんだ!?」
「うるせえ、てめえは黙ってろ」
止めるのも構わずもう一度拳を扉に向ける。すると軋んだ音を立て、扉が開いた。
「喧しい」
鬱陶しさを隠さない低い声。琥珀色の長い髪を払って、彼女はこちらを睨みつける。シャーロは一瞬怯んだようだったが、胸を張って相手を見上げた。
「生きてたな、クソババア」
乱暴な呼び方に、グリンははらはらする。執務室の面々は離れてこちらを見守っていた。
資料室から出てきた女性は若草色の瞳を真っ直ぐにシャーロ――甥へと向けた。
「お前も西で生き延びたようだな、お餓鬼様」
殺伐とした空気は、しかし、どこか妙な穏やかさを含んでいた。
文派特殊部隊を束ねる隊長、メイベル・ガンクロウ。彼女はグリンの母の友人であり、サシャの父の元部下で兄の上司でもある。
「これを持っていけ。内容はグラン大尉が知っている。さあさっさと帰れ」
したがってこの物言いが彼女の常であると知っているのだが、そわそわするのはシャーロとの関係が気になるからだ。先程の応酬は、睨み合ってこそいたが険悪ではなかった。
「隊長、シャーロとは久しぶりに会ったの?」
サシャは遠慮せず切り込む。預かった書類を抱え、グリンは緊張して動向を見守った。シャーロは壁に寄りかかり、黙っている。
「あいつが西方に越す少し前に会って以来だ。自分は母を捨てるわけではないのだと、わざわざ宣言しに来た」
表情を少しも変えないガンクロウ隊長から、不穏な言葉がさらりと出た。つい振り返ったグリンに、シャーロが舌打ちする。
「クソババアは妹たちを捨ててレジーナを出ていった前科があるんだよ。俺が西に行ったのとはわけが違う」
「そうだな、違う。それ以上も以下もない。そういうことだ、さっさと司令部に戻って仕事をしろ」
話を終わらせようとする隊長の態度が気に障ったらしく、シャーロは撥ねるように壁から離れた。そして隊長に手を伸ばし、馬鹿にすんな、と叫び――
「暴力は駄目だよ。いくら親しい人でもね」
――現れた青年に腕を掴まれ、止められた。
「兄ちゃん!」
「あれ、トビ君。今来たの?」
「執務室に入りにくくて、少しの間様子を窺ってました」
トビの本業は大学生であり、特殊部隊の仕事は講義がないときに限られる。駆け寄ったサシャに微笑みかけ、今日はもう終わったから、と言う。その間にもシャーロを放すことはない。
シャーロは掴まれた腕とトビの顔とを見比べながら逃れようとしているが、どうやら動けないらしい。困惑が次第に濃くなる表情を見て、双子が笑いを堪えていた。
「トビ、もういい」
「そうですか」
隊長に言われて、ようやく手を離す。恐ろしいものから距離をとるように飛び退いたシャーロを見て、ついに双子が決壊した。睨まれてももう止まらない。
「シャーロ君、面白いね」
「シャーロ君、愉快だね」
「うるせえ! 馬鹿にすんな!」
帰るぞ、と部屋を出ていくシャーロを慌ててグリンとサシャが追う。
「兄ちゃん、またね!」
「隊長、ありがとうございました!」
それぞれに挨拶をしてどたばたと去っていった子供たちを、トビは苦笑して見送る。姿が見えなくなったところで、隊長を振り返った。
「弟たちがすみませんでした」
「本当に犬っころみたいだな、あいつらは」
隊長はいつもの無表情、いや、目を僅かに細めている。先程の状況は、彼女にとって面白いものだったらしい。
「さっきの子が甥のシャーロ君ですか」
「ああ。親によく似ているだろう」
同意しかねる返事に首を傾げる背後で、双子はまだ爆笑を続け、ジョナスにうるさいと叱られていた。
ヨハンナの頼みでなければ、文派特殊部隊になんか行かなかった。伯母は面倒な部類の人間ではないが、母に全てを押し付けて姿を消した過去があるという一点で、許し難い存在だった。
本人がそれを少しの否定も言い訳もせず、あっさりと認めるのが余計に腹立たしい。母の方も押し付けられたという言い方は一度だってしたことがない。
数回しか会ったことのない母方の祖母は、その全てで罵声を吐いていた。長子を憎み、そのすぐ下の妹であるシャーロの母に依存していた。あなただけは違うわよね、と何度も繰り返し、母の言動が意にそぐわなければ「お前も姉と同じだったのか」「裏切り者」と狂ったように叫んだ。
疲れた顔をした母を、父は助けなかった。仕事が忙しいから。家族のことより大事だったから。
「シャーロ・リッツェ! どうした、元気がないぞ」
フロア中に響き渡った自分の名前に顔を顰め、それでも振り返るときにはなんとか眉間の皺をのばす。声の主の機嫌を損ねてはいけない。
「ドナー大将、何か俺に用でも?」
「いや、お前の姿を見かけたから呼んだだけだ。何か不都合でもあったのか。あるだろうな」
ない、と答える前にドナー大将は勝手に納得して頷く。自分は全てわかっている、というように。
「ヨハンナ・グランの下につくなんて、不満は溜まる一方だろう。お前も立派な男なのだからな」
「どういう理屈っすか、それ」
「女に仕切られるなんて男の恥だろう。女は男を立てて当然。大人しくしていればこちらも守ってやらんこともないのに」
やれやれ、と言う彼は本気で呆れているようで、シャーロは価値観の違いをしみじみと感じる。その間にもドナー大将は話を続けるのだった。
「のさばらせてつけあがらせてはいかん。自分の義務も果たさずに男の領分に上がり込み、権利を主張するのはけしからん」
淑やかにして家を守るべきだ、などと朗々と語る声は全く音量を落とさず、当然周囲の耳にも入る。面倒が起きるぞ、と思っていると、案の定小さな影が靴音を鳴らして近づいてきた。
「貴方、それは誰のことを言っているのかしら。相変わらず野蛮で知能の低い人ね」
きちんと纏めたアイスブルーの髪。背は低いが姿勢が良く、堂々とした佇まい。パクネー大将がドナー大将を、長い睫毛の下から鋭く睨みつけている。
それを受けても怯まず、むしろ余計に侮るような態度で、ドナー大将は苦笑いした。
「もしや自分のことだと思ったのか。何でもかんでも自身と結びつけるというのは、自意識過剰な女らしい思考だ。自覚しておいて一向に直そうとしないのも女の傲慢さだな」
「それは自己紹介かしら。女はこう、という狭い視野の偏見に満ちた決めつけで、よくも今まで生きてこられたこと」
火花を散らす二人を、周囲は遠くから、しかし興味深そうに見ている。シャーロも今のうちにと距離をとった。
ドナー大将の取り巻きはいずれも彼と似た考えを持っている。或いは同意することで自らの立場を保とうとしている。一方のパクネー大将も、相反する考えを持ちながら、取り巻きとの関係は似たようなものだ。それらをまとめて蔑んでいるのがクラシャン大将と彼に付き従う者たち、という構図になっている。
誰がトップに立っても面倒だ。それは明確なのに、現大総統を椅子から引きずり下ろしてくれるのはこの三人の誰かしかいない。諦めるしかないのだ、未来を。きっとそれが父への復讐の代償なのだ。
火花は気がつけば爆発寸前まで拡大していた。ドナー、パクネー両大将に加勢するため集まった取り巻きたち同士も言い争いを始めている。通りがかりの他の将官たちは知らぬ存ぜぬを決め込んでおり、ようやく誰かがリーゼッタ大総統補佐大将を呼びに行った。
騒ぎは加速して大きくなり、いつ手が出てもおかしくなくなった頃。
「ここで騒いでいたら迷惑ですよ。大将ともあろう人たちが、みっともないとは思わないんですか」
割り込んだ声に、両大将が黙る。すると周囲の喧騒も次第に止んだ。いがみ合っていた彼らは、現れた共通の敵――ヨハンナを睨めつける。
「グラン大尉、それが上官に対する態度か」
「貴女には関係の無いことです」
「関係ないから迷惑してるんですよ。だからこういう態度をとらざるを得ない。リーゼッタ大将が来るまでね」
じきに到着しますよ、と腕組みをして言うヨハンナに、初めて一瞬だけ大将たちが怯んだ。
「没落軍家の人間のくせに、生意気を言わないほうがいいのではないか」
「関係の無い事柄を持ち出して相手を貶めようとするのは幼稚ですよ、ドナー大将」
「よく言ったわ、グラン大尉。女性として誇りに思います」
「パクネー大将のためじゃないし、女性だからとかどうでもいいです」
上官を一刀両断していくヨハンナに、離れて様子を窺っていた者たちから同意の視線と溜息が向けられる。この状況は自分たちの立場に不利だと察したのか、ドナー大将とパクネー大将はそれぞれに小さく舌打ちしたり息を吐いたりし、互いに背を向け移動を始めた。
呆然と見ていたシャーロの耳に、至近距離からの慣れた声が届く。
「ハナちゃん、かっこいいな!」
「やるよねえ。さすがヨハンナ」
「……なんでてめえらがここに」
グリンとサシャは、ヨハンナの仕事を手伝っていたようだ。簡単に事情を話し、彼女に駆け寄った。
子犬のような(グリンは少々大きすぎるが)二人にまとわりつかれ、ヨハンナは困ったような笑みを浮かべている。別にかっこよくないよ、と返しながら。
シャーロは噂程度にしか知らない。ヨハンナの家は軍家ではあるが、祖父の代に不祥事に巻き込まれて以来、なりをひそめてしまっているらしい。だが祖母はかつての名誉にこだわり、ヨハンナに過剰な期待をかけているそうだ。
面倒そうな家庭環境だと感じたときから、彼女のいうことは無視しないでやろうと思っている。何かあれば味方をしてやろうとも。
そのときは案外近いかもしれない。パクネー大将はともかく、ドナー大将の機嫌を損ねると、報復がある可能性が高い。
彼には彼の気持ちを「汲んでくれる」兵隊たちがいるのだ。
案の定、そして思っていたよりも早く、シャーロはそれを目撃することになった。
「俺の女にしてやろう、グラン大尉」
騒ぎの後、リーゼッタ大将に灸を据えられたのではなかったか。いや、だからこそこうして相手を懐柔する方向に舵を切ることにしたのかもしれない。彼なりの解釈とやり方で。
ドナー大将が胸を張ってヨハンナを見下ろす様を、シャーロは物陰に隠れて窺うことにした。
上官たちはまだ仕事が続くようだが、基本的には日勤の終業の時間だ。事務室に人は疎らで、残っていた者も突然現れたドナー大将の発言にぎょっとして、そそくさと帰り支度をしていた。
「あたしはまだ部下たちの評価報告がありますので、無駄話にお付き合いする時間はありません」
ヨハンナは至って冷静に、手元の仕事だけに視線を向けている。だがそれを押し潰すかのように、ドナー大将の手が机に降ってきた。
「せっかくの綺麗な顔も、可愛げがなければただの飾りだ。家を再興したいんだろう、女の力ではとても無理だ」
お前の祖母を見ていれば明らかだろう、とドナー大将は嘲笑する。そこでヨハンナは相手を一瞥し、すぐにまた目を逸らした。
「では、どうしろと」
「だからこそ、俺の女になるのが良い方法だ。俺は大総統になるからな」
まるでそれがもう決定事項であるかのような口調ももちろんだが、「良い方法」だと本気で口にしているのが声色でわかって、シャーロは静かに鼻で笑った。
あの男は何もわかってはいない。大総統になるということは、自分の最も近くにあるはずのものを捨てることだ。
「話に繋がりが全く見えないのですが」
「明白だろう。女に家を支えるだけの力はない。男を立てて支えて、そうしてやっと家を守れた気になれる。大総統の権力でも使わない限り、グラン家は再び軍家とは認められない。お前にはなすすべがない。そうだろう?」
理解されないのが不思議であると言葉の端々から滲んでくる。ドナー大将には恐らく悪意がない。自分の言っていることが当たり前だと思っている。
「よくエストと一緒にいるところを見るが、そういう理由なのだろう。御三家の力で家を再興させたいのだろうが、それは難しい。センテッド・エストにはコネはあれどもやる気がない。根性がない。志など何一つない」
「そんなこと」
「所詮あいつは家庭を捨てて逃げた女の息子だ。あまりに弱い。だが母親が愚図な夫を捨てて時の大総統を選んだのは、女としてはまあまあ賢い選択だったな」
だから自分を選ぶべきだ、とドナー大将はなおもヨハンナに迫る。
「男にしか持てない権力を利用するために、女は必死に自らを飾る。それは仕方の無いことなのだから、恥ずかしがることはないぞ」
――貧しい家の娘だから、名家の息子を誑かしたかったのだろうが……。
そんな下卑た憶測を、勝手に真実の椅子に据えようとする者が、ここにも。爪が手のひらに刺さるくらいに拳を握りしめ、シャーロは踏み出そうとした。
が、その前に。
「可哀想な人」
溜息混じりの声と重なり、いっそ爽快な平手打ちの音が響いた。
そこには傾きかけた太陽を窓の向こうに背負い、振り切った手を下ろさないまままっすぐに立つヨハンナの姿がある。情けなく自分の左頬を押さえるドナー大将に、逆光の中でなおも輝く濃桜の色の瞳が注がれていた。
「全てが自分のためにあるなんて、とんでもない勘違いをしたまま生きてきたのね。生憎だけど、あたしはあんたの所有物になんかなってあげない。グランの家を他人に任せたりもしない」
仕事中なので、と席に着き直そうとしたヨハンナを、しかしドナー大将が腕を掴んで止めた。生意気な、と低い声が唸る。
「実力差を理解していないのか」
「してますよ。あたしの方が頭がいいです。あなたよりずっと」
掴まれた腕に、さらに力が込められる。それでもヨハンナは眉や口元を歪めなかった。耐えているのは明らかなのに――このままでは折れるまで、潰されるまで、握りしめられてしまう。
加減を知らない男なのだ、ドナー大将は。
「やめろ!」
床を蹴り、俊足で二人のもとへ駆け寄る。彼らがシャーロに気づいたその瞬間には、もう握りしめた拳の行き先は変えられなくなっていた。
シャーロの拳はドナー大将の顔面ど真ん中に、吸い込まれるように着弾した。
弛んだ手がヨハンナを解放したその隙に、シャーロは彼女の手を取って踵を返した。部屋から飛び出し、待ちなさい、と三回言われるまで走った。
「待ちなさいって! シャーロ、何の真似?!」
叱るような声に立ち止まって、事務室から随分離れたことに気がついた。
足を止めると、ヨハンナがよろけそうになりながら肩で息をしていた。
「……何のって。俺もよくわかんねえ、けど」
わからないが、達成感はあった。ずっとやりたかったことを、ようやく実行できたような。
いや、思い出した。いつか見た光景と、あのときはできなかったことを。
言葉を紡げずにいたシャーロに、ヨハンナは小さな溜息を吐いてから、
「まあいいか。ありがとう、助かった」
笑みを浮かべて手を伸ばした。そうしてシャーロの長い髪を、どこか懐かしい手つきで撫でたのだった。
「……あ、でも、仕事が」
「仕事? そうね、戻ってやらなくちゃ」
「いや大尉のじゃなく、俺の仕事。ドナー大将の近くにいなきゃなのに、殴っちまった」
「ああ、それ。あんたは仕事が早かったからね、もういいわ。本人を張らなくてもいい段階には来てるから」
ちゃんとやれば優秀なのね、とどこか揶揄うように言うヨハンナから、シャーロは思わず目を逸らした。
「でも何かあったらすぐにあたしに言いなさい」
「何かって。報告はサボってねえだろ」
「仕事の報告以外も。あたしはあんたの上司なんだから」
――わたしはあなたの母親なんだから。
まただ。さっきから妙に重なる。シャーロの記憶と、目の前のヨハンナが。耳に残る声が。
だから飛び出して、手が出てしまったのだ。小さな子供だった頃には、一歩を踏み出すことすらできなかった。
似ていたのだ。貧しい家の出である母と、それを蔑む父方の伯父たちのやりとりに。何をしても過去を変えることはできないが、あのとき伯父たちから母を守りたかった、その気持ちが現在の自分を動かした。
――思っていることは、できれば教えてね。わたしはあなたの母親なんだから。
似ていたのだ、母とヨハンナが。そんなことは絶対に言えないけれど。
「さて、仕事に戻らなきゃ」
「俺も行く。まだドナー大将がいたら」
「大丈夫。あんたは寮に戻って休みなさい」
素直に戻れるはずもなく、黙ってついていったが、事務室には既にドナー大将の姿はなかった。
翌日はシャーロがドナー大将に近づくことも、ドナー大将がシャーロに絡んでくることも、すっかりなくなっていた。
「本当にシャーロの仕事は終わっちゃったんだな」
グリンが溜息混じりに呟く。第三休憩室に集合し、ヨハンナから経緯を説明された。神妙な顔をしたシャーロは、一度も口を挟まなかった。
「ドナー大将の周囲を張るのは難しくなったけど、他にも仕事はあるよ。この件をきっかけに他の大将たちが近づいてくるかもしれないし。だから終わってはいない」
まだまだ働いてもらうからね、とヨハンナはにやりとしている。シャーロは一度だけ舌打ちをしたが、やはり文句は言わない。
「なんかシャーロ、大人しいね。いつもみたいに愚痴らないんだ」
「誰がいつ愚痴ったんだよ。仕事しくじって落ち込まねえ軍人がいるのか」
「えっ、落ち込んでたの?」
サシャが大袈裟に驚いてみせると、シャーロは掴みかかる。グリンは止めようとしたがなすすべはなく、サシャの柔らかい頬はもちもちと引っ張られていた。
「ハナちゃん……」
「放っておきなさい、じゃれてるだけでしょ。シャーロだけじゃなく、グリンとサシャもそろそろ別の仕事をしてもらうからね」
別の仕事、と聞いてグリンは姿勢を正す。サシャもシャーロの手から逃れ、ヨハンナに視線を向けた。
大将らの調査はこれで一旦区切りとするという。そうして彼らの関係者へと、対象を広げて調査を進める。
それぞれの取り巻きの把握ができたためだとヨハンナは説明した。危険薬物に直接関わっているのは、おそらく取り巻きの誰かだと。
「あんたたちが調べてくれたおかげで確信が持てた。ありがとうね」
やはりヨハンナたちはこちらとは別に調査をしていたのだと、サシャもまた確信する。そして大将らのマークが外れるということは、彼も。
同じことに気がついたグリンが身を乗り出し、ヨハンナに訊ねる。
「なあ、センちゃんは?! センちゃんの疑いも晴れたんだよな?」
元より容疑はかかっていなかったのだろうな、とサシャはもう少し前から思っている。だがグリンにはもうセンテッドを疑わなくていいという、明確な言葉が必要だ。
ヨハンナもそれはわかっている。にっこりして頷いた。
「もちろんエスト大将は、悪いことなんかしてないよ」
「そうだよな! センちゃんは立派な軍人で、俺たちの味方だもんな」
グリンの喜びようはセンテッド本人に伝えてやりたいくらいで、きっとヨハンナなら本当にそうするのだろう。そのときのセンテッドの表情を見てみたいものだと、サシャはほくそ笑む。
「そんなにエスト大将のことが好きかよ。御三家の繋がりってやつか」
半ば呆れ半ば不気味がるようなシャーロに、グリンは屈託のない笑顔で返す。
「御三家とかは関係ない。でもセンちゃんは俺の兄ちゃんで、師匠で、友達だから。大好きなんだ」
シャーロにはそういう存在はいないのだろうか。白けた顔をしているところを見ると、いないのかもしれない。そんな大人が彼の周りにいてくれたら、彼の言動はもっと違っていただろう。
あるいはこれからそんな人が現れて、シャーロの心に芯を通してくれることもあるかもしれないが。
などとサシャが考えているあいだ、ヨハンナも似たようなことを思っていたのかもしれない。いとこ同士はなんともなしに顔を見合わせ、笑った。
ドナー大将の取り巻きたちが「気の利く人間」であることを、シャーロは忘れてはいなかった。こちらが手を引いたとしても、あちらは「けじめ」をつけたいのだ。
中央司令部には人気のない暗い中庭があるということを、呼び出されて初めて知った。そこが陰湿な行為に使われているということは、見てすぐに察した。
「リッツェ曹長、どうして呼び出されたのかわかっているか」
名前は覚えて報告済みだが、なにしろ誰も彼も似たようなもので、個別の認識が曖昧だ。そのぼんやりとしたイメージの数名が、シャーロを取り囲んでいる。
真面目くさった顔をしようとして、目元口元が歪んでいる。本当は人をいたぶるのが楽しみで仕方なかったという顔だ。
「ドナー大将を殴ったそうだな。それも二発も」
顔面に一発叩き込んだだけのはずだが、と疑問に思ってから、すぐに納得した。あのドナー大将が正直に「女に平手打ちされた」とは言わないだろう。ヨハンナの一発もシャーロの仕業だと吹聴したのだ。
「それが何だってんだ」
「上司に、それも大将に危害を加えておいて、その態度はなんだ」
けしからん、という言葉の裏では、きっとこの反応を待っていたに違いない。取り巻きたちの一部が示し合わせていたかのように――実際そうだったのだろう――シャーロを両側から取り押さえ、無理矢理後ろ手にさせた。
「反省するんだな、リッツェ曹長。それとも偉いお父様に泣きつくか」
「誰が、」
聞きたくない言葉に返そうとしたが、その前に鳩尾に衝撃があった。痛みと嘔気に襲われ、足から力が抜けそうになる。だが、膝をつかせてはもらえない。
「地方から来た下っ端の癖に。大総統の息子だからっていきがってんじゃねえ!」
いついきがったというのか。態度の悪さはむしろ大総統の評判を貶めようとしてやっていたことだ。それをドナー大将に気に入られてしまったのだが、――ああ、そういうことか。
三度目の拳をくらった後、足に力を込めた。顔を上げ、口角を持ち上げる。シャーロの表情に一瞬怯んだ相手に、掠れた声で告げた。
「……あんた、俺がドナー大将と親しくなったのが、気に入らなかったんだろ」
他所から来たばかりの人間に、立ち位置を奪われたくなかったのだろう。だから今回のことは、気に入らない人間を潰す好機だった。
相手の顔はみるみるうちに赤くなり、激昂は拳と爪先に込められる。先程よりも乱暴に、シャーロの身体は何度も打たれた。
腹も脚も顔も、何事かを叫びながら見境なく殴打する。狂気は次第に伝染し、押さえつけていた者やそれまで見ているだけだった者も暴力に加わった。
――これで死んだら、あの男の監督不行届になるだろうか。
彼らを軍人として、国を守るものとして見込み採用したのは、大総統である父だ。彼らのしたことで自分という死人が出たら、大いに非難されるだろう。大総統の椅子を離れることにもなるかもしれない。
母も愛想を尽かすに違いない。お父さんも大変なのよ、と困ったように笑っていた母。そうして全てを許してきた優しい人も、さすがに怒るだろう。
怒って、泣くのだろう。胸を痛めて、何日も涙を流し続けるのだ。
そういう人なのだと語ったのは、誰だっけ?
――お母さんは、強くて優しいが、少し泣き虫なんだ。
――だからお母さんが悲しくて泣くことのないように、僕たちが守らなくちゃならない。
――一緒に頑張ってくれるか、シャーロ。
「……ふざけんなよ」
あんたは帰ってこなかっただろ。それから、俺も。
浮かんだだけの言葉だったのか、それとも知らず零れたのか。次第に気が遠くなって、何を思ったのかすらもわからなくなってきた。自分がここに存在しているのかさえも。
「シャーロ!」
それは、誰がつけた名だったか。
視界がぼやけ、腫れた瞼に遮られていても、その光景はやけにはっきりとしていた。
自分を囲んでいた者が一人、また一人と倒れていく。いや、飛ばされていく。狭い中庭のあちこちに、小さくはないはずの体躯が抵抗もできずに転がった。
彼らは仮にも軍人で、厳しい上司のもとでいくつもの任務と日々の訓練を重ねている。だがそれらはたった一人の「下っ端」の前に何の役にも立たないようだった。
「お前ら、シャーロに何してた」
まだあどけなさの残る、声変わりしかけの響き。怒りに染まっているのはその色だけではない。普段は明るい海の色をしている瞳は、燃え盛る焔のように変貌していた。
「インフェリア……」
呼んだつもりだったが、こちらの声は届いていないのだろう。掠れて音にならないのだから仕方がない。
グリンは最初にシャーロを殴り始めた彼に掴みかかろうとした。纏う雰囲気――殺意に触れた肌が、傷だらけなのに粟立った。
「グリン、そこまでだ。もう十分だろう」
もう一人いたことには、その声でやっと気づいた。顔を上げて確認する前に、彼はグリンの背を抱え込むようにしたままで屈みこむ。慣れているのか器用なものだ。
「シャーロ・リッツェ曹長、意識はあるか」
「……ある」
「なら、もう少し保っていてくれ。応援を呼んだら医務室に連れていく」
静かに落ちた紫の視線。シャーロが負っている怪我も、まだ暴れようともがいているグリンも、まるで気にしてはいないかのような冷静さ。
センテッド・エスト大将とはこういう人物だったのか――今の今まで、シャーロは彼を知ろうともしていなかった。
「あっ、グリンやっぱりキレちゃってた!? センちゃん、オレがグリンを引き取るよ」
サシャは遅れて到着したらしい。すぐにいくつかの足音が追ってきたので、どうやら応援を呼んでいたようだ。
「いや、曹長とグリンは僕が連れていく。サシャはここの指揮を」
「指揮って、オレそんなに偉くないんだけど」
そうだ無茶だろ、と言えるような余裕はない。先にグリンが大人しくなり、それからシャーロもされるがままに抱えあげられた。
戸惑うサシャを置いたまま、センテッドはその場を離れてしまう。中庭へ向かう他の上官たちとすれ違い、足取りは迷わず医務室へ。
「待ってたよ」
全てを見透かしたような、シャーロにとっては少々気に障る声。姿は見えないが、サウラの悠々とした様子は容易に想像できた。
「サウラ、早速治療を頼む。リッツェ曹長の怪我が酷いんだ」
「いや、俺はグリンを引き受けるよ。シャーロはプルムが診る」
「……そうだったな」
下っ端に押し付けんなよ、と声に出さない文句は表情に出た。顔を顰めたシャーロに、支えようとしたプルムが申し訳なさそうに言う。
「ごめん。センセは血を見るの苦手なんだね」
「……軍医のくせに?」
「喋れるなら大丈夫だね。しみるのつけるよ、我慢だよ」
手際よくシャーロをベッドの縁に座らせ、すぐに手当が始まる。傷を清める水も消毒液も、違いがわからないほどに痛かった。
グリンは隣のベッドに寝かされている。ぐったりしているのでセンテッドがよほど乱暴に眠らせたのかと思ったが、そういえば魔眼の力を使うと酷く疲れるのだと言っていた。
疲れるくせに。後悔するくせに。彼はシャーロのために怒ったのだ。
「自分よりも、家族や友達が傷ついたときに、より怒ったり悲しんだりする子なんだ。君のことを心から仲間だって思ってるんだよ」
視線に気づいたサウラは、こちらを見ないままで言う。その手はグリンの髪を慈しむように撫でていた。
「馬鹿な奴。俺は一人でも大丈夫だったのによ」
「大丈夫ではないね。こんなにぼろぼろで」
「殴らせてやったんだ。気が済めば終わる」
だから手出しは無用だった、と続けようとして、阻まれた。切れた口の端に消毒液を含ませた脱脂綿が押し当てられ、悲鳴以外何も出なかった。
「わざと殴られたのは確かなんだろう。君の脚力なら、あの場から瞬時に撤退することは可能だった」
センテッドが代わりのように口を開き、確かめるようにシャーロを見た。痛みを堪えながら睨み返し、何がわかる、と唸る。
「俺をわかったように言うな」
「実力なら知っているつもりだ。西方にいた頃のデータもグラン大尉からの報告も、君の能力の高さを示していた」
紫の瞳を逸らすことなく、ただ静かに、事実だけを述べるように。
「シャーロ・リッツェ、君は実に優秀な軍人だ」
戴いたことのない称賛をシャーロに向けた。
「……優秀なわけねえだろ」
態度が悪い。言葉が悪い。素行が悪い。――現役大総統の息子なのに。そう言われるのが当たり前で、そうすれば父を否定できると思っていた。軍人としてのフィネーロ・リッツェを否定し、家庭人としての彼を見出したかった。
けれどもかえって逆効果で、父親は冷静な軍人なのに息子は、と呆れられるばかり。母親の教育が悪いのだなんて、的外れなことを言う者もいた。
「俺の何を知ってるんだよ。どいつもこいつも、好き勝手なことばかり。そんなにあの男が偉いか。そんなに母さんを悪者にしたいか。どうして俺の見るものとは真逆のことが、この世の真理みたいに言われるんだよ」
喉は切れていないのに、血を吐くような心地がした。心の中に居座ってちっとも退こうとしない気持ちを、外に出すのは痛くて苦しい。
俯いたまま視界の端にセンテッドを捉えると、彼は小さく頷いた。
「人は見たいものしか見ない。というよりも見えないんだ、そんな想定はしていなかったから。世界は自分に見えるもの、知っていることが全てだと、誰もが思いがちだ」
僕も、そして君も。低く静かな声に、シャーロはなぜか言い返すことができなかった。それどころか間があると、続きは、と思ってしまう。
声は期待通りに継がれた。
「僕は本を読まないが、双子のきょうだいは文芸編集者でね。彼女は書物の功績のひとつとして、『他者にも心があるということを人々に気づかせた』ことをあげていた。目には見えなくとも自分以外の『世界の見方』があることを、目に見えるかたちにしたのだと」
「見えても無視するんじゃ意味ねえよ」
「ああ、そうだ。気づくことで一歩、興味を持つことでもう一歩、さわりを知ることで更に一歩。この先、学ぶことや理解することへ繋げようとする者は意外と少ない。それより早い段階で思考を止めるのが一番楽で、妥協点を見出すことができれば社会的動物としてかなり優秀らしい」
つまり、「理解」に到達するのは難しい。最初に気づきを得るまでにも、実は条件を揃えるためにかなりのコストがかかる。
それならば自分に見える世界にだけ焦点を当てて生きていくのは、限られた人生を無駄にしないための方法のひとつなのかもしれない。
だから仕方がない、と諦めるのが正解なのか。いや、そうではないということは、すでに示されている。
「理解を諦めない方法――気づかせる、知らせることが、僕らにはできる。人は伝える方法をいくつも作り上げてきた。相手の見る世界に明らかに事実と異なる部分があれば、修正を求める。それは真実を持っている側の権利だ」
「違うって言っても、聞いてもらえないなら」
「やはりどこかで気持ちの整理をつけることだな」
「許せってのか」
それは無理だ。心の中に溜め込んだ黒いものを、受けた傷や痛みを、笑顔で受け止めたり流したりできていたら、こんなことにはなっていない。
センテッドはゆっくりと首を横に振った。
「許さなくていい。どうしてこちらにも自分の視点があるのに、相手を一方的に受け入れ続ける必要が?」
あっさりとそう言って。
呆気に取られたシャーロの代わりに、サウラが噴き出した。
「センテッドも許してないものがたくさんあるよね」
「サウラだってそうだろう。ちなみに僕は自分の両親を許していない」
急に親の話が出て、シャーロはどきりとした。センテッドの母親が夫と子供を捨てて他の男と出ていった話は有名だし、ドナー大将も口走っていた。それは当然許せないだろうが、父親までもそうなのか。
「引きこもりだとは聞いたことがあるぜ。でも、あんたらをちゃんと育てたんじゃねえのか」
「僕らを育てたのは父の友人だ。僕が軍人になったのは、育て親のようになりたかったから。……父のようになりたくなかったというのと、まあ、同義といえる」
恨んではいない。けれど一生許すことはないだろう。そんなことを、センテッドは淡い笑みさえ浮かべて語った。
サウラもそうだねえと同意する。
「俺も父のことは大好きだし感謝もあるけど、きっと一生許さないなあ」
「……あんたら、家庭環境がよっぽどクソなのか」
「そうでもないよ。育て親がいたおかげでなんとか生きてこられた同盟なんだよねえ」
「勝手に同盟を作るな。でも大体そういうことだ」
口元のへらへらした軍医と真面目そうな大将の意外な共通点はわかったが、しかしそれがなんだというのか。シャーロは眉間に皺を寄せ直し、ようやく少しだけ喋りやすくなってきた口を動かす。
「いいのかよ。普通は親がどれだけ子供のためを思ってるかとか、そういう説教をするんじゃねえの」
「たとえ親が愛だと思ってしていたことでも、こちらに全面的に受け入れる義理はないんじゃないかなあ」
「愛なんてものは所詮一方通行で、相互に認められたときに初めて愛し合うことになる。……らしい」
おそらくこの大人たちは、家庭環境の影響でひねくれたのだ。他人の善意や好意を素直に受け取れない、受け取る必要はないと考えている。ある人はそれを哀れに思うだろうし、またある人は不誠実だと怒るかもしれない。だが、シャーロには楽だった。
グリンやサシャは、センテッドに大総統になってほしいという。しかしシャーロはその要望を断ったらしいセンテッドに納得していた。たしかにこれでは大衆の人気は得られまい。それをしようとすれば、身近な者に不誠実になる。
父――フィネーロ・リッツェのように。
「シャーロはわかってるよ」
不意に、ぼんやりとした声が割り込んだ。耳に従い目を向けると、隣のベッドで横になったままのグリンが、ふにゃっと笑ってこちらを見ている。
もう目の色は、青く輝く海の色に戻っていた。
「俺が何をわかってるって」
「親を大事にすること。お父さんのことはまだまだ怒ってるかもだけど、お母さんのことは大好きなんだろ」
さっきそう聞こえた、と言うがいつ頃から目を覚ましていたのだろう。疲れて動けないくせに。
「シャーロは、お母さんを守りたいんだよな。悪者にされたくないんだよな。だからそこだけは譲れないんだろ」
「わかったようなことを」
「ちょっとだけわかるよ。俺だって、ばあちゃんを悲しませたくなくて、なんでもしようと思ってるもん。あのな、それでいいんだよ。大切なものは」
握った拳が持ち上げられる。まだ弱々しく震えているが、グリンの笑顔はどこか頼もしい。
そうか、これが。
「大切なものは、何が何でも守り抜け。シャーロが、俺たちが、そう望む限りな」
これがいつか母から聞いた、インフェリアの人間の姿か。
「倒れてた人たち、大した怪我はしてなさそうだから帰したよー!」
医務室の扉が開き、サシャが元気に、しかしやはり疲れを滲ませて入ってくる。本当に現場の指揮をしたのか、このちびっこが。
驚いているシャーロと、おかえりと呟いたグリンのところに真っ直ぐに駆け寄ってきて、背中で大人たちの「お疲れ様」を受ける。サシャはサシャで、見かけによらずかなりの大物だ。
「お、グリン、ちょっとは元気になった? シャーロは平気? 第三休憩室にいたとき、ちょっと様子が変だと思ってたからさ。案の定変なのに絡まれたね」
気づいたことをグリンに話したら血相変えて飛んでっちゃってさ、などと軽く話すが、それがどんなに異様なことか、彼はきっとわかっていない。他人のために瞬時に動けるというのは、後のことを何も考えずに飛び込むという無謀さは、あまりに危険だ。
危険だが、それだけシャーロのことを心配していたのだ。まだ出会ってから日の浅い、しかも最悪な出会いをした相手のことを。
「どうしてそこまでするんだよ。俺のことなんか放っておけよ、他人なんだから」
誰だってそうした。手に負えないから、下手をすれば自分の出世に影響が出るかもしれないから、あるいは取るに足らないものだから。
グリンとサシャは顔を見合わせ、なぜか笑った。そうして拳を、今度は二人でシャーロへ示す。
「そりゃあもちろん」
「シャーロも俺たちの、何が何でも守りたい仲間だからな」
恥ずかしげもなく、当然のことのように言い切る。さらにこちらの返事を、あるものとして待っている。
おずおずと、けれども特に意識もせず、シャーロも拳を持ち上げる。小さな二つのそれと向き合うように。
そして三つは、こつりと優しく、ぶつかった。
「いやあ、良い青春の光景を見たよ。こっちまで気持ちが若返った」
本日の報告をしに大総統執務室を訪れたサウラがしみじみと言う。その横でセンテッドが「年寄りみたいだな」と呟いた。
「ご子息は同僚と良い関係を築けています。ご安心ください、閣下」
「ああ、そのようだな。グリンとサシャ、それから君たちにも感謝する」
メインは息子の報告ではない。司令部内で暴力沙汰を起こした者たちの処分についてだ。だがフィネーロはいつになく穏やかに笑っていた。
シャーロへの一方的な暴力については、起こした者たちがグリンに攻撃されたこと、原因がシャーロのドナー大将への暴力だったことなどもあり、関係者の三日間以上の謹慎で決着がついた。
シャーロとグリンも最低日数での謹慎ということになるが、ドナー大将についてはヨハンナへの発言についての厳重注意と手当の削減に留まりそうだ。彼は部下たちの所業について認知していなかった。
「毎度のことですが、部下のしたことについてはドナーは知らぬ存ぜぬを通しますね」
「実際、命令したりはしていないようだからな。部下たちも自分たちの独断だと証言する」
どこかでけじめをつけさせないといけないが、とルイゼンはフィネーロの隣で溜息を吐く。
甘い人たちだ、とセンテッドは内心で毒づいた。フィネーロの処分も甘いし、ルイゼンはそんなフィネーロに甘い。
今回はなんとかおさまったが、もしグリンや自分が間に合わず、シャーロが命を落としていたらどうするのか。それでも冷静に、前例に則った処分を言い渡して済ませるのだろうか。
ドナー大将によるヨハンナへの侮辱もそうだ。一度目ではないのだし、もっと重い処分を科してもいいはずだが。
煮え切らない気分でいたセンテッドだが、切り替えなくてはならない。報告すべきことはこれだけではないのだ。
「閣下、内部犯の洗い出しの件ですが」
「そうだったな。対象は絞れたのか」
「ええ。あとはグラン班に頼もうかと思っていたのですが、動ける人員が半分に減ってしまいましたので、如何致しますか」
容疑は三人の大将から、その部下たちへ。人数は増えたが、その中からある程度まで絞り込んだ。いよいよここからだというところで邪魔が入ったというのが正直な現状だ。
「グラン大尉とサシャ……ハイル軍曹の二人でも問題はなさそうだな。彼らは動き方を心得ている」
ヨハンナから報告があった。サシャは自分の関わっている任務の意図を理解している。実際には何が行われていて、いくつかの隠し事や嘘があったことを早いうちに見抜いたと。
スティーナ氏の講演会も近い。ここは彼らに先陣を切ってもらうのが良いだろう。
「では、まずはパクネー大将の部下にあたる者からですね。ハイル軍曹はすでに気に入られていますし、難しくはないはずです」
「こっちもサポートは継続するよ。閣下は俺たちに任せていてくれればいい」
サウラの言葉は含みを持って聞こえたが、はたしてそれをフィネーロも感じていたかどうか。
「報告は欠かさないように。大将格のマークが外れたなら、こちらもやっと動ける。遠慮なく頼ってくれ」
ルイゼンには通じたな、とセンテッドは解する。サウラも同じように受け取ったらしく、口元に挑戦的な笑みを浮かべていた。